2016年3月6日日曜日

働き方の今昔



転職をし、大企業を離れ中小企業に移って一年強。今、仕事が楽しい。
中小企業だし、大企業と比べると将来的な安定度は「吹けば飛ぶよう」であるが、そうした不安と背中合わせであろうと、奮闘するプロセス自体を楽しんでいる。

大学を卒業し、銀行に就職した昭和63年。八王子にあった初めて配属された支店の直属の上司は、「仕事が趣味」と公言していた。私には理解不能なことだった。当時は今と違い、日本人の働き過ぎが海外から批判されていた時代で、支店の人たちもよく働いていた。と言うより、「働かされていた」というのが正しいと今では思う。

とにかく、仕事に行くのが苦痛だった。支店の雰囲気も悪かった(若手同士は非常に仲が良くて楽しかったのだが・・・)初めてボーナスをもらった時、支店の外回りの人に、「ボーナスもらったの?」と聞かれた。「はい!」と元気よく答えたところ、「いいねぇ、仕事もしないのにボーナスもらえて」と嫌味を言われた。4月に銀行に入って6月では、確かに戦力にはなっていない。だが、それはみんな同条件であり、その人だってそうだったはず。なんでそんな嫌味を言う必要があるのかと疑問に思うところだ。

そんな中で楽しみにしていた夏休み。2年目から銀行も土曜日が休業になり、5日間の夏休みを月曜日から取れば、「9連休」が取得できることになった。ところが「仕事が趣味」の上司は、自身2日程度しか休みを取らないのはいいとして、部下の休暇もすべて「水曜日スタート」で決めてしまった。水曜日スタートだと7連休にしかならない。それでもありがたいのだが、どうせ同じ5日間だ。「月曜スタート」にしてくれれば、少しでも長く休める。そこにあったのは、「働くのが美徳」という意識ではなく、「休むことは罪悪」という意識であった。ちなみに今では基本的にみんな「月曜スタート」が当たり前になっている。今も昔もそれでまったく仕事に支障はない。

さらにその休み期間中も、毎日支店に連絡を入れさせられた。自分の留守中に何か起きていないか、起きていればそれに対する対応を伝えるためだった。せっかくの休みなのに休んだ気がしない。それでも国内にいる時はまだいい。問題は海外に行った時だ。

私も20代後半には夏休みに海外旅行に行っていた。ある時、海外に行ってまで電話なんかしたくないと、あえて連絡を入れなかった。そしたらなんと滞在先のホテルに上司から国際電話が架かってきた(当然、旅行スケジュールと滞在先の連絡先は伝えてあった)。よほどの緊急事態かと、慌てて折り返しの電話をしたところ、「電話がないから」というのが、その驚きの理由だった。

その場で業務に関する質問を受けたが、それは事務的な話で、わからなければ本部の事務セクションに問い合わせれば済むことであった。「こちらから(事務セクションに)電話して聞きますか」と聞いたところ、さすがにそれはいいということだった。ちなみに、今では「休み中に電話をする」こと自体タブーとされていて、「お互い様だから残ったメンバーでなんとかする」というのが当たり前のいい時代になっている。

およそ勉強も仕事もスポーツも、目標を達成するためには困難は付き物である。辛いこともあるかもしれない。しかし、辛いことばかりがすべてでは、当然ない。そのプロセスにあっては、少しでも喜びと楽しみを求めることも悪くない。むしろ楽しんでできるのであれば、それが一番である。

その考えは、新人時代のあの頃から少しも変わっていない。変わったのは、時代と環境だろう。今の自分があの頃に戻っても、あの環境の中ではだいぶストレスを溜め込むことだろう。今も必要があれば、夜遅くとも休みの日であろうとも働く意欲はある。楽しければ、そういう気持ちにもなる。精神的な健康は、何よりも業績への効果も高いのではないかと思っている。

これから後何年働けるかはわからないが、「仕事が趣味」と言えるくらいの気持ちで働きたいと思う。それはあの頃の上司と同じ言葉であるが、その姿はまったく違う。自分だけでなく、周りの人も楽しんで参加出来るという点で、あの頃のあの支店とはまったく異なる雰囲気の職場にしていきたいと思う。

今は誰もが楽しく働けるいい時代なのか。今でも「休むことが罪悪」という職場があるのかはわからないが、自分にはもう無縁の世界にしたいと思うのである・・・

【今週の読書】
ブロックバスター戦略―ハーバードで教えているメガヒットの法則 - アニータ・エルバース, 鳩山 玲人, 庭田 よう子 最高の答えがひらめく、12の思考ツール ―問題解決のためのクリエイティブ思考 - イアン・アトキンソン, 笹山 裕子 





   

0 件のコメント:

コメントを投稿