2016年3月2日水曜日

なぜ日本で再チャレンジが困難なのか

今、『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』という本を読んでいる。その中で、「倒産法制が起業に影響する」という指摘があった。
曰く、「手続きスピードが早いほど、手続きコストが低いほど、経営者の金銭的負担が低いほど、起業がしやすい」というもので、「この点で我が国は起業しにくい」と。
よく言われる指摘である。

確かにそれは事実である。
かつて銀行にいて、不良債権部門にいたからこの点ではその通りであるが、物事には必ず裏表があり、一つの見方についてはまた別の見方があるというのも確かである。
倒産法制についてもまたしかり、である。
日本の場合、資金調達の主力は銀行である。
そして銀行は、企業に融資する際、必ず代表者の連帯保証を取る。

例えば経営していた会社が破産となったとして、会社は清算手続きに入るが、同時に連帯保証人である経営者もともに破産というパターンが多い。
連帯保証であるゆえ、会社と同じ返済義務が課されるのであるが、当然個人で賄いきれるものではなく、したがって破産せざるを得ず、そうすると基本的にすべての財産を失うことになる。

一旦リセットされて、リベンジで起業しようとしても、無資力で海のものとも山のものともわからない新規事業に銀行はなかなか融資ができない。
さらに倒産を経験した経営者は、2回目の倒産の心理的ハードルは低く、「ダメだったらまた破産すればいい」と考えたり、あるいは密かに親族に資産を避難させていたりという不法行為をしたりする者もいて、銀行も警戒して簡単に融資には応じられない。

「そんなの銀行の勝手な都合だろう」という声も聞こえてきそうだが、銀行も背負っているものがあるからそうせざるをえない。
ただし、銀行も簡単にリスクが取れる方法がある。
それは、「貸した金が戻ってこなければ集めた預金もそれに応じて返さなくてもいい」とすることである。

銀行は確実に預金を払い戻さないといけない。
日本では今や雀の涙ほどの預金金利にも関わらず、「安全」を求めて預金が集まってくる。
それがゆえ、「安全第一」の貸し出しになるのは当然で、貸した金はもう返ってこないということが確定するまで返済を求めることになる。

それがおかしいというのであれば、自分の預金が銀行の貸出運営の成績によって減ってもよいかと自問してみる必要がある。
ほとんどすべての人にとって、そんな質問は愚問だろう。
例えば「100件投資してその中で99件が失敗しても残り1件がすべての損失を上回る大成功を収めればいい」というような投資家であれば、気前よく資金を出せるだろう。
倒産しても、「もう一回!」と簡単に応じられるだろう。
その差は、要は「資金の出処」の違いなのである。

しかし、銀行だって融資のプロだろうという声も聞こえてきそうだが、はっきり言って事業の成否なんて神様でしかわからない。
ソフトバンクだってユニクロだって危機はあったわけだし、ソニーやシャープでさえ苦境に陥っているし、安全神話の象徴だったJALだって倒産している。
銀行員に100%確実な目利きなんてできるわけがない。
できるのは、実績に基づいたある程度の将来の見込み等により銀行内で「それなりに説明のつけられる」融資のみである。

問題は銀行だけでもない。
債権者の中には一般企業もある。
銀行だけではなく、そうした一般企業も売掛金などの債権を簡単に放棄すれば、それは手続きのスピードも早くコストも安くなるだろう。
自分が債権者だったとして、その金額が小さくなかったとしたら、「まぁいいか」と簡単に全額諦められるだろうか。
立場を変えてみれば、違う世界が見えてくる。

「倒産法制が起業に影響する」というのは事実であろう。
そしてその倒産法制は、起業家ではなく、債権者にどれだけ配慮しているかということに他ならない。物事は裏表よく見て判断しなければならないのである・・・



【本日の読書】
 


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