2011年6月29日水曜日

ディズニー・シー2011

長女が学校公開で休みの月曜日、満を持して私も休暇を取って、この時期恒例のディズニーシーに行って来た。
前日の天気予報では、「気温30度」。
家族全員暑さ対策万全で首都高に乗る。

途中で携帯をチェックしていた妻が、開園時間が10時だと気づく。
9時のつもりで家を出ていたのだが、震災の影響だろうか、事前チェックを怠っていたお陰で1時間半も早く着いてしまった。
「30度」の予想なのに、道中も着いてからもおかしな雲行き。
30度」に対する警戒ばかりしていたが、何やら霧雨は降り注いでくるし、それに人出も少ない。しまいに小雨が降ってくる・・・

天気には閉口したが、空いているのは歓迎。
前回逃した「タワー・オブ・テラー」や「センター・オブ・ジ・アース」といった人気アトラクションのファスト・パスもあっさり取れる。
前回長男の身長が足りなくて乗りそこなった「インディ・ジョーンズ」とあわせて、それぞれ2回ずつ乗れてしまった。

もっとも、長男は「タワー・オブ・テラー」や「センター・オブ・ジ・アース」は1度で懲りて、「もういい」と言ったのであるが、説き伏せて2回乗ったのである。
両方とも長男は最後は半べそで、「もう絶対乗らない」と宣言していた。
確かに、大人でもなかなかのスリルだったから無理もない。
特に「タワー・オブ・テラー」は、映像も怖かったようである。
ちょっと可哀そうになって、頑張ったご褒美としてミッキーバスのミニカーを買ったら、ご機嫌を直してくれた。

その他にも8つのアトラクションを巡り、ミッキーと記念撮影をし、レストランには並ばずに食べられ、ショーも観て、とたっぷりと一日満喫。
アトラクションはどれも20分前後の待ち時間で、雨もそこそこで上がったし、なかなかこういう機会も珍しい。なんでも1日から関東近郊在住者向けにディスカウントパスが出るので、みんな控えているのだろうというのが理由らしい。
おかげで順番待ちの時に読もうと思って持っていった本を読む事ができなかった。

園内では、路上を掃除しているお兄さんが何やらパフォーマンスをしているのに出くわした。小道具を使った何やら楽しげなパフォーマンスで、通り行く人たちも次々に足を止めて見入っていた。個人的な発案なのか、新しい試みなのか、なかなか楽しませてもらえた。
中央のハーバーで夜のショーを堪能したあと、さらにストームライダーに乗り、閉園時間の10時ちょうどに門を出た。

帰りの首都高も空いていて、1時間で帰宅。
車中では子供たちの寝息の合唱。
次の日の事も考えず、フルに遊んでしまった。
まあいいだろう。

株主優待券が送られてくる関係で、自然と年2回はディズニーランドで遊んでいる。
あとどのくらいこうして家族で行かれるのだろうとふと思う。
子供たちもそのうち友達と行くと言い出すのだろう。
優待券だけくれとちゃっかり手を出してくるのかもしれない。
そう考えると、疲れはするもののこういう一時を今のうちに楽しんでおきたいと思う。

「タワー・オブ・テラー」を降りた直後の、目をウルウルとさせた長男の、「もう絶対乗らない」と言ったあの表情を、いつまでも楽しく覚えていたいと思うのである・・・

【本日の読書】
「涙の数だけ大きくなれる」木下晴弘
「Story Seller」伊坂幸太郎他

     
    

2011年6月26日日曜日

学校公開2011

長女の通う小学校で、毎年恒例の学校公開があった。
昨年は校舎の耐震工事の関係で秋に行われたが、今年はまた例年通りこの時期の実施となったのである。昨年同様1時間目からの参観。堂々一番乗りで教室に入る。

行くとなんとエアコンが効いている。
我々の頃はエアコンなんて気の利いたものはなかったから、随分と良い環境だ。
先生も楽だろう。
何気なく外を見ると体育をやっている。
午前中とは言え、すでに夏の日差し。
こんな日に体育なんて、先生も楽ではない。

1時間目は長女の好きな算数。
好きとは言いながらも、実は苦手な図形。
今日のテーマは図形の「合同」。
いくつかの似たような図形の中から同じ図形を選ばせて、「合同」の概念を教えるものだ。
「移動」しても「転換」しても同じ図形は変わらず、子供たちも容易に見つけられる。

しかし、「反転」すると意見が別れた。裏返して同じ図形は同じか、それとも違うのか。どっちだろうとこちらも迷う。あり得ないとは思いつつ、内心指されたら嫌だなとちょっと冷や冷やする。子供たちも面積が同じだとか、角が同じだとか、形が違うとかいろいろ意見が出て、興味深い。結局、答えは反転しても同じとみなすという事で、「合同」とは「移動しても転換しても反転しても同じ図形」の事なのだそうである。

2時間目は音楽。
音楽教室に移動し、音楽の先生が担当する。
主に歌を歌ったのだが、高いパートと低いパートに別れての合唱はなかなかのもの。
そう言えば私は音楽の授業はあまり好きではなかった。
特に小学校6年の時はヒステリックなおばさん先生にあたって、ますます嫌いになってしまった。その前の先生が良かったから尚更であったが、聞くところによると、この先生もすぐキレると子供たちには評判が良くないらしい。

3時間目は道徳。テーマは「命の大切さ」。
小学校4年生で病死した女の子の詩を題材にして、生徒に「今まで親にしてもらった事を3つ書きなさい」とか「親は自分がどんなことをしたら悲しむか3つ書きなさい」といった質問に答えさせ、最後は「自分が死んだら親が悲しむ」という答えに導くというもの。
小学校5年生ともなれば、もうかなり大体の理解はできているものだと思わされる。

学校で子供たちがどんなことを習っているのか、なんて普段あまりわからない。
こういう機会は実に良い機会だと思う。
授業だけではなく、教室の後ろの壁に貼ってある読書感想文や図工の時間に書いた絵、クラスで決められた係、そうしたものなどから子供たちの様子が伺える。

授業の公開は3時間目までだったので、そのまま帰ってきた。
そう言えば私は昔学校に親が見に来るのは、あまり好きでなかったと思う。
しかし長女は嬉しそうだ。
そこのあたりの心境は良くわからない。

来年はいよいよ最終学年。
長女の授業を見るのももう最後かもしれない。
長男が入学するから、たぶん掛け持ちで見学する事になるのだろうが、楽しみにしていたいと思うのである・・・

    
    

2011年6月23日木曜日

やっぱり若者は羨ましい

仕事上の都合から入行(=入社:銀行用語)3年目のA君と半日一緒に行動した。
年齢で約20歳違う。私の今いる職場はおじさんばかりで、20代の女性3人を除けば40代が8割を占めるという高齢職場である。そんな私にしてみれば、20代の若い男とじっくり話をする事は、ちょっとした刺激だった。

思えば銀行の仕組みも随分と変わった。
私の頃は昔風に預金係から始り、貸付係・取引先係と何でもやらせられる時代だったが、今はわりと専門的にスタートする。札勘(さつかん:要はお札を数えること)は最初に習うのは一緒だが、今はあまりじっくりとはやらないようである。そういう私も磨いた札勘の腕前は、合コンではウケたが、実践向きとは言えなかった。

私の頃は新入行員はみな独身寮に入れられたが、今は実家から通える者は希望しても寮には入れないのだという。バブル後の嵐を生き抜いた銀行に、かつてのような余裕などないのであろう。とは言え、入行して最初は給料が安い部分は変わらず、この20年で初任給は5万円しか増えていない。それでもやっぱりスマートフォンを持っているところは今風だ。

その彼は、わりと気さくな性格で次々にいろいろな事を尋ねてきては、自分自身のこともいろいろ語ってくれた。彼女はまだいないようであったが、いずれ結婚してと、まだ結婚に夢も希望も抱いているようだった。現実に結婚して、結婚生活の良い部分と悪い部分を知ってしまった立場としては、「慌てずよく選びなよ」とだけアドバイスした。いずれ彼も現実を知る事になるのだろう。

たまたまであるが、将棋の羽生名人の『大局観』という本を読んだ。
人生も大局観を持って鳥瞰できれば、誤る事も少ないのかもしれない。
だが、現実は猛スピードで車を運転しているようなもので、人生というハイウェイを走りながら、目の前の現実という路面しか見えていない。
その時は最善の選択だったものも、あとから振り返ると曲がり損ねた角にたくさん気がつく。彼の言動からは、若者らしい脇目も振らないドライブ感を感じた。

いつのまにか、「いいなぁ」と彼を羨ましく思っている自分がいた。
年を経て経験を積むと人間は当然ながら賢くなる。
ただ、「これをすればこんな失敗をするかもしれない」、「こうして失敗した人がいた」、「ここにはこんなリスクがある」、いつのまにかそんな知識だけ増え、気がつくと冒険できなくなってしまうのかもしれない。若い頃には転んでもすぐ起き上がれるし、失うものも少ないが、年月を経ると積み上げたものを失う恐怖も出てくる。

今から20年後の自分を想像すると、今の自分は遥かに若く、まだまだ何でも出来そうな気がするし、実際そのはずだ。だが、20年前の自分から比べたら、確実に年老いている事をあらためて実感させられた。まあそれは仕方あるまい。
人生はまだまだ中盤戦。これから頑張ってやりたいこと、行きたい場所がまだたくさんある。残り時間を気にしながらも、人生を楽しみたいと思ったのである・・・


【本日の読書】
「グレート・カンパニーの作り方」五十棲剛史
「Story Seller」伊坂幸太郎他

 

2011年6月19日日曜日

映画にみる世相

映画が趣味の私は、月に一回映画館に足を運ぶ他は週末に録画しておいた映画を鑑賞することを楽しんでいる。映画のジャンルは様々だが、時折観る古い映画はちょっと違った楽しみ方をしている。映画とともに、その時代の様子を楽しんでいるのである。

屋外ロケで撮影されたものは、その時代の街の様子がはっきりとわかる。
伯父から借りて観ている小津安二郎監督作品シリーズなどは、その傾向が顕著だ。
私の実家は東急沿線にあるが、池上線の車輛や駅などもしばし登場するし、戦後まもなくの様子は、今とはだいぶ違っているわけで、そんな違いを興味深くみている。

小津映画は、昭和8年のトーキー時代の「出来ごころ」から遺作となった昭和37年の「秋刀魚の味」まで観ている。戦前から戦後へという街並みもしっかり映っている。
特に昭和30年前後の映画などは、今とはだいぶ違う街並みを見られるのも楽しみの一つである。最近は「ALWAYS三丁目の夕日」をみるまでもなく、映像技術によって昔の街並みを再現して見せてくれるものも出てきたが、やはり本物の映像は訴える力がある。

また人々の暮らしぶりや考え方も面白い。
例えば昭和12年の「淑女は何を忘れたか」では、主人公のドクトル(ドクターではないところがいい)は週末になるとゴルフに出掛けている。
「秋刀魚の味」でも、マクレガーのクラブがほしくてたまらない登場人物が出てくる。
ゴルフを趣味とする歴史は意外と古いのだ。

女は嫁ぐものという風潮も顕著だ。
小津映画では、20代前半の娘を嫁がせようとあれこれ世話を焼く人たちが様々なシーンで描かれる。戦前ではまだ周りが世話するのが当然だったようだし、戦後の映画でもしばらくはお見合いが当然のようにして語られている。
「戸田家の兄嫁」では妹は兄のために友人を世話しようとするが、その友人が家にやってくると、兄は「お前に任せる」と言って逃げてしまうシーンが出てくる。
お付き合いも「結婚前提」なわけで、簡単に付き合い、簡単に別れる現代の若者たちとは人種が違う。

日本の社会も著しく変化している。
まず鎖国の時代から開国して大きく変化し、敗戦によってまた変わり。
それは欧米化でもあり、それだけでもない。
核家族化という流れもあるかもしれない。
次第に今の若者たちの感覚が理解しにくくなってきている現実が確かにある。
すでにバブルGO!!タイムマシンはドラム式などという映画が作られているし、現実的に若い人たちはバブルの時代を知らないのである。

「歌は世につれ」と言われるが、確実に「映画も世につれ」である。
我が家の子供たちが今の私の年齢になった頃、今公開されている映画などはどんな風に映るのであろうかと考えるとちょっと面白い。
考え方もだいぶ違っているのかもしれない。
そんないろいろな映画をこれからも楽しんでいきたいと思うのである・・・

 

2011年6月16日木曜日

危険な傾向

イタリアでは国民投票で脱原発が多数を占め、国内でも原発の運転停止を求める全国弁護団が初めて結成され、今秋にも全国各地で一斉に裁判を起こす準備を進めているという。電力会社の株主総会では脱原発の株主提案がなされるなど、あちこちで脱原発の動きが広がっている。ソフトバンクの孫社長も本業そっちのけの勢いで代替エネルギー推進の旗振りをしている。個人的にはこうした動きは大歓迎だ。

しかし、次のようなニュースも目にした。
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「福島原発のリスクを軽視している」 「安全説」山下教授に解任要求署名
J-CAST News2014年6月14日
福島第1原発から放射性物質が放出されて続けている問題で、一貫して「安全・安心説」を唱えていると受け止められている識者が、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大学教授だ。1年間に許容される被曝量として「20ミリシーベルト」という数字が議論になるなか、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは分からない」との立場を崩していない。これが「リスクを軽視している」と批判を浴びており、NGOは、解任を呼びかける署名活動を始めている・・・
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この山下教授、なかなか大胆な方だ。
しかし、この教授、長崎市生まれの被曝二世で、1991年から約20年間にわたって、チェルノブイリやセミパラチンスクでの被曝者治療に携わっていたらしい。
2005年から2年間は、世界保健機関(WHO)のジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官をも務めているというから、その道ではかなりの専門家といえる。

NGO(グリーンピースらしい)は、山下教授が「低線量被ばくのリスクを軽視し、『100ミリシーベルトまでは、妊婦も含めて安全』との言動を福島県内で繰り返しているという理由で危険視しているようである。そんな人物がアドバイザーなんてとんでもないという事で、解任を求める動きとなっているようだ。しかし、こういうNGOの動きこそ危険なものに思えてならない。

この教授の事は知らないが、経歴を見ればかなりの専門家だ。
その専門家が自分の研究成果に基づいて発言しているわけだ。
(ひょっとしたら裏で原発推進派から金をもらっているのかもしれないが・・・)
反論があるなら根拠を示して正面から反論すればいい。
もっとも放射能レベルが人体に与える影響なんてはっきりとした根拠があるわけではない。
何ミリ浴びたからどうなるなんて誰にもはっきり言えるものではない。
(もっとも相当量浴びたらダメだろうが・・・)
タバコと肺癌の関係のようなものだ。そう考えれば、どうするかなどという事は結局自分の基準で判断するしかない。

気にくわないから解任しようなどという事は、自分たちは正義感に酔いしれているのかもしれないが、非常に危険な発想だ。その昔社会党の土井党首が、憲法改正について「ダメなものはダメ」と議論を感情論で封じ込めた事があった。戦前は、「戦争反対」などと言おうものなら、周りから「非国民」と抑えつけられた。
みんな同じだ。

100ミリシーベルトまで大丈夫だ」と言われたって、私だったら根拠はなくとも信じないし、避難しなくても安全と言われたって避難する。
その人が小さな子供と一緒に隣に住むなら考えるが、そうでないなら「君子危うきに近寄らず」に従って行動するだろう。
でもその人がそういう発言をする事自体を妨げるべきではない。

それにしても私の周りでも、今年の夏は子供を学校のプールで泳がせないという親がいるらしい。それもまた過剰反応だと思うが、それもその人の判断だ。
これからどうなるかわからないが、原発を認めるという人には、「じゃあ、あなたの住んでいる街に原発ができると言ったら賛成するのか?」という質問はしてみたいと思う。
それに「YES」と答えられるなら、その人の意見は尊重してもいいだろう。
原発には反対だが、だからと言ってそのためには何でも許されるというものでは当然ない。

冷静なる目を失わないようにしたいものである・・・

【本日の読書】
「これからの思考の教科書」酒井穣
「やずやの秘密」栢野克己


2011年6月12日日曜日

良い話が聞けた

ご近所に住むあるご家庭では、子供を都内の某有名私立小学校に通わせている。
お受験ママたちにしてみれば羨望の眼差しといったところである。
我が街からその学校までは、1時間半くらいかかるのだが、毎日送り迎えしている様子で、誠に頭が下がる気がする。そんなにまでして、それが一体何になるのだろうと、他所の家のことだから良いのだけれど思ってしまう。

そんな日頃の疑問に一つの答えとなる話を聞く機会に恵まれた。
いつもお手伝いしている財団で主催している社会人向け勉強会の中での一コマだ。
今までの参加者から希望者を募ってのもので、講師は木下晴弘氏。
関西では超有名な学習塾浜学園(灘中合格者数日本一)で講師を務め、そこで培ったノウハウを活かし、独立して教員・講師向けモチベーションアップ・授業力向上研修、コンサルティングをしている方である。

もともと子供を無理やり塾に通わせたり家庭教師をつけたりしても、それだけで勉強ができるようにはならないと、自分の経験からそう考えていたが、木下氏の主張もまさにその通り。
いかに本人のやる気を引き出すか。それが一番重要なのだとのこと。
これを内発的モチベーションと言うのだそうだが、その話を自身の経験則に沿って語ってくれた。

今までもそうした内発的モチベーションが重要だとはわかっていた。
それが備わっていないと、どんなに環境が整っていても何の役にも立たない。
高校3年の時、浪人して予備校には通っているものの、あまり勉強していなかった先輩たちの姿を見ている。灘中に日本一の合格者を送り込むのも、ただ優秀な子を集めて受験テクニックを教え込んでいるだけでは、もちろんないだろう。
そうわかっていても、しかし『どうやったらいいのか』がなかなかわからなかったのである。

ここでそのエッセンスを説明するのは難しいが、一言で言えば心を磨くという事なのだろうか。その磨き方が実にいい。
「人に与えたものは(良いものも悪いものも)必ず自分に返ってくる」という人生の法則、許すこと、感謝の3レベル・・・それらが感動的なエピソードとともに説明される。
ちょっとウルウルしつつ、必死にメモを取った。

それにしても、とあらためて思う。
こうした話をできるところまで到達するのは、やはり物事に対する情熱だ。
講師の木下氏も、元はと言えば普通の塾の講師。
思い通りに生徒が勉強できず、辞表を書くところまでいったそうである。
そこでいろいろな人からの話に目覚め、仲間の講師たちと議論し、研究し、調査して「大事なもの」に気付いていく。

ただ日々の仕事をこなし、給料に満足し、晩酌を楽しんでいるだけでは到底到達できないところだ。自分は果たしてそんな気持ちで仕事をしているだろうか。
そんなことまで考えてみた。

一緒にお風呂に入ってさっそく実践トレーニング。
湯船に浸かって私のする話をいつも娘は興味深く聞いている。
今回の話を受けてさっそく「友達のためにする事」を話してみた。
効果はすぐには表れないだろうけど、じっくりゆっくり機会をみては話をしていきたいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「娼年」石田衣良


      
    

2011年6月9日木曜日

おとうと

私には4歳違いの弟がいる。
子供の頃は毎日喧嘩ばかりしていた。
母親などは、「お前たちはどうしてそう仲が悪いの」とよく嘆いていたものだ。

同じ兄弟でも私と弟とではまるで性格が違う。
私は学校の勉強もスポーツも真面目に取り組むタイプで、比較的早くから自立心に目覚め、高校生の時から親にはこずかいをもらわなくなり、都立高校、国立大学とリーズナブルに進学し、社会人になってからはボーナス時には親にいくらか渡していたし、父の日母の日誕生日にはいつもプレゼントを渡していた。

弟は真逆で、勉強もスポーツもやらず、私立高校から調理師の専門学校へ進学。
親にねだってバイクを買ってもらい、それに乗って田舎のじいさんにこずかいをもらいに行く有り様。ずぼらで隠していたタバコやアダルト雑誌を親に見つけられては怒られていた。
(私は完ぺきに隠していた)

「お宅の息子さんと出掛けた娘がまだ帰ってこないんですけど」と心配した女の子の親から電話がかかって来たなんて事もあった。もちろん、私はそんな経験などない。
(彼女がいなかったとも言えるが、いたとしてもそんな事はあり得ない)
弟は間違いなく、私の分の心配まで親にかけていた。

どうしようもない奴だと思っていたが、ほぼ同時期に社会人になり、次第に喧嘩もしなくなった。ある時飲みに行こうと誘われて、実家の近所の、弟の行きつけの店に連れていかれた事がある。私の知らない顔馴染みの常連さんたちと談笑する弟に、私の知らない弟の横顔を見た気がした。彼もいつの間にかしっかり自分の人生を生きていたのだ。

先月の母の日の事。
家族で実家に行った私に対して、弟は相変わらず音沙汰なし。
それを指摘すると、弟はいつも何か持ってきてくれる(私は孫の顔が手土産だとうそぶいていた)し、私とは違った形で気を使ってくれるのだと、母に反論された。

現在再び体調を崩し、母は検査入院しているが、弟はおかずを作って一人留守番している父に届けているらしい。料理のできない私には真似のできない芸当だ。
それもけっこうおいしいのだそうで、調理師の専門学校も無駄でははなかったと母は笑う。

私より多少身長が高く、その昔は弟の方が私よりもいい男だなどと言う人もいたが、今のでっぷりと突き出た腹を見れば、もうそんな事を言う人もいるまい。
1年間で腹囲が2センチ減った私とは対照的だ。
最近は会っても二言三言交わすくらいだが、兄貴を立てるという芸当も覚え、2児の父としてもしっかりやっているようだ。もうかつてのようないい加減な姿は、少ししかない。

親とのコミュニケーションに悩む私にとって、弟はいつのまにか緩衝材になってくれており、その意味では弟を頼りにしている自分に気がつく。
弟はいくつになっても弟だ。
5年前の自分よりも今の弟は年上なのだと思って見ても、実感はわかない。
しかしやっぱり男も40代となれば、それなりに経験を積んでしっかりしてくる。
まあ会話は少ないけれども不仲ではないし、これからも頼りにする事は多いに違いない。

子供の頃になぜ毎日喧嘩ばかりしていたのか。
それはたぶん、それで一生分の喧嘩をしてしまったという事なのだろう。
二人といない弟だし、これからも兄貴として立ててもらいつつ、付き合っていきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
「日本よ、永遠なれ」山谷えり子
「プラチナデータ」東野圭吾


2011年6月6日月曜日

日曜参観

昨日、長男の幼稚園で日曜参観があった。
「日曜参観」とは名打っているものの、ターゲットは明らかにお父さんだ。
ママたちは普段から何かと子供たちの幼稚園での様子を見ている。
普段来られないお父さんたちを呼ぼうという意図はありありしている。
ただ、お父さんが来られないところもあるから、「父親参観」としていないだけだろう。

実際、来ていた親の8割方はお父さんたちだ。
(ちなみにあらかじめ家族は1名に制限されていた)
また、少数参加していたお母さんたちの中でも、兄弟姉妹が在園しているという理由でお父さんが別の教室にいるという人もいたから、実際は9割以上という事になる。

中には日曜日も仕事という人もいると思うのだ。
だが仕事を休んだり、時差出勤などで調節しているのかもしれない。
実際、私の行きつけの美容院(近年は床屋ではないのだ)のオーナーも来ていたが、忙しくなるからとお昼前に帰って行った。唯一の知り合いだっただけに、ちょっと残念だった。
そんな風にして、今は当たり前のようにお父さんが来るのだと実感する。

自分の子供時代を振り返ってみると、親父が参観日に来たという記憶はまったくない。
記憶の中ではいつも後ろに立っていたのは母親だ。まあ今みたいに週休二日制ではなかったし、「男が・・・」なんて雰囲気もあったみたいだし、親父を責めるのも酷なのかもしれない。それゆえに、当たり前のようにお父さんが来ている現代はやっぱりいい時代になっているのかもしれない。

この日曜参観では親子工作が恒例だ。
今年ははと時計
ティッシュの箱を加工して、折り紙で折ったはとをつけるだけのものなのだが、この工作が実は私は苦手。今年も説明がわかりにくく、完成形の見本もなくて苦戦。
最後はごまかしたが、年長の長男の目はごまかせても他の人には見せたくない出来栄えだった。

子供たちと一緒にお弁当を食べて、最後は親子で自己紹介。
子供は名前だけでいいが、大人はそうもいかない。
「やっぱりちょっとウケた方がいいだろう」とサービス精神を発揮する。
次に会うのは運動会の時だろうが、ちょっとウケを取っておいたから覚えてもらえるかもしれない。

さて、この日の事を長男はどのくらい覚えていられるだろう。
将来自分が親父となった時に思いだしてくれるだろうか。
そんな事をちょっと考えた一日である・・・

【本日の読書】
「なぜ『そうじ』をすると人生が変わるのか?」志賀内泰弘
「プラチナデータ」東野圭吾