2009年2月27日金曜日

84年に一度の危機

今仕事が忙しい。
みんなで一段落したらパァーっと行こうという話になった。
そうしたところ、かねてよりW氏お勧めのウズラ鍋のお店に行く事になった。
今から早速予約となって、昨日予約をとった。
まだまだ一段落するのは早いのだけど、頑張り目標というわけだ。
そうしていたところ、本日「国内でトリインフルエンザ発生」のニュース。
しかも「ウズラ」・・・
国内での発見は84年ぶりらしい。

さてそうしたところ、「キャンセルだ」との声が上がった。
「一瞬大げさな」と思ったが、言った本人は極めて真面目な顔。
W氏は初めは笑って取り合おうとしなかったが、マジだとわかるとこちらも真面目な顔で反論。
「いやいやニュースによれば、感染したウズラ2羽は死んでいないし、毒性も弱いとの事で平気だ」と主張。

しかし、キャンセル派は一人二人と増殖。
「こんな時期にわざわざ行く事あるまい。」
「もしもみんなが具合悪くなって休みでもしたら問題だ、リスク管理が甘いとなってしまう」等々・・・
もっともなご指摘。

「こんな時に行けば感謝されてサービスもよくなる」と一人反論するW氏。
I氏に救いを求めるも「私は常に多数派です」と逃げられる。
W氏がつぶらな瞳で私に救いの眼差しを向けてくる。
私は「行ってもいいんじゃないですか」とW氏に援軍。
別にウズラが食べたかったわけではないが、「人が右向きゃ、我左」というところもあって、賛成派に回ったのだ。

かつてのカイワレ大根や狂牛病、鯉やら餃子やらと食物にまつわる問題がいろいろと出た。そのたびに食べ控えが起こっている。敢えて渦中の栗を拾う必要もなく、君子危うきに近寄らずであるから悪い事だと言うつもりはない。安全が確認されてから行ったってまったく問題ない。ただ、そうした行動を現実に目の当たりにして、世間の人々の行動といったものを垣間見たような気になった。

ちょっと前に事故米をそれと知らずに購入していた酒造メーカーが、それを正直に発表したところ売上が9割落ちたとテレビで取り上げられていた。
黙っていた他のメーカーは影響を受けずに済んでいた。
必死で信頼回復を目指すそのメーカーと頬っかむりした他のメーカーの安全度は比べるまでもないはず。でもそれが現実だ。

結局、議論は2対6で反対多数によりキャンセルとなった。
目をうるうるさせるW氏に「また今度行けばいいじゃん」と反対派の何人かが慰めていた。目の前には確実に世間の縮小版が存在する事を痛感した出来事だったのである・・・
    
    

2009年2月25日水曜日

涙そうそう

この頃涙もろくなったと強く感じる。
子供の頃から「男は人に涙を見せるものではない」という感覚でいたので(たぶん漫画の影響だ)、人前で泣いたなどという事は、あんまり記憶にない。

わずかな例外が高校3年の時。
ラグビーの最後(になってしまった)試合で負けてみんなで泣いた。
(タイムマシンがあっても、とてもじゃないが見に行きたいとは思えない思い出だ)

それと大学3年の時、気合の入ったラグビーの試合2試合。
勝って泣き、負けて泣いた。
この時は感情が頂点まで達したのだ(あの時以来、あそこまで感情が高ぶった経験はない)。

が、それ以外はない。
といっても、それはあくまでも「人前で」の話だ。
人知れず失恋の心の痛みに耐えかねて、一人枕を濡らした事はちゃんとある。
人前では映画や本を読んで感動しても、涙腺はしっかりと締まっていた。

それがどうだろう。
この頃はちょっと感動してもすぐ涙腺が緩む。
人前だと危なくて仕方ない。
まさか年というほどでもあるまい。
年寄りの失禁と同じなどとも思えない。

感動するのは悪い事じゃないと思うのだが、ポロポロと涙をこぼすのはみっともない。
(と今でもそう思うのだ)
家族と何気なく見ていたテレビのちょっと「良い話」でもほろっとくるし、通勤電車の中で読んでいた本にもほろっときたりする。
ごまかすのが大変だ。

どうしてなんだかよくわからない。
もともと冷静な外面とは裏腹に、内面の感情の起伏は激しいほうだと自覚はしていた。熱く語るのは好きな方だ。だから共感力はもともとあると思うのだが、それが押さえられなくなってきたのかもしれない。まあ無理に抑えるのもなんだし、当面は危なくなったらごまかすテクニックを磨くしかないかと思うのである・・・
     
    

2009年2月24日火曜日

教育

銀行員という仕事柄、いろいろな取引先を訪問する機会が多い。
今回、さるお取引先の資材管理場を訪問させていただいた。
所長に話を伺いながら、場内を見て歩いた。

その時にちらほらと黒人の姿が目に入った。
また小耳に挟んだ会話は、たどたどしい日本語。
顔は東洋人であったから、たぶん中国人だと考えた。
(韓国人はこういう田舎の中小企業で働かないだろうと想像したのだ)
あとで事務所に帰ってふと見ると、タイムカードに数名の横文字の名前。
そして中国研修生というタイトルで数名の名前があった。
研修生といってもどういう研修生なのか、合法なのかそうでないのかは定かではない。
この時期人件費を抑えるために中小企業も大変なのだ。

敢えて尋ねなかったのに、自然と話題が黒人の話になった。
所長曰く、「数が数えられないんですよ」と。
なんと「手の指以上は数えられない」のだという。
と言っても障害者なのではない。
そういう教育を受けていないらしい。
俄かには信じられない話だ。

日本人であれば、どんなに学校の成績が悪くても数ぐらいは数えられる。
どこの国かは聞かなかったが、まだまだそういう国があるようだ。
江戸時代には、識字率の高さで当時の世界のトップクラスであったという我が国。
そういう伝統なのか、今では数が数えられない人など健常者であればまずいない。
ゆとり教育の弊害で、世界レベルでは学力低下が著しい我が国の行く末を嘆いていたら、こんなレベルの国もあるのである。

下を見て安心してはいけないが、数を数えるなんて学校で学ぶ以前の問題だ。
「仕方がないので数える以外の仕事をやらせているんですよ」とは所長の弁。
ふと自分だったら時間外に基礎的な事を教えてあげるのにな、と思った。
思うだけなら誠に簡単である。
ただ、そういう機会があったらそんな貢献もしてみたいと思った次第である。

いつかはわからないけど、そんな気持ちは持ち続けていたいなどと考えてみた取引先訪問であった・・・
     
   

2009年2月21日土曜日

肉食草食

かつて女性が男性に求める条件として、「三高」という事がもてはやされた。
「高学歴」・「高収入」・「高身長」である。
それを聞いて「てやんでぇ、男は中味だ!」と言って、一生懸命体を鍛えていた気がする。

それがどうやら今の時代は「三低」らしい。
といっても「低学歴」・「低収入」・「低身長」では、もちろんない。
「低姿勢」:女性を大切にし、全般に丁寧で威圧的でない等の真摯な態度、他の人を尊重する姿勢。
「低依存」:家事や身の回りの諸事をパートナーに頼らず、お互いを尊重し束縛しない。
「低リスク」:リストラや事故・事件等に巻き込まれることの少ない職種、または資格・免許を持っている。安定収入。

まあ、言葉は違えど「好きな事言ってらぁ」ってレベルでは同じである。
といっても、男も好きな事言ってるからお互い様ではある。
幸いな事に結婚してしまったので、今さら女性に選んでもらう必要はなく、そういう意味では余裕である。

かつてほど女性に対してガツガツする事もなく、今ではゆとりをもって付き合えるし、そういう女性の友人がたくさん欲しいな、などとも思っている。
これも年を経てナイスミドルに近づいているのかと思っていたら、最近の若い男もどうやらそんな傾向の者が増えているらしい。

【酒を飲んでも乱れず、すきがあっても体を求めず、異性との関係でも心地よさを重視しガツガツしない】らしいのである。
「なんだ自分と一緒じゃないか」と思っていたら、そういうタイプの男を今は、【草食系男子】または【お嬢マン】と言うらしい。

というと俺は草食系か?
お嬢だあ?
そう言われると腹立たしくなる。
飼いならされてお行儀良くなったワンちゃんみたいじゃないか。
と言っても、昔は「良い人ね」と女性に言われると屈辱的に思っていたものが、今では心地良く思うようになっている。

やっぱりベジタリアン化しているのだろうか?

メタボリックボディには良いかもしれないが、心の中まで草食系にはなりたくない。
かといっていつまでもよだれ垂らしているオオカミでもみっともないし・・・
ここはやっぱり尊敬するジェームス・ボンド系を目指そうと思う。
昔は、“タキシードを着た狼”とも言っていたが、やはり死ぬまで肉食系でいたいものである。

そんなことをつらつら考えた次第である・・・
     
     

2009年2月19日木曜日

痛勤地獄

 
「楽しみながら生きよ、憂いながら生きるよりその過ぎ行く時は幸いなり」
                                      作者不明

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 サラリーマンのデメリットの一つとしてあげられるのが、いわゆる「通勤地獄」である。
確かに山の手線や中央線といった都心の電車のラッシュは、凄まじいものがある。
まさに苦行と言える。だが幸いな事に、私は「地獄」とは感じないで済んでいる。

 それは「災いを前もって回避する」という事と、「災いもって福となす」という事によって、である。まずは「回避」であるが、住む場所を選ぶ時に中央線沿線は避けたことが挙げられる。勤務地は選べないから、せめて住む場所は混雑がひどい中央線を利用しなくてもよい場所を、と考えたのだ。それとなるべく早い時間(空いている時間)を選ぶ、混んでいる急行より少しでも空いている各停に乗る、それができないのなら1本遅らせても余裕をもって乗り込む等だ。これで比較的すし詰め状態は回避できている。

 あとは通勤時間帯そのものを読書タイムにして「楽しい一時」に変えたのだ。電車に揺られている時間は、基本的に読書タイムだ。けっこう集中して読んでいる。家では正直あまりゆっくりと本は読めない。本を読むのが好きな私にとって、この時間は貴重だ。だから今のような朝の寒い時期でも、通勤時間は楽しい一時だ。座って寝たいなどという考えは起きてこない。

 行く時はいつも同じ電車の同じ車両に乗っている。そうすると、余計なところに神経を使わなくて済む。余計なところに神経を使わないから、それだけ本に集中できるのだ。周りがどっと下りたらそこは大手町。大手町の次が降りる駅なので、そこで初めて現実世界に戻ってくるのである。

 問題は帰りだ。
いつも一定していないからあまり本に集中していると、ついつい一つ先の駅まで行って戻ってくる羽目になる。東野圭吾など読んでいる時は要注意だ。こんな具合に通勤時間を楽しんでいる。だから「痛勤地獄」などという言葉とは、これまでずっと無縁でこれた。考え方一つだと思うのだが、しなくても良い苦行は避けたいと思うのである・・・
  
     

2009年2月17日火曜日

バレンタインその後

  
バレンタインデーに娘は予定通り№3にチョコを渡し、一方で友達の女の子から友チョコをもらっていた。3歳の長男も近所の同じ年の女の子からチョコをもらっていた。
今は良い時代と言えるのだろう、きっと私も今の時代ならあの頃のような寂しい思いをしなくて済んだはず、と確信している。かつては業者の陰謀と批判していたものである。

さてそのバレンタインが終わるとホワイトデーだ。
これも業者の陰謀で頭に来るが、「お返し」と言われると弱いところで否定もできない。
バレンタインもホワイトデーもすっかり定着した感がある。
頭の痛いところだが、仕掛けた業者もうまくやったものである。

さらに2匹目ならぬ3匹目のどじょうを狙ってオレンジデーなるものもあるらしい。
【バレンタインデーで愛を告白し、1カ月後のホワイトデーでその返礼をした後、4月14日のオレンジデーでオレンジ(オレンジ色のプレゼントも可)を持って相手を訪問し、二人の愛を確かなものとします】というものだそうである。

まだある。
【バレンタインデーから88日目の5月13日はメイストームデー(5月の嵐の日)であり、「八十八夜の別れ霜」ということで別れ話を切り出すのに最適とされます。
これを乗り切れば6月12日は恋人の日。
恋人同士が写真立てに写真を入れ交換し合います。
さらに7月7日の七夕はサマーバレンタインデーで、2月14日に告白を逃した人にセカンドチャンスが訪れます。
 いずれの日においても愛を逃し続けた男性には9月14日のメンズバレンタインデーが設けられています。男性から女性に下着を送って愛を告白する日とされています。
 愛を何度も確かめ合わないと不安という方には、11月11日の恋人達の日に靴下(新品に限る)を贈り合い、12月12日のダズンローズデーには12本の薔薇を贈ります。いよいよクリマスが近づいてまいりますが、遠距離恋愛の方は念のため12月21日の遠距離恋愛の日に、会ってお互いの愛を確かめます・・・】
という事らしい。

あほらしい・・・
いきなり女性に下着を送って愛の告白なんぞした日には、よほどのイイ男でない限り悲惨な結末は火を見るより明らかだ。どうせ考えるならもうちょっとましなものを考えてあげないと不幸な男性が出てくる。もっともそんなのに乗せられて失敗したら自業自得ともいえるが・・・

もともと女性はプレゼント好きという習性(?)がある。
それがバレンタインの場合はロマンチックな習慣と見事マッチしてしまったわけである。
これだけ長いこと定着してしまうと、もはやこれはこれで仕方ない。
しかし、あげる楽しさともらう喜びばかりが脚光を浴び、もらえない寂しさは語られない。

またもらえばもらったで、今度はホワイトデーの悪夢だ。
これは「もらったらお返しを」という事で始った日本独自の習慣だ。
大きなお世話でしかない。
言われなくてもやる事をわざわざ押し付けられたくないと思うのはひがみ根性だろうか。
毎度毎度の狂想曲。
いっその事すべてなくなってしまえと心密かに願うひねくれ根性の私なのである・・・
   
      

2009年2月15日日曜日

ABBA

突然同僚に「『マンマ・ミーア』観ましたか?」と尋ねられた。
私が映画好きと知ってか知らずかであるが、「まだですよ」と回答した。
始めは行きたいなと思っていたが、どうやら時間的に厳しそうだ。
同僚は実はアバが好きだったと言うのであり、しばしアバ談義となった。

「マンマ・ミーア」は映画が公開されているが、全編これアバの曲を散りばめたミュージカルである。
ストーリー展開にあわせて、そこにフィットするアバの曲を巧みにブレンドしていて絶妙な仕上がりの楽しめるお話だ。
私は劇団四季のミュージカル版を観に行ったのであるが、懐かしいアバのヒット曲も楽しめて、劇場も最後は総立ちであった。

アバについては昔から特別好きだったというわけではないが、何となく曲は好きだった。
それにこれまでの生涯で唯一行った事のあるコンサートがアバという「縁」もある。
(その時はアバ好きの友達に誘われて大枚叩いて日本武道館に行ったのだ)
私は総立ちコンサートが大嫌いである。
何でも座ってじっくり楽しみたいのだ。
だから最近のミュージシャンのコンサートにはまったく食指が動かない。
浜崎あゆみでもそうだし、例えフレディ・マーキュリーが生き返ってきたとしても、だ。
(いや、フレディ・マーキュリーだったら行くかな・・・)
30年前のアバのコンサートは座って楽しめたのだ。
良い時代だった。

それに気がつけばベスト版のCD(ABBA GOLD)だって持っている。
アバの曲は詩もわかりやすい英語だ。
だから中学生くらいの時でもなんとなく詩の意味もわかってよかったのだ。
今でも時折CDを聞いているし、車のオーディオにもコピーしてある。
ファンというわけではないのだが、なんだかいつも手元に置いておきたいのがアバである。
たぶんポップ・ミュージックデビュー時の入門編だったから、その原体験が遺伝子レベルに組み込まれているのかもしれない。

だからではないが、「マンマ・ミーア」はとっても楽しめた。
よくこういうものが創れるものだとその創造力と想像力に感心してしまう。
(最後の「総立ち」には閉口したが・・・)
何度観に行ってもたぶん飽きるという事はないのではないだろうか。
そのうち機会をつくって四季版を観に行きたいと思っているのである・・・
    
   

2009年2月14日土曜日

密かな楽しみ

  
仕事が忙しくなって遅くに家に帰る。
子供たちは寝ている。
空腹を通り越した胃袋も静かだ。
妻が寝てしまっているか風呂に入っている時は一人で夕食だ。
何とも寂しいサラリーマンの姿に映るかもしれない。

ところがこういうシチュエーションだと私の目はきらりと光る。
好機到来。
テーブルに着くやごはんに味噌汁をぶっかける。
ああ、味噌汁ぶっかけご飯!
これが実はひそかな楽しみなのである。

妻の目がある時はこれができない。
昔からこれが好きなのであるが、結婚してからは、いや独身時代に実家にいる時もできなかった。
「みっともない」とか「品がない」とか言われて、大っぴらには食べられないのだ。
だからこそ、一人で食べる時は大チャンスなのだ。
味噌汁ぶっかけご飯を食べる幸せなひと時・・・

そもそも何でこんな食べ方するのかと言えば、今はなき祖父の影響だ。
長野県は諏訪に住んでいた祖父は、よくこうしてご飯に味噌汁をかけて食べていた。
母親たちはみな顔をしかめていたが、そこは絶対家長の祖父のこと、表立って批判はできない。
それを見つめる私だけが、目をキラキラさせていたのだ。

家に帰ってから真似して食べようとしたら母親に怒られた。
「何でお茶漬けはよくて味噌汁はだめなのか?」
昔から理論派の私は幾度となく納得のいく説明を求めたが、無駄であった。
田舎ではネコの餌に残飯を与えていたが、余ったご飯に味噌汁をかけたりしていて、要はネコの餌と同じという理屈だった。
それでも、別々ならよくて一緒ならいけないというのも納得がいかないものだ。
禁じられると一層甘美な味となる。
いつしか誰もいない時に、一人で食べる楽しみとなったのだ。

それほどうまいかと言えば正直どうだろう。
でもやっぱり好きなのだ。
残業で遅くなっても「今日は食べられるかな」と思うと、自然と足取りも軽くなるというものだ。

そうして祖父がしていたようにご飯に味噌汁をぶっかけるのだ。
品などなくたっていいではないか。
何も高級レストランでやっているわけではない。
遠い昔に大好きだった祖父が、おいしそうに食べていた姿が今でも脳裏に浮かぶ。
あの時爺さんが食べていたのと同じ味だろうか?
母親たちの非難の目などどこ吹く風で、一緒に並んで食べたかったなと思う。

静まり返った食卓で一人ずるずると味噌汁ぶっかけご飯を食べている孫の姿を見たら、あの世でじいさん何て言うだろうか。
誰になんと批判されようとこれだけは一生やめられない。
これは愛すべきじいさんへのオマージュだと思うのである・・・




2009年2月11日水曜日

バレンタイン


小学校2年の我が家の娘は、本日はチョコレート作りである。
14日のバレンタインに備えてのものであるが、今は小学生から手作りなのであろうか?
その材料を買いに行った池袋の東急ハンズ。
専用コーナーでは、下は小中学生と思しき子供たちも友達と連れ立って来ていて、ちょっとした熱気であった。

今では特別何も感じなくなってしまったが、小中学生の頃はバレンタインデーが嫌で嫌でたまらなかったのを覚えている。
見事なくらいチョコレートをもらえなかったからだ。
人一倍のチョコ好きとしてはかなりの苦痛だ。
さらに追い討ちをかけたのは、弟が毎年のようにもらってきていた事だ。
そう大して容姿が変わるわけでもないし、いや、むしろ私の方が良いくらいだと思っていたのに、兄貴としての面目などあったものではなかった。

中学時代にたった一度だけ机の中にチョコレートが入っていた事がある。
大感激してこっそり隠れて中を見たのだが、差出人がなかった。
入れ忘れたのか、名乗れなかったのかはわからないが感激もしぼんでしまった。
なので高校生になってまともにもらえた時は、ようやく一人前になれた気がしたものだ。

不遇の大学時代を経て社会人になるとそんな状況が一変。
最初の年は7~8個もらった記憶がある。
もちろん義理チョコであるが、当時のおじさんたちが1~2個だったのから比べると同じ義理でも意味合いは大きく違う。
50歩100歩というなかれである。

それから「複数個もらうのは当たり前」という黄金時代を迎えた。
職場の女性陣はみんな義理堅かったのだ(繰り返すが義理チョコでも数はおじさんたちのそれを凌駕していたのだ)。
良い習慣だと初めて思えた。

今ではというと、お返しが面倒だと思うようになってしまった。
妻などは端からお返し期待のひも付きODAだし、義母などからももらうのだがかえってもらわない方が、などとも思ってしまう。
しかし、何せ大好きなチョコレートだけにそういうのも辛い。
まあ、お中元やお歳暮のようなものだと思っている。

長女は今年は№3にあげるのだそうだ。
№1になぜあげないのか聞いたところ、「去年あげたから」だそうだ。
№2の立場はどうなのかとも思うが、娘心は計り知れない・・・

3歳の長男はまだこれからだ。
学校へ行くようになるといろいろわかってくるから、やっぱりわくわくドキドキしたりするのだろう。からかって楽しみたい気もするが、「お父さんの子供の頃はな、」などと語れる過去がないだけに厳しいものがある。

しかし我が身を翻ってみれば「もらえない寂しさ」というのを味わうのも人格形成にはいいのかもしれない。子供の頃から「もらって当たり前」と天狗になられても困るし・・・
やっぱり我が子には自分と同様、千尋の谷から這い上がることが必要だろうと思うのである・・・
   
    
     

2009年2月9日月曜日

美容室

この週末に髪を切りに行った。
以前は床屋へ行っていたが、最近はもっぱら美容室だ。
といってもお洒落に目覚めたわけではない。
というかその方面はどうにも昔から苦手だ(妻の実家では私の独身時代の服装センスはいまだ物笑いのタネにされている)。

始めは「美容室なんて・・・」と気恥ずかしく思っていたが、散髪後のヘアースタイルを毎回バカにされるのもなんだしと思って、とりあえず行ってみたのが始りだ(私はけっこうチャレンジ精神は旺盛だと思う。何でもやってみて判断すべし、と考えるタイプだ)。

行ってみると、それまで描いていたイメージとは程遠く、結構男性客も多いらしく、welcomeという雰囲気だった。客商売だから当然と言えば当然かもしれない。
さらにやってもらうと床屋との大きな違いが一つあった。それは「髭剃りがない」という事だ。

実は私は床屋での「髭剃り」は苦手だ。
毎朝、シェービングクリームをあわ立てて、髭を剃っているが床屋のそれはもっと本格的。
いいといえば良いのだが、どうも良すぎてジョリジョリと皮膚まで削られている感じがする。
蒸しタオルで温めてもらうが、終わった後の感触は自分でやるのとは大違いで、根こそぎ剃られた感じがする。せめて休みの日くらい髭剃りはしたくない派の私としては、休みの日にここまでやられるのには抵抗があったのだ。

さらに髭剃りタイムの分、時間も10~15分短くて済むというメリットにも気がついた。
料金はそんなにかわらないなら初めから髭剃りはなくて、しかも時間も短い方が都合が良い。
カットのあとも馬鹿にされなくなったし、今では何の抵抗感もなく美容室へ行っている。

最近は男性客もかなり増えてきたと担当の美容師さんが話してくれた。
若者ばかりでなく40~50代の男性客もけっこう多くて、土日など下手をすると男性客の中に女性客が一人で逆に居心地悪そうにしている、という事もあるらしい。

そんな話を聞くとついつい、「床屋の将来性は大丈夫か?」と考えてしまう。
両業態は免許で分けられているから、転換も容易ではない。
床屋が生き残っていくためには、
①美容室に奪われた男性客を取り返す
②他の床屋からシェアを奪って残存者利益の拡大を目指す
③美容室には絶対行かない老人客を開拓する
などの対策が必要だろうな、などと考えてしまう。

③では暇な平日に出張サービスを展開し、話し相手も兼ねてやったらいいかもしれないなどと考えてしまう。根本的には免許で規制されているのが、大きなネックなのかもしれない。
両者を融合したような店舗で、個々の顧客に合わせたきめ細かいサービスを展開してくれるようなところがあったら、利用者にとっては本当は一番ありがたい事だという気がする。

お役人さんも床屋の将来のためにも規制緩和を考えた方がいいんじゃないのという気がしてならないのである・・・

     


2009年2月8日日曜日

頼まれ事

私はよく人にモノを頼まれる。
まあ誰でも頼まれ事はするであろう。
私も特別その頻度が高いというわけでもない。
ただ、誰かに何か頼まれた時、一つだけ心掛けている事がある。
それは「断らない事」である。

もちろん、妻からの頼まれ事のようにそれ自体「断りたくても断れない」ものは別としてであるが、基本的に何でも受けることにしている。中には能力的に明らかにできない事や、例えば日程的に無理があったりしてやむを得ない場合は当然この限りではない。
その旨きちんと説明してお断りする。

が、そういうのは極々例外だ。
基本的に何でも受ける。
昔からそういう性格だったわけではない。
むしろ昔は面倒な事はなるべく避けるようにしていた。
だがいつのまにかこうなっていた。

というのも、「頼まれる」という事は「認められる」という事だと思うようになったからである。
頼んできた相手は、自分であれば引き受けてくれる(引き受けてほしい)と思っているから頼むのであり、自分はそれだけその相手の中に存在感を占めているということになる。
もともとそんなに社交的でもないし、友達が多いわけでもない。
謙遜でもなく、実際高校・大学時代は交友関係は極めて狭かった。
無理に広げたいとも思わなかったし、広げるのも苦痛だったのだ。
なので自分の存在自体も極めて狭い範囲にしかないように思えていた。

何気なく引き受けた頼まれ事もやって喜ばれれば気分もいいし、頼まれる事によって自分の存在感を確認できるような気がするのも確かである。何でも引き受けていると、いつのまにか面倒な事を押し付けられる便利な存在となるかもしれないという危惧もあるかもしれない。
だが幸い今のところそんな気配はない。

思い返してみればいろいろ頼まれたものだ。
結婚式の司会や会議の議長、ラグビーは高校・大学とも学年幹事だし、さらに大学のラグビー部に至っては4学年分の取りまとめ幹事だ。その他に世話人などをやっているのもあるし、くだらないものまで入れるとけっこうあるものである。

でもそれでもありがたいものだと思っている。
声をかけられる事は見過ごされる事から比べると遥かにいい。
そうして目に留めてもらえたというだけで引き受ける理由になると思っている。

その昔は何か世の中に役に立つようになりたいと思っていたものである。
今となっては「世の中に」などという大事は難しい。
だが目の前の一人の役に立つ事も世の中の役に立つ事の一つだ。
千里の道は行けねども目の前の一里なら可能だ。
ならば目の前の一里から一歩一歩進んでいくのも悪くはない。
これからもそういう精神で頼まれ事を引き受けていこうと思うのである・・・
    
   

2009年2月6日金曜日

おでん

我が家は東西食物文化の交差点である。
「食は関西にあり」とはよく言われるが、それは確かである。
お好み焼きやたこ焼きばかりでなく、関西に行けばおいしいところにおいしいものは至るところにある。しかし全部が全部、というわけでもない。

結婚前だが、妻に大阪の老舗のおでん屋に連れて行かれた事がある。
カウンターがぐるりと囲む真ん中でおでんがぐつぐつと煮えていて、入った瞬間に食欲をくすぐられる店であった。席についてさっそくオーダー。
いの一番に注文するのはやっぱり「ちくわぶ」。
ところが、目を凝らせども姿が見えない。
値札にもない。不思議に思って妻に尋ねたところ、「ちくわぶ?竹輪の事?」ととんちんかんな回答。あれこれとやり取りをして初めて知った。

「関西のおでんにはちくわぶがない」

この衝撃度は東京育ちのおでん好きであれば理解していただけるであろう。
ちくわぶの入っていないおでんなんて想像できるだろうか?
「おでんと言えばちくわぶ」、「ちくわぶと言えばおでん」。
おでんの主役はちくわぶであり、その他の具はちくわぶの引き立て役でしかないと言っても過言ではあるまい。ジェームズ・ボンドの出ていない007映画を誰が観たいと思うであろう。
それがないのである!
その店のおでんの味も何を食べたかももう忘れてしまったが、ちくわぶがないという事実だけが今も強烈な思い出として脳内皮質に焼きついている。

結婚してからはもちろん、おでんの時にはちくわぶは欠かさないようにしてもらっている。
そのおいしさを教えてあげようと思ったが、一口食べて「こんなのどこがおいしいの」と来た。
星一徹ならちゃぶ台をひっくり返すところだ。

あきれ果てたが悪い事でもないと気がついた。
なぜなら妻がちくわぶを食べないがために、我が家ではちくわぶは私が独占できるからだ。
子供たちも母親へ右へならえで食べようとしない。
だから翌日に残ったおでんを食べる時だって、竹輪やはんぺんは跡形もないが、ちくわぶはしっかりと私を待っていてくれる。これは幸せだ。

とはいえ、最近ちょっと悩みがでてきた。
妻はともかく子供たちだ。
東京に生まれたのにこのままちくわぶのおいしさを知らずに育っていいものだろうか、と。
ちくわぶの味を伝えるのは東京人の私の務めではないか、と・・・

良いはずがあるわけもなく、「教育」することにした。
とはいえ、無理に「食べろ」と言ってもそこは逆効果。
自らおいしそうに食べる姿を見せるしかない。
それこそが、親父が態度で語るものだろう。
というわけで、我が家で夕食におでんが出る時は、なるべくおいしそうに食べるように(もちろん本当においしいのだが)しようと思うのである・・・

    

2009年2月2日月曜日

恵方巻き

節分である。
節分と言えばやはり「豆まき」である。
まあこれは日本全国どこへ言っても共通である。
子供がいればまず家でやる事になるだろう。

ところが我が家はこれだけではない。
もう一つ行事がある。
それが「恵方巻」である。

東京生まれの東京育ちの身であれば、あまり馴染みがない。
かく言う私も結婚するまでは知らなかった。
ところが関西人と結婚したためこのようなけったいな風習がある事を知る事となったのである。

恵方巻とは節分にその年の恵方(ちなみに今年は東北東である)を向いて目を閉じ、太巻きを願い事を願いながら一言も発せずにまるかじり(関西では「まるかぶり」と言う)するのである。
悪いけどとてもじゃないが願い事なんか叶いそうもない風習だ。
家族揃って黙々と食べるわけであるが、なんともはやという感じである。

ローカルな風習と思っていたらここ数年東京でも恵方巻の文字が目につきだした。
主にコンビニであるので見かけた人も多いと思う。
たぶん常に新しいネタを探しているコンビニ業界であるから、関西のローカル風習に目をつけて東京に持ってきたのだろう。

だが、東京人に広まるのであろうか。
我が家は実権者が有無を言わさずやっているから毎年やるが、東京人同士のカップルのご家庭ではいくらコンビニが頑張っても広まらない気もする。
バレンタインのチョコのようにはいかないだろう。

そもそも何でこんなもの広めようと思ったのだろうか?
単なる話題作りだろうか、季節のイベント作りだろうか?
米食推進委員会みたいなものが自給率アップのために取り組んでいるのだろうか?
別に文句があるわけでもないし、(あっても言えるわけないし)子供たちも喜んでいるので季節のイベントとして我が家ではこれからも続くだろう。
何もないよりいいだろう。
そういうわけで明日の我が家の夕食は太巻きなのである・・・

    

2009年2月1日日曜日

世界遺産は世界の遺産

   
先日関越自動車道を往復した時の事だ。
行きの下り斜線で「富岡製糸工場を世界遺産へ」という看板を見つけた。
そういえばいつも見ているテレビ東京の「ガイアの夜明け」で世界遺産登録を目指す平泉の様子を取り上げていた事を思い出した。ここもどうやらそうらしい。

富岡製糸工場といえば日本史の教科書にも出てくる、日本の近代史の一ページを飾る象徴的な存在だ。日本人であるし、行った事はなくてもその価値は十分にわかるつもりだ。
だからそれを世界遺産にしようという考え方は理解できる。
しかしどうもすんなりと腹落ちしない何かがある。

そもそも世界遺産とは「後世に残すべき人類の資産」という事である。
その目的は保護と保存である。
だからそれなりの価値のあるものを保護しよう、保存しようという考えもわかる。
だが、それだけだろうか?

世界遺産に指定されるとどうやら観光客が激増するらしい。
世界遺産巡りは格好の旅行テーマとしていいのであろう。
かくいう自分もいずれ世界遺産巡りをしてみたいと思う。
しかし、先の番組で取り上げられていた平泉は「街興し」としてそれをやっていた。
世界遺産に指定してもらい、それで観光客を呼び込み街の活性化につなげようというものである。

街興しそれ自体否定するものではない。
世界遺産への登録申請もしかり。
しかしそれが結びつくと違和感を覚える。
世界遺産はあくまでも保護・保存が目的であるはずで、それで観光客を呼び込もうというのは筋違いに思える。平泉が落選したのも当然だ。

観光客の増加はあくまでも結果であって、目的ではないはずだ。
それを平泉の人達は履き違えている。
富岡製紙工場も見たことないのでそれ自体は何とも言い難い。
しかしやはり観光客誘致目的なのは明らかだ。
そういう意図はおかしいだろう。

世界の人の目もあるのだ。
おかしな意図で登録申請などしていたら、審査員の手間隙だって大変だし何より日本の良識を疑われないか?
街興しは他の方法で考えればいいのだ。
世界の中の日本人である。
身を正して世界と向き合う気概が欲しいという気がしてならないのである・・・