2024年12月31日火曜日

2024年末雑感

2024年も最後の1日である。
1年に365日あるが、大半の日々は日常生活の中に埋もれていく。しかし、この日は世の人々は明日の元旦と合わせて穏やかに神妙に過ごすような気がする。この366日を振り返ってみると、大半の日々を同じように平穏に過ごせたと思う。毎年思うが、大きな不幸がなく過ごせたという意味で良い1年であったと思う。人生60回目の大晦日を穏やかな気持ちで過ごせるのは幸せであると思う。

仕事も思う通りにやって、それなりの実績は示せている。自分が思いついて提案し、実行した事は「自分ならではの仕事」と言える。自分がこの会社にいなかったらやっていなかった事であり、自分の存在価値そのものである。転職フェアへの出展を提案し、また別の新たな採用手法を提案し、採用の実績に繋げた。私がいなければ、2人の人間が我が社に入社しなかったと考えると、足跡を残せたかなと思う。

採用のために今年も出張に行った。北は札幌から、新潟、鹿児島と定例のところに加え、沖縄と富山が加わった。基本的に出張はあまり好きではないのであるが、夜、ホテルで1人過ごす時間は気に入っている。出張に行く限りは何か成果を残さないとと考えているが、そんな成果を振り返りつつ、映画を観たりして1人くつろぐ時間は結構好きである。あまりに気に入ったので、夏休みに1日家族に内緒で都内のアパホテルに泊まりに行ったほどである。これも気に入ったので、これからしばしばやろうと思う。

昨年、母方の従兄弟と会った際、「来年は親戚会をやろう」と約束した。実行が伴わない空約束は嫌なので、積極的に従兄弟たちを中心に連絡を取り、夏に実行した。叔父叔母と従兄弟たち4家族総勢10人だったが、夜遅くまで飲んで歌ってみんなに喜ばれた。基本的に幹事は好きじゃないし、面倒なので嫌なのだが、最後まで気持ちを押し殺してやり切った。もう親世代はいつまで会えるかわからない。これが最後かもしれないし、やって良かったと思う。

一方、夏に父方の叔父が亡くなった。父よりも先に逝った事も驚いたが、最後に会ったのはいつだったか思い出そうとしても思い出せなかった。同じ東京に住んでいながら、30年くらい会っていなかったかもしれない。遺影の叔父は確かに私の記憶している叔父であったが、遺体の叔父はどこかの知らない人であるかのようだった。そう言えば、昨年亡くなった父方の伯父も亡骸は別人のようであった。突然、道で会ってもたぶんわからないだろう。老いて死ぬという事の現実を改めて見たような気がした。

娘は就職し、息子は大学に進学した。娘は公務員になったが、初任給もボーナスも我が社の大卒の新入社員よりもいい。何となく複雑な気がする。娘の父としてはいいが、会社の役員としては何とかしないといけない。初任給で何かプレゼントしてくれるという事は残念ながらなかったが、まぁ良いだろう。それなりの大学に進学した息子を誇らしく思う一方で、父として今のうちに語っておきたい事もたくさんある。来年は少し息子と語り合う時間を作りたいと思う。

早いようでも366日もあればいろいろな事があった。ラクビーも楽しくできたし、親と過ごす週末も良かったと思う。早いと感じるのは振り返るからであり、その時々ではゆっくりと時間が過ぎている。人生も何となく2/3が過ぎたという気がしているが、まだまだ1/3が残っている。過ぎゆくひと時ひと時を味わいながらこれからも過ごしていきたい。そして大晦日にはゆっくり振り返ってみたい。そしてそこで良い年だったと満足したい。今日この大晦日、366日が凝縮された2024年も良い年だったと思うのである・・・


Sookyung AnによるPixabayからの画像


【今週の読書】


運 ドン・キホーテ創業者「最強の遺言」 (文春新書) - 安田 隆夫三体2 黒暗森林 下 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 立原 透耶, 上原 かおり, 泊 功

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