2023年10月12日木曜日

習い事2023

 知人との会話の中で、「習い事」の話が出た。子供の習い事のことである。そう言えば、私も習い事をしていたなと思いだす。小学校の3年くらいだったか、母親に言われて習字を習いに行った。なぜ習字だったのかは覚えていないし、なぜ習いに行く気になったのかも覚えていない。言われるがままだったのか、自分でも面白そうだと思ったのかも覚えていない。確かなのは自分から言い出したものではないという事。畳敷きの部屋で他の生徒と一緒に母親くらいの感じの先生に習ったのをうっすらと覚えている。

 墨はすずりに水を入れて擦った。我が子が小学生の時、家で学校の書初めをしていたのを傍目で見た時、墨は墨汁をそのまま使っていた。今も習字を教えているところがあるのかはわからないし、今でも墨を擦るのかはわからないが、その当時は墨はすずりで擦るものだった。とめやはねなど教えられたのを覚えている。どのくらい通ったのか、なぜやめてしまったのかも覚えていないが、自分の字がうまいとは言えなくも、汚いとも言えないのは、この習字の経験があるからだろうと、会社の若手の書いた汚い字を見て思う。今はそもそも字を書くことが減っているから、よけいにうまくならないのだろう。

 次に通ったのは水泳だ。これも小学校3~4年の2年間だった。近所の水泳教室に通ったのを覚えている。これも母親に言われたものである。今でも覚えているのは、クロールを習い始めた時のこと、息継ぎの段階になったが、私は泳いでいるうちに苦しくなって勝手に息継ぎをしてしまった。すると、それを見ていた先生が、みんなの見本としてもう一度やれと言ってきた。その場で見本として泳いで見せたが、習う前に既に出来ていたのである。運動神経は良い方だったから珍しくもないが、なんとなく印象に残っている。

 水泳の経験はその後も役に立った。泳げない者は学校の水泳の授業でも肩身が狭いが、私にとっては楽しい時間だった。高校に入って水泳大会があったが、さすがに水泳部の人間にはかなわなかったが、それ以外の者とはスピードの面では負けていなかった。クロールも平泳ぎも背泳ぎもバタフライも一通りできるのはこの時の成果だし、子供が水泳教室に通うようになり、競争を挑まれたが、最後まで負けなかった(ママは娘が小学校4年生の時に負けていた)のもこの経験があったからだろう。

 少年野球のチームに入ったのは小学校4年生の時である。この頃、母親は何か息子にやらせようといろいろ考えていたのかもしれない。こちらは大好きな野球だったから、喜び勇んで毎週日曜日に練習に参加した。日本人だし、男だし、野球くらいは経験しておくべきだろうと今でも思う。基礎から教わり、こちらはチームスポーツだから連携プレーなんかもある。残念ながら「4番でエース」というわけにはいかなかったが、だいたい「2番ファースト」というのが自分の定位置であった。

 高校に入って部活を選ぶ際、野球は当然ながら筆頭候補であったが、当時は「野球は坊主頭」というおかしな不文律があって(今でもそれにこだわる意見がある)、そのバカさ加減が我慢できずに選択肢から外してしまった。おかげでラグビーと巡り合えたので良かったのだが、いまはそういう頭の古い不文律も少なくなって、おかげで息子は高校野球の道に進んでしまった。息子がラグビーを選ばなかったのは残念だが、まぁ、仕方がない。その息子が小学校の時に、ラグビーではなく野球をやらせることに同意したのは、やっぱり自分の経験もあったからである。

 中学生になって英語の教室に通った。勧めた母親にしてみれば、「受験」というのが頭にあったのだろう。私は当初それほど乗り気ではなかったが、親しくしていた友人が行くというので行く気になった。日本人女性講師の、今から思えば基礎的な教室だったが、割と真面目な私に対し友人は半分遊びのようであった。あんまりおもしろくなくてやめてしまったが、英語自体に興味がなかったわけではなく、たぶん外人の教師だったら続けていたと思う。「勉強」ではなく、「会話」であれば熱心に通っていたと思う。

 習い事はその程度。「塾」は母親に何度も勧められたが、こちらは断固として拒否した。勉強だけ習いに行くなんて面白くもなんともないという考えだった。小学生の頃ならまだしも、中学生ともなれば自我も強くなる。母親に言われるがままに通ったのは習字くらいで、面白味を感じなければ習う気にもならない。そう言えば、息子も小学校の低学年の時にママに「ダンス」を勧められて体験コースに行ったが、継続するのは拒否していた。我が子の方が自我の目覚めは早かったのかもしれない。

 学校で習わない事を校外で習い事として習うのはいいことだと思う。学校以外の友達もできるし、独自の世界の体験もできる。小学生の頃はそろばんを習っている友達がいて、いつも何やらぶつぶつ言って指を空で動かして計算してしまうのは凄いなと思ったが、私はなぜか習字だった。今度実家の母親になぜ習字だったのか聞いてみようかと思う。ただ、無駄だったとは思わない。自分だけだったらやらなかったかもしれないし、親の働きかけというのも大事なように思う。

 我が子は2人とも習い事をする年齢は過ぎてしまったが、これからは自分でやりたいことがあればなにかやるのだろう。小学生くらいの頃は、本人の意思も大事だが、わけのわからないうちにやらせてしまうのも良いのかもしれない。今振り返ってみると、やりたかったなと思うのは「ピアノ」と「柔道」だろうか。ピアノは家で練習できなかったし、柔道は「ガニ股になる」と反対する妻を見ると私が勧められなかったのもわかる気がする。やっぱり父親の関与が大事かもしれない。

 知人と話をしながら、そんなことを考えたのである・・・

Tania Van den BerghenによるPixabayからの画像

【本日の読書】

  


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