2016年6月26日日曜日

金融庁検査今昔

 池井戸潤の半沢直樹シリーズ『オレたち花のバブル組』を読んだ。今更ながら、であるが面白い本である。その面白さの一つとして、著者の池井戸潤が元銀行員というだけあって、話の内容が実際のそれに即しているというところがある。合併後も「旧T」、「旧S」と旧行意識を剥き出しにしていたのは、三菱東京UFJ銀行の実際の姿であるし、金融庁検査の前には、「疎開」と称して金融庁に見られてはまずい資料を隠していたのも事実である(私も経験がある)。「元銀行員」として、私もそれらの実際のエピソードを思い出しながら読んだのである。


 特に金融危機の頃は、金融庁は各銀行に検査に入り、次々と取引先を「分類」していった。「分類」とは、業績の悪い企業向けの貸出を「問題債権」として認定することである。これをやられると、銀行はその取引先に対する貸出金に引当金を計上しなければならなくなり、金額が大きければ銀行の経営が傾いてしまう。実際、UFJ銀行はダイエー向けの貸出についてこれをやられ、挙句の果てには東京三菱銀行に救済合併される羽目になった。また「認定」された取引先には追加融資ができなくなるので、取引先とて一大事である。

 銀行は必死に事業計画やら何やらを持ち出し、その企業が業績回復することを説明するが、金融庁は、難癖をつけてそれを否定しようとする。まさに『オレたち花のバブル組』に描かれている様子そのままである。そして金融庁が入れば、「銀行が守りきれなかった」取引先が「認定」され、銀行はその先に対する貸出金額を新たに公表不良債権額として発表する。するとそれをマスコミが、「銀行はまだ不良債権を隠しているのではないか」と報じたて、同調した世間から銀行はひたすら悪者扱いされたのである。

 こんな苦々しい経験を経て、「金融円滑化」の時代に入る。この時、政府はとにかく企業を救えと、銀行には返済の緩和を求め、金融庁検査も「いかに銀行が救う努力をしているか」にテーマが変わった。銀行に対しては、とにかく救う姿勢を求め、事業計画をつくれない企業に対しては、銀行が代わりに作ることを求めた。どれだけ救う努力をしているかが問われたのである。そこには、かつて銀行が懸命になって説明した事業計画をけんもほろろに否定した金融庁検査の姿は欠片もなく、甘い事業計画でもホクホク顔で承認したのである。「なんだったんだ」というのが、現場の正直な感想である。

 もちろん、銀行はいつの世も自らの貸出を守る。それは何よりも自分の利益でもあるから当然なのであるが、同時に取引先の利益でもある。だが、時代によって当局の対応は180度違う。半沢直樹の人気のセリフ「倍返し」ではないが、大「手のひら返し」である。もちろん、そんなことは当の金融庁の人たちだってわかっちゃいるだろう。金融政策は世の時々に応じて柔軟になされなければならない。大臣の気分一つで「大手のひら返し」にも、それまでと同じ顔してやらなければならないことだろう。わかってはいるが、「それでも・・・」と思う気持ちは無くならない。それに拍車をかけるのが、そんな事情を知ろうと思えば簡単に知ることができるのに、まるで何事もなかったかのような能天気なマスコミ・・・

 マスコミは「三歩歩けば昨日のことは忘れる」体質だから、これも仕方ないのかもしれない。だが、悔しい思いをした者はいつまでも覚えている。世間は風化しても、人気シリーズはそんな時代をありありと現在に伝えてくれる。小説を読みながら、溜飲を下げたのだが、それは主人公の活躍ばかりでもないのである。単純に読み物としても面白いし、読んでいない人や特に金融庁や経済担当のマスコミ関係者にも「今だからこそ」読んでほしい一冊でもある。

 今は転職して金融業界から離れてしまったが、あの頃の出来事は銀行員時代でも印象深い時代である。そんな「今は昔」の物語なのである・・・



















【今週の読書】
 
   

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