この週末、母と叔母を伴って母の故郷に行ってきた。ここ数年の恒例となっている「万座温泉」+「従兄弟会」である。万座温泉は私のお気に入りの温泉である。標高が高いのでこの時期でも夜は涼しい。温泉に入るのも苦にならない。それにあたりに漂う硫黄臭と白湯が気分も盛り上げてくれる。ラグビーをやっているためにあちこち痛いところがあるが、それがすべて癒える気になる。実際に一晩で良くなるものでもないが、一度数日でいいから湯治なるものをやってみたいと思っている。夜2回と朝風呂と3度湯に浸かり、硫黄臭を体に纏って従兄弟会に臨む。
今回、久しぶりに会った従兄弟Bは、いつも会う従兄弟Aの兄。私とは14歳離れている。学生時代、我が家に下宿していたのも懐かしい思い出である。そんな従兄弟Bは、久しぶりに会った私の母と叔母に質問攻撃。それは主に母方の家系に関するもの。どうも母と叔母が存命のうちにいろいろと聞いておきたいと思っていたようである。私も聞くともなしに耳に入ってくるまま話を聞いていた。小学生の頃、よく我が家に遊びにきていたおじさんがいた。どういう関係なのかよくわからなかったが、実は祖母の弟だったという事が判明した。
祖母の旧姓はその地区でよく聞く名前。同じ苗字の方の選挙ポスターが張り出されていたから、その地区での地主だったのだろう。祖母はもともとかなりの美人で、祖父と結婚した時は、悔しがった男たちがかなりいたようで、母もそんな男たちからよく聞かされたそうである。「よりにもよって一番冴えない男(=祖父)と結婚した」と。しかし、伯母2人は若い頃美人だったらしいが、母と叔母はその血を受け継がなかったらしい。叔母も「きれいなんて言われた事がない」と嘆いていたが、贔屓目に見ても確かに「きれい」とは言い難い。
母がまだ子供の頃、おそらく昭和20年代であるが、風呂は近所で持ち回りだったという。つまり近所内で順番に風呂を沸かし、「今日は◯◯さんの家」という具合に湯に入りに行き、入浴後にその家でお茶を振舞われて帰ってきたという。そういう事実は歴史の教科書には載っていない。まさに生き証人に聞くしかない。叔母は水道が引かれた日の興奮を今でも覚えていると言う。それまでは家の前の川で水を汲み、歯を磨き、風呂に入れて沸かしていたと言う。そんな思い出話は貴重だ。
祖父は「新し物好き」で、村で一番にテレビを買ったと言う。そのため、近所の人がよくテレビを見に来ていたらしい。そういうと力道山の街頭テレビの話を思い出す。しかし、祖父宅での一番人気は「解決ハリマオ」だったらしい。近所の子供達がみんな見にきていたと言う。1人親の厳しい子がいて、見に行くのを禁止されていたらしいが、そこは子供。こっそり来たのを叔母が招き入れて見せたと言う。そんな話も知られざる埋もれた生活史なのだろう。映画『三丁目の夕日』は昭和30年代の東京の話だったが、そのちょっと前の長野県は望月町の話である。
私が幼少時代、母親に連れられて訪れた祖父宅は、今はもう見知らぬ他人の家になっている。小さな子供のいる若夫婦の家らしいが、私の記憶にある祖父宅がかつてそこにあり、川から汲んだ水で風呂を沸かし、従兄弟たちと遊び夜は雑魚寝したことなど知る由もないのだろう。それは今私の自宅についても同様で、ここにはかつてアパートが建っていたらしいが、そこに住んでいた人たちの思い出や、アパートが建つ前(田畑?)の歴史もどこかで誰かが記憶しているのだろうが、私が知る事はない。そう考えると、人が変わって歴史が失われていくのも寂しいように思う。
私が今回聞いた話は、私だからこそ興味深いと言える。おそらく、我が家の子供たちはあまり興味をもたないだろう。母には私の知らない歴史がたくさんあり、それらの大半は母がいなくなればなくなってしまう。歴史の教科書にも載っていないし、Googleに聞いてもわからないものである。そう考えると、そういう話を聞けるのも今のうちと言える。昨日のことも覚えていない両親だが、昔の事は覚えている。もうじき同居する予定であり、一緒に暮らしながらそんな昔話をいろいろと聞き出したいと思う。
もともと歴史好きではあり、いろいろな歴史に興味を持ってきたが、両親のファミリーヒストリーをこれから興味深く聞き出していきたいと思うのである・・・
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Michal JarmolukによるPixabayからの画像 |




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