2022年5月30日月曜日

役員とは

 役員になるということは、サラリーマンとしては成功した一つの証と言えるであろう。もっとも会社の規模によって同じ役員にも雲泥の差が出るのは当然である。上場企業の役員ともなれば、ステイタスもあり、個室をもらったり送迎の車がついたりもするかもしれない。報酬も然り。しかし、中小企業となれば、「名ばかり」というところも少なくない。私が学生時代にアルバイトをしていた防水工事の会社は、社長、専務、高齢の職人さん1名、経理のおばちゃんという4人の会社だったが、専務は個室でふんぞりかえるどころか、現場で先頭に立って汗を流していた。

 

 昨年、転職した我が社は、従業員は100名に満たない会社であるが、役員は社長含めて3名であり、この春から私が「執行役員」の肩書きをいただいたので、「役員会」は4名で行っている。小さいとは言え、規模的にはある程度「名ばかり役員」にはならないはずであるが、実態はちょっと怪しい。というのも役員の中に、どこかその言動に役員らしからぬところが見え隠れする者がいるのである。果たしてそのあたり、どの程度「自覚」を持ってやっているのだろうかと疑問に思うところである。

 

 そもそも役員とは、一般的には「取締役」のことである。そして取締役とは会社の経営者である。一般的には、従業員が出世して取締役になる場合、一旦、「退職」する。それは「雇われる側」から「雇う側」に変わることを意味する。退職金をもらって退職し、その瞬間から従業員ではなくなる。雇用保険の対象からも外れるので、失業しても失業手当てはもらえない。従業員の雇用は守られているが、取締役は株主総会で選任されなければ次の日から即失業である。そうした不安定な身分ゆえに、業績が良ければそれなりに報酬をもらうのも当然となる。

 

 しかしながら、大手の企業であればともかく、中小企業であればある日突然役員になれと言われ、退職金をもらって少し嬉しく思いながら役員に就任したのはいいが、それまでとあまり意識も行動も変わらなかったりする。たとえば、当社の場合、取締役と言っても事業部の部長を兼務している。部長とは従業員であるから、「雇う側」でありながら、「雇われる側」の仕事をしていたりする。1日の仕事の大半は「部長」としての仕事であったりすると、「役員(取締役)」という意識が希薄になるのも無理はないかもしれない。

 

 取締役は経営者であるがゆえに、会社の経営について考えるのが仕事である。我が社は「取締役会設置会社」であるから、会社の最高意思決定は取締役会(の多数決)で決まる。つまり、社長が「やる」と言っても、他の2人の取締役会が“No”と言えば、社長の決定を覆せる。それだけの権限が取締役には与えられているわけであり、そういう自覚のもと、「自分ならいかにしてこの会社を経営するか」という意識と考えを常に持っていないといけない。「部長気分」ではいけないのである。

 

 しかしながら、やっていることは同じだから考えは「部長」である。今回、あることを巡って取締役の1人が社長の意見に異を唱えている。それ自体悪いことではないのであるが、「ではどうするのか」というところになると、その意見はいかがなものかと首を傾げざるを得ない。すなわち、「自分としてはやれない」と断言するだけで、「では誰がやるのか」とか、「それで会社がいい方向に向かうのか」という疑問には答えられていない。取締役であれば、自分の考えもいいけれど、まず「会社にとって何がいいか」を優先して考えなければならない。

 

 そういう考え方にならないのも、部長の延長上にいる、あるいはまだ思考回路は部長(事実部長なのであるが)のままなのだろうと思う。部長としての発言ならまだしも、会社の舵取りをしなければならない取締役としてはいかがなものかという言動なのである。社長も交えて議論したが、平行線のまま。それは立場の違いによるものであるから一致させるのは難しい。ただ、「会社にとってそれはいいことか」「今後それで会社をどう動かしていくか」と問うた時に、当該取締役は答えられない。本当はそれではいけないのであるが、「部長思考」に凝り固まっているため、そこに気がつかない。

 

 それはやはり長年培われた「従業員思考」が抜けていないのである。長年、社長の指示を受ける立場で働いてきて、主任、課長、部長と出世してきた末に、ある日突然「社長と同じ立場(の取締役)」と言われてもピンとはこないだろう。他の企業の様子はわからないが、そういう取締役は多いのではないかと思ってしまう。特に社長がワンマンの傾向が強いとそうなってしまうのではないか。それを防ぐためには、やはり就任時にきちんと説明して自覚を促すほかはないように思う。

 

 かく言う私は執行役員であるが、これは会社法上では取締役ではない。あくまでも立場は従業員である。ただ、「役員」と言う名称がつき、「役員(取締役)会議」にも顔を出させていただいている以上、「会社を経営している」と言う意識は持つようにしている。「何が会社にとっていいのか」「目指すべき方向は」などは常に意識している。「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、取締役ではなくても、そういう意識を持っていたいと思う。そしてそれは、役員になってから持つべきものというのではなく、常日頃からそういう意識を持っているべきだと言える。

 私自身、そういう意識をいつから持てるようになったかはわからないが、今はそういう意識で行動したいと思うのである・・・

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【今週の読書】

 



2022年5月26日木曜日

論語雑感 雍也第六(その17)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「誰能出不由者。何莫由斯道也。」

【読み下し】


いはく、たれづるにものたる。なにゆゑみち

【訳】

先師がいわれた。

「外に出るのに戸口を通らないものはない。然るに、どうして人々は、人間が世に出るのに必ず通らなければならないこの道を通ろうとしないだろう。」

『論語』全文・現代語訳

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 人が必ずしも通らなければならない道とはどんな道だろうか。まず思い浮かぶのは「試練」である。どんな人間でも「辛いこと」を何も経ずして過ごすことはできないと思う。私にとってみれば、「試練」とは「逃げ出したくなる環境」だろう。古い記憶を辿れば、中学生の頃の記憶が思い至る。当時、つっぱりグループのボスに睨まれ、「学校に行きたくない」と思ったのを覚えている。「イジメ」として似たような経験をした人は多いだろう。幸いにしてその時は難を逃れることができたが、当時の自分に今のような強さがあれば、と今でも思う。

 

 高校受験と大学受験も試練であった。特に大学受験では、宅浪という孤独な環境の中、押しつぶされそうな不安と日々闘っていたものである。試験が終わったその瞬間、結果はともかく、もう勉強はできないと心底思った。目一杯やり切った疲れもあったが、もう不安という重圧に耐えられないという思いがあったのも確かである。就職の時は、「人生でこれほど悩んだことはない」というほど悩んだが(今にして思えば大したことはない)、やはり大きな試練だと思った。

 

 社会に出てからも試練は続く。仕事では最初の昇格前に随分と上司から指導を受けたが、何を求められているのか、何をすればいいのかがまったくわからず、焦りと不満とがないまぜになった気分を味わわされた。同時期に恋愛でも片想いの辛さ切なさを味わった。その後も仕事上では大きな失敗をして「針の筵」を経験した。自分が「会社に行くのが嫌だ」と思うようになるなんて予想もしていなかった。と同時に、それでも休まずに行き続けられたことで、精神的なタフさの自信になったのも事実である。

 

 金銭的な苦境に陥った時も地獄の気分を味わった。仕事も手につかなくなるし、何をしていても資金繰りのことが頭を離れない。わずかな可能性の光に救われた気分になり、次にまた絶望的な気分に落とされる。銀行を辞める時も眠れない思いを経験し、中小企業に転職した後も、倒産の可能性の恐怖から夜中に目覚める思いもした。中小企業の経営者なら、一度は同じ思いを味わっているかもしれない。会社の借り入れの保証人になっていたりすると、その恐怖は経験者でないとわからないだろう。

 

 今現在、実は弟が金銭的な苦境に陥っている。私にも借金を申し入れてきている。一度、二度、三度と貸しているが、私のポケットはドラえもんのとは違って底が浅い。毎日がギリギリの精神状態であることは、自分も経験しているだけによくわかる。まだどうなるかはわからないが、兄弟だからできるだけ助けてあげたいと思うだけである。そして弟の心境が手に取るようにわかるのも、自分が同じような経験をしているからに他ならない。ここで説教じみたことを言っても意味はない。そういう対応をしているからか、弟も積極的にアドバイスを求めてくる。

 

 幸いにして今、自分は比較的平穏な環境にある。もちろん、この先どうなるかはわからない。試練はいつやってくるかはわからない。あらかじめ備えておくことも難しい。できればもう二度と味わいたくないが、過去の試練の数々が嫌なものでしかなかったかと言うと、やはりそうではない。その試練があったからこそ鍛えられた部分がある。弟の心境が理解できるから、どう対応すべきかがわかる。お金が絡むと人間関係にヒビが入りやすくなる。弟との間にはそうならないという自信めいたものが感じられるのも自分の経験があるからである。

 

 「人生に無駄なものはない」とはよく言われる。経験もその一つだとしたら、「試練」も立派に役立っている。失恋を経て、「どんな男になるべきか」を考え、今の自分に繋がっている。すべての辛かった経験があってこそ、今の自分があるとも言える。そうした「試練」を「道」とするのであれば、それを通らなければならないと言う孔子の言葉は真実である。それを経験した分だけ強く大きくなれるとしたら、自分の経験もみな良かったと言える。

 

 ではこの先またそんな為になる試練の道を歓迎するかと言われれば、それはもう十分だとハッキリ断言する。できればこの先は平穏に暮らしたい。やはり、「いい経験だった」と言えるのは、乗り切ったからこそで、渦中にある時はそれどころではない。弟に今、「試練はいいぞ」などと言おうものなら、「とんでもない!」という答えが返ってくるだろう。自分の経験した試練は、できれば誰かのために役立てたい。いい経験の数々を穏やかに振り返るだけにしたいと思うのである・・・



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【本日の読書】

 

    

2022年5月23日月曜日

沖縄50年

 沖縄が本土復帰50周年だそうである。そう言えば、50年前の沖縄復帰のニュースを朧げながら覚えている。50年前は小学生であったが、「これで沖縄に行くのにパスポートがいらなくなるんだよ」と言われたのが強く記憶に残っている。それまでは「日本なのに行くのにパスポートがいる」(正確に言えば日本でないからパスポートがいるのだが)のだという事実に子供心に驚いていたのである。子供だから深い事情など知る由もない。「日本なのに行くのにパスポートがいる」という事実に驚いていたのである。

 

 戦争が終わったのが1945年。それからアメリカによる占領が続き、1951年のサンフランシスコ講和条約で日本の主権が回復したが、沖縄と小笠原はアメリカ(正確に言えば国連)の信託統治下に置かれたままであった。小笠原は1968年に一足早く日本に施政権が返還されており、沖縄は1972年に返還となったのである。その間、27年。なぜと考えればそれは簡単で、要は沖縄も小笠原もその位置が冷戦下の米軍にとって戦略上の要衝だったからにほかならない。それがなければ早々に主権回復していたであろう。

 

 実際のところはどうだったかはわからない。あくまでも個人の推測であるが、沖縄の本土復帰はずっと日本の悲願だったのだろうと思う。それはいまだ返還されない北方領土と同様である。日本政府としては、ずっとアメリカに要求していたのだろうと思うが、アメリカも朝鮮戦争が起こり、東西冷戦が激化し、ベトナム戦争が始まるという情勢の下で、沖縄の持つ戦略的重要性から、手放したくなかったのだろうと思う。方や日本政府は、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と言い残した太田中将の言葉ではないが一刻も早い返還を望んでいただろうと思う。

 

 しかし、アメリカの信託統治にも限界があり、ようやく本土復帰となったのだが、交渉の過程で米軍の軍事利用の継続は認めざるを得なかっただろう。アメリカとしては継続して基地を利用したいし、それを否定すればさらに復帰が長引くとなれば、まずは復帰を優先して基地利用を認めるといった交渉は当然あっただろう。それは力関係ゆえにやむを得なかっただろう。その結果、日本における米軍基地の7割が沖縄にあるという現状となったことは想像に難くない。アメリカも民主主義の盟主という正義の仮面を被っているが、実はエゴイスティックな国である。

 

 本土に復帰したとは言え、沖縄本島にはいまだ広大な米軍基地が存在しており、今でも基地の移設問題は解決していない。時折、思い出したように米兵による被害事件も起こっている。米軍と言えばロシア軍や中国軍と比べるとはるかに印象はいいが、末端の米兵ともなれば紳士というわけはない。荒くれ者やモラルのない者もいる(というよりその方が多いかもしれない)だろう。米軍は将軍や士官などは優秀なようだが、末端の兵隊はそうでもないらしい。実際に接したことがあるわけではないからなんとも言えないが、我が物顔に闊歩しているわけであるし、本土復帰50年経ってもまだ戦争の傷跡が残っていると言えなくもない。

 

 本来であれば、かつての敗戦国とは言え、今では我が国は主権国家であり、米軍の基地など撤去してもらうべきなのだが、そうも言えないのが国際情勢。大国に成長した中国が尖閣諸島にちょっかいを出してきている現状では、アメリカにNOと言えない苦しい部分もある。世界ではいまだに大国の領土分捕り合戦が行われており、悲しいかなそれを無視して平和を唱えても踏み躙られるだけである。日米安保という傘の下に入らざるを得ない我が国の現状は致し方ないと思う。

 

 沖縄には家族で2回遊びに行ったことがある。本土とはまた一味違う南国であり、異国風情を味わうには抜群の国内旅行先である。私は「南の島でのんびり」するのが好きだし、子供たちも水遊びができるから必然的に行きたい先は決まってくる。沖縄は手軽に行ける南の島である。さすがに子供たちも大きくなるとなかなか家族旅行というのも難しい。ちょっと寂しいが、パスポートなしで行かれるのであるから、もっと気軽に行きたいと思う。

 本島だけでなく、周囲の島にも行ってみたいという思いはいまだ持ち続けている。復帰して50年。もう米軍施政下の記憶も風化しつつある。つくづく平和は大切にしたいと思う。次はいつ行けるだろうか。その日を心待ちにしたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

 


2022年5月18日水曜日

紛争の行方

 今、一番関心が高いニュースは、やはりウクライナだろう。専門家ではないので、詳しいことはわからないが、毎日、新聞やニュースなどを見ていると朧げに現況が見えてくる。ロシア軍が短期決戦のつもりだったであろうことは素人でもわかるが、長期化しているのは欧米の支援の賜物。直接ロシア軍と交戦するのはまずいから、各国は物資の支援という形でウクライナをサポートしている。東欧諸国は自国のロシア製兵器を供与しているというから、ロシアにとっては悪夢のようかもしれない。

 

 ポーランドを始めとする東欧諸国は、供与した兵器に代わり、今度はアメリカ製の兵器を仕入れるそうである。何より今回の紛争で一番ホクホクしているのはアメリカだろうと思う。アメリカは定期的に戦争をしないと経済がもたないらしいから、今回の「自国の兵士が死なない」戦争は大歓迎だろう。自国の軍需産業は潤い、難敵ロシアは経済制裁で経済的に疲弊し、欧米の支援を受けたウクライナ軍の抵抗でロシア軍も兵員、兵器ともに大量費消して軍事力も弱体化し、アメリカとしては笑いが止まらないだろう。

 

 さらには、スウェーデンとフインランドがNATOに同時加盟申請をするというニュースが流れてきた。両国ともロシアの近隣でもあり、ロシアの脅威を感じてきたのだろうと思われる。どさくさ紛れではないが、ロシアも両国の加盟を阻止できる状況にはないため、実にタイムリーな申請だと思う。ウクライナにしてみれば、漁夫の利ではないが、自分達がやりたかったことをやられてしまい、忸怩たる思いがあるのかもしれない。この流れは当然アメリカも歓迎だろう。

 

 そういう動きもあり、アメリカとしてはこのまま紛争が長引いた方がいいと考えているのだろう。だから停戦の働きかけなんか行わない。ロシアも自ら殴りかかった以上、それなりの成果と大義名分がなければ引くに引けない。戦費も1日で年間予算の1/3かかっているらしいから、早くやめたいに違いないが、ウクライナは欧米諸国の全力のサポートを受けているので、簡単には屈服させられない。相手の抵抗を一発で終わらせるには、囁かれている核兵器の使用が効果的だが、使えば今中立を保っている国も反対に回るかもしれない。人類としてもそれは起こってほしくない予想である。

 

 どういう結末があるのかと考えると、どこかの国が仲裁に入ることだろうと予想するが、欧米以外となるとどこなのだろうかと思う。国連の形を取るのか、ロシアと対立していないインドなのかイスラエルなのか。そのあたりは専門家にも聞いてみたい気がする。どちらにせよ、「落とし所」を誰もが考えていると思うから、それが近づいてきた時に動きとしてニュースに出てくるのかもしれない。願わくば核兵器が使われる前に停戦になればいいなと思うが、ロシアの顔もウクライナの顔も立つような落とし所があるのだろうか。

 

 経済的にも人員、装備的にもいずれロシアも交戦継続が困難な時点がやってくるのだろうと思う。それに関しては、人員以外は欧米のバックアップがついているウクライナの方が有利かもしれない。考えてみれば、アメリカだってイラクに軍事侵攻して当時のフセイン政権を交代させているわけである。世界一の軍事大国だから経済制裁もされず、反対の声も押し潰してしまえた。同じことをやったロシアは、アメリカほど力が強くないから苦境に陥っている。それは果たしていいのかどうか。判断は難しい。

 

 世の中結局、力の強いものが我を通せるのであり、アメリカは確かに世界一の武力と経済力を誇っているが、我が国としてはそれが自分達の理に叶うのであれば従うのが良いのかもしれない。ロシアが武力侵攻に失敗し、それを目の当たりにした中国も二の轍を踏むまいと慎重になれば、我が国も台湾も少しは安心かもしれない。それで平和が保たれるのであれば、世界はまた少しいい方向に進んだと言えるのかもしれない。そういう意味で、良い結末になればいいと思うのである・・・


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【今週の読書】

 



2022年5月12日木曜日

チームのために

  我が社の役員会議は今ちょっと不穏な空気が漂っている。その原因は役員間の意見の衝突。一人が意見を言えば、別の役員がそれに反論する。単に議題だけの問題ならまだいいが、組織の変更も主張するとなるとややこしくなる。そしてその組織の変更の議論を始めると、そこでもまた互いの意見がぶつかり合う。議論は平行線。そしていつの間にか当初の議題とはかけ離れた議論になってしまう。その結果、当初の議題は話し合われぬまま、時間が経過してしまう・・・

 社長の鶴の一声で解決するかと言えば、そうでもない。鶴の一声が発せられれば、表面上は一応の決定をみるが、今度は実務において問題が生じる。方や社長の鶴の一声を大義名分として振りかざす役員。それに反発する役員は不満を募らせる。表面上は従うが、細かい実務の部分では「独自の解釈」を適用する。面従腹背もいいところである。その結果、部門間でやっていることに差が出てくる。どちらが悪いという問題ではなく、どちらも悪いと私の目には映る。

 そもそもであるが、役員=取締役とは、「会社の経営者」である。我が社は「取締役会設置会社」であるから、取締役会が会社の最高意思決定機関である。その取締役会の意思決定方法は「多数決」。取締役は3人だから2人が賛成すれば意思決定はできる。そして社長はと言えば、会社を代表する取締役ではあるが、取締役会ではあくまでも一取締役でしかない。つまり、2人の取締役が反対すれば社長と言えども自由に会社の方針を決定できないのである。取締役とは、1人ひとりが「そういう意識」を持って「会社を経営しなければならない」のである。

 という事は、平たく言えば社長が3人いるということに他ならない。それぞれが、「自分だったらこの会社をどういうふうに経営するか」という意見を持っていないといけない。ところが、そういう意識がそもそもない。社長以外の取締役は、各事業部の部長を兼務している。つまり、部に戻れば「部長」なのである。そうすると、意識も「部長」になる。そこでは、「俺の部」は「俺の方針で」となる。そうなると、「隣の部は隣の部、俺の部は俺の部」となってしまう。

 取締役に「取締役としての意識」がないのがまず問題点であるが、もう一つないのが「For the Team」という考え方であろう。私は普段からスポーツのチームも会社も同じだと考えている。スポーツでは、勝利という目的のためにチームは一つにならないと勝てない。みんながバラバラに好き勝手なプレーをしていては到底、勝利など覚束ない。会社も本質的には同じである。当然のことではあるが、勝利という簡単な結果がすぐ出るスポーツと違って、会社組織になると問題は表出しにくい。それゆえに自分のエゴがどうしても出てくる。我が社の役員の不協和音などその最たるものである。

 自分の意見を持つということはとても大事なことである。それがなければただのイエスマンである。そしてその自分の意見であるが、大事なことは自分の意見よりも「チーム」が優先されるべきであるということである。すなわち、チームにとって一番いい方法が自分の意見と異なる時、優先すべきは自分の意見ではない。徹底的に議論するのはいいが、決定されたらそれを自分の意見と同じだと思って従うことが必要である。「何がチーム、すなわち会社にとって最適か」を考え、優先させないといけないのである。

 そうした考えに、我が社の取締役は至っていない。あくまでも自分の意見に固執して時間を空費するのではなく、どこかで意見をまとめ意思統一しないといけない。どうしても議論が平行線であるならば、どこかで自分の意見を下すというのも大事な意思決定である。あるいは、相手を説得して今回は譲ってくれと頼むか。そういう考え方をどうしたら持ってもらえるか。それが私の今の課題でもある。なかなか簡単ではない。個別に話を聞き、そして意見を吐き出させるだけ吐き出させた上で、何が会社にとって一番良いのかということを考えてもらうしかないのかもしれない。

 それぞれが熱心なだけに、その調整は難しい。これも自分に課された一つの試練として、克服してみたいと思うのである・・・



【本日の読書】

   



2022年5月4日水曜日

論語雑感 雍也第六(その16)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】
子曰、「不有祝鮀之佞而、有宋朝之美、難乎免於今之世矣。」
【読み下し】
子(し)曰(いは)く、祝鮀(しゆくだ)之(の)仁(よきひと)有(あ)ら不(ず)、し而(て)宋朝(そうてう)之(の)美(うるはしき)有(あ)るは、今(いま)之(の)世(よ)於(に)免(まぬか)るる乎(を)難(かた)し。【訳】
先師がいわれた。「祝鮀ほど口がうまくて、宋朝ほどの美男子でないと、無事にはつとまらないらしい。何というなさけない時代だろう。」
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 実力社会とはよく言われるが、本当にそうだろうかと昔はよく考えた。銀行に入行して間もなくの若手の頃はそれほど考えなかったが、しばらくすれば「出世」ということを考えるようになる。と言っても何も頭取になろうなどと考えていたわけではないが、最低限でもせめて同期に遅れを取ることないくらいには地位を上げてもらいたいと思ったものである。しかし、残念ながらそうはならず、随分と忸怩たる鬱憤を抱えての銀行員生活であった。

 何が一体、出世の決め手となるのであろうか。それがわかれば苦労はしないのであるが、若手の頃はまったくわからなかった。実力と言っても、それは何を指すのか。もちろん、常に目標は抱えていたし、それをきちんとこなしていた。ずばぬけた実績でもあれば別だったかも知れないが、普通に目標をクリアーしている程度ではダメであった。「これをやれば」というのがわかればそれをやる。ところがそれがわからない。一生懸命だけではダメなのである。

 ちょうど30歳くらいだっただろうか。その頃、自分自身が一番壁に当たっていた。そんな私を見かねてか、ある上司が「お前は一体何をやりたいんだ」と唐突に問うてきた。たぶん、第三者的に見ても私が目的もなく彷徨っているように見えたのだろう。しかし、突然そんなことを聞かれても面食らうばかりである。いわゆる出世ルートから外れていったのはその頃からだったと思う。今、あの頃に戻れたら、たぶんこの上なくうまくやれるだろうと思うが、当時自分で出した結論は、「自分の人付き合いの悪さが原因だろう」ということであった。

 若手の頃から、「付き合い」というのが嫌いで、飲み会も断れるものなら常に断っていた。何が悲しくて仕事が終わった後まで一緒に酒を飲まなければならないのかと。当時は今と違って、みんな毎日のように飲みに行っていたものである。よく金と体力がついていったものだと感心する。そうした付き合いを通じて、「可愛がられる」ことが出世につながるのだろうと、自分の中で結論づけていた。そしてそれは自分には無理だと。「実力主義」など所詮は建前なのだと。

 そして一旦、遅れ出すと取り戻すのは難しい。それもそうである。1年あとには1年下の世代が鎬を削っているのである。遅れを取り戻すには倍のスピードで進まなければならないが、それはなかなか難しい(もちろん後から傑出した営業成績を上げて遅れを取り戻した者もいた)。そうしていつの間にか、目標はせめて「年下の上司に支えるのは避けたい」というものに変わっていた。銀行を辞めるに際し、あまり躊躇しなかったのはそういう恐れから逃れたいという思いがあったからでもある。

 外に出てみれば、そこで待っていたのは、中小企業であれば自分もまだまだ通用するという現実。こんなことならもっと早く出ていれば面白い人生を歩めたのではないかとさえ思う。おべっかを使うこともなく、無理してお付き合いで飲みに行くこともない。気をつけているのはコミュニケーションだけで、私の場合、上司だろうと物おじせずにものを言えるが、逆に相手の感情を逆撫でてしまうことがある。上司だって人間だし、自分の意見を頭から否定されれば面白くはない。面白くなければ、いくら正当な意見でも私の意見に同意してくれないということもあり得る。そういうところに気がつき、今はモノの言い方にかなり気を遣っている。

 今、若い頃を振り返ってみて思うのは、自分に足りなかったのは、飲みにいったりおべっかを使ったりするという付き合いの悪さではなく、総合的なコミュニケーション能力だったのだろうと思う。今であれば、実力を兼ね備えた(当時も実力はしっかりあったと思う)「可愛げのある部下」になれると思う。そうしたらたぶん出世もしていただろうし、人生も随分変わっていたと思う。つくづく、気づくのが遅すぎたと思う。いや、回り道をしたからこそ、気づいたのかも知れない。

 この経験は、いずれ社会に出るであろう娘と息子に伝えたいと思う。そうしてこそ、心の中で流してきた自分の涙も生きるような気がする。世の中は人の世。そこには人の感情というものが流れている。そうした感情をうまく汲んでこそ、「実力」が生きるのだと思う。ムッとしているよりは笑顔の方がいいだろう。モノの言い方一つで通る意見が通らなくなる。それはイケメンだから、あるいは口が達者だからなのではなく、一つのテクニックだろうと思う。孔子の時代もきっとそうだったのではないだろうか。我が身を振り返ってみるとそんな風に思うのである・・・

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2022年5月1日日曜日

部下が働いてくれれば

 我が社は従業員100名未満の中小企業である。いろいろと課題が多いが、人材育成もその一つ。中小企業ゆえに都内の大学からの人材を獲得できるということはなく、地方の大学併卒を含む専門学校卒業生を中心に採用している。中途も難しい。そういう人材を育てる方法は、もっぱらOJTと言えば聞こえは良いが、「とりあえず仕事をさせて覚えさせる」という方法。それでも悪くないが、もう少し専門的なことをやろうと思えば研修だろうと思い、今あれこれと探している。

 人材育成となると、下からというよりも上からの方が大事かと考えている。つまり、「部下をどう育てるか」である。それを考えていると、「自分はどうだろうか」という考えにたどり着く。人のことより自分はできているのか、と。自分は今総務部の部長職にある。総務部と言っても、小さな会社ゆえ、「経理」「人事」「総務」が複合された「総務部」である。下には課長がいて、パートと派遣と若手社員と実にバラエティに富んでいる。そんな中で、部長として心掛けているのは、「いかにスムーズに気持ち良く部下に働いてもらうか」である。結局、仕事をしてくれるのは部下であり、きちんと仕事をしてもらうことが自分の仕事につながるからである。

 意識しているのは、「情報公開」である。自分のところには社長や他の部の部長からいろいろな情報が入ってくる。また、自分なりの方針や考え方もある。それをなるべく部下には伝えるようにしている。中には経営の根幹に関わることもあり、伝えても直接に部下の仕事に関わるものではないものもある。それらはともかく、それ以外はほとんどすべて伝えているし、課長には経営の根幹に関わるものもなるべく伝えている。特に課長に伝えるのは重要だと考えている。なぜなら、部内の仕事はほとんどが課長がいれば回るからである。部長である私は、最終的な確認をしているに過ぎない。

 実際、経理においては、日々の入出金の伝票を記帳しているのは部下である。私は最終的に内容を確認しているだけである。それも課長がチェックしているので事務的な間違いはない。内容的に無駄な支出がないか、金額的におかしなものはないかという確認だけであり、私がいなくても仕事は回る。ただ、部としての考え方を統一しなければならない時に、それを示す役割は重要だと考えている。なぜなら、そういう方針を私が決めることによって、その部分の責任は私にくる。すると、課長はその負担がなくなり、その方針に従って仕事を指示できるようになる。

 会社では、「報連相」ということがよく言われる。そして「部下にこそ報告せよ」ということも。それは真実だと考えている。報連相は部下が上司に行うだけでなく、上司が部下に対しても行うべきだと思う。それは自分の考えを知っておいてもらうと、部下にスムーズに仕事をしてもらえると思うからである。それに不満の回避にもつながることも多いと思う。例えば、部内では一番良い方法であったとしても、会社内の他の部との関係で二番目に良い方法を採択するケースがある。「全体最適」という考え方である。しかし、それを知らなければ、「なぜ一番良い方法を取らないのか」と部下の間に疑問と不審を招いてしまうだろう。自分も経験したことがある。

 先日も部長判断で、ある費用を経費で処理することにしたが、課長にも相談した。課長は「それならこういうようにしたら」とアドバイスをしてくれたが、黙ってやらせれば変な疑いを招いたかもしれない。基本的に部内の仕事はすべて共有しておこうと考えている。そうすることで、自分自身にも緊張感が保てるし、あらかじめ考え方を示しておけばそれに沿って仕事をしてくれる。なるべく自分がいなくても仕事が回るようにしておくと、自分自身も楽である。それが部下の成長にもつながると思う。

 人は誰でも「言われたことをこなすだけ」だと仕事に面白みを感じないだろうと思う。何より自分自身そうである。であれば、あらかじめ大枠の考え方だけ示しておいて、あとは自由にやってもらう方がいい。自分なりの仕事の工夫も提案されれば認めているし、むしろ推奨している。自分で提案した仕事であれば積極的にやってくれるし、何よりこちらは細かい仕事のやり方まで一々考えるのは大変だし不可能である。部下が自立して仕事をしてくれれば、何より私自身が楽である。

 そうしたことが、結局部下の成長につながるのではないかと思う。「自分で考えて仕事をしてもらう」ことを意識するのであれば、「オープンにして任せる」のが一番だと思う。あとは山本五十六の言葉のようにすることだろうか。
 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ 
 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず

 自分も意識してやっていきたいと思うのである・・・

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【今週の読書】