2017年3月29日水曜日

本質を見失うと・・・

物事はその本質をきちんととらえて考えないと、時としてとんちんかんな事をやる羽目になる。先日、そんなことを改めて思わされることがあった。それは高校の同窓会の幹事会での席上の事、その日の議題として卒業時に卒業生の中で同窓会に加入を拒否する人たちがいて、どうしたら100%加入してもらえるか、その対策が上程された時のことである。

 昔は、卒業したら100%加入するのが当たり前だったが、たぶんいろいろトラブルもあったのだろう、最近は加入については意思確認が必要とされるようになっている。そこで卒業時に意思確認するわけであるが、その時「No」という人たちが出てきているのである。それはそれで仕方ないと思うのであるが、それでも何か対策をというなら2つしかない。

 1つは同窓会に加入する魅力・メリットを誰にでもわかりやすく伝えることである。そしてもう1つは、そもそもであるが、同窓会自体を魅力ある組織にすることである。当たり前だがそれしかない。しかし上程された提案内容は、「入学時に他の書類ともども判をもらってしまう」というものであった。提案者は、他の高校での成功事例として聞きつけ、「それはいい」と飛びついたらしい。

 確かに、そうすれば100%加入となるのは間違いないであろう。ただ、そうして名前だけの会員を集めても当然意味はない。しかも、例年総会へ参加する会員の数は、総数の0.5%以下という誠にお寒い状況で、もはや同窓会の存在意義すら問われかねない状態である。それに対する抜本的な改善を試みるでもなく、さらに「名前だけの」会員を集めて良しとするスタンスでは先々知れているだろう。

 「木を見て森を見ず」という言葉があるが、物事は本質となるべき全体像をきちんと捉えておかないととんちんかんな対応を取ることになる。今回の件も、「どうしたら全員同窓会に加入してくれるか」という問いを出発点としているが、その中にのめり込んでいき、いつの間にか本質からずれてしまったものである。中心になっている人たちは真面目に考えているのだろうが、それがおかしい事に気が付かない。

 私が昨年まで別途お手伝いさせていただいていたボランティア団体でも、ホームページを作るにあたり、「詳しい」と称する人に制作を任せたが、出来上がったものはマニアック過ぎてまったく使えないものであった。ホームページを「どういう目的で使うのか」「どういう風に利用するのか」「そもそも何の目的でつくるのか」という本質を無視してテクニックのみに走った結果である(それは結局廃止にして、私が別の人に助けてもらって作り変えた)。IT関係はわからないからと言って、詳しい人に丸投げしたらそうなるというまさに悪しき見本であった。

 ボランティアであるからまだいいかもしれないが、仕事となるとモノによっては影響は甚大だからいい加減にはできない。本質を見失わないためには、常に「大事なことは何なのか」「あるべき姿はどういうものか」「要は何なのか」ということを問い続けないといけないだろう。本質を見失ってしまうと、「おかしなことを大真面目にやっていてしかも気が付かない」というまさに冒頭の例のようになってしまうだろう。

 人のふり見て、ではないが、改めて自分も気を付けたいと思うところである・・・





【本日の読書】
 
     

2017年3月27日月曜日

私が影響を受けた人

 人はいろいろな人に影響を受けて育つものである。かくいう自分もいろいろな人から影響を受けている。先日、高校のラグビー部OBの試合に参加した。そして久しぶりにお会いしたH先輩(大学のH先輩とは別人である)も高校生だった私が影響を受けた人の一人である。

高校に入学し、ふとしたきっかけでラグビー部の門を叩いた私の前に現れたH先輩は当時3年生でキャプテン。新入生には眩しい存在だ。練習はキャプテンの指示のもと行われていたから、当然その一挙手一投足に目がいく。ラグビーは当然うまいし、キャプテンシーもあって、自分もかくありたいと思ったものである。

その想いから、必然的にポジションもH先輩と同じナンバー8を選んだ。コーチには、体格的にはフランカーとか、運動神経も良かったからバックスも勧められたが、あくまでもナンバー8を希望した。幸いそれほどライバルもなく希望は叶ったが、それは卵から孵った雛が最初に目にしたものを親だと思うのと同じようなものかもしれない(その後大学に入るとさすがにフランカーに移ったが、それはそれで良かったと思う)

H先輩の影響は、ラグビーだけではない。そのユニークなキャラクターだ。もちろん、現役中はどちらかと言うと怖いイメージだったのだが、引退して受験モードに入ったあとは気軽に接してもらえるようになった。その時、初めて「素」に戻った先輩と接したのである。練習後にみんなで行きつけの喫茶店に行くと、H先輩らもなぜか受験の息抜きと称して来ていて、そこでH先輩の「本当の姿」を見たのである。

H先輩は、常に話の中心にいて、その話が面白いのなんのと。初めこそ練習中のイメージと違って戸惑ったのだが、慣れたあとはその「トーク」を楽しんだ。何と言っても一年坊主だし、隅で聞いているのが精一杯だったのである。H先輩はそんな隅っこの私を目ざとく捕まえては、よくダシにしてくれた。「お前暗いから一日一つ何か面白いことを言え!」。

そんなことを言われても、力なく笑うしかなかったが、先輩のトークは聞き流すだけでも効果があった。もともと父に似て無口だった私だが、大学に入り合コンに参加した際は、軽快なトーク(と自分では思っていた)を披露して女子大生の笑いを取れたのは、間違いなくH先輩のおかげである。「スピードラーニング」が、「聞き流すだけで英語が話せる」という謳い文句の宣伝をしているが、「聞き流す」だけでしゃべれるようになったのは事実だから、効果があるのは間違いないと断言できる。

ビールを飲みながら久しぶりにH先輩のトークを聞いていたが、相変わらずの面白さだった。大学を卒業したあと、大手製薬会社に入社し営業マンとなったH先輩だが、営業成績も良かったという。それはとりもなおさず、先輩のキャラクターとトークの結果だろうと思う。自分はといえば、影響を受けたとは言え、もともとは物静かで無口であるから先輩ほどの営業力は身につかなかったと思う。せいぜいが、社内でそれなりの人間関係(特に女性)を作るのに役立った程度である。だが、それでも大いに役立ったのは事実である。

先輩のトークは、やっぱり何年経っても自分が到達できる領域のものではない。だが、間違いなく自分の欠点を補ってくれるものであった。考えてみれば、キャプテンとして眩しい存在で、カッコよくて、だから同じポジションを志望してという流れがあったのが良かったかもしれない。最初からおチャラケた素顔を見てしまっていたら、距離を置いていたかもしれない。

先輩のトークの洗礼を浴びていなかったら、自分はどんなキャラクターになっていただろうとふと思う。多分、無口で根暗で、高校時代に付き合っていた彼女から「何考えているんだかわからない」と言われたことがあるが、どちらかというとカタブツのそういう人間になっていたのではないかと思う。そうしたら、自分の人生ももっとつまらないものになっていたかもしれない。

考えてみれば、それもありがたいことだと思う。今年は同じラグビーチームに入れてもらうことになっているが、そうすると接する機会も増え、相変わらずのトークを聞く機会も増えるだろう。それがさらなる影響としてわが身に現れるかどうかはわからない。ただ、もうすでに十分な恩恵を被ったことだし、今度その感謝の気持ちを伝えてみたいと思う。その場で先輩を笑わせられたら、高校時代果たせなかった課題をようやく果たせるのかもしれない。

先輩とは、末長くお付き合いさせていただきたいと、つくづく思うのである・・・




【今週の読書】