大晦日。早いものでもう2012年も終わりである。終わりよければすべて良しという言葉があるが、良い年だったと思うにはちょっと厳しい年だった。それは仕事でもそうだし、親子関係・夫婦関係でもそうだ。それ以外にもうまくいかずに悪戦苦闘しているものがある。人生に試練は付き物だと思うが、自分の場合、ちょっと重すぎるのではないかと最近感じている。
娘は中学受験に備えて勉強している。年末年始も塾通いだ。お受験などバカにしていた私だが、最近では都立高校も中高一貫化しており、我が娘が目指す地元の都立高校もそうなってしまったから仕方がない。それにしても自分の小学校6年の時と比べると、娘は遥かに勉強している。同じ学年で比較すれば早くも親を越えたと言える。親としては子供にどんな影響を与えられるだろうかとよく考えている。基本的に財産はそんなに残せないから、それに代わる無形の資産をたくさん残してやりたい。それにはいろいろと語って聞かせる事だろうと思う。
息子は今日本の歴史にハマっている。特に戦国武将に興味を惹かれているようである。一緒に風呂に入るとあれこれと質問してくる。大した答えができるわけではないが、それでも思いつくまま答えていると、目をキラキラさせながら聞いている。こういう瞬間を大切にしたいところだ。
嫁姑問題は、一朝一夕にはいかないだろう。自分ですべて解決できるとは思わずに、周りの手も借りながら少しずつ歩みを進めていくしかない。自分の事でないから、なかなか難しいところだ。今年がどうだったかという事も大事だが、来年どう生きるかはもっと大事。やっぱり「昨日よりも今日」、「今日よりも明日」と日々より良く生きたいと思う。常に良き夫、良き父親、良き息子、良き友人であるかを自らに問いかけていきたい。そしてそれに応えられるように、今日も明日もより良く生きたい。
ありきたりではあるが、一日一善の善行を心掛けていば、最後にサイコロの目が良い方に出るかもしれないと信じてそう行動したい。小さな事でも構わないから、来年はそんな日々を過ごしてみようと思う。また明日から新しい一日、新しい月、新しい年が始る。
顔を上げ、前を向き、常に前傾姿勢で倒れる時も前に倒れる。
そんな姿勢で行きたいと思う。
より良き明日に備えて、2012年の完了キーを押したいと思うのである・・・
2012年12月31日月曜日
2012年年末雑感
2012年12月28日金曜日
難問(嫁と姑)
一定量の心配や苦痛・苦労はいつも誰にも必要である
誰にでも悩みごとの一つはあるものだと言うが、やっぱりそうなのだろうか、とふと思う。今の自分にも頭の痛い問題がある。それが嫁姑問題である。結婚した頃は、嫁姑問題なんてどこか他所の話かと思っていた。今の妻と結婚しようと思ったのも、この女性なら母親ともうまくやってくれるだろうと思ったのが理由の一つでもあった。いずれ両親が年老いたら同居も、などという考えも抱いていた。すべて幻想となった今、何が悪かったのだろうと考えてみるも、これという理由は思い浮かばない。
その昔は、結婚とは「嫁をもらう」事であり、女は文字通り家に入って嫁となった。「嫁ぐ」とはそういう事であった。家に入ればそこには既に君臨している女帝がいるわけで、厳しい指導にお嫁さんも苦労したし、そこから衝突して嫁姑の争いとなったのだろう。だが今は、我が家もそうだが、互いに独立した家庭であり、そんなに接点があるわけではない。なのにどうしてうまくいかないのだろうか。
原因は姑、つまり私の母親にある。というか、あったと言った方が正しいかもしれない。妻もはじめから喧嘩腰で結婚したわけではない。始めは、旦那の母親に気に入られようという健気な気持ちであったと思う。それが母親の「悪気はないけど余計なひと言」、「軽い気持ちで言った傷つく一言」が積み重なり、次第に反発を覚えていったようである。
人間、感情は隠していても態度に出る。やがて、母親に対する反発心が知らず知らずのうちに態度に出る。それを母は面白くないと思うし、時として気分を害する。もちろん、何で妻がそんな態度を取るのか思い当たる節は何もない。「自分は娘ができたと思って仲良くしたいのに・・・」と言いつつも、そんな態度に対する不満がまた余計な一言になって表に出てくる。あとはその泥沼のような連鎖である。
双方その不満のはけ口は、間に立つ人間、すなわち私に来る。私もまた事態を軽く考え、真剣に受け止めなかった。
「何でああなの?普通は○○するでしょう」→「世代も違うし、自分たちの常識をあんまり押し付けるのもどうかと思うよ」
積もり積もった積年の思いが、ついに先日火をふいた。
直接衝突したわけではないが、妻の怒りの矛先は鋭く私に向けられた。双方からその言い分をじっくりと聞く。妻との話し合いは、深夜にも及ぶ。双方それぞれ言い分があり、双方それぞれもっともである。大体、喧嘩なんてそんなものだ。みんな自分には自分の正義があるのだ。どちらも正しいから答えは出ない。長い年月の経過は、その原因を曖昧にする。
アラブとイスラエルの紛争が良い例だ。どちらの主張にも正義があり、だからこそ解決が難しい。互いに歩み寄る気持ちがあれば、と思うのだが、それも「相手が非を認めるならば」と双方が考えている。何とかうまく取りまとめようと何度も試みたが、双方それぞれを立てるとそれぞれから反発を喰らう。
「母親に何も言えない」
「嫁の言いなりになっている」
双方からの私に対する批判は手厳しい。
今のところ解決の糸口は見えない。双方もう少し寛容にとも思うが、それは私の立場だから言える事なのだろうか。解決できない問題はないと言われるが、こればっかりは難しそうだと思うのである・・・
2012年12月20日木曜日
選挙雑感2012
選挙が終わった。
事前の予想通りの自民党の圧勝。
前回は民主党が怒涛の大勝利。
その結果はともかく、これだけ大きく振れるのはどうなんだろうという気がする。
自民党もこの勢いで国民の期待に応えてくれればいいのだが、自ら自滅して政権を開け渡した3年前からどれだけ復活できているのだろうかという気もする。私が投票した地元の議員さんは見事小選挙区で当選を果たした。自民党の議員さんだが、「自民党だから」という理由で投票したのではない。個人的に頑張っているなと感じての投票だ。
前回の選挙でも投票したのだが、前回は民主党旋風の前に小選挙区で落選し、比例代表で復活していた。今回は堂々の小選挙区での、それも圧倒的な勝利であった。そして前回、「民主党だから」という理由で当選していた議員さんは、残念ながら落選。選挙前に民主党を離党し、今度は「民主党だから」という理由で落選するのを回避しようとしたようだ。さらにそれだけでは不安だったのか、直前になって日本未来の党の看板を掲げて選挙に臨んだのだが、我が選挙区の選挙民はそれほど甘くはなかったようだ。「看板頼み」も限界があるだろう。
民主党も、大物議員が次々と落選するという逆風下でも、立派に小選挙区で当選している議員さんはいる。こういう人は勝負できる「自分の看板」がしっかりとあったのだろう。政治家だったら、やっぱり「自分の看板」で勝負できるようでないとダメだろうと思う。
比例代表は、今や大物議員さんの「セーフティネット」みたいになっている。今回は菅直人前首相もこれで救われている。個人的には比例代表制も悪くはないが、今のあり方はどうかと思う。本当は比例代表はもっと数を減らし、「自分の看板」を持たない有望な若手議員を並べ、政界でキャリアを積んだ議員は、「自分の看板」で勝負するのが理想のような気がする。
若手議員はキャリアを積むにつれて比例名簿の順位が下がるようにしておく。
次の選挙までに自分の看板を作らないと、その先はない。
そうなると、必死で頑張るのではないかと思ってみたりもする。
まあ保身に忙しい政治家の先生に、そんな制度を受け入れる度胸はないだろう。
前回の選挙の時に思った事を読み返してみたが、ある程度民主党政権の失敗はわかっていたのだと改めて思う。前回感じた通り、民主党にとってみれば、ここで膿を出せれば次回また機会が巡ってくるのではないかと思う。「権力は腐敗する」との格言通り、一党支配はやはり良くない。今回は第三極と言われる勢力が出て来たが、いずれ二大政党くらいにはなってほしいと思う。
選挙に行く朝、長女から「どういう基準で選ぶの?」と聞かれた。
子供からの純粋な質問に時として戸惑う事もあるが、この時もそうだった。
「みんな『選挙で当選したらこんな事をやります』と言っているから、それをよく聞いて選ぶんだ」とありきたりな答えをした。
しかし、基本はそうだ。
前回は民主党の勝利後、マスコミはこぞって「マニュフェストに拘るな」と大合唱し、私の周りでもそれに賛同する人が多かった。私は一人、「拘らなくては困る」と言い続けていた。当選したあとに手のひらを返されたら困るからだ。そして今、野田さんは「マニュフェストになかった消費税増税をやった」と批判されている。いい加減なマスコミだから、国民もマスコミの報道なんかに左右されずもっと考えて行動しないといけない。右に左に極端に振れるのは、考えていないからに他ならない気がするのである。
政治家は国民の姿を映す鏡。
政治家が情けないと思うなら、それが日本国民の姿だと考えないといけない。
韓国の大統領選の投票率は75.8%だったという。
それに対して我が国は59.6%。
この投票率の低さこそが、大きな問題だろうと思えてならない。
さて、安部総理は日本では珍しい「返り咲き」総理だ。
前回は途中降板だったが、今回は先発完投を目指してほしい気がする。
もうコロコロ総理大臣が代わるのはみっともないし、せっかくだから大いに期待したいと思う。
また次の総選挙の時にはどんな事を感じているだろう。
その時またこの文章を読み返してみるのを楽しみにしたいと思う。
あっ、衆議院の影に隠れてしまったが、同日行われた都知事選では猪瀬副知事が当選した。
かねてから著書を読んでいた事もあって、清き一票を入れさせていただいた。
オリンピック誘致はいかがかと思うが、こちらも頑張ってほしいと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年12月11日火曜日
より良く生きるために
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
およそこの世は人間関係がほとんどすべて。仕事でも家庭でもその他においても。人間社会の中で生きていくには仕方のない事であるが、この人間関係というものが世の幸不幸の大部分を占めているような気がする。
そしてその人間関係の鍵となるのが、「言葉によるコミュニケーション」=「言葉のキャッチボール」であると思う。「モノは言いよう」と言うが、本当にこの言葉の使い方一つで、同じ事を言っていてもまったく結果は違ってくる。「そういう言い方はないだろう」と、文句を言いたくなる事は日常茶飯事。言い方一つで気分を害する例は枚挙に暇がない。
20代の頃は、棘のある言葉に接すると、真っ向から歯向かっていた。気分が悪い時は、相手を不快にさせるとわかっていて、そういう言葉を使った事もあったと思う。30代で多少考え方が変わった。そうあちこちで対立ばかりしていても疲れるだけだと悟ったのだ。
また、気持ちの良い対応をされると嬉しくなるのは誰でも同じだろうが、自分もまたそうであった。それに輪をかけたのは、片思いの影響もあった。どうしたら、意中の女性に愛されるのだろうかと考えたら、他人と勇ましく対立ばかりしている人間が対象になるとは思えなかったのだ。
40代になって、『自分が源泉―ビジネスリーダーの生き方が変わる』という考え方に触れた。「目の前のすべての結果は自分が作り出していると考える」考え方は、自分にしっくりとくるものだった。だがそれでも、何気ない相手の一言や対応に腹の立つ事は絶えない。仕事でも家庭でも極力感情を抑えようとはしているものの、なかなか難しいところがある。
そんな時に「距離を置く」というのは一つの解決策だ。嫌な相手とは接触の機会を断ってしまえば、それ以上ストレスは感じないで済む。しかし、仕事でも、そして家庭では特に逃げる事はできない。であれば、正面から受け止めるしかない。最近ようやくこの受け止め方がわかって来た。
相手は相手なりに自分が正しいと思っている。そしてしばし、そこに悪意はない(と考える)。時に鈍感になり、言葉の棘の痛みをやり過ごす。自分で転んだ時は、痛くても誰にも当たれないように。相手が悪意で言って来ても、『自分が源泉』の立場に立てば、それを言わせたのは自分だとなる。
考えてみれば、「キャッチボール」は「キャッチ」ボールであって、「スロー」ボールではない。投げるのではなく、捕るのがキャッチボールなのである。相手の胸に向けて、(取りやすい)ボールを投げるのがキャッチボールの基本とされているが、実は相手の投げたボールを、例え取りにくくても頑張って捕るのがキャッチボールの本来の意味なのかもしれない。
そう考えれば、言葉のキャッチボールも受け止め方が大事だと言えるだろう。自分にはまだまだ練習が足りないと改めて思う。人生もそろそろ半分を過ぎただろうし、好きな事をして楽しく毎日を暮らしたいと思うが、それには上手な言葉のキャッチボールが必要だと思う。
元旦に「今年一年は家では腹を立てない」と決めた。もうそろそろ期限を迎えるが、今のところはうまくいっている。相手が気分がよければ、それは自分にも伝播する。上手なキャッチボールは何よりも自分のより良い人生に直接結び付く。50になるまでまだ少し時間がある。
それまでにはこの境地をもう少し極めたいと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年12月6日木曜日
雨について思う
この時期の我が家恒例の年中行事である。
しかし空は生憎の曇り空。
天気予報は無情の「夕方から雨」を告げていた。
そして、その通り、夕方暗くなると同時にパラパラと雨が降り出した。
雨は降っても困るし降らなくても困るという、考えてみれば誠に奇妙な現象だ。しかしながら雨というキーワードで過去を振り返ってみると、せっかく後楽園球場に野球を観に連れて行ってもらったのに試合が中止になってしまったりとか、旅先で恨めし気に空を見上げたとか、そんなネガティブなものが多い。「恵みの雨」とは言うけれど、よくよく考えてみればそれは農家の人たちとかで、我々都会人にはやっぱり煩わしいものである。
妻などはよく「洗濯物が乾かない」と嘆いているし、それは主婦にとっては共通の認識でもあるだろう(そういう妻は小学生の頃、運動会の前の日に真剣に雨乞いしていたそうである)。都会人にとっては、雨は嫌われ者と言えそうだ。いざという時の雨は、本当に嘆かわしいものだ。もっとも私自身は自称「晴れ男」なので、雨に泣かされる事は少ない方かもしれない。
雨で印象深いのは、やっぱりラグビーだ。高校に入ってラグビーを始めた時、一番驚いたのが、「ラグビーの試合は雨でも中止にならない」という習慣だ。それまで野球をやっていたから、これはちょっとした驚きだった。困ったのは、「だから練習も中止にしない」という最もな理屈。
それでも主要グラウンド(通称A面)は学校が使わせてくれなかったから、雨の日の練習はもっぱら通称“C面”と 呼んでいた、グラウンドというよりも体育館の裏の空き地だった。狭いから大した事はできず、もっぱら地面のボールを滑り込んでキープするような練習ばかりさせられた。練習後の姿は想像するに難しくないと思う。
年に一度の夏合宿では、やっぱり辛くてみんなで雨乞いをした。「雨でも練習する」という習慣を忘れたわけではなかったが、それでも雨乞いせざるを得なかった。「ひょっとしたら」という奇跡にすがったと言えるが、結果はやっぱり雨の中で練習は続けられた。
当然試合も雨の中で何度もやったが、相手も同じ条件とは言え、実力が十分発揮できたとは言えない。ボールはすべるし、ぬかるみに足は取られるし、動きも大きく制限されてしまう(もっとも最近は人工芝化も進んでいるので、状況も少し違うかもしれない)。
雨の日の試合は、やっぱり悲壮感が漂う。ドラマでも、傷心の主人公が雨にずぶぬれになるのは定番のパターンだが、雨にはそういう効果がある。「涙雨」という言葉があるくらいだし、「氷雨」は悲しい内容だし、雨がふって楽しいのは童謡くらいではないだろうか。
外出する時に雨というのはやっぱり鬱陶しい。しかしながら、この世に生きていく以上、雨は避けられない。避けられないものなら、それなりに受け入れるしかない。それが休みの日だったりしたら、諦めて晴耕雨読の精神で穏やかに過ごしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年11月30日金曜日
イスラエル
イスラエルは中東のど真ん中に位置する国である。世界の火薬庫と言われた紛争地帯で、つい先日もイスラエルとハマスがガザ地区で衝突した。ハマスは1週間で1,000発を越えるロケット弾をイスラエルに撃ち込み、イスラエルは、“Iron Dome”という迎撃システムで300発ほどそれを撃ち落としたものの、着弾被害も免れず70人程の被害者が出ている。
イスラエルは、報復として空軍によるピンポイント爆撃を行い、幹部の自宅やハマス政府ビル・警察・ミサイル基地など1,300カ所を破壊している。
ようやく休戦になったものの、あくまでも休戦に過ぎない。
突然飛んできたロケット弾で、母親と自らの指を失ったユダヤ人の男の子の話や、イスラエル軍の爆撃で瀕死の重傷を負い、ガザでは手当てできず、イスラエル側の病院に恐る恐る入院したパレスチナの子供の話がCNNのニュースで紹介されていた。この子たちも大人になったら、やっぱり憎しみ合って戦うのだろうか。日本人的な感覚では、どうにか話し合いで仲良くできないものだろうかと思わざるを得ない。
されど2000年の放浪生活を送り、世界各地で嫌われ迫害されたユダヤ人は、身を守るために身につけた商才も「金持ち忌み嫌われる」で嫌われ、それはシェイクスピアにも強欲な商人として叩かれる(「ベニスの商人」)ほどだった。ナチスによるホロコーストを乗り越え、ようやく先祖の地に自らの国を築いたユダヤ人には同情しうるものがある。
されどユダヤ人が追い出されたあと、2000年も祖国として暮らしてきた土地に、突然ユダヤ人がやってきて国を作り、追い出されたとなっては、パレスチナ人の無念もよくわかる。たかだか230年ちょっとのアメリカの歴史を考えてみても、2000年の歴史は長い。ちょっとやそっとでは、やっぱり解決しないだろう。
私がこの地に興味を持ったのは、もう中学生くらいの事だ。この頃から歴史好きだったのだが、キリストの時代のこの地域の事に特に興味を惹かれたのである。たまたま友人の家が教会であった事もあり、頼んで聖書を一冊売ってもらったのだが、創世記から始る旧約聖書はなかなか面白い「読み物」であった。
チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」はこの時代の物語であり、もちろん、キリストも出てくる。そのものすばり「ナザレのイエス」という映画を観に行った事もあった。しかし、かと言ってキリスト教に帰依するまでには至らなかった。新約聖書を読んで、確かにキリストの言動には心を動かされるものはあったし、「愛の宗教」と言われるキリスト教が世界に広まった理由も良く分かったが、聖書は私にとってあくまでも歴史書であったのである。
3つの宗教の聖地であるエルサレム。この何とも言えない響きの名前を持つ都市を訪れてみたいという気持ちはいまでもある。ゴルゴダの丘やなげきの壁を見てみたいし、死海に入って浮かんでもみたい。旧約聖書の舞台に対する憧れは今でも強い。
しかし、自爆テロがあったり、ロケット弾が飛んできたりという一触即発の紛争地に、のんきに観光気分で訪れるのも、なんだかなぁと言う気がする。この地に真の和平が訪れるのはいつの日の事なのだろう。
シリアのアサド政権が倒れ、民主政権が誕生したら、イスラエルとの間に和平の空気が訪れるだろうか。シリアが折れれば、ヒズボラも後ろ盾を失うから武闘派は大人しくなるだろうか。北が平和になれば、南のガザもそういう空気になるのだろうか。自分が生きて元気なうちに、和平が成立しないものだろうか。
平和なエルサレムに、いつの日か訪れてみたいと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年11月23日金曜日
ブログ4周年
いつの間にか11月も終わりに近づいている。朝晩めっきり寒くなり、そろそろコートを着ようか、まだ早いかと迷いつつ、毎朝家を出ている。道路脇の銀杏もだいぶ黄色くなってきている。
この頃、非常に忙しくなってきた。家に帰ってきてもやりたい事がいろいろあって、なかなかこのブログの更新ができない。このブログをはじめてちょうど4年たった。当初は2日に一度の更新ペースであった。毎日でも書く事があった。それが徐々に間隔が空きだして、最近はとうとう一週間に一度のペースになってしまった。
これが実はストレスになっている。書く事がないというわけではないのであるが、書く暇がないというのが実情。「暇など工夫次第でいくらでも作れる」というのが信条な自分であるが、確かにブログを最優先にすればできない事ではない。しかし、そうはいかないからストレスなのである。
あれもこれもと手を広げ過ぎているのは事実だが、やりたい事を楽しみながらやろうと思っていたら、こうなってしまった。やめるのはもっとストレスだから仕方がない。まあなるべくマイペースでやろうと思っている。
中学受験を控えた娘は、意外によく勉強している。地元の都立中高を目指しているのだが、自分で行きたいという気持ちがあるからだろうが、塾にも熱心に通い、帰って来てからも復習し、私にもよく質問してくる。国語や算数は何とか答えられる。しかし、小学生の算数はなかなか手ごわかったりする。何せうっかり連立方程式を使って簡単に解こうものなら、「Xなんてやり方習っていない」と言われてしまう。そしてXを使わずに解くのはなかなか難しかったりする。
困るのは理科系だ。何せ私は根っからの文系人間。高校時代唯一“実力で”赤点を取ったのが化学だった男だ。やっぱり社会人になってもそれは生きている。
先日のこと、塾へ娘を迎えに行った帰り道、二人で夜空を見上げて月がきれいに見えるという話をしていた時の事だ。文系人間としては、「昔の人が夜空を見上げて思った事」なんてロマンチックな話をしたかったのだが、娘は「どうして冬は空気が澄んで、月がきれいに見えるの?」と聞いてきた。「う~む、夏は暑くてもやもやしているからじゃないか」と答える私。答えていて情けない思いをしたのは言うまでもない。
これから寒さも本格化するだろう。それはそれで大変であるが、四季折々、寒さも楽しみたいと思うところである。
「冬来たりなば、春遠からじ」
来年の春は娘にとっても明るい春になってもらいたいと思うのである・・・
2012年11月14日水曜日
両親
ちょうど今朝から『ハーバードの人生を変える授業』という本を読んでいる。最初のページのタイトルは感謝。毎日感謝する事の効能が書かれていた。その際、たとえば感謝する対象として「両親」とするなら、両親の姿をきちんと頭の中でイメージする事と書かれている。そんなところを読んだためか、両親に感謝するという事を考えてみた。
そんなのはありきたりで当たり前のような気がするが、そう思える事自体ありがたい事だと今さらながら思う。しかし、子供の頃はと言えば、正直言って金持ちの家に生まれたかったと幾度となく思ったものである。別にひもじい思いをした事などなかったのだが、やっぱり大きな家に住んでいる友達や好きなものを自由に買える友達には引け目を感じた事は事実だ。
家に友達を呼んだのも小学校の低学年までで、高学年ともなると、何となく家を見られるのが嫌で呼ばなくなったと記憶している。もっとも、あの頃は家族で一間のアパート住まいという友達もいたから、一軒家で伯父夫婦と上と下に分かれての生活はそんなにおかしくもなかったと思うが、そこは子供心というやつだろう。
父は次男、母は三女という夫婦で、ともに故郷の長野県をあとにして東京に働きに出て来た経歴だ。親父などは住んでいる地域自体が貧しかった事もあり、中学を卒業してすぐの上京だった。何の支援もない状態で、それでも何とかやりくりしての生活だっただろうから、大変だったと思う。
蒲田に住んでいた叔父も似たような暮らしぶりだったが、そんな苦労を子供は知るはずもない。運動会や授業参観に来てくれたのはすべて母親だった。着物姿で教室の後ろに立っていた姿を今でも覚えている。友達家族と海へ行った時も、従兄弟の家に遊びに行った時も、一緒にいたのはすべて母親。たぶん親父は仕事が忙しく、日曜日くらいは体を休めたかったのだろう。
先週末は、息子とキャッチボールをした。楽しそうに、そして一生懸命ボールを取っては投げてよこす我が息子。そんな息子を見ていると、こちらも楽しくなる。キャッチボールが楽しいのは、子供だけではない。自分は父親とキャッチボールをしただろうかと考えてみると、実ははっきりとした記憶がない。息子とそんな一時を持てなかったというのは、実は親父にとっても気の毒だったと思う。
家の事は女がやるという時代風潮もあっただろうが、親父に遊んでもらった記憶はほとんどない。学校の事も、ほとんど口を出された記憶がない。今日は何をしただとか、試験で何点取っただとか、運動会で何をやるとか、どこの高校に行きたいとか、どこの大学を受けるのだとか。それらの記憶はみんな母親だ。
だが大学に合格した時には、突然時計を買ってもらったし、結婚や家を建てるといった節目にはそれなりの事をしてもらったから、親父も心の中では思ってくれていたに違いない。物静かな親父と口やかましい母親と、典型的なコンビのような両親だが、居てくれて良かったし、社会に出るまで居心地の良い家庭を維持してくれた事はやっぱり感謝すべき事だ。
世の中には、そんな両親も家庭も持てない人もいるわけだし、それは決して自分の招いた不幸ではなく、ただただ不運だったとしか言いようがないのだから、尚更そう思う。結婚して最初に住んだアパートの隣の家は、子供を小学校にすら行かせていなかった。将来あの子がどんな大人になるのかわからないが、それはあの子の責任ではない。自分がそんな不幸を背負っていたとしても、不思議はなかったわけである。
結婚したらそんな両親ともども一緒に生活を、なんて考えていた事もあったが、実際に結婚してみると残念ながらそれは実現困難な事だった。一緒に暮らせている他人を見るにつけ、今でも羨ましく思う。世の中自分の意思だけではどうにもならない事もある。最近はすっかり不肖の息子となってしまっているのを申し訳なく思うだけだ。
感謝なのだか、反省なのだかわからなくなってしまったが、そんな両親にはしっかりとした家庭を築いている姿を見せなければと強く思う。いろいろと思う通りに行かない事が多いのであるが、それはそれで努力だけは怠らないようにしたい。受取ったバトンは、しっかりと次に渡さないといけない。
そうしてせめて心配だけはかけないようにしていこうと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年11月11日日曜日
大学について
大学全入時代と言われているが、それが本当に国力に結び付くならありだろうと思う。かつて鎖国をしながらも寺子屋体制で、世界一の識字率を誇った我が国である。国民すべてが大学卒であるくらいのレベルであれば、世界の中でも経済大国の地位を維持していけそうな気もする。本当に国際競争力がつくならもっと増やせばいいと思うのだが、果たして今の大学はそれに値するのであろうか。
そんな疑問を持つのも、自らの体験談があるからである。私自身、猛烈な受験勉強を経て大学に入ったが、待っていたのは「一般教養課程」と称する“高校の延長のような授業”。法学部に入ったのに、英語や数学や体育まであった。法律の勉強は週2コマ(1コマ90分)くらいだったと記憶している。
第2外国語のロシア語はそれなりに面白かったが、英語の授業などひたすら英文和訳だけで面白くもなんともない。ただ1年上の先輩が同じ講義を受講していて、時折指されては独創的な解釈の和約を披露してくれたのが面白かったくらいだった(なにせ先輩の和約は難しくて、英文を読まないと何を言っているのか良く分からなかったのだ)。
すでにラグビー部の門を叩いていた私にとって、体育などはチャンチャラおかしくてやれるものではなかった。まぁそれなりに「体を動かさない」あるいは「やってみたい」と思うものから、アーチェリーやテニスを選択したが、これはこれで正解だったと言えるが、それ以外は苦痛の時間だった。こうした一般教養課程は、学生の学びたいという意欲を奪う効果がある。
周りはみんな授業になど出ていなかったし、週12コマ授業に出ていた私は、かなり変り者の存在で、友達が少なかったから正確にはよく分からないが、知る限りの範囲では、平均の2倍以上の出席率だったと思う。それに加えて体育会のラグビー部での活動もたっぷりやったし、成果は乏しかったが合コンにもたくさん参加した。文“部”両道で満足のいく4年間だった。
しかしそれも文系の甘さもあったようで、理系はそもそももっと授業に出ないといけなかったようなので、授業に出ない事が粋というな雰囲気は、文系大学の傾向なのかもしれない。今のこのボーダレス時代に失われた20年をもがいている真因は、こんな学生たちが社会の中核にいるからではないのかという気もする。
個人的には大学は狭き門でも良いように思う。選ばれた人しか入れないとなれば、入るためにみんな一所懸命勉強するし、出口を絞れば入ったあとも勉強するだろう。大学側は大学側で、高校生のレベルが低いという事を問題視しているようだが、それは言い訳に過ぎないと思う。
本当に日本の将来を考えるのなら、頑張って勉強して入ってこそであり、滑り止めで受けて他に行くところがなくてしかたなく行く大学に意味があるとは思えない。教育を受ける権利を主張するのであるならば、それなりの義務(努力)は必要だろう。それは本来、学力があっても経済的な理由でいけない人に対してこそ、満たされるべきものであるはずだ。
せっかく不認可にした3大学を、恐らくそこで潤う人たちの思惑で、我々の税金がまた無駄に流されるのは何ともやりきれない。こんな事をしていると、本当に我が国はダメになってしまうだろう。せめて自分の子供たちは、きちんとした考え方を身につけさせ、「まともな」大学に通わせたいと思うのである・・・
2012年11月4日日曜日
マスコミが国を滅ぼす2
マスコミは本来、事実を事実として報道していればそれでいいと思う。
その事実について、独自の見解を述べる必要はないと思うのだが、それは間違った考え方なのだろうか。そんな事を考えさせられるニュースが、また一つ目についた。
【田中文科相 答申否定は裁量権の逸脱】*****************************************************************
不安が現実になった。田中真紀子文部科学相が大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、来春開校予定の3大学の設置申請を不認可とした。ルールを無視した判断で、到底認められない。 田中文科相は不認可とした個々の具体的理由に言及せず、「大学が全国で約800校ある中、大学教育の質が低下している」「大半の(審議会)委員が大学(関係者)で、大学同士が互いに検討している」と述べた。
*************************************************************************************************** 産経ニュース
田中文科相が、大学の設置申請を不認可とした事を取り上げたニュースである。
この場合、「田中文科相が来春開校予定の3大学の設置申請を不認可とした」というのが事実だ。だが、記事では「ルールを無視した判断で、到底認められない」となっている。
これは事実に加えられた“独自の意見”だ。
さらに、
①「歴代文科相が任命した現委員による従来の大学設置基準に沿った答申を否定することは、裁量権の逸脱である」
②「いずれも短大や専門学校からの改組で、申請に不備はなかった」
③「しかも、副大臣ら政務三役にも事前の相談がなかった」
④「政治主導を通り越して、大臣の独断専行に近い」
と続くが、①と④も“独自の見解”である。
それに②は当たり前の事だし、③はそもそも大臣に権限のある事なら別に問題ないだろうし、相談していれば良かったとでも言うのだろうかと問い質したい。
締めくくりは、「田中文科相は、不認可の決定を取り消すべきだ」となる。
また、「田中氏は11年前、小泉純一郎内閣の外相に就任したが、事務当局との無用な軋轢で混乱を招き、米国要人との会談を直前にキャンセルするなど非常識な言動が目立った。大臣としての適性に欠ける政治家を文科相に起用した野田佳彦首相の任命責任は極めて重い」とたたみ掛ける。
もう慣れっこなのだが、マミコミには自分の“勝手な意見”の前に事実をもう少し詳しく説明して欲しいと思う。 たとえば、今回対象になったのは、秋田公立美術大(秋田市)、札幌保健医療大(札幌市)、岡崎女子大(愛知県岡崎市)の3つらしい。
そもそもこれらの大学が本当に必要なのか、という議論がまずあるべきだろう。
失礼ながら候補の3つは、他に行くところがない学生を救済する意味しかないのではないかと思えてならない。
田中文科相は、それを議論した学校法人審議会は身内の慣れ合いで不適切と断じている。それを否定するなら、身内でないことを証明すればいいだけだが、事実だからそれはできない。そんな身内のなあなあな取り決めは、誰が考えても問題である。さらに本当に行きたいと思っている学生がどれだけいるのか、ニーズがどれだけあるのか、我々にはわからない。
また、税金は使われるのか、使われるとしたらどれくらいなのか。大学であれば国立も私学も税金での補助がなされていたと思うが、その点ではどうなのか。消費税を上げるという中で、どのくらいの税金が使われるのか、個人的には関心が非常に高い。
そもそも1990年代には大学の数が500校だったらしい。それが規制緩和で今や800校。
一方で無駄を削除しろと大合唱しながら、正直言って「他に行くところのない学生」を受け入れるような大学を設置する意味はあるのだろうかと思う。
このように考えれば、田中文科相の決断を支持する人だって出てくるだろう。
同じ事実でもどう伝えるかによって、受け手の感情は180度変わる。マスコミは確実に世論を操作できる。今の政治家がポピュリズムに走って3流というレッテルを貼られるのも、本人の資質だけの問題とも言いにくい。そこには“4流”マスコミの害悪も確実に存在する。
よけいな事はしなくていいから、マスコミには事実だけを報道してほしいと切に願うところである・・・
⇒ マスコミが国を滅ぼす1
2012年10月30日火曜日
仕事について
私が運営のお手伝いをさせていただいている高校の財団では、高校生に対して奨学金を支給している。その応募にあたっては、「将来私のやりたい仕事」と題する作文(800字)を提出してもらっている。以前は「将来の夢」としていたそうであるが、もう高校生となれば将来の職業を具体的に意識してもいいだろうと考えて変えたのだそうである。
そう言えば私も高校生の時は、将来の職業として弁護士を考えていた。今から思えば、世の中にどんな仕事があるのかもよく知らず、単に映画「ジャスティス」を観て感動し、弁護士になろうと安易に決めたのだ。あの頃もう少しいろいろな選択肢が見えていたら、私の人生もだいぶ違ったものになっていたと思う。
結局弁護士にはならなかったが、それはけっして司法試験という難関試験に挫折したわけではない。一言で言えば、法律の仕組みが私の性分に合わなかったのである。同じ結論なのに解釈の仕方の違いでそこに至る過程が違っていたり、そもそも法律は万能ではなく必ずしも正義が実現されるわけではないといった限界があったり、そういう部分が私の性格に合わなかったのである。
特に印象的だったのは、ある憲法の授業だった。その時、90分の講義時間をフルに使って、教授がいかに自衛隊が憲法第9条に違反しているかを説明してくれたのである。そのロジックは実に見事で、私は説明を聞きながら教授の一言一句を聞き逃すまいと一所懸命ノートを取った。これぞ大学の授業だと感激したのだが、あとで冷静になって考えてみれば、憲法の条文を素直に読めば自衛隊が憲法違反である事は誰でもわかる。それをあそこまで見事に説明するという事に、むなしさを感じたのだ。
近所のスーパーにポルシェに乗っていく必要などない。ある法律の条文について、○○説ではどうだとか、△△説ではどうだとか、そんな議論はバカらしくてしかたなかった。どっちでもいいじゃないかと思う私に、それが重要だという世界の水は合わなかった。しかも大学は、最初の2年間は教養課程という名の高校の延長のような苦痛の授業が続く。
ようやく3年になって専門課程が始り、ワクワクしながら飛び込んだ法律の世界の実態に気付いたのは、4年になってから。今と違って、就職活動は引く手あまただったが、企業研究だとかその他の進路の研究などしている暇もなく銀行に就職が決まってしまった。
今となっては、それでも良かったのだが、やはり同じ銀行員になるにしても、もう少し世の中の事を知って、たくさんの選択肢の中から選びたかったと思う。ひょっとしたら、自分にはもっと適している天職があったかもしれないと思う事もある。まあどんな職業であれ、プロとしてのプライドを持って一生懸命やる事が大事だから、そんな事は関係ないのだが・・・
そんな事をつらつら思うのは、将来我が子にどんなアドバイスをするべきだろうかと、この頃よく考えるからだ。娘に対しても、いずれ結婚までの腰かけお茶くみOLにはなって欲しくないし、息子はなおさらだ。上場企業でも倒産するし、リストラはあるし、今は優良企業でも30年後はわからない。JALだって会社更生法のお世話になるくらいだから、もう絶対安心なんて所はない。
「どこへ就職するか」よりも、どこでもいいけど「どんな(やり方で)仕事をするか」がやっぱり重要だろう。プロ意識を持って、品質の高い仕事をしてほしいと思う。我が子に望む前にまず自分自身だな。まだまだ定年まで先は長いし、定年後も何とか働かないとのんびりはしていられないだろう。ナボイ劇場を作った日本人のDNAを受け継ぐ一人として、恥ずかしくない仕事をしないといけないし、そうした上で、我が子にも背中で語れるようでありたいと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年10月23日火曜日
初めの一歩
時にセ・リーグのクライマックス・シリーズ。圧倒的有利を予想していた我がジャイアンツだが、予想外の3連敗の崖っぷち。負けたら日本シリーズに出場できないとくる。シーズンの圧倒的成績からして、それはちょっとないだろう。まあいい機会だから、一緒に応援しようと言う事になった(たぶん息子はこうして必然的にジャイアンツファンになるのであろう)。
さて、説明を始めると、実は息子は何も知らないとわかった。
「今はツーアウトだろ、」
「ツーアウトって何?」
「・・・」
「つまり、ストライクが3つで1アウト、」
「ストライクって何?」
「・・・」
こんな調子なのである。
考えてみれば、「将来プロ野球選手になりたい」と言いながら、さらに叔父さんに夏の甲子園に連れて行ってもらいながら、誰もルールなど教えていない事に気がついた。私も普段はほとんどテレビで野球など観ていないし、学校で友達だって教えてくれないだろうから知るはずもないのである。今さらながら当然の事に愕然としつつ、改めて1から教える事にした。
ストライク3つでバッターは3振と言って攻撃できなくなる。アウト3つで「スリーアウト・チェンジ」、攻撃交代。幸い画面にはストライクゾーンが表示され、投げたボールの位置が点灯するから教える方も教えやすい。そう言えば昔はストライクを先に表示していたが、今はボールを先に表示している。日本人のメジャー進出が盛んになって、メジャーのテレビ放送が増えた影響だろうが、やっぱり違和感がある。それがカッコイイとでも思ったのであろうか。
1塁と3塁とに引いてあるラインより後ろに飛んだ打球はファウルと言って、ツーストライクまではストライクに数えられる。ゴロで飛んだボールはバッターが着く前に1塁に投げないとアウトにならない。上に上がったフライは取るだけでアウト。一つ一つのプレーをその都度解説していく。一度に覚えられるはずもない。
風呂に入っても続く。ピッチャー、バッターの他にファースト、セカンド、サード、ショート、外野はレフト、センター、ライトとポジションの名前を教える。興味津々の目で説明を聞く息子。慣れない言葉を一生懸命覚えようとする。自分もそうだったのだろうか、とふと思う。
たぶん親父はそんな面倒見が良くなかったはずだから、一緒に観ながらあれこれと質問する私に、ぼそっと答える形で教えてくれたのかもしれない。あの頃は毎晩のように一緒にナイターを観ていたと思うから、そんな繰り返しで覚えて行ったのだろう。「野球狂の詩」、「ドカベン」、「あぶさん」など夢中で読んだ水島新司の漫画の影響もあると思う。
戦術的な事は、近所の子供たちと一緒に野球をやりながら覚えたかもしれない。今の息子には、「1番バッターがノーアウトでヒットを打って塁に出たら、2番バッターはバントでランナーを送って3番につなぐ」などというセオリーを説明しても、まだ理解は難しい。たぶん私も時間をかけてルールやセオリーを覚えていったのだろうと思う。あの頃は、身の回りでは誰もが野球を観ていたし、やっていたと思う。
今はサッカーも台頭し、昔は我が物顔だったナイター放送も、今はドラマやバラエティに押されてしまっている。時代の移り変わりもあるが、父と子で一つのスポーツを観て応援するというのも、何だか必要な事のような気もする。
さて親子での応援の成果か、ジャイアンツはその日崖っぷちで踏みとどまる。さらに翌日から連勝して、ついに大逆転で日本シリーズ進出を決めた。まだ日本シリーズが何なのかよくわかっていない息子であるが、「一緒に応援しよう」と言ったら嬉しそうに元気な返事が返ってきた。
自分がどれだけテレビの前で時間が確保できるかという問題はさておき、ジャイアンツの応援もだが、息子の野球に対する興味をこそ、応援してやりたいと思うのである・・・
2012年10月18日木曜日
監督
別にそんな新監督に興味があるわけではないのだが、監督といえば大学時代のラグビー部のS監督を思い出す。振り返ると、小学校の少年野球チームからスタートした我がスポーツ人生だが、実は“監督”とはあまり縁がない。少年野球のチームの監督以降、中学のバスケットボールでも高校のラグビーでも、指導者はみな“コーチ”であった。大学のラグビー部で出会ったのが、実は生涯二人目の“監督”であった。
S監督は、正確に言えば三人目の監督だ。我々が3年になった年に監督に就任されたのである。二人目の監督は、いつも表情が硬く、むっつりとしていて、正直言って気軽に話しかけられるようなタイプではなかった。いわゆる“怖い”監督に分類されるタイプだ。
甲子園の常連チームだとか、ラグビーで花園へ行くチームなどは、けっこう“怖い”タイプの監督がわりと有名だ。スポーツの世界では、厳しさが必要だからそういう怖い監督に指導されたチームが強くなるのも当然なのかもしれない。だが、個人的にはやっぱり怖いタイプは苦手である。そんな苦手なタイプの後に来たのが優しいタイプのS監督だった。
説明は理論的。それまで考えた事もなかったチームの戦術を理論的に語ってくれた。チームスポーツでありながら、当時自分のプレーのみを追求していた私には「目からうろこ」の説明だった。子供の頃から筋金入りの「理屈屋」の私の心に、S監督の説明は見事に突き刺さったのである。
練習中もあまり細かく指導を受けた記憶はない。しかしながら時折褒められた事はよく覚えている。大勢の部員が練習している中で、些細なプレーを見ていてくれたのに驚いたものである。当時私は、高校時代の「教えられたプレーを教えられた通りにやるスタイル」から脱皮し、自分なりにあれこれ考えて工夫をしていた時だったから、それが認められたのでよけい嬉しかったのだ。
S監督にはよく褒めてもらった。重要な公式戦で、ライバルチームの猛攻に防戦一方となっていた時の事。相手選手の突進をゴール前でタックルで止めた。その時は必死で意識などしていなかったが、あとで「あのタックルは良かった」とS監督が言っていたぞと見ていた仲間が教えてくれた。その試合で勝ったのも嬉しかったが、褒められたのも嬉しかったのを覚えている。
S監督の元での2年間は本当に充実していた。卒業する時は、いつか結婚する時はS監督に仲人をしてもらおうと思ったほどである。自分にも他人にも甘い私だからだろうか、褒められて伸びるタイプだったためであろうか、やっぱり私にとって指導者は、あのS監督のようなタイプが肌に合っている。
卒業後10年ほどして大学のラグビー部のコーチを拝命した。S監督のようにやりたいと思ったが、なかなかどうして難しく、うまくはできなかった。1~2年の頃の怖い監督が、また監督に返り咲いていたが、現役の一人が「いつか監督にほめられたい」と語っているを聞いた。めったに人を褒めない人だったが、そういう“火のつけ方”もあるのだと知った。
チームスポーツにおいて、監督の影響はやはり大きいと思う。野村監督なども、本から伺い知るだけだが、たぶん凄かったのだろうと思う。そしてそういう監督は、選手がチームを離れた後も影響を残すものだと思う。同じ卒業生ゆえ、S監督とは今でもラグビー部の集まりでたまに顔を合わす事がある。しかし、S監督は私にとって“先輩”ではなく、やっぱり“監督”なのである。
あの2年間の指導は本当にありがたかったとつくづく思うのである・・・
【本日の読書】
2012年10月13日土曜日
親父、本を読む
普段あまり良い息子していないから、せめて顔を見せておこうと思ったのだ。
とりとめもなくあれこれと話をしていたら、母親が「そういえば、お父さん最近本を読んでいるのよ」と教えてくれた。見れば棚の上に文庫本が重ねられている。
親父が読書というイメージは私にはない。
一昨年膝の手術で入院した時に、暇つぶしにと何冊か差し入れしたら、またたく間に読んでしまい、ちょっと驚いた事があった。
どうやらその時から興味をもったらしい。
もっとも、その時私が差し入れた「容疑者Xの献身」を面白かったと言いながら、翌年自分で買って読み、私に「これ面白いぞ」と言ってきたのには笑ってしまった。
1年経って、読んだ事すら忘れていたのだ。
そんな親父が、最近になって自ら本を買って読んでいるなんて。
興味を持って積み重ねてある文庫本のタイトルを見てみた。
「ダイイングアイ」、「プラチナデータ」、「こころ」、「吾輩は猫である」
「へぇぇ」と思った。
東野圭吾はわかるのだが、夏目漱石は意外だった。
そう感想を伝えたところ、タイトルは知っている有名な本なのに読んだ事がないから、という答えが返ってきた。「本なんて読む暇なかったからな」とポツリと親父が呟く。
「言ってくれれば、持ってきたのに」と親父に言う。
私も夏目漱石はかなり読んだ。
手放せなくて、まだ自宅の本棚のどこかにある。
それらはみんな学生時代に読んだものだ。
夏目漱石以外にも国内外の作家の名だたる本は、この時期に読んでいる。
それだけ暇もあったからでもある。
そういう親父は中学を卒業するとともに、生まれ育った長野県は富士見の町をあとに上京。
知り合いのつてを頼って印刷会社で勤め始めた。
その時は朝の6時から夜の12時まで働かされたとよく聞かされた。
労働基準法も何もあったものではなかった時代だ。
以来、印刷一筋。
日本全体が猛烈に働いていた時代。
会社員時代も独立して自営で仕事をしていた時代も、遅くまで働いていて、きっと本を読むゆとりなどなかったのだろう。そう考えると、自分がとっくに読み終えて“卒業”した文豪の小説を今になって読んでいる親父の姿がちょっと切なく見えた。
学生時代は当たり前のように本を読み耽っていた。
考えてみれば親父はその年の頃はもう必死で働いていたのだ。
好きなだけ本を読んで、ラグビーやって、もちろん授業にも当たり前のように出席して、合コンなんかにも行ったし、やはり随分恵まれた生活だった。
さすがに車を乗り回すほどではなかったが、充実した高校・大学時代を過ごせてありがたかったと思う。
「今度来る時何冊か持ってくるよ」と親父には伝えた。
若い頃できなかった事を歳とってやろうと思っても、できる事とできない事がある。
だが本を読む事は簡単だ。
「でもなぁ、前の日に読んだところもわすれちゃうんだよなぁ」と親父がぼやく。
1年前に読んだ本を、読んだ事すら忘れるのだから無理もないかもしれない。
「でも何回でも新鮮に楽しめていいじゃないか」
そんな答えを返しておいた。
この週末は家の本棚の棚卸だ。
夏目漱石以外にも芥川龍之介もあるし、三島由紀夫もあった。
個別には「氷点」なんかもオススメだ。
外国のものでも「風邪と共に去りぬ」は本で読んでもいいし、「エデンの東」もいいかもしれない。現代の作家では浅田次郎が断トツだろうか。
今度持って行くのを選んでいたら、結構な量になってしまった。
どんな感想を持つのだろうかと思うと、ちょっと楽しみな気がする。
それに手に取ってみたら、久しぶりに自分でも読んでみたくなった。
20代の頃と比べれば、遥かに人生経験豊富になったし、またあの頃とは違った感想を持つかもしれない。
普段読もうと思って積み上げている本の上に、夏目漱石も置いてみる事にしたのである・・・
2012年10月6日土曜日
祖母
その祖母は今義理の叔母夫婦と神奈川県で暮らしている。毎年の祖母を囲む会は、近所のバイキング・レストランへ行くのが恒例になっている。しかし、みんな食べるのに夢中だし、耳の遠くなった祖母はみんなの話が聞こえないと言い、今年は伯母の家で「家パーティー」という事になった。正直言ってがっかりしたのであるが、まぁ主役のリクエストだから仕方ない。
いつもよりの大人数の家パーティー。叔母もたくさんの食事を用意してのおもてなし。祖母は希望通り、近くでみんなに囲まれて幸せそう。最初に孫姉妹(つまり我が妻とその妹)、続いて妹の夫、そして私、続いて曾孫と入れ替わり立ち替わり話し相手になる。
祖母もいろいろ語ってくれた。大正11年8月8日生まれ、8人兄弟の8番目。一昨年の8月8日の88歳の誕生日は、8続きで感無量だったと言う。生まれは北海道の朝日村(今の士別市朝日町)。20歳でお爺さんと結婚。そのお爺さんは学校の先生で、転勤に伴って北海道各地を転々としたらしい。
住まいはいずれも学校の敷地内の官舎だったという。給料の他に僻地手当、寒冷地手当等がついていたので、給料5万円は全部仕送りしていたと笑って語ってくれた。我が家の娘が生まれた時に、一度だけ札幌に訪ねて行った事がある。そしてそのあとすぐ事情があって、祖母は神奈川の叔母の家にきた。「北海道で80年、こっちに来て10年」としみじみ語ってくれたが、そこにはもう帰る事のない北の大地への思いが滲み出ているようだった。
祖母お手製の貝の飾り手先が器用で、折り紙や裁縫でいろいろと作ってしまう。食いしん坊で、いまだに食欲は旺盛。足腰は弱ってしまい、歩くのは大変らしいが、今はデイサービスを利用して気晴らしをしているらしい。我々みんなで交代で話を聞き続け、曾孫たちは折り紙を教えてもらい、祖母には楽しんでもらった様子。
翌日叔母からお礼の連絡をもらった。なんでも次の日も祖母の興奮はさめやらず、デイサービスでは会う人会う人に曾孫たちが遊びに来た事を語っていたと言う。そんな話をする叔母も嬉しそうだったと言うし、そう報告する妻も嬉しそうだったし、それを聞いた私もいい気持ちだった。その日は祖母の喜びが我が家にも伝播してきて満ちていた。
また来年も、と思う。今度もレストランでなくてもいいだろう。私の祖父母はもういないから、義理であっても貴重な存在である。また行って、いろいろな昔話を聞かせてもらおうと思うのである・・・
2012年9月29日土曜日
最初で最後の・・・
開会式では1年生が始めの言葉を言うのであるが、何とこれを息子が担当。大阪から義理の母と妹夫妻が駆けつけ、一族をあげて早くからスタンバイ。娘はバトントワラーとして、入場行進では先頭グループで入場。なかなか冒頭からビデオを手放せない。
セレモニーが終わると、全校生徒で準備体操。昔はラジオ体操であったが、今はストレッチ。ビートルズの『オブラディ・オブラダ』に合わせてストレッチをするのだが、これも時代なのだろうか。そう言えば、大学に入ってラグビー部の門を叩いた時、一番初めに高校との違いを感じたのが準備運動でのストレッチだった。小学校でももうラジオ体操の時代ではないと言う事だろう。
注目はやっぱりかけっこ。娘は女の子だから、あまり力を入れるつもりはなかったが、息子には1等賞を義務付け。いつも運動会の後は寿司に行くのが我が家の習わしなのだが、息子は妻から「1等でなかったらお寿司はなし」と言い渡されていた。娘には義務付けないのに息子には義務付けたものだから、息子は不満気であったが、我が家では「1等賞か否か」という○×の価値観しかないのである。蓮舫さんに聞かれても、きっぱりそう答えるだろう。
そんな息子には9月に入ってから、かけっこの週末特訓を重ねて来た。義務付けるだけして放置するような事はしない。幸い組み合わせにも恵まれ、息子は注目のかけっこで堂々ぶっちぎりの1等賞。そしたら、なんと娘も最初の下馬評を裏切っての1等賞。姉弟そろってのアベック1等賞となった。赤い「1」の旗の下に並ぶ子供たちの姿に満足・・・
娘が一番力を入れていたのが組体操。友達と一緒にピラミッドを始めとする技を披露。クライマックスは3段タワー。「親ガメの上に子ガメ、子ガメの上に孫ガメ」方式で、3段式でしかも立ってのタワーだけに、難しかったらしい。終わった瞬間、娘を始めとして何人かの女の子が感涙。いつも父親に似てクールな娘にしては、珍しい一面だった。
当初は台風の影響で雨かとの予報もあったが、結果的には好天に恵まれて何よりだった。夜は恒例のお寿司。義理の母と妹夫妻と一緒に“がってん寿司”で舌鼓。息子も堂々と大好きなサビ抜きサーモンをオーダーしていた。
娘は来年から中学生。また姉弟それぞれ別々の運動会に行かないといけなくなるわけだ。それはそれでまた楽しみと言えるかもしれない。最初にして最後の姉弟揃った運動会。無事に終わって何よりだったのである・・・
2012年9月22日土曜日
勉強が楽しい
目標は地元都立中高の一本勝負。
そんな娘はけっこう頑張って勉強している。
夏には自ら志願して合宿に行き、夏期講習にも通った。
こちらからけしかけたわけではないのに、である。
そんな娘に何気なく聞いてみた。
「勉強楽しい?」
すると間髪を入れず、「楽しい!」との答えが返ってきた。
勉強を楽しめるというのは良い事だ。
勉強は強制されたり、嫌々ながらやっても何ら身につくものではない。
そういう私も勉強は好きだった。勉強が好きなどと言うと奇異の目で見られそうな気もするが、堅苦しい“勉強”と捕えるからそう思うわけで、例えば“クイズ”だと思えばそうは思われない。
「A君とB君が周囲10キロの池の周りをそれぞれ反対方向に走ります。A君は時速8キロ、B君は時速10キロで走った時、二人が出会うのは何分後ですか?」
という問題を「算数の問題」と捕えるか「クイズ」と捕えるのかで、イメージは変わってくる。
私はもともとアルセーヌ・ルパンなどの謎解きモノは大好きであったし、今でも数独を初めとしてパズルモノは大好きで、すきま時間を利用してやったりしている。数独などはあれこれと数字を推理していくものであるが、算数などはいろいろな問題に対し、公式などを駆使して解いていく謎解きそのものだし、そういう謎解きが好きであれば苦にならない事である。
歴史も大河ドラマだと思えば苦にならない。「逆説の日本史」シリーズなどは面白くてずっと読み続けている。確かに年号を覚えたりするのは大変なところはあるが、連続ドラマととらえれば日本史も世界史も面白く、受験勉強も苦ではなかった。
正直言ってさすがにすべての勉強が楽しいと言うわけでもなかった。物理・化学といった「想像力だけではついて行かれない」ものは苦手だった。高校時代唯一赤点を取ったのは化学だったし、自分なりに勉強してもそれだったから、興味の範囲から外れてしまうとそういう部分は出てきてしまう。
英語は中学で習い始めた最初から“勉強”などという意識は持った事がない。既に「洋画を字幕なしで観たい」という願望を持っていたから、英語の授業はそのためのトレーニングだった。大学受験では英語が重視されていたから、特に時間を割いたが、英字新聞を読みFENのラジオを聞いたりしたのもすべてその一念だった。
実は今でも毎朝英語版CNNのネットニュースを読んでいるが、これもそのためだ。言い方を帰れば「毎朝英語の勉強をしています」という事になるが、本人はそんなつもりは毛頭ない。人は誰でも知らない事を知りたいと思うものだし、謎解きもそうだと思う。義務と考えるから嫌になるのかもしれない。私はもともと好奇心旺盛な方だと思う。だから余計隣で何かやっていれば気になってしまうところがある。
大学時代は、熱心に授業に出席する“真面目な学生”だった。ラグビー部の友人たちは、なるべく授業に出なくて済むようにしていたが、私はラグビーの練習スケジュールを睨みながらたくさんの授業に出た。1コマ90分として、友人たちは週平均5コマ出ていればいい方だっただろうが、私は12コマ出ていた。それはもちろん、授業料を出してもらっている親に申し訳ないという気持ちも半分あったが、残り半分は好奇心だった。そしてそういう学生生活は苦でも何でもなく、むしろ楽しんでいたのである。
娘も算数は謎解きの過程が面白いようである。国語も作文は好きなようだし、社会も理科も面白いと言う。ただ歴史は苦手らしい。そういうところは、歴史の楽しさを語ってあげる事で解消できれば、とも思う。
これから受験まで残り半年を切った。受験は受験でできる限り頑張ってほしいと思うが、それ以上に「勉強を楽しい」と思う気持ちは失わないでもらいたいと思う。「MASTER・キートン」では、ユーリー・スコット教授が、「人間はどんなところでも学ぶことができる。知りたいという心さえあれば」と語っている。そういう「知りたい心、解きたい心」をずっと保っていてほしいと思う。
それは娘だけではなく、自分もそうあり続けたいと思うのである・・・
2012年9月15日土曜日
野球観戦②
ナイターがあるからだろうが、ドーム周辺も華やいだ雰囲気で、久々の観戦にいやがうえにも気分は盛り上がる。朝晩は秋の雰囲気があるとはいえ、まだまだ暑い中、ドーム内はエアコンが効いている。選手たちも屋外球場と比べたら随分楽なのだろうと思う。
チケットをもらって、誘ったのは親父。まあいい機会だから、親子の絆でも深めようと思って敢えて親父を誘ったのだ。思い起こせば子供の頃、親父は毎晩テレビでナイターを観ていた。もちろん、巨人戦だ。必然的に私も巨人ファンになった。
小学生の頃だったと思うが、親父に何度か野球観戦に連れて行ってもらったことがある。もちろん、巨人戦だ。あの時はわざわざチケットを買ったのだろうか、それとももらったのだろうか。そんな昔話も観戦の合間に聞いてみようと思っていた。
先日観に行ったのは巨人・広島戦。バックネット裏の席だったが、そう言えば昔親父に連れられて観に行って、一度だけバックネット裏で観戦した事がある。当時は後楽園球場だった。偶然ながら、あの時も巨人・広島戦だった。相手投手は当時の広島のエース外木場だったと記憶している。
試合中、ファールボールが我々の頭上高く上がり、ネットを越えて落ちてきた。落ちたのは、離れたところだから慌てる必要はまったくないのだが、すばやく後ろの席に目を向けた。実はそれには訳がある。
その昔、バックネット裏で観戦していた時も、同じようにファールボールが落ちて来た。周りの人たちは逃げようと尻を半分浮かせるような感じだったと思う。野球をやっていた私はボールの行方を見切って、動じることなく平然と座っていた。次の瞬間、頭から水浸しになった感覚に襲われた。気がつくと、後ろに座っていた女の子が慌てて逃げようとして、手に持っていたコーラを私にぶちまけたのだ。その時、注意すべきはボールだけではないと学んだのだ。
そんな話を思い出しながら親父に話しかけたら、何と親父はそのエピソードばかりか、野球を観に行った事すら覚えていないと言う。確実なところで3回は一緒に観に行っているのに、だ。3塁側の席に座った時は、王選手がホームランを打った。ゆっくりとダイヤモンドを一周する姿が今でも脳裏に焼き付いている。行ったのは確かに間違いがない。なのに全く覚えていないというのは、キツネにつままれたような気がする。
それはまるで、三島由紀夫の小説「豊穣の海」のラストで、尼になっていた聡子が松枝清顕の事をまったく覚えていないと語り、読む者に衝撃を与えたシーンのようである。覚えていないと言われてもそれで事実がひっくり返るわけもなく、私の中にはあの時の記憶はしっかりとある。私には弟がいるのだが、観戦に行った3回とも親父と二人きりだった。弟には申し訳なく思うが、長男の特権という事だ。あの頃の後楽園球場がどうだったか、はっきりと覚えているわけではないが、たぶん球場の雰囲気は変わらない気がする。ただまばゆい照明の向こうにあるのが、夜空ではないというだけのように思う。
その夜、親父からメールが来た。「今度は生涯忘れないと思います」と書かれていて、思わず笑ってしまった。1年前に私が貸した東野圭吾の『容疑者Xの献身』。1年後に自分で買って、「これ面白かったぞ」と真面目な顔をして私に読むように勧めた親父。指摘されてもなお読んだ事を覚えていなかった親父であるが、今度はたぶん忘れないような気がする。
親父を誘ったのは正解だった。期末で仕事は忙しいのだが、敢えて無理して時間を割いて行っただけの事はあった。親子揃って喜び表現が不器用なのだが、何となく親父の嬉しそうな気持ちが伝わってきたようだった。また今度、とも思うが、この次は息子を連れて行く番かもしれない。今度はあの時の親父の立場で。そしたらそれを、忘れないようにしたいと思うのである・・・
2012年9月13日木曜日
野球観戦①
もらったチケットはシーズン・チケットで、バックネット裏の前から3列目という絶好のポジション。思いもしなかったので、席についた時は少しばかり興奮していた。ほんの数十メートル前にバッターボックスがある。ピッチャーの投げ込んだボールが、キャッチャーミットに収まる音が心地良く響いてくる。
そう言えば東京ドームでの野球観戦も久しぶり。たぶん、7~8年くらい前に、「ほとんど外野の一応内野席」で観た時以来だろう。やはりテレビで観るのとはまったく趣が違う。応援団を中心とした歓声やざわめき、ビール売りの声までもが一体となった、何とも言えない雰囲気は、やはりテレビでは味わえない。
ジャイアンツの先発は笠原。正直言って、子供の頃からのジャイアンツファンと言っても、最近は“ペーパー”ファンだから、知らない選手だった。それでも投げるボールの迫力に、いつの間にか魅入っていた。席が席だからか、球種もストレートと変化球の違いはわかる(残念ながらカーブなのかスライダーなのかまでは見分けはつかなかった)。
テレビだとおそらくわからないところも、けっこうわかった。ピッチャーの投げたボールの早さは、やはり凄い。それを打って内野にゴロが飛ぶ。自分だったら、絶対取れないと思うゴロをプロは難なくさばいて一塁に投げる。いつもテレビで観ている“平凡な”内野ゴロが、けっこう凄いものだとよくわかる。
選手の仕草もまた球場ならではだろう。広島の4番はエルドレッドという外人選手。初めて見た選手だが、ツーアウト満塁の大チャンスに見事三振。スリーアウト・チェンジで守りにつくのだが、ヘルメットをベンチの方へ投げて、そのまま自分のポジションであるファーストへ向かってトボトボと歩きだす。ベンチから控えの選手がグラブをもって追いかける。大チャンスに三振した割には、エラそうだった・・・
ちなみにそのあともツーアウトから三振して、やはり悪びれることなくファーストへ歩いていく。わずかな距離なのだから、自分でベンチにグローブを取りに行けばいいのにこの態度。この日2三振で、ジャイアンツファンにはありがたい存在だったが、この態度だけは好きになれなかった。誰もグラブ持って行かなかったら、どうするんだろうとふと思った。どれだけ活躍するのか、ちょっと楽しみな選手だ。
その他、審判が新しいボールを時折ピッチャーに投げるのだが、それがけっこう早やかったりする。キャッチャーの阿部が、笠原に返球するボールもビシッと早い。さらに投球練習が終わるとさり気なく2塁へ送球する。自分だったら、思いっきり振りかぶって勢いをつけないと届かないだろう。やっぱりプロは凄いと随所で感じる。
球場もいつのまにか変わっている。ベンチの向こう側の観客席がグラウンドに飛び出している。エキサイトシートと言うらしいが、あそこもなかなか迫力ありそうだ。たぶん収容人員の増強を狙って作ったのだろう。バースデイプレゼントやレディース・シート、ファミリー・シートなどいろいろファンサービスを工夫している。それもテレビの放送が少なくなったためだろうか、などと思ったりもする。
いつのまにか9イニングが終わり、笠原がプロ初勝利をあげて、ジャイアンツが5-0で広島を破る。同時に原監督700勝のおまけつき。やっぱり野球は面白いと改めて思う。今年は久しぶりにジャイアンツが日本一になるだろうか。ちょっと楽しみにしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年9月5日水曜日
イレズミ
それもワンポイントなどという可愛いものではなく、半袖の腕から手首にかけて一面にけっこう“ご立派”なシロモノである。だが、“その筋の人”かと言えば、どう見てもそんな感じには見えない。どう見ても“一般の人”だ。先日山手線内で見かけた人などは、Tシャツの腕どころか首に至るまではみ出るシロモノだった。
いつの頃からか、ワンポイントのシールも出回りだした。それと“タトゥー”という英語も一般的になり、“イレズミ”の持つちょっと暗いイメージを和らげている。そのせいか、女性でも胸の空いたところにワンポイントのタトゥーをしている人はよくいて、ついつい目が行ってしまうが、「タトゥーを見ているんだ」と心の中で一所懸命言い訳している。
しかしこのタトゥー(イレズミでも良いのだが)、夏場はプールへ行くと鬼っ子だ。「イレズミお断り」はどこでも看板が出ている。これは暴力団排除の為であろう。日本では伝統的にイレズミ=暴力団という図式が成り立っている。だから、暴力団排除の方便としてイレズミ禁止を謳っているのだろう。その昔、銭湯に行くと、“立派なモンモン”を背負った人を見かけたものだが、今も銭湯はそうなのだろうか。
先日夏休みの最後に、子供たちのリクエストで昭和記念公園のプールに行ったが、何人か腕にテープでガーゼのようなものを張り付けている人がいた。一人不自然に大きいものを張り付けていたのは外人さんで、それでタトゥーを隠していたのだった。外人さんからすれば、「イレズミ禁止」は訳がわからないかもしれない。タトゥー文化と刺青文化の違いではあるが、ちょっと気の毒な気がした。ただ、プールの人に、「これは良い、これはダメ」とやらせたら混乱を招くだろうから、仕方ないのだろう。
そう言えばいつだったか、大阪市役所で職員に対しイレズミの有無調査をやって、回答を拒否した職員が人権問題として訴えると息巻いているニュースを目にした。有無調査だから、「有か無か」答えるのが趣旨だし、公務員であれば職務命令として回答するのが当然だ。だから「何をバカな事を言っているこの勘違い職員め」と腹立たしく思ったが、そんな調査をやる事になったのも、児童福祉施設の職員がイレズミを見せて子供を脅したのだとか言うから呆れる限りだ。
イレズミで有名なのは「遠山の金さん」の桜吹雪だが、これは善玉。大阪市の例は、やっぱり日本のイレズミは“脅しに使う”ものだという人々の意識をあらわしたものかもしれない。みんながみんな桜吹雪というわけにもいかないし、やっぱり立派なイレズミは威圧感があるのは確か。プールでの禁止も、子供たちが多い事を考えると仕方ないのかもしれない。
それにしても、善玉のイレズミが日本に定着する事はあり得るのだろうか。もしもそうなら、自分だったらどうするだろう。上腕か胸の大胸筋のあたりにワンポイントのタトゥーなんか入れてもいいかもしれない。だが、その前に鍛えていないとしょぼくれたタトゥーになってしまうかもしれない。
タトゥーもいいかもしれないが、それよりも昔のような張りのある筋肉に憧れを感じる自分なのである・・・
【本日の読書】
2012年8月30日木曜日
8月の終わりに
先日妻とも話をしたのだが、子供の頃は30度と言えば猛暑だったような記憶がある。30度越えが大きな山だったような記憶があるのだが、今は35度、36度は珍しくなくなっている。事実、今日は群馬で37度だったらしい。これも温暖化の影響なのだろうか。暦の上では秋だと言われても、何を言ってるんだという感じだ。
しかし、場所によっては事情は違う。北海道は極端にしても、東京からほんの2時間ほどの長野県でもだいぶ事情は異なる。子供の頃、よく長野県は御代田の従兄の家に遊びに行っていた。そこではお盆が過ぎてしまうと、主要なイベントも終わり、すっかり寂しい雰囲気が漂ってくる。地元の学校の夏休みも20日頃までだし、朝晩はすっかり涼しくなってくる。
従兄の夏休みの終わりとともに、秋の空気を身にまとって上野駅のホームに降り立つと、むっとするような熱気に、文字通り残っている夏を感じたものである。暑いとは言っても、もう蝉も鳴いていないし、鳴いているのはコオロギたちだし、虫たちは一足先に秋を楽しんでいるかのようである。
考えてみれば、いつも夏は短いような気がする。梅雨が明けるのが7月中頃だとすると、正味1ヶ月程度だろうか。その前後は、暑いとは言ってもプールに入るような事はないから、やっぱり1ヶ月だろう。まあそのくらいでちょうどいいのかもしれない。
さて、8月も明日で終わり。来年の夏休みはできたらまた海外旅行へ行きたいと考えているが、どうだろうか。そしてそのあとは9月。9月は9月で、また味わいがある。そろそろ果物の中で最も好きな幸水が店頭に出回っているし、さんまのおいしい季節でもある。それ以外にも食べモノがおいしい季節と言うのは、それだけで楽しいものだ。
我が家では、この週末に、一夏受験勉強を頑張った長女の慰労を兼ねてビュッフェへ行く予定である。たぶん、この日は妻も口癖の「明日からダイエット」を連呼しながら食べるのだろう。この頃は過ぎゆく一瞬一瞬が凄く貴重に思えている。
9月は9月で一日、一日を楽しみたいと思うのである・・・
【本日の読書】
2012年8月23日木曜日
仮面ライダー・フォーゼ
私も子供の頃(たぶん小学校低学年頃まで)は、地元武蔵小山商店街にあった映画館によく東映マンガ祭りを観に行った記憶がある。春休みと夏休みと、それぞれ楽しみにしていたものである。今に至る映画好きの原点でもあり、だとすると息子にもそれを味わわせたい。そう考えれば、手間も料金も大したものではない。
さてそうは言っても仮面ライダーはやっぱり郷愁をそそられる。私の頃は「仮面ライダー1号&2号」の時代。 一生懸命観ていたし、おこずかいを貯めてライダースナックを買ってもいた。毎回ワクワクしながら観ていたものである。
そんな背景もあって、息子が仮面ライダーを観はじめた時は(当時は仮面ライダーWであった)、一緒に観ていたものであるが、最近は観ていない。それに今の仮面ライダー・フォーゼは見るからにカッコ悪く、とても好感が持てない。バンダイでは子供たちの嗜好調査を行った上での自信作らしいが、ダイキン工業のキャラクターである“ぴちょんくん”に似ている事から、もっぱら妻には“ぴちょんくん”と言われてしまっているし、個人的にはとても応援する気にはなれない。しかも変身するのはどうやら高校生。これもなんかおかしな髪型のあんちゃんで、軽いノリがどうも肌に合わない。
西部のガンマンは拳銃だし、スターウォーズはライトサーベルだし、ジャッキー・チェンならカンフー、そういうアイデンティティがまるでない。昔は、次から次へと襲いかかるショッカーの戦闘員を一人でなぎ倒し、パンチやケリを繰り出し、最後は必殺のライダーキックで締めていた。そうした必勝パターンこそが大事だ。スタン・ハンセンだって、最後は必殺のウェスタン・ラリアットで相手を倒して3カウントを奪っていたが、それこそ観客が最も観たくて、そして最も盛り上がるものだった。今の仮面ライダーにはそういうものはなさそうである。
もちろん、それはバンダイが子供たちにグッズを買わせようとしているからであり、それがベースになっているからどうしても武器が多くなる。変身ベルトだって、仮面ライダー1号&2号の頃は真ん中で風車がくるくる回るだけだったが、今はあれを差し込んだりこれを差し込んだり光ったりと何がなにやらわからない。これで良いのか、と正直疑問だ。
今日の映画でも友情だ、絆だと叫ばれていた。それでパワーアップしてしまうのも凄いと思うが、それがそんなに大事なのか。仮面ライダー1号も2号も、不本意ながらショッカーに改造人間にされてしまい、その事実を隠し、正義のためにショッカーと戦っていた。みんなで戦うのもいいかもしれないが、孤高の戦いも己を強くする。
また、昔は強敵を前にして、特訓をしてさらなるパワーアップを図っていた。友情でパワーアップするのもいいが、子供たちに努力して力をつける姿を見せる事も大事な気がする。これから運動会もあるが、本番で必要なのは「頑張れ~」という言葉よりも、「もう一回やってみよう」という地道な練習の繰り返しだ。 商売ももちろん大事なのだが、こういうヒーローモノにはもっと大事にしてもらいたいものがある。
劇中には次の仮面ライダー・ウィザードが登場。引き継ぎにもそつがない。それはそれで良いのだが、次はもう少し実のあるモノを期待したいものである。その前に息子もそろそろ仮面ライダーを卒業する時期かもしれないが、どうだろう。卒業したら、もう観る事もないのだろうから、今のうちに楽しんでおいて欲しいと思うところである・・・
【本日の読書】
2012年8月21日火曜日
川越水上公園
そんな夏休み初日。子供たちのリクエストは「プール!」。と言ってもサマーランドや豊島園や昭和記念公園など周辺はもう何度か行っている。たまには違うところ、と考えて探したのが“川越水上公園”。実は近所でも“御用達”の所にしている人が意外に多かったのである。
関越自動車道の川越インターから降りて程なく。なんと我が家からは30分で行けてしまう事が判明。サマーランドや昭和記念公園よりも、時間的にはずっと近い。しかも大人700円に子供200円、ファミリーチケット(大人2名・子供2名)だと1,600円と懐にも優しい。
肝心のプールは、流れるプールに波のプール、ウォータースライダー3種に50メートルプールにその他プール、我が家には関係のない幼児用プール×2も加えるとかなりバラエティーに富んでいる。さらに飛び込み用プールまであって、なかなかである。
まだまだ夏の太陽と青空と雲を眺めつつ、浮輪につかまって流れるプールで流されているのはなかなかの気分。と言っても子供たちがあまり放っておいてくれず、長時間脱力放心とまではいかない。
縦50メートルの競泳用のプールを見つけると、娘は相変わらず「競争しよう」と言ってくる。まだまだ余裕で、いいよと受ける。クロールでスタートし、25メートル付近までは娘のスピードに合わせて加減していたが、25メートル付近を過ぎてから体が動かなくなってくる。
最後は他の人に阻まれてしまったが、まともに50メートルで競争したらやばいと感じる。己の体力もここまで落ちていたのかと、愕然とする。娘はそのあと、一人で続けて3往復ぐらいして涼しい顔をしていたが、やはり体力で負けるというのは気分的な衝撃は大きい。ラッシュガードでたるんだ体は隠せても、衰えた体力は隠しようがない。
変わったところでは飛び込み用のプールだ。水面から1メートルくらいなのだが、園の中の船の形をした建物の中に水深3.5メートルのプールがあるのだ。
度胸試しに小学校1年の息子に挑戦させる。結構意気地なしなのだが、何とかなだめすかしてやらせる。ハラハラしていたのは親の方で、当人はあっさり飛び込むと足などまったくつかないプールを20メートルほど泳いで上がって来た。大人でもビビって足から飛び込んでいたから、まぁ大したものだとホメておいた。
お盆の時期は過ぎているし、割と空いているのではないかと期待していたが、やっぱり学生が多いようだった。高校生あるいは、大学生くらいのグループが結構目についた。友達同士、あるいはカップルでといずれでも楽しめるのだろうと思う。そんな若者たちの姿を見ながら、自分の過去の経験を思い出してみたりもした。
閉園時間の5時まできっちりと遊び倒す。子供たちはまだまだ遊びたそうだったが、閉園時間ではどうしようもない。また連れて来てあげると約束をして帰路についた。帰ってきて気がつけば赤ら顔。そう言えば日焼け対策をまったくしていなかった。まともに水面上で露出していた腕と顔が真っ赤っか。あとあと尾を引きそうである。
それにしても、やっぱりもう少し運動しないといけない。わかってはいるものの、ついつい「時間がない」と言い訳しているが、そろそろ何とかしないといけないかもしれないと、改めて考えさせられた一日であった・・・
【本日の読書】
2012年8月16日木曜日
尖閣諸島の守り方
このうち北方領土と竹島は、ロシアと韓国に取られてしまっていて、取り返すのはなかなか大変だろう。だが尖閣諸島は日本が実行支配している。
こちらは守らないといけないので、少々意味合いが異なる。
今回も活動家が不法に上陸し、逮捕したまでは良いが、さっそく中国は即時釈放を求めている。断れば前回の漁船の時のようにレアアースの禁輸だとか邦人の身柄拘束とかで圧力をかけてくるだろうし、即時釈放に応じれば、野党やマスコミは「弱腰」と無責任に批判するだろう。これもまた対応は大変だ。
そもそもは石原さんが買い取るなどと言い出したのが発端だろうが、この問題は事あるごとにいつまでも尾を引く事になるだろう。
相手が中国だけに対応は難しい。
どうしたら解決できるのか。
かつて鄧小平さんが、「次の世代はわれわれより賢明で、実際的な解決法を見つけてくれるかもしれない」と言ったが、我々はまだまだその賢明な世代ではないのかもしれない。
実際、中国が軍事力を使って上陸してきたら我が国は為す術はないだろう。
国際世論など蛙の面に何とやらだ。
安保があると言ったって、対中国でどこまでアメリカが軍事力に訴えるかは疑問だ。
アメリカは自国の利益になれば、イラク戦争のように国際世論を無視しても戦力を投入するが、日本の端っこの小さな島となるとどうだろう。
と言って、自力で守るのも今の日本だとまず無理だろう。
「東京に核を落とす」と言われたら、たぶん引きさがらざるを得ないだろう。
本気で自力で守ろうとするならば、たぶん元航空幕僚長の田母神さんが主張するように、核武装するしかない。だけど、そこまでの覚悟は日本人には無理だろう。
そこで個人的に考えたのは、“米軍基地化”というアイディアだ。
基地化と言っても本格的なものである必要はない。
通信施設程度で十分だろう。
米軍に賃貸して通信設備でも置いて、星条旗を掲げておくのだ。
そうすれば、さすがに中国軍は手を出せない。
活動家が上陸しても、米軍に引き渡せば良い。
米軍が即時釈放しても、それは米軍の判断であって政府は責任を逃れられるし、中国から抗議が来ても、「米軍に言ってくれ」で済んでしまう。
賃料など月々1万円くらいにしておけば、米軍の負担もない。
“場外”では騒がしくなるかもしれないが、それでひとまず安泰だと思う。
ずるい手法だが、あちらもこちらも立てようとすれば、仕方ないかもしれない。
何とか知恵を絞っていくしかないが、こんなアイディアはどうだろうかと思う。
うまい方法だと個人的には思うのである・・・
【本日の読書】
2012年8月11日土曜日
夏の日思うまま
通勤や日中の外出時に、リュックを背負った子供連れのお父さんをよく見かける。
工場などのように一斉に休みを取るところから、我々のように交代で休みを取るところ、あるいは取れないところ、いろいろあるのだろう。
たぶん、ピークは今週末から来週半ばまでのお盆だろう。
新幹線のディスカウントチケットもこの時期は使えない。
昔の丁稚奉公などは、休みは年2回の藪入りだけだったようであるから、今の時代は遥かに恵まれている。年2回どころか週休2日制だし、欧米の1ヶ月には及ばないが、夏休みは一応10日間も取る事ができる。先人たちの苦労の賜物と言えるが、誠にありがたい事だ。
連日のロンドン・オリンピックで世間は湧いている。
私も興味はあるのだが、ゆっくりテレビの前に座って観戦している暇がない。水泳・柔道・レスリングあたりの競技はゆっくり観たいのだが、優先順位をつけていくと睡眠時間が先に来てしまう。日本は、メダル数では過去最高とかなり頑張っている。しかしながら、金メダルが少ないのがちょっと残念である。
金メダルを取って欲しいと思うのは、何も一番だからという理由だけではない。
金メダルを取った選手が、表彰台に立って日の丸が揚がり君が代が流れる。
これが大事だと思う。まだまだ国家と国旗に背を向ける不届き者(特に教師)が数多い。
そういう者たちに、日の丸を背負って頑張った成果を見せつけてやってほしいと思うのである。
そうこうしていたら、韓国大統領が竹島上陸というニュースが飛び込んできた。かなり挑発的な行動だ。一説によれば国内に反日姿勢をアピールするという狙いもあるようだが、黙って見ているのも問題だ。竹島は敗戦のどさくさにまぎれて韓国に占領されてしまったのが問題の発端。うまくやられたとしか言いようがないが、もっと取り返す努力をしてもいいところだと苦々しく思う。
国際司法裁判所に提訴するという意見もあるようだが、国際司法裁判所は当事国双方の申し立てがないと審理が行われない。ところが、そんなところで公平に裁かれたら100%負けるとわかっている韓国は応じるはずもない。そこで終わってしまうのが日本の弱いところ。アメリカみたいにルールを無視するのも問題があるが、ルールを変えてしまうのも方法の一つだ。日本はIMFをはじめとして、かなりの金銭的な貢献を国際機関に対してしている。札束攻勢で国際司法裁判のルールを変えてしまうのも欧米流のやり方でアリだと思うのだが、どうだろうか・・・
それにしても、「お上=権威」に頼ろうとするところはやっぱり日本人だと感じる。
相対で決着をつける事を良しとせず、「お上に決めてもらう」=「公平」という伝統的な感覚がここでも発揮されている。 直接殴り合って後に禍根を残すよりも、公平に決めてお互い恨みっこなしとする知恵とも言える。良い悪いはともかくとして、「和をもって貴しとする」我が国民性の現れだと思う。
報復として総理が靖国神社へ参拝に行っても面白いと思うが、そうすると今度は中国を刺激してしまうからうまくはない。経済協力を棚上げにするとか、もう少し積極的に「日本を刺激したらまずい」という対応を政府には期待したいところだ。
それにも増して、国民の間でももっと問題意識を持つべきだろう。韓流ブームなどと浮かれている場合ではないと言いたいところだ。目を転じれば、親日的な国がアジアにはたくさんある。台湾などはその筆頭だ。中国への配慮もあって政府が及び腰なのは仕方ないが、もっと関心を持ってもっと仲良くすべき相手だ。「汝の敵を愛する」のも大事だが、「汝を愛してくれる人」を大事にする方がもっともっと大事だと思う。
個人の信念として「反韓親台」は貫いて行きたいと、改めて思う。
そんな事につらつらと思いを巡らしてみた一人っきりの週末である・・・
2012年8月4日土曜日
MASTERキートン
その一つが「MASTERキートン」だ。主人公は、日本人を父にイギリス人を母に持つ平賀=キートン・太一。考古学者ではあるが教職には恵まれず、ロイズ保険組合のオプ(調査員)で生活の糧を得ている。妻はやはりイギリス人だが、今は一人娘を日本に残しイギリスに帰ってしまっている。
そんなキートンだが、実はイギリスのSAS(特殊部隊)出身でサバイバルの達人という一面を持っている。人情味あふれるエピソード、繰り広げられる格闘とがミックスされて毎回ストーリーは展開されていく。
キートンは、普段はおっとりしていて、娘の百合子にたしなめられる事もしばしばの優しい男だが、経歴が示す通り格闘においては部類の強さを発揮する。それも腕力を振り回すと言った類のものではなく、むしろ知恵を使ったものが中心。サバイバルも格闘も、身の周りにあるものを巧みに利用するという点で共通している。
タイトルの由来は、研究者としては修士(MASTER)でいずれ論文を書いて博士号を取りたいと思っている部分と、かつてのSASの師匠から「戦闘のプロとしては甘すぎる。せいぜい達人(MASTER)どまりだ」と言うセリフから来ている。子供の頃には、「人生の達人(MASTER)」になれるよ」と言われた事もある。「ごく普通の人物がいざとなったら強い」というパターンは、水戸黄門から始って必殺仕事人等に至るまで日本人に人気のあるパターンだ(アメコミもスーパーマンなどのスーパーヒーローはそうかもしれない)。
第1巻では「砂漠のカーリマン」という話が出てくる。ウイグルの砂漠地帯で地元民を怒らせてしまった日本の発掘隊。地元部族に砂漠に置き去りにされる。そこに巻き込まれたキートン。初めは砂漠にスーツで現れた彼をバカにしていた発掘隊の面々も、キートンのサバイバル技術で砂漠からの脱出を図る事になる。
実はスーツには直射日光を避け通気性に優れているという利点があったのである。ウイグル語で「生きては帰れぬ」という意味を持つタクラマカン砂漠で、生き残ったキートンらを地元部族民は最後に讃えるというエピソードである。その他体格で遥かに上回るレスリング選手の学生をみんなの前でそれとわからせずに抑え込んでみせたり、人間は訓練された犬には勝てないと紹介した上で、その犬を巧みに素手でとらえてみせる。人質の交渉人になってみせたり、実力で救出してみせたりと、見せ場となるアクションシーンは数限りなく、男の子向けのエピソードには事欠かない。
されどそればかりではなく、人情味あふれるエピソードも数多い。特にIRAの女性活動家のエピソードはなかなか心を打つものがある。彼女は故郷に戻ったところを路上で射殺されるが、他紙は無残な死体で紙面を飾り紙数を伸ばす中、サンデーサン紙だけは彼女の普通の写真を載せる。やがて殺された女性活動家は、既に活動から手を引く事を決めていた事、反IRA勢力から無抵抗のまま射殺された事など事件の真相が明らかになる。
その事実は、IRAの報復につながると案じるサンデーサンの編集長。しかし彼の元へ女性の母親が訪ねてくる。もう争いはやめようとみんなに訴えたいと。特ダネの大きさから他紙も交えての公表を提案する編集長に、女性の母親は唯一娘のきれいな写真を載せてくれたサンデーサン紙だけにしたいと答える・・・今にしてみれば時代を感じさせるエピソードだが、何度読んでもウルウルしてしまう。
この漫画から得られるものは多い。男は強くありたいと思うものだが、その強さは必ずしも筋肉に比例しない。いつかドナウ文明の存在を証明したいという夢を追いつつ、学問を追及するキートンの姿を始めとして、ユーリー・スコット教授(娘の名前の元となった恩師)の逸話など学ぶ事の大切さを訴えるエピソードが散りばめられている。
今また暇を見つけて読み返しているが、改めて名作だと強く思う。「漫画をバカにするなかれ」と言うのは私の子供の頃からのモットーであるが、漫画によって育まれるものは意外に多く、自分の子供にも読ませたい漫画は多い。さしずめこの漫画はその筆頭に置けるだろう。
いつか子供たちに(娘は女の子だから無理かもしれないが)この漫画を読ませて、感想を語り合えたら良いだろうなと思うのである・・・
2012年7月29日日曜日
ウルトラマン・フェスティバル2012
今年で3年連続であるが、内容としては、展示物とショーにゲームにグッズ販売という内容で、値段(大人:1,800円、子供:1,000円)に見合うとはお世辞にも言えないものである。
今年はウルトラセブン45周年という事で、展示物はウルトラセブンが中心。パパ的には嬉しい内容であり、昨年一通りビデオで観た息子も同感だったようである。10時開場を目指して行ったものの、到着すると既に長蛇の列。実はあちこちでタダ券が配られていたりするので、その影響もあるのかもしれない。小学生の子供なんているのだろうかと観察していたが、意外と大きな子供もいたりして、我が家の息子がまだ幼稚だとも言えないようで、ちょっとほっとする。まあいずれ近いうちに卒業するのだろう。
そんな事を思いながら、長蛇の列に並ぶ人たちを見ていると、親子連れに混じって完全に大人一人という人たちがチラホラ。いわゆるマニアなのだろうが、どう見てもマニア受けするような内容でもないと言い切るのは間違っているのだろうかと複雑な気分。
ショーは45周年のウルトラセブンに花を持たせつつも、主役は息子のウルトラマン・ゼロ。10,000年以上も生きていて、たった45年で世代交代か、などという突っ込みを入れるのは野暮というもの。メインのショーでは、子供たちの「ガンバレ~」という声援に力を得たウルトラ戦士たちの活躍で、地球の平和は守られた。
このショーは、今年はなかなかの出来で、正直言って入場料の元が少し取れた気分だった。
出口付近にグッズコーナーがあって、ここが息子の最大の目的地。ソフビと呼ばれる人形を買ってもらうのが、何よりの楽しみなのである。もっとも、一体840円のものだが、ちょっと池袋駅まで戻るとビックカメラでは670円、ヤマダ電機では580円で買えてしまう(しかも10%のポイントまでついてしまう)。
「ここで選んで帰りに買おう」がパパの常套文句なのだが、敵もさる者。「ウルトラマンフェスティバル限定版」のウルトラマン・ゼロ(定価945円)を売っている。ご丁寧に2色あって、息子は赤の「ストロングコロナ」バージョンをゲットして満足気だった。
このウルトラマンゼロのソフビであるが、どう見ても形は一緒。同じ金型で色だけ塗り替えて、「一粒で2度、3度おいしい」商売をしている。残念ながら、まんまとその手に乗らされてしまった我が家としては、うまいとしか言いようがない。仮面ライダーもそうであるが、少し時間が経つとバージョンアップして2匹目のドジョウを吸い上げるのが巧みだと思う。
目の前のマニアのお兄さんなんか、赤バージョンと青バージョンをそれぞれ3体ずつ大人買いしていた。我が家の息子のように、帰って戦いごっこして遊ぶのだろうか、などと想像してみる。案外オークションで売ってこずかい稼ぎするのかもしれない・・・
帰りに怪獣のソフビを一体買ってもらって満足気な息子。何を思ったか、突然「これ取っておいて、子供が好きになったらあげようかな」と言い出す。そろそろ卒業が近いと無意識に感じているのかもしれないが、それにしても気の長い話だ。しかし、そのためには我が家に君臨する「断捨離怪獣」を何とか倒さねばならない。パパでさえ表面上は勝てないのだから、極めて難しい。
でも3世代で楽しめたら、素敵な事だろう。
円谷プロがそれまで息長く頑張れるだろうか。
60周年くらいだったら、十分期待できるかもしれない。
ちょっとだけ期待してみたいと思うのである・・・
2012年7月25日水曜日
石神井プール
豊島園から昭和記念公園、サマーランドと家から行けるプールには毎年どこかへ言っているし、沖縄やグアムに行った時もプールは最優先事項だった。ウォータースライダーなんかがあるところだと、子供たちは何度も何度もエンジョイしている。今年は少し新しいところを開拓しようと相談しているところである。
一方で近所にある石神井プールは、お手軽に子供たちと行くことのできるプールである。区営なので安いし、自転車で気軽に行けるので、午前中とか午後とかちょっと空いた時間に行くなどという事も簡単にできる。今年は14日に始めて行って来た。
ここのプールに来ているのは、基本的に子供。
圧倒的な子供とプラスして親がついている状態。
妻は「近所の人に隠している体型がばれたらまずい」と言って行く事はない。
したがって、いつも連れて行くのは私の役目である。
そんな状況だから、「目の保養」などは端から期待できるものではない。子供の喜ぶ顔が唯一の目的なのである。とは言え、先日は若いカップルが来ていた。そうなると興味津々である。「目の保養」という意味ではなく、「何でこんなところに来ているのだろう」という興味の部分である。妻に話したところ、「私だったらそんな所に連れていかれたら、すぐ別れるわ!」と例の如く予想通りの返事が返ってきた。今の若者は堅実でつつましいから、こういうところでもいいのだろうかと興味は尽きない。
トドのような裸体で寝そべっているお父さんがいる。子供はきっとプールの中だろうが、立派な裸体を拝見すると、自分もシェイプアップしなければと強く思う。こちらはラッシュガードを愛用しているから、何となく締まった感覚でいられる。風呂上がりの己の裸体を見ると、最近は嘆かわしく思うが、やっぱり外でご立派なメタボリックボディを拝見すると、いい刺激になる。そういう利点がプールにはあると言える。
娘はすぐ「パパ、競争しよう」と言ってくる。人が少なくなった合間を見計らって、挑戦に応じる。25メートルを3/4ほど泳ぎ、圧倒的に差をつける。まだまだ娘には負けない。ただ、残り1/4を残して泳ぐのをやめたのは、ゴールするまでもないと余裕の勝利をアピールしながらも、実は両足をつってしまった結果だと言う事は伏せておく。これが正式な競泳だったらかなり無様な負け方をしていたところだ。
それにしても冷たい水は気持ちが良い。
プールの中で時折浮かんだりして自分でも楽しむ。
そう言えば子供の頃は、目黒にある区民センターに友達とよく行っていたものである。
何の変哲もない50メートルプールだけだったが、それなりに結構楽しんだ。
石神井プールも同様だが、子供たちは実に楽しそうである。
夕食時、「パパあんまり動いていなかった」と子供からするどい指摘を浴びる。
「混んでいたからな」と誤魔化したが、せっかく行っているのだし、今度はもう少し体を動かそうと反省する。これからも、お手軽プールとして、すきま時間に子供たちと通うつもりである・・・
【本日の読書】
2012年7月19日木曜日
ツイッター
まあ取りあえずやってみようと一歩を踏み出したわけである。
ところが、いざ呟こうとしても、どうも勝手がよくない。
そもそもツイッターの場合、フォローしていないとその人の呟きは拾えない。
逆に言えばフォローされていないと呟いても聞いてもらえない。
つまりそれはトイレで独り言を言っているようなものではないかと思ったのである。
それでも取りあえずは知り合いからフォロー。
なるほど、日々の些細な出来事をつぶやいていて、それを読むのはそれなりに面白い。
そのうち有名人のつぶやきが目につくようになる。
ツイッターはクリック一つで簡単にフォローできる。
フェイスブックは友達にならないとダメだから、有名人なんて基本的に無理だろう。
(相手の設定によっては見る事だけはできる)
そんな感じで目についた有名人をフォローし始める。
橋下徹、猪瀬直樹、竹中平蔵、蓮舫、河野太郎、松田浩太、中田宏、福島みずほ・・・
やはり政治家が多くなるのは、個人の嗜好を反映しているのかもしれない。
孫正義、藤田晋、三木谷浩史、Bill Gatesといった経営者もいるが、正直言ってあまり面白くない。田中将大、ダルビッシュ、浜崎あゆみ、田原総一郎などは、勢いでフォローしたが、これも今一。居酒屋社長に高成田享。友人知人はやっぱり顔が見えるせいか、しっかり読ませていただいている。
基本的にこれは政治家向きかもしれないと感じる。
とくに橋下さんのはマメに読んでいるが、論点が明確でわかりやすい。
難を言えばツイッターは字数制限があるため、主張がコマ切れとなる。
新しい呟きが上に来るから、自然と結論から読む事になる。
遡って読み返すのがちょっと大変だ。
だが、普段何しているかわからない政治家も、こうしたツイッターを見ると、こんな事をしているのか、考えているのかとわかるのがいい。
変わり種は元航空幕僚長の田母神俊雄氏だろう。
この人は侵略戦争否定論文で有名になった人だが、その主張はその後もまったくブレていない。「日本核武装論」なんかも展開しているから、普通の人が聞いたら危険分子としか見ないだろう。だけど、よくよくその真意を聞けば、賛否は別として非常に筋が通っている。
ある意味我々日本人は「戦争と平和」論においては、一定の考え方に呪縛されているから、こういうモノの見方に触れて考えてみるのはいい思考トレーニングになると思う。
自ら呟くのはやっぱり反応がわかるフェイスブックの方が面白い。
だが、しっかりとした意見をきっちり読めるのはツイッターだ。
両方とも毎日アクセスしているが、当分はこういう「使い分け」が良さそうだと思う。
それにしても、そんな事やあんな事で、ますます時間が足りなくなっていく日々が恨めしいのである・・・
【本日の読書】
2012年7月14日土曜日
教師と親と・・・
中心となっている悪童が一名(悪童1号)。
その影響下で共に行動しているのが2名(悪童2号、3号)。
雰囲気によって影響されるその他大勢という構図。
対応策として、親が教室で見張りをする事に。
ところが毎日出てくるのは悪童3号のお母さんだけ。
中心となる1号のお母さんは仕事もあってほとんど来ない。
学校公開の時にはみんなに交じって来たものの、その場でも態度の悪い我が子を注意しようともしない。そうしたスタンスに、父兄の中からも疑問の声も上がっている。
担任代行の副校長は、妻に言わせると「言っている事は正しいが、言い方がまずい」。
副校長の対応にも疑問の声。そして臨時保護者会では、ついに副校長と悪童1号のお母さんが真っ向から衝突。筋から言えば副校長の方が全面的に正しいが、そのモノ言いに悪童1号のお母さんが逆ギレしてしまったらしい。どっちもどっちで、非常に居心地の良くない保護者会になってしまったようである。
当事者以外には面倒な事態である。
まずは根本的な原因として悪童1号の問題行動がある。
そうした行動がどこから来ているのか。
転校生だと言うが、親の言動からすれば家庭環境に問題があるのかもしれない。
真の原因がわかれば、必然的に対応法も決まってくる。
親に正論をぶつけるだけでは解決できないかもしれない。
我が子は誰だって可愛いだろうし、将来きちんとした大人になって欲しいと思うだろう。
それには今ここでしなければならない事がわかれば、協力はしてくれるだろう。
働いていて難しいなら、誰か他に頼るという考え方もある。
保護者会に集まった親に協力を呼び掛けてみれば解決できる問題なのかもしれない。
悪童は悪童、その親はモンスターペアレンツと決めつけないで、彼らが抱えている問題を解決して上げるというスタンスが学校側にあれば望ましい事だ。一番中心となるべき校長先生は、「来年春にはみんな卒業してメデタシメデタシ」と思っていると思われても仕方ない対応振りだ。
・悪童1号を個別に呼び出してよく話を聞いてみる。
・親(できれば両親)と個別に面談して学校での子供の態度を説明し、家庭での様子を聞き、親としての考えを聞く。
面倒だが、私だったらこういう事から始めてみると思う。
今大阪の橋下市長はツイッターで、公務員教師の改革案を盛んにぶち上げている(対象は教師だけではなく公務員全般に広く及んでいる)。「公務員という身分に守られていてはダメだ」という一連の意見は確かに傾聴に値する。だが親の評価を気にするのもいかがなものかと思う。親がいくら文句を言おうと、未来の日本を背負う人間を真剣に育てようとしているのなら、そういう先生こそ支持したいと思うし、そのために身分を心配しなくてもいい公務員の方が都合がいいなら、公務員で良いだろう。
だが、時間が経てば制度も疲弊し、身分の安定こそが第一となってしまうのも摂理なのかもしれない。
「教師は聖職」
「先生の言う事こそが間違いなく正しい」
「学校で先生に怒られたなんて言えば、それだけで家で親父に猛烈に怒られた」とかつて父は語ってくれた。戦前の教育も、部分的には良かったのだと思う。
先生には教育に対する熱意を、親にはそんな教師への信頼と協力こそがあれば良いと思う。
互いの悪い点を探すのは簡単だが、大事なのは悪童1号の未来と同じクラスの子供たちの未来だ。今一度その事実を認識するところから、ほつれた糸を解きほぐすべきだと思う。自分自身、その他保護者の一人として何かした方がいいのだろうか、できるのだろうか。そんな事もあわせて考えてみないといけないだろうなと思ってみたりしたのである・・・
2012年7月10日火曜日
教師という存在
一方それに対して公立小学校の校長職は、人気がないのだと言う。言われてみれば、我が子供たちの通う小学校の校長先生は、今年定年延長して続投している。要するに、「偏差値の高い高校は問題児が少なくて楽」なのに対し、「モンスターペアレンツや学級崩壊など負担の大きい小学校は大変」というわかりやすい理由が背景にあるようである。
確かに、我が娘のクラスでは、男の子たちの反乱で担任の先生は休職に追い込まれてしまった。緊急保護者会、臨時保護者会が立て続けに開催されているが、問題の矢面にたっている校長先生は、のらりくらりと問題の先送りに終始し、父兄の顰蹙を買っている。副校長は娘のクラスの臨時担任となっているが、気合先行で怒鳴っているばかりで、生徒たちの評判は今一のようである。
我が妻も、だいぶ腹に据えかねているようであるが、何か言い過ぎれば「モンスターペアレンツ」と言われかねないかという心配もあり、また娘の受験を控えて内申書の事を懸念する気持ちもあって、言いたい事をこらえているようである(そのとばっちりは、もちろん私が全面的に受ける羽目になっている)。そんな状況を目の当たりにし、教師は聖職と言われていた時代があったが、今はどうなのだろうとふと思う。
週末に高校の同期会があり、久しぶりに同期の面々と顔を合わせると同時に、先生ともお話をさせていただいた。そのうちの一人である数学の先生は、担任ではなかったが、ラグビー部の顧問という事もあって私の事をよく覚えていただいている。生徒から見れば先生は数少ないから忘れようもない。だが先生からすれば、在職期間中に指導する生徒の数は膨大だし、とても覚えきれないだろうと思う。それにもかかわらず、である。
その数学の先生も担任したクラスの生徒を覚えるので目一杯だと語ってくれた。それでも私の事は覚えてくれていたようで、高校時代の私のエピソードも話してくれたりしてありがたく思った。ラグビーの“ラ”の字も知らないのに顧問を引き受けていただき、休日の試合にも足を運んでいただき(顧問が付き添わないと対外試合はできなかった)、それはすなわち休日出勤なわけで、今から思えばありがたかったとつくづく思う。
小学校から大学までの16年間を振り返ると、多くの友人たちと共に先生の思い出もある。
記憶に残っている先生もいれば、そうでない先生もいる。ただ覚えているというだけでなく、印象深く心に残っている先生は、何となく我々に対する愛情が深かった気がする。先生もやっぱりサラリーマンなので、我々サラリーマンが日々感じているような事を感じていたのだと思う。そんな中で、生徒に対するスタンスこそが、生徒の心に残るか否かを決めるものなのかもしれない。
自分の仕事が相手の人格形成や学生生活に影響を与えるという意味では、先生の仕事というのはやっぱり意味合いが大きい。今でも十分“聖職”なのだと思う。単なる就職口の一つとして考えるのではなく、楽だからとか、大変だからとかを判断基準にして欲しくないような気がする。先生の社会的地位も、もっと高くないといけないのかもしれない。
戦前の姿が良いか悪いかは別として、社会的な地位が高ければ、もっと使命感に燃える先生が集まってくるのかもしれない。当然、先生を見下すような親の態度は論外だ。年下の先生であっても「先生は先生」というムードが出来あがれば、もっと違うのかもしれない。親として先生に物申すことがあっても良いと思うが、その根底にはやはり先生を敬う心も必要だろうと思う。
週末の夜に、つらつらとそんな事を考えたのである・・・
【本日の読書】