2011年の福島の原発事故を受けて、ドイツのメルケル首相は即座に脱原発を発表した。その決断力はすごいとそのリーダーシップに感嘆したし、同じことを日本にも期待した。ところがあれだけの事故を起こしながら脱原発どころか再稼働するところが出てきており、産経新聞などのマスコミも「日本には原発が必要」との論調を張ってこれを後押ししている。個人的には誠に苦々しい事態である。
しかし、ここは冷静に考えてみたいところだと思う。当のドイツでも、現実的には原発の廃炉・放射線廃棄物処理をどのように進めるか、原発に代替する発電への切り替えにかかるコスト、その支払い分担が巨額になるだろうという見通しのみで、公式の金額詳細が、不明のままになっている。さらに、電力会社のRWEはドイツ政府に対し、原発稼動停止期間の営業損失の責任はドイツ連邦にあるとして、今年3月にドイツ連邦の法廷に損害賠償金235百万ユーロ(約295億円)を求める訴訟を起こしている。
また、以前日本で原発を扱う東芝の方からは、脱原発に舵を切ると原子力を学ぶ学生がいなくなり、それは廃炉という時間のかかる処理を行う技術・人材の喪失につながるという話を伺った。国際間の技術協力・情報交換にも支障が出るし、例えば中国で原発事故が起きた際、(それは日本にも影響が出る可能性がある話だが)日本として協力できなくなるという問題もあるらしい。再生エネルギー技術は発展途上で原発の代替エネルギーとしては役不足で、電力コストの上昇は家庭にも企業の国際競争力にも影響すると産経新聞などは鼻息が荒い。
確かに感情論だけではなかなかすっきりいかないのも事実だと思う。また、利権維持のために何が何でも原発を維持しようとする勢力を悪玉に上げるだけでもダメな気がする。事実、ドイツでは、脱原発を発表したことにより、原子力について学ぼうとする若手が急減してきているらしい。既に、ドイツの大学の物理学部原子力エネルギー専門課程の講義、研究費などの予算は削られ、カリキュラムも軒並み消えていっているらしいので、まんざら大げさな指摘でもないようである。
しかしこれらの問題は「問題」というより「課題」だと言える。つまり原発廃止に向かっていく時に解決しなければならない「課題」という意味である。どんなものにもこうした「課題」はつきものであろう。「課題」があるからできないというのは理由にならない。その「課題」をどうすれば解決できるかを考えていけばいいだけである。国として脱原発を宣言し、廃炉技術の確立を国家の優先課題とし、技術者は国家公務員として高給で登用する道を開き、大学には助成金を出してさらにその意義をアナウンスするなどすれば、ドイツで起こっている問題は解決可能に思える。
何事も技術が後からついてくることはあることで、再生エネルギーも日本が「本気で」取り組めば、技術の確立は容易であると思えてならない。いろいろと問題はあっても、「だからダメだ」と決めつけるのは早計であろう。国際間の協力でも廃炉技術を中心に確立していけばいいだろうし、どうしても原発が必要なら1基とか2基とかに限って稼働させるという手もある。「中国で事故が起きたら」、何て仮にもしそうなったとしても、核大国中国が我が国に協力を求めてくるかという問題もあるし、本当にそれを問題にしなければならないのかという感じだ。
これまでのところ、原発に反対する私に、「それは問題だ」と思わせる問題を教えてくれた人やメディアはない。原発がクリーンエネルギーだという意見は、もう笑うしかないし、「経済性」だって、税金で賄っている自治体向けの各種補助金や福島の処理コストも含めて語ってほしいし、原発推進派のこれまで見聞きした意見はどれも「的外れ」か単なる「課題」でしかない。何が何でも脱原発と言って、「憲法9条を守れ」のようにキチガイみたいに叫ぶつもりはないが、せめて十分納得できる理由を教えてほしいと思う。
「課題は多いが、問題はない」というのが今のところの私の考えなのである・・・
過去の思考記録
【本日の読書】
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