2012年12月28日金曜日

難問(嫁と姑)

底荷のない船は不安定でまっすぐ進めない
一定量の心配や苦痛・苦労はいつも誰にも必要である

ショーペンハウアー
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 誰にでも悩みごとの一つはあるものだと言うが、やっぱりそうなのだろうか、とふと思う。今の自分にも頭の痛い問題がある。それが嫁姑問題である。結婚した頃は、嫁姑問題なんてどこか他所の話かと思っていた。今の妻と結婚しようと思ったのも、この女性なら母親ともうまくやってくれるだろうと思ったのが理由の一つでもあった。いずれ両親が年老いたら同居も、などという考えも抱いていた。すべて幻想となった今、何が悪かったのだろうと考えてみるも、これという理由は思い浮かばない。

 その昔は、結婚とは「嫁をもらう」事であり、女は文字通り家に入って嫁となった。「嫁ぐ」とはそういう事であった。家に入ればそこには既に君臨している女帝がいるわけで、厳しい指導にお嫁さんも苦労したし、そこから衝突して嫁姑の争いとなったのだろう。だが今は、我が家もそうだが、互いに独立した家庭であり、そんなに接点があるわけではない。なのにどうしてうまくいかないのだろうか。

 原因は姑、つまり私の母親にある。というか、あったと言った方が正しいかもしれない。妻もはじめから喧嘩腰で結婚したわけではない。始めは、旦那の母親に気に入られようという健気な気持ちであったと思う。それが母親の「悪気はないけど余計なひと言」、「軽い気持ちで言った傷つく一言」が積み重なり、次第に反発を覚えていったようである。

 人間、感情は隠していても態度に出る。やがて、母親に対する反発心が知らず知らずのうちに態度に出る。それを母は面白くないと思うし、時として気分を害する。もちろん、何で妻がそんな態度を取るのか思い当たる節は何もない。「自分は娘ができたと思って仲良くしたいのに・・・」と言いつつも、そんな態度に対する不満がまた余計な一言になって表に出てくる。あとはその泥沼のような連鎖である。

 双方その不満のはけ口は、間に立つ人間、すなわち私に来る。私もまた事態を軽く考え、真剣に受け止めなかった。
「またこんな事を言われた」→「気にしなければいいじゃん」
「何でああなの?普通は○○するでしょう」→「世代も違うし、自分たちの常識をあんまり押し付けるのもどうかと思うよ」
積もり積もった積年の思いが、ついに先日火をふいた。

 直接衝突したわけではないが、妻の怒りの矛先は鋭く私に向けられた。双方からその言い分をじっくりと聞く。妻との話し合いは、深夜にも及ぶ。双方それぞれ言い分があり、双方それぞれもっともである。大体、喧嘩なんてそんなものだ。みんな自分には自分の正義があるのだ。どちらも正しいから答えは出ない。長い年月の経過は、その原因を曖昧にする。

 アラブとイスラエルの紛争が良い例だ。どちらの主張にも正義があり、だからこそ解決が難しい。互いに歩み寄る気持ちがあれば、と思うのだが、それも「相手が非を認めるならば」と双方が考えている。何とかうまく取りまとめようと何度も試みたが、双方それぞれを立てるとそれぞれから反発を喰らう。
「母親に何も言えない」
「嫁の言いなりになっている」
双方からの私に対する批判は手厳しい。

 今のところ解決の糸口は見えない。双方もう少し寛容にとも思うが、それは私の立場だから言える事なのだろうか。解決できない問題はないと言われるが、こればっかりは難しそうだと思うのである・・・

 
【本日の読書】
完全なる経営 (日本経済新聞出版) - アブラハム・マズロー, 金井壽宏, 大川修二 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか - 増田俊也





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