ここ数年、年末年始の我が家の光景は同じになってきた。元旦に1人起きて近所の氏神様に初詣に行く。心改め、神様には昨年のお礼と今年も見守っていただけるようにお願いする。基本的に神頼みはしない主義だが、このくらいは良いだろうと思う。そして破魔矢を買って帰る。朝も早めの時間だと参拝客も少ない。列に並ぶ時間は心を鎮めていろいろと物事を考える時間には良いが、列も短い方が良い。家族で参拝に来ている人を見ると羨ましく思うが、思い通りに行かないのがこの世の常と考えている。
往復の道すがら、今年の目標を考える。よその家族を羨む気持ちを思うに、我が家に足りない事をあれこれ思うのはやめようと思うと、自然に「知足」という言葉が浮かんだ。その後、実家へ向かう電車の中で読んだ本に「知足安分」という言葉が出ていた。偶然ではあるが、導きのように感じたので、今年はこれにしようと強く思う。さらには「自責」。今ある自分は自分の行動・考え方の結果。改めて「自分が源泉」の考え方を意識しようと思う。
そしてもう一つ「内省」。「自分が源泉」であるとするならそこに至る深い内省が必要だと思う。他人を批判する気持ちが湧いてきたなら、そこでまずはじっくりと考えてみたい。己にその批判をするだけの資格があるかどうか。自分に改善点はないのか。ただ批判するのではなく、それを改善する事はできないのか。じっくりと内省を経てからにしたいと思う。「知足・自責・内省」を1年間心掛けたいと思う。これは毎日の日記の冒頭に掲げているので、否が応でも目に付く。しっかりと意識したいと思う。
三が日は実家で両親と過ごす。毎朝雑煮を作り、夕食の支度をする。頼んでおいたおせちは意外にも量が少なく、2日でなくなってしまった。スーパーは開いていない。それでも冷蔵庫の中を見て、最後は親父を無理やり散歩に連れ出したついでに戸越銀座商店街で夕食のおかずになるものを見つけて何とかする。老いた母は食事の支度をしなくて済むと喜んでくれたが、やっぱり家事は大変である。改めてやってくれる人には感謝しないといけない。
両親とも短期記憶がますますなくなってきている。同じ会話を繰り返すのは当然だが、一晩寝るともう忘れてしまう。年末にビールを買わなければという親父に、「充分あるから不要」と伝えていたが、やっぱりそれを忘れて買っていた。さらに私のためにとウイスキーを買ってくれていた(同じウイスキーの封を切っていないものが棚に入っているのに・・・)。何も言わず、感謝してハイボールにして夜の映画のお供にした。嘆くのではなく、こういう時間も今のうちに大事にしたいと思う。
三が日は実家でのんびりとというわけにはいかなかったが、今年もまた一緒に過ごせたことは良かったと思う。母の家事負担を軽減し、話し相手になり、昔のように上げ膳据え膳ではなくなったが、それはそれで良いと思う。もう還暦の息子は勝手知ったる実家で何でもできるのだが、母はまだ「寝る時に寒くはないか」と何くれとなく世話を焼こうとする。煩わしい気持ちの方が強いのだが、ありがたく受け取る。もうこういう時間を後どれくらい過ごせるだろうか。母親というものはいくつになっても母親であろうとするものなのかもしれない。
こうして私の新たな年は始まった。1日1日を貴重な時間として、今年も過ごしていきたい。過ぎてしまえばまた「時の経つのは早い」と思うが、過ぎる前はたっぷりと時間があることがわかる。今年も4日が過ぎただけであと361日もある。この過ぎゆく時を大切に満喫して過ごしたいと思うのである・・・
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Annette MeyerによるPixabayからの画像 |


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