2009年2月14日土曜日
密かな楽しみ
仕事が忙しくなって遅くに家に帰る。
子供たちは寝ている。
空腹を通り越した胃袋も静かだ。
妻が寝てしまっているか風呂に入っている時は一人で夕食だ。
何とも寂しいサラリーマンの姿に映るかもしれない。
ところがこういうシチュエーションだと私の目はきらりと光る。
好機到来。
テーブルに着くやごはんに味噌汁をぶっかける。
ああ、味噌汁ぶっかけご飯!
これが実はひそかな楽しみなのである。
妻の目がある時はこれができない。
昔からこれが好きなのであるが、結婚してからは、いや独身時代に実家にいる時もできなかった。
「みっともない」とか「品がない」とか言われて、大っぴらには食べられないのだ。
だからこそ、一人で食べる時は大チャンスなのだ。
味噌汁ぶっかけご飯を食べる幸せなひと時・・・
そもそも何でこんな食べ方するのかと言えば、今はなき祖父の影響だ。
長野県は諏訪に住んでいた祖父は、よくこうしてご飯に味噌汁をかけて食べていた。
母親たちはみな顔をしかめていたが、そこは絶対家長の祖父のこと、表立って批判はできない。
それを見つめる私だけが、目をキラキラさせていたのだ。
家に帰ってから真似して食べようとしたら母親に怒られた。
「何でお茶漬けはよくて味噌汁はだめなのか?」
昔から理論派の私は幾度となく納得のいく説明を求めたが、無駄であった。
田舎ではネコの餌に残飯を与えていたが、余ったご飯に味噌汁をかけたりしていて、要はネコの餌と同じという理屈だった。
それでも、別々ならよくて一緒ならいけないというのも納得がいかないものだ。
禁じられると一層甘美な味となる。
いつしか誰もいない時に、一人で食べる楽しみとなったのだ。
それほどうまいかと言えば正直どうだろう。
でもやっぱり好きなのだ。
残業で遅くなっても「今日は食べられるかな」と思うと、自然と足取りも軽くなるというものだ。
そうして祖父がしていたようにご飯に味噌汁をぶっかけるのだ。
品などなくたっていいではないか。
何も高級レストランでやっているわけではない。
遠い昔に大好きだった祖父が、おいしそうに食べていた姿が今でも脳裏に浮かぶ。
あの時爺さんが食べていたのと同じ味だろうか?
母親たちの非難の目などどこ吹く風で、一緒に並んで食べたかったなと思う。
静まり返った食卓で一人ずるずると味噌汁ぶっかけご飯を食べている孫の姿を見たら、あの世でじいさん何て言うだろうか。
誰になんと批判されようとこれだけは一生やめられない。
これは愛すべきじいさんへのオマージュだと思うのである・・・
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