人間は言葉によって互いに意思疎通を図る事ができる。しかし、ほんのささいな言葉遣いによって誤解を招く事は日常茶飯事である。いったい我々は言葉をうまく使いこなしているのだろうかと考えてみる。その前にそもそも言葉は世界を十分に表現できるのだろうか。きちんと伝えられないのは、その人のボキャブラリーや表現力によるせいだろうか、それとも言葉自体のせいであろうか。言葉自体に限界がある事も事実だと思う。それが証拠に、我々は「体験」を伝える事ができない。
たとえば「匂い」。バラの香りと言われればわかるが、それはバラの香りを嗅いだ経験があるからで、「体験」を伝えたわけではない。たとえば世界最大の花であるラフレシアの臭いと言われても普通の人にはわからない。それはほとんどの人にラフレシアの臭いを嗅いだ経験がないからである。その臭いは「動物の死骸が腐った臭い、トイレの悪臭のような臭い」だそうで、そう言われれば何となく想像はつく(もっともトイレの悪臭なら想像はつくが、動物の死骸が腐った臭いは経験していないとわからない)。ただ、それは厳密に「体験」を伝えたわけではない。
「頭が痛い」と言われた場合、人はたいてい、過去の自分の体験を元に想像するのであるが、厳密に目の前の人が経験している頭痛がそれと同じかどうかはわからない。もしかしたら、自分が想像している以上のものかもしれないし、以下かもしれない。生まれた時から目が見えない人に「赤」と言ってもわからないだろう。「ランナーズハイ」という言葉があるが、長距離走が嫌いな私にとって、多分一生わからない感覚だろうと思う。
最近は「推し」という言葉が使われているが、娘が夢中になっているSUPER EIGHTの魅力だが、娘がいくらそれを言葉で私に伝えようとしても伝える事はできない。同じファン同士なら可能だろうと思うが、それは「体験」を共有しているからである。だからトラキチの気持ちはわからないし、私がいかにラグビーが面白いかと力説しても、すべての人にそれを伝える事は困難である。「面白いと思う気持ち」を伝える事はできないのである。
言葉もいろいろあって、世界には7,000もの言語があるらしいが、そうなると通訳がいないと互いに意思疎通はできない。しかし、その通訳が正しいかという問題もある。その昔、夏目漱石は“I love you”を「月がきれいですね」と訳したと言う。“I love you”は一般的には「愛してる」であるが、夏目漱石は「月がきれいですね」と訳している。それは時代背景や状況もあるのだろう。明治の日本では「愛している」などと面と向かって言うのは憚られたのだろうし、そういう環境下では適訳だったのだろう。
文字通りに解釈すると、「月がきれいですね」という言葉のどこにも「愛している」という意味はない。しかし、男女2人で夜空の月を見上げながらのシチュエーションを想像すると、明治の日本人的には十分「愛している」という意味として適切であるように思えてくる。これに対して、「2人で見ているからではないですか」と返せば、それは“Me、too”なんて表現よりもはるかに味わいのあるやり取りのように思える。
そう考えてみると、言葉では伝えられないものもあれば、言葉によってさらに伝わるものもあるのかもしれない。私の好きな名言・格言の類もそうと言える。過去の人が経験した考え方を伝えるのはどうしても言葉によらなければならない。ただ、それも表現によっては伝わり具合が違うのも当然だろう。小説を読んで感動するのも、人の心にそういう感動を呼び起こすからであり、それが言葉の効能である。100%伝えられないものもあれば、120%伝わるものもあるというところかもしれない。
ビジネスの現場では、やはり「月がきれいですね」では通じない場合が多いだろう。ビジネスの現場では「体験」よりも「考え方」を伝える事の方が多いだろうし、そのためには言葉も有効なはずである。相手にいかに自分の考えを伝え、自分と同じ考え方に立ってもらえるか。なかなか簡単ではないが、効果的なのは「たとえ」かもしれない。「トイレの悪臭のような臭い」のようなものである。これによって言葉は多くのものを伝えられ、理解も促進されうると思う。言葉自体の伝える力もそうだが、たとえによってこれを補うというのも有効である。
何はさておき、ビジネスでは伝わらなければ始まらない。言葉に限界はあるにしても、伝わらないと嘆くのではなく、たとえを駆使してでも伝える努力をしないといけないと思う。そう思いつつも、最近悩ましいのが言葉が出てこない現実。どうしても「あれ」とか「それ」とかが多くなってきている。悲しいかな年齢による「言葉が出てこない」である。これがさらにコミュニケーションに支障をもたらさないようにしないといけない。もっとも、最近それを先回りして部下も優しく接してくれる。やっぱりコミュニケーションは言葉の前に気持ちかもしれないと思うのである・・・
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Karolina GrabowskaによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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