2019年12月31日火曜日

2019年大晦日雑感

早いもので今年ももう大晦日である。毎年、大晦日に一年を振り返っているが、毎年のように時の過ぎゆく早さを実感させられる。しかし、それも過ぎてしまったからこそであり、当たり前であるが一年間の間、平凡に過ぎ去った11日があったことは事実である。そうして気がつけば55年。最近では「残り時間」を少しずつ意識するようになったと思う。「あとどれくらいできるだろうか」「今やらなくていつやるのか」先延ばししても年齢的にできなくなるリスクを感じるようになってきたのである。

一年を振り返ってみれば、それなりに出来事はあった。春には4年連続で会社が増益となってみんなで喜んだし、高校の70周年記念試合にも出場した。「温泉に入ると腰の痛みが和らぐ」という母を連れて、夏には万座温泉、冬には熱海に行った。秋にはラグビーのワールドカップが日本に来たし、映画は144本観て、本は125冊読んだ。クラッシック・コンサートにも行ったし、家族旅行にも行った。それなりに充実していたと言える。

「禍福は糾える縄の如し」という諺は常に意識しているが、自分の人生もまさにその通りである。1つの問題が解決すればまた別の問題が起き上がる。それが自分自身の問題であればいいが、そうでないと辛い。ここ最近、心を悩ませていた長女の問題はどうやら峠を越した感じがする。元気に大学受験に向けて勉強しているし、結果はともかくとして、このまま頑張って欲しいと思う。

一方で新たな試練も湧き上がって来ている。もうそろそろ忍耐も限界にきているし、このまま続けていくよりも、終わりにした方が自分自身のためにもいいように思う。ただ、それが悪影響を与えることには慎重にならないといけないし、となれば忍耐の残存期間はあと4年ということになる。4年後に長男が受験を終えた時点が1つの決断のタイミングであろう。

仕事でも大きな変化がありそうである。何事も順風満帆というわけにはいかない。必ずどこかで試練はやってくる。それを変に回避するのではなく、正面から向かって突破する道を選びたいと思う。ボクシングで言えば、パンチをもらうことを恐れてガードばかり固くして判定勝ちを狙うのではなく、しっかりと相手を見据えて打ち合ってノックアウトを狙うやり方と言える。「倒れるなら一歩前に」この精神は維持したいと思う。そういう意味で、来年の目指すキーワードは「一歩前へ」としたい。

「残り時間」ということであれば、仕事もラグビーも両親と過ごす時間も思春期の子供たちと過ごす時間も、考えればきりがない。幸いここ3年間チャレンジしてきたマンション管理士の資格は、自己採点では合格圏内だし、そうすると1週間で10時間、勉強に充ててきた時間が浮くことになる。この時間を有効に使いたいと思うが、NetflixAmazonprimeVideoもなかなかの誘惑をかけてきてくれている。株取引も再チャレンジしてみたいと思うし、あれもこれもと目移りするのも事実である。

 禍福は糾える縄の如しで、思うようにうまくいかない事も多々ある。それをクヨクヨしていても仕方がない。それを取り除いてもまた別の問題が起こるはずだし、それを嘆くよりも上手く付き合う方法を身につけていくべきだろう。諦めて我慢するのではなく、モグラ叩きをめげずにやるイメージである。きっといい結果になるだろうと信じて来年も「一歩前へ」出るようにしていきたい。そんな覚悟を持って2019年を締めくくりたいと思うのである・・・


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【今週の読書】


  
    
   

2019年12月29日日曜日

論語雑感 里仁第四(その11)

〔 原文 〕
子曰。君子懷徳。小人懷土。君子懷刑。小人懷惠。
〔 読み下し 〕
()(いわ)く、(くん)()(とく)(おも)えば、(しょう)(じん)()(おも)い、(くん)()(けい)(おも)えば、(しょう)(じん)(けい)(おも)う。
【訳】
先師がいわれた。――
「上に立つ者がつねに徳に心がけると、人民は安んじて土に親しみ、耕作にいそしむ。上に立つ者がつねに刑罰を思うと、人民はただ上からの恩恵だけに焦慮する」
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 上に立つ者の考え方が、下の者に多大な影響を与えるというのは、当たり前のことである。特に会社組織のように指揮命令系統のある組織ならなおさらである。「利益、利益」と口走ってばかりいて、儲けにつながらないようなサービスをしようものなら、ネチネチと嫌味を言われる。こんな環境下にあれば、まず社員は余計なサービスをしようなどとは思わなくなるだろう。

 銀行員時代、融資課に所属していた私は、融資の実行は当然ながら「お客様の希望する日」という感覚であった。ところが、まだ4年目くらいの若手時代、そんな感覚でお客様の口座に融資金を入金したら支店長にドヤされてしまった。曰く、お金が必要な日から少しでも前倒しで融資の実行をするものだと。つまり、1日でも早く実行すればその分、融資利息がもらえるし、口座に資金が眠ることになる。「流動性」と言って、この寝ている資金も支店の収益につながるからである。

 「もっと収益マインドを持て」というのが支店長のお叱りであった。以後、支店長の指示通り、審査が通ればなるべく早く融資契約を済ませ、お客様の口座に入金するように心掛けていた。しかし、一方で「お客様第一主義」という標語も掲げられていて、違和感を覚えたものである。当時は、よくある「ホンネと建前」として特に疑問にも思わなかったが、本部から降りてくる「お客様第一主義」のような「きれいごと」は聞き流すものという雰囲気であった。

 今思えば、その支店長だって、もともと金の亡者であったわけではないと思う。支店長に出世するまでの間、いろいろと頑張られたのだと思う。その中で、「収益をあげる」ことでより多くの評価を得てきたのだろう。そうなると、「収益をあげる」ことこそが評価される最大のポイントという理解になり、その結果育まれた「収益マインド」が銀行員としての行動基準になっていったのだと思う。

 これは子育てにも共通している原理だと思う。小さい子供は親に褒められたいし、叱られたくはない。当然、褒められればもっとそれをやろうとする。テストでいい点を取れば褒められるのに、かけっこで一番になってもそれほど褒められない。得意になって報告した時に、「それより宿題はやったの?」などと言われればモチベーションも下がってしまうだろう。我が息子は、今中学で学年トップの俊足だそうであるが、それも「かけっこで一番」を私が重点的に褒めてきた成果だろうと内心自負している。

 今の会社では、部長・役員間では収益の意識は高いが、それ以外の社員に対してはあまり収益に関してはうるさく言わない。決して儲かって余裕があるというわけではないが、もともと社長がそれほどガツガツするのが好きではないというところが大きく、ノンビリ構えてくれているためでもある。不動産賃貸という業務がら、長く住んでいただけるように快適なサービスを提供しようと普段から言っているが、みんなそれに応えてくれている。これが社長が「ガリガリ亡者」だったらそうも言ってられないと思う。
 
 「トップの顔色を伺う」というと、イメージは良くないが、結局のところ組織というものはそうなってしまうものだと思う。「会社は社長の器以上に大きくならない」と言われているのは、実に真実である。そう考えれば、上に立つ者の責任は重い。社長でなくても、部下を持つ立場の者であれば、そういう意識を持たないといけないと思うのである・・・



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【今週の読書】