2024年4月29日月曜日

努力すればなんでもできるのか

為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり
上杉鷹山

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 実家に帰って少し片付けを手伝ったが、私のものがいろいろと出てきた。小学校の時の文集なんかもその一つ。懐かしいなとパラパラめくって自分の文章を見つけた。そこには「やってできないことはない。努力あるのみ」と書かれていた。何となくそんなことを書いた記憶がある。この頃から、「努力」という言葉が自分につきまとっていたようである。当時、「努力すれば何でもできる」と思っていたことは間違いない。ただ、大人になってわかったのは、「努力しても必ずしもできるわけではない」という現実。冷めたようであるが、それが現実であるのは間違いない。

 しかし、ふと考える。「果たして本当にそうであろうか」と。「努力してもできないものがある」としたり顔をして思うが、一方で「それだけ努力したのか」とも思う。「中途半端に努力して終わっているだけではないのか」と。「できるまで努力すればできるのではないか」と。そう考えると、この問題は難しい。もちろん、誰でも努力してもできないことはある。人間は努力しても空は飛べないし、200歳まで生きられない。そこまで極端ではなくても、還暦間近の私が今から努力してもメジャーリーグの選手どころかプロ野球の選手になれることはない。

 そこまでではなくとも、資格取得なら努力次第で取得できるだろう。それがたとえ弁護士や会計士といった難関資格であったとしても、努力次第で可能ではあろう。だが、難関資格取得には高いハードルがあり、大概努力する前に諦めてしまうのが実際である。私も今から会計士の資格を取れと言われても、「無理」と答えるだろう。努力以前にそこまでハードな勉強をできる気力をとてもではないが持てないからである。ただ、それは「努力してもできない」ではない。

 「努力してもできない」という事は、実際には「そう思い込んでいる」だけかもしれない。「自分にはそんな能力がない」という思い込みは、努力すればできるかという以前の問題である。また、なんでもガムシャラに努力すればいいというものでもない。例えば「努力すれば東大に合格できるか」と考えた場合、ガムシャラに毎日机に向かってもダメだろう。まずは自分の力と、合格に必要な情報の入手、効率的な勉強方法は必須だろう。「ドラゴン桜」も必読かもしれない。その上での努力である。私もそういう努力の方法を知っていれば、現役合格できたかもしれない(東大は目指さなかったが・・・)。

 「正しい目標設定」、「効率の良い作業」、「適切な優先順位」、「必要な情報の確保」などがあって、そこに正しい努力が加わることによって、努力は実を結ぶとも言える。そう考えると、「努力すればなんでもできるものではない」という冷めた意見は正しくないということになる。無駄な努力に終わる事は多々あるように思われるが、それらは「努力が無駄」なのではなく、「努力の仕方」が悪かったのかもしれない。試合に勝てないのは、努力してもダメだったのではなく、相手が自分以上に努力していたか、努力の方法が間違っていたか、あるいは足りなかったのかもしれない。

 自分史の中で一番努力したのは、大学受験である。現役の時から志望を国立大学一本に絞り、滑り止めすら受けなかった。見事浪人して宅浪生活に入り、1日10時間の勉強を自分に課し、発狂しそうなくらいに自分を追い込んで、なんとか難関を突破した。今から思えば、それは「力づく」とでも言える方法であった。「現役で合格する人がいる。自分は浪人して現役よりも勉強に当てられる時間が多い」という、いわば「天才が1時間でやるところを2時間かけて追いつき、3時間かけて追い越す」方式のものである。こういう「根性式の努力」はキツい。

 50代に入って、仕事の必要性からチャレンジしたマンション管理士の資格は、3回の挑戦でモノにした。もう「根性式の努力」はできないので、効率的に作戦を練ったが、それでも3回を要したのは、今にして思えば「必要な情報の確保」と「効率の良い作業」の点で不足していたからであった。努力が実を結ぶまでに要する時間もあったかもしれない。よくよく考えてみれば、私には「努力してもできなかった」という経験がない。もちろん、なんでも思い通りにできていたわけではない。うまくいかなかったことも当然ある。ただ、それらは「努力が足りなかった」からうまくいかなかったのである。

 「根性式の努力」はキツいし、要領も悪いし、頭も悪いのかもしれない。ただ、それしかないのであれば、そういう努力をするしかない。これまでうまくいかなかった事は多々あれど、みんな「努力が足りなかった」と自分では思う。101回プロポーズするだけのことをしていれば、人生は変わっていただろうと今でも思う。小学生の頃、「やってできないことはない。努力あるのみ」と書いたのは、やっぱり真実かもしれないと思うのである・・・

Marc PascualによるPixabayからの画像

【今週の読書】
「変化を嫌う人」を動かす:魅力的な提案が受け入れられない4つの理由 - ロレン・ノードグレン, デイヴィッド・ションタル, 船木 謙一(監修), 川﨑 千歳 三体 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶





2024年4月26日金曜日

理不尽について

 職場での何気ない会話で、「理不尽」という話になった。他人事でもあって、大して気にも留めなかったが、一方で世の中は理不尽であり不公平であると思っているので、腹を立てるのも空しいと感じている。腹が立つのは、世の中が公平であると勘違いしていたり、理不尽はおかしいと考えているからだろうと思う。そういうものだと思えば腹が立つこともない。もっとも、私も最初からそのように考えたわけではなく、理不尽さに腹を立て、不公平に憤ってきた経験を経てのものである。そういう経験をしている途中の人にとっては、当然の感情だろうと思う。

 その昔、銀行員時代、最初の役付者への昇格を目指していた時の事、同じ支店で私を含めて同期が3人、昇格を目指していた。しかし、周りから言われていたのは、「1つの支店で昇格できるのは1人」という事。それを聞いて「おかしいじゃないか」とまず思った。昇格者適格者が100人いて、トップ3が同じ支店にいたとしたら、2位と3位は昇格できず、他の支店の101位と102位が昇格できる事になる。アファーマティブアクションで、優秀な白人が不合格になり、それより劣る黒人が合格するようなものだろうと思う。

 さらに私の場合、ポジションが融資係であり、他の2人が取引先係という関係にあった。当時、取引先係は収益部門の先端であり、言ってみれば「攻撃」。対して融資係は言ってみれば「守備」。当然、点を取る「攻撃」の方が評価はされやすい。ホームラン王とゴールデングラブ賞のどちらが注目を浴びるかと考えてみればわかりやすい。他の2人がボンクラであれば私にも勝機があったと思うが、客観的に見ても能力は同じであり、結果は何となく予想できてしまった。その年、同期1人が先に昇格した。「理不尽だ」と感じた最初の出来事である。

 しかしながら、今にして思えばわからなくもない。人の能力など似たり寄ったりで、よほど目に見える成果がない限り正確に比較できるものでもない。ましてや守備と攻撃とのように違いがあれば尚更である。当時、他の2人と一緒に同じ融資係をしていたら、私は一歩抜きんでていた自身があったが、逆に私が取引先係で一緒に仕事していたら、同期2人ほど実績は上げられなかったかもしれない。それを公平に評価するのは無理だろう。勢い、最終評価者(支店長)の「好み」になってしまう。

 それを全店ベースに展開すれば尚の事であり、下手をすれば人事部に影響力のある支店長の支店の者がみんな昇格すれば、それはそれでまたおかしいとなる。理不尽と感じるのは、「昇格は能力や業績によって公平に決まる」という事と、「評価が正確に行われる」という幻想を抱いているからに他ならず、それゆえに理不尽(あるいは不公平)だと感じるのだろう。当時の支店長にえこひいきをするつもりなどなかっただろうし、むしろ公平にやったと思っているだろう。「理不尽」と言われれば心外だと思うだろう。

 そう考えると、理不尽とは「一方的な思い込み」とも言える。仮に昇格した同期よりも私の方が能力が上であり、支店長が「愛い奴」というだけで昇格対象者を選んだとしても、それはそれで支店長の持つ評価基準によった評価がなされた結果で、その支店長にとっては、仕事の能力も大事だが、上司とのコミュニケーションができる方が組織にとっては大切という判断なのかもしれない。そうなれば、それはそれで1つの判断であり、おかしいとは言い切れない。理不尽とはある人物から見た偏った見方なのかもしれない。

 昭和の時代にはパワハラなんてなかった。もちろん、今の基準でパワハラに該当する行為は溢れていたが、当時はそれをハラスメントという認識はしていなかったのである。怒る方にももっともな理由があったのだろう。それは今でもあると思うが、その表現方法を間違えると、パワハラになるのである。ハラスメントも外部からそれと視認できるものがあるが、被害者となる者がそれと認識して初めてハラスメントになるというところがある。お尻を触られても、それが好意を持っている相手なら笑ってすまされるかもしれない。

 理不尽もハラスメントも絶対的なものではなく、あくまでもそれと感じた個人の思いなのかもしれない。私も前職では、赤字会社を経営能力のない社長に代わって立て直し、6年連続で黒字にしたが、最後はあっさり会社をM&Aで売却されてしまい、私は首になってしまった。社員も皆1ヶ月分の給料相当の退職金で解雇されてしまった。社長は1人で億の金を手にして引退。誠に酷い話だが、社長にしてみれば法律違反をしているわけではないし、問題とは思っていないだろう。社長にとってはそこに理不尽などないのである。腹立たしいことではあるが・・・

 人の数だけ世の中には正義がある。片方には理不尽でも片方では正義であったりする。だから理不尽はなくならない。そういうものだと考えれば、腹も立たない。理不尽に腹を立てて我が身を痛めるよりも、そういうものだと思って流せればいいと思うのである・・・

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【今週の読書】
資本主義の中心で、資本主義を変える (NewsPicksパブリッシング) - 清水大吾  三体 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶




2024年4月21日日曜日

中東紛争

 昔から中東情勢には興味を持っていたが、昨年10月にハマスがイスラエルを攻撃し、民間人を虐殺して人質を取るという大胆な作戦を実施。それに対してイスラエルがガザ地区へ侵攻して反撃と人質奪還を目指している事態には面が離せない。ウクライナ・ロシア戦争と加え、このイスラエルのガザ侵攻も私の興味を引っ張られる出来事である。いつになったら平和が訪れるのだろうと思わずにはいられない。今回の出来事は、平和的解決がまた遠のいたように思えるが、もしかしたら逆に近づくのかもしれないと思ってみたりする。

 国際世論は、犠牲者が増加の一方であることをもってイスラエルに厳しい。しかし、イスラエルからすれば、自国の民間人を虐殺され、人質まで取られたら強硬策に出るしかない。例えパレスチナの民間人に犠牲者がでようとも、であろう。そもそもであるが、以前からハマスは自国民を平気で盾に使っている節がある。病院からロケット弾を発射し、イスラエルが発射拠点としての病院を叩けば、「病院を攻撃した」と非難する。それで国際世論を味方につけようとしているのだろう。

 その国際世論を味方につけるという作戦は、今回は有効に機能している。イスラエルの絶対的な後ろ盾であったアメリカも、イスラエルに対して渋い顔をし始めている。これこそハマスが狙ったことであるのだろう。軍事力ではイスラエルに勝てない。ならば国際世論を味方につけるというのは、極めて合理的な作戦であると言える。今回、イスラエルは残るガザ南部地区に侵攻を図ろうとしている。それに対し、更なる犠牲者の増加を回避すべく、国際世論はイスラエルの攻撃に反対している。

 まさにハマスの狙い通りである。だが、味方の民間人を犠牲にするという戦術は、果たして当のパレスチナ人たちにどう思われているのだろうかと疑問に思えてならない。自分たちの選んだ代表だから仕方ないと思っているのか、それともハマスの戦術に気が付かずに利用されているだけなのだろうか。各国もイスラエルに対して自制を求めるだけで、ハマスに対して人質を解放しろと要求しているようなニュースは、国連事務総長とロシアくらいであまり目にしない。

 本来は、イスラエルを非難する前にハマス非難が先だと思うが、軍事力の大きさだけでイスラエル批判の声の方が大きく感じる。そしてここに来て、イスラエルがイラン大使館を爆撃し、新たな展開に発展する可能性が出てきた。イランも報復を宣言し、どうなるかと思われたが、事前予告付きのドローンや巡航ミサイルでの空襲で、しかもほとんど撃墜されたのにも関わらず、イランが報復終了と宣言した。これは「形ばかりの報復」のように思えて安堵していたが、イスラエルが更なる報復をした。これがどうなるのだろうか。

 双方とも、体面を維持するための「形ばかりの報復合戦」であればいいが、本格的な衝突となればどうなるかはわからない。かなり危険な傾向に思えるが、イスラエルもガザと北のヒズボラをも相手にしているだけに、イランにまで手を出すのは危険なように思う。あまりエスカレートしなければいいなと思わざるを得ない。長く続くパレスチナ問題であるが、そろそろ本格的に平和的解決を目指していけないのかと思う。

 ただ、それには「イスラエル殲滅」を掲げるハマスの方針変換が必要であり、それは内部的な動きを期待するのは難しく、やはり外圧によるしかないのかもしれないと思う。そしてその外圧とは、今回のイスラエルによる侵攻なのかもしれない。イスラエルの侵攻によってハマスが壊滅的な打撃を受け、これまでの路線変換となればそういう可能性もあるのかもしれない。そう考えれば、今回の紛争にも意義があると言える。

 どちらにせよ、平和的な解決が早く訪れことを願いたいと思うのである・・・

Eduardo CastroによるPixabayからの画像

【今週の読書】

資本主義の中心で、資本主義を変える (NewsPicksパブリッシング) - 清水大吾  三体 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶







2024年4月18日木曜日

論語雑感 述而篇第七(その34)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感

【原文】

子疾、子路請禱。子曰、「有諸。」子路對曰、「有之。誄曰、『禱爾于上下神禔。』子曰、「丘之禱之久矣。」

【読み下し】

む。子路しろいのるをふ。いはく、もろもろりや。子路しろこたへていはく、り、いのりいはく、なんぢあめつちあまつかみうぢがみいのると。いはく、きういのるやひさしかり

【訳】

先師のご病気が重かった。子路が病気平癒のお祷りをしたいとお願いした。すると先師がいわれた。

「そういうことをしてもいいものかね。」

子路がこたえた。

「よろしいと思います。誄るいに、汝の幸いを天地の神々に祷る、という言葉がございますから。」

すると、先師がいわれた。

「そういう祷りなら、私はもう久しい間祷っているのだ。」

『論語』全文・現代語訳

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 孔子の生きていた時代には、まだ医療も十分に確立されておらず、「祈り」が有効な治療方法の1つだったのだろう。今の我々の基準からすると、「祈り」に何の効果もないことは明らかであるが、今の我々の基準でも、どうにもならない事に対しては「祈る事ぐらいしかできない」 という事もあり、当時の人たちをバカにする事はできない。何もしないより、何かをしているという充足感を得られる事から考えても、祈るという効果はあると言える。そんな祈りならとっくにやっているという師匠の回答。


 何かトラブルがあり、可能な限り手を尽くしているがなかなか解決に及ばないという事は、現代の我々でもよくある。そこに後からやってきた人物が、事情を聞いて「それならこうすればいい」とアドバイスをくれるが、「そんなことはとっくにやっている」となれば、さらにイライラ度が増す事もよくある。「わかりきったアドバイスしかしないんだったら余計な口は出さないでくれ」というところである。親切心からのお節介であっても、トラブル度によっては、そんな相手の気持ちを忖度して感謝できるゆとりがなかったりする。


 先日も会社でなにやら部下がトラブルらしく額を突き合わせて相談している場面に出くわした。何か事務的なトラブルのようである。私も部の責任者として知らん顔するつもりはないが、さりとて「どうしたの?」と口を出すのも憚られるので静観していた。というのも、いくら総責任者と言ってもすべてのトラブルを解決できるわけではない。特に事務的な部分では、部下の課長の方が詳しかったりする。ならば静観して任せ、もしも事務だけでは解決できない部分を相談してきたら対応するというのがよさそうだと判断したのである。


 実際、責任者としてはトラブルには気を遣う。早く手を打たないといけないものも多いし、我関せずで済ませられるものでもない。ただ、モノによっては、小さなトラブルであれば部下を信頼して任せるというのも大事であろう。それで問題解決力が鍛えられる事もある。ましてや自分に解決力がないのであれば、ある人に任せるという事も大事であろう。問題解決力がないのに口を出すのは邪魔をしているのも同然である。何とか役に立ちたいという気持ちはわかるが、烏合の衆が増えるだけでは意味がない。


 その昔、私が駆け出しの銀行員時代の事、内容は忘れてしまったが何らかのトラブルがあって、当時の融資課のメンバーが集まってどうしようとやっていた。初めは女性社員が若手に相談し、若手がわからずに同じ課の先輩に相談し、それでもわからずに主任を巻き込み、しまいにみんなで一塊になっていたのである。そこへ鬼上司がやってきて、「わからない者が雁首揃えても邪魔なだけ」と一喝してみんなを蹴散らした事があった。その時、「確かにな」と思ったものである。


 日本人的な感覚として、困った人を放ってはおけないという気持ちがある。だから、自分が解決できないとなって先輩に相談しても、関わった以上、「それでは僕はこれで」とその場を離れるわけにはいかない。それで結局、融資課の全員が雁首揃える事になってしまったのである。子路も師匠を案じるあまりの申し出であり、それ自体責めるのも酷である。ただ、弟子の思いつくことなど、師匠はとっくにわかっているというのもある。師匠の回答に少しイラっとしたものを感じなくもないが、そんな両者の気持ちが行間から伝わってこなくもない。


 親切心とよけいなお節介はコインの裏表かもしれない。自分が困難にある時は、よけいなお節介ではなく、親切心と捉えて素直に感謝できるゆとりを持ちたい。「お前がそう言うのなら、もう少し念入りに祈ってみよう」と言えるようでありたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

資本主義の中心で、資本主義を変える (NewsPicksパブリッシング) - 清水大吾    三体 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶





2024年4月15日月曜日

休みの日に考える

 週末はだいたい同じように過ごす。土日どちらか1日はシニアラグビーの練習に行き、どちらかは実家へ行って家事をこなす。本当は家でのんびりしていたいところであるが、どちらも好きでやっているので致し方ない。忙しく過ごしているようであるが、移動中はいろいろな事を考えたりする。主なものは、仕事とラグビーである。仕事については気になっている事であり、ラグビーについては試合中のプレーについてのあれこれである。「この前のあのプレーはああすれば良かった」とか、「こういうシチュエーションではこんなプレーをしてみよう」など妄想は限りない。

 仕事について考えていると、そう言えば昔、支えた支店長に「休みであっても仕事の事が頭に浮かぶようでなければダメだ」と言われたのを思い出す。「仕事の報酬は仕事だぞ」とか、最終的に結婚式の仲人までしていただいたその支店長にはいろいろとご指導いただいた。しかしながら、当時の私にはそのご指導を受け入れる心構えができていなくて、「休みの日にまで仕事の事なんか考えていられるか」、「そんな報酬いらねぇよ」と心の中で毒づいていたのである。今となっては、誠に恥ずかしい限りである。

 と言っても、その後の人生で仕事人間になったというわけではない。基本的な考え方は変わっていない。休みの日には仕事よりプライベートが大事であり、仕事は生きるためにしているのであって、仕事のために生きているわけではない。ただ自然と気になって、気づくと考えてしまっているというだけである。ラグビーのプレーに関する妄想と同じである。この週末は、週明けの会議で役員間で認識の相違がある問題について、どう説明しようかとあれこれ考えていた。説明の仕方によっては相互理解が遠のくと思う問題である。

 それは売り上げ目標の考え方によるもの。現場を担当する役員は、役員会で業績報告をするのだが、説明を聞いても目標を達成できるのかどうかわからないのである。よくよく分析したところ、その原因がようやくわかったのである。経営計画で立てた数値目標は、いわる「成り行きベース」の計画よりも高い。成り行きベースで頑張っても計画は達成できない。計画と成り行きベースとのギャップを「経営陣」が考えて埋めていかないといけない。ところがその役員は現場の各プロジェクトの報告を事細かにしてくれるのだが、「計画との差異」についてはそれが及ばない。大事なのは「その差異をどう埋めるか」である。それを議論しないといけないのに、そこが抜け落ちてしまっている。それをどう説明するかとあれこれ考えていたのである。

 人の心を占めるものは人それぞれである。その時々で気になる事が、優先的に脳内を占拠する。それが趣味であったり、仕事であったり、気になる女性であったりするわけである。仕事人間ではないと言いつつも、仕事の事が脳内を占めるという事は、それだけ仕事の事を気にしているという事になる。それ自体、否定するつもりはなく、事実その通りであると思う。ただ、休みの日にまで仕事の事が脳裏を離れないと言うと、仕事中毒なのかという気がしなくもないが、結局、自分がやっている事をなんとかうまくやろうとすればあれこれ考えるだろうというものである。そこに仕事も趣味も違いはない。

 そう考えてみると、客観的に「仕事が趣味」になっているのではないかという気もするが、突き詰めて考えると、「趣味とは何か」という事にもなる。「好きでやっている事」と言えばその通りであるが、仕事は「好きでやっている」というより、「やっている事を好きになっている」という方が正しい。詭弁のようではあるが、「楽しみながらやっている」のは間違いない。だから気になる事が脳裏をかすめるのであろう。ただし、前向きの事であればそれほど考えても苦にならないのは確かであるが、苦しいのは悩みの場合だろう。

 過去に何度かそういう事があった。前職では社長に頼られて会社の代表権を持つことになった。肩書は「代表取締役副社長」である。ところが、代表権を持った途端、会社の借り入れに保証を入れるように要求された。銀行ではなく、東京信用保証協会である。公的機関なのにと思いつつも、会社にとって必要な借入だったので判を押した。ところがさすがにその時は悩んだ。保証といっても金額は7,000万円であり、とても個人で返せるものではない。万が一の時には家も含めて財産を失う事になる。自分で立ち上げた会社ならまだしも、請われて入った会社にそこまでする義務はない・・・

 どうしようか悩みに悩んだが、その間は寝ている間も夢に見て目が覚めた事もあった。銀行員時代にもあるトラブルから眠れないほどの苦悩に襲われた事があったが、同じ仕事の考えであっても、夜中に目覚めるほど悩むようなものはやはり避けたい。趣味の分野ではそんなことはないが、そこがやっぱり仕事と趣味との大きな違いなのであろう。夜中にうなされるが如く目覚めて寝られなくなるのと比べれば、あれこれ楽しんで考え事をするならいいと思う。それが仕事の事であっても、その過ぎゆく時は幸いである。週末にあれこれ考えるのであれば、たとえ仕事であっても心穏やかに考えられることであれば良しとしたいと思うのである・・・

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    【本日の読書】
脳の闇(新潮新書) - 中野信子  三体 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶






2024年4月11日木曜日

同窓会

 昔の支店時代の同窓会に出席した。その支店には、私が銀行に入って2年目の1989年11月に初めての転勤で赴任したのである。集まったメンバーはその時の支店長、次長を初めとして、当時の私の上司、先輩、同僚の女性ら12人である。支店には継続的に大勢の銀行員が転入転出する。同窓会と言っても支店経験者でいけば数限りない。大概、ある支店長を中心にした集まりとなるのが通例であるが、昨日も同様であった。当時の支店長は私の着任後、数か月後には転出されており、実際に一緒に仕事をした期間は短かったが、それでもギリギリ対象としてお誘いいただいたのである。

 もうすでに35年ほど前になる。当時の支店店舗は、今はもう取り壊されてマンションになってしまっている。昔話に花が咲く。私も20代だったし、最年長の次長も40代後半。みんな今の私よりはるかに若かった。面白いもので、お互いに話をしていると、忘れていた記憶が戻ってくる。当時、私の仕事上の責任は軽く、支店経営の懊悩など知るよしもなかったが、次長が業績表彰に入れなかった事を悔し気に語ってくれた。私は入行から12年間で4ヵ店を経験し、以後は支店勤務から離れたため、支店経営には携わっていない。自分の経験していない苦労の一端を伺えたところである。

 幹事を務めたのは私の直属の上司であった方。正直言って、その方が幹事だったから参加したと言っても過言ではない。仕事で成果を挙げるためには、人間性など二の次という考え方もあるかもしれないが、仕事を離れてもなお「お会いしたい」と思われるのは人間性以外にない。「仕事の切れ目が縁の切れ目」となるか否かは、その上司の人間性にかかっているとつくづく思う。強権政治で部下を厳しく管理して成果を挙げさせるのもやり方であり、否定すべきものではない。給料をもらうのは成果に対してであり、人間性に対してではない。ただ、「仕事の切れ目が縁の切れ目」となるか否かだけである。

 35年も経つといろいろな変化がある。今回、幹事の元上司は約30人ほどに声をかけたそうである。行方のわからなくなっている者もいれば、物故者もいる。亡くなった方の名前を聞いて、それほどの年でもないのにと思わずにはいられない人もいる。35年後にはこの世にいないなんて当時は想像すらしなかったが、一時期、同じ職場で働き、会話をした間柄としては、何とも言えない気分になる。そこでもやはり深く残念に思うのは人柄の良かった人であるのは同じである。あまりいい印象を持っていない人については、「あぁ、そうなんだ」という程度でそれほど感慨はない。

 今回の楽しみの一つは女性陣との再会であった。当時はお互いに20代だったわけであり、当然異性としての意識は大きくあった。当然ながら35年経つとみんなそれなりの年齢になっており、世間的にはおじさん、おばさんなのであるが、「相対年齢」は変わっていない。今も昔のイメージのままであり、当時と同じ感覚が生きている。若手同士でしばしば旅行に行ったこともあり、それらの思い出も蘇る。その支店時代で一番楽しかったのは、90年代に入って私の下の年次が増えてからである。次の支店長の時代であり、昨日の集まりとはちょっとズレている。そこが残念であったとも言える。

 それにしても、今はお互いに何の遠慮もない関係のはずであるが、やはり支店長は今でも支店長であり、当時若手だった私からすると今でも精神的な距離感はある。世間的にはもう引退されているが、こうして集まると今でも「支店長」なのである。「支店長」は「支店長」であり、「次長」は「次長」であり、この関係はずっと変わらないものなのかもしれない。今では半数以上の方が引退されており、まだまだ働かないといけない我が身からすると羨ましい限りである。

 「またやろう」ということで散会。次はいつになるかはわからないが、個人的には「係」レベルで集まりたいと思う。年齢を経れば、歩いてきた道の方が長くなる。こういう機会も増えてくるが、まったく集まることのない集まりもある。幹事を引き受ける人次第というところもあるが、せっかく続いているのだし、次回があるならまた参加したいと思うのである・・・



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【本日の読書】

脳の闇(新潮新書) - 中野信子 三体 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶




2024年4月8日月曜日

存在感

 私が常日頃こだわっているのは、「自分の存在感」である。私がいるのといないのとではその組織において何が違うのか。「居ても居なくても同じ」では、私など無価値だと言うのに等しい。そこには自分的にこだわりを持っている。かつて「会議で発言しないのはいないのと同じ」と言われた事があるが、それも同じ理屈であると思う。発言するからこそ、その会議に出席している意味があるのであり、さらにその発言によって会議の結論にでも影響を及ぼすのなら、その「存在感」は増すというものである。

 自分がその組織に所属したことによって何が違うのか。かつて銀行の新人だった頃、先輩に「何でもいいから自分の足跡を残せ」と教えられた。その先輩は乱雑だった書庫を整理したそうである。新人だから大したことなどできるわけもない。だが、書庫の整理ならできる。その先輩は、書庫をきっちりと整理して支店のみんなから喜ばれたという。それも立派な「存在感」である。私も、さっそく担当を任された住宅金融公庫の申込書類を整理し、申込から貸付までの段階を顧客ごとに一覧できるようにして上司の感心を勝ち取った。

 以来、どこへ行ってもそれを常に心掛けている。新人であれば大した事ができるわけでもない。何をするにしてもハードルは低い。それが年次を経ればハードルは高くなる。今の私の年次で書庫の整理などしてもそれで存在感が増すかと言えば、ゼロではないがインパクトは薄いだろう(それでも整理して外部に借りていた倉庫を返して賃料削減には貢献したが・・・)。やはりそれなりのインパクトのある仕事をしないと周りに存在感は認めてもらえない。

 前職の不動産業の会社では、赤字に低迷していたところに取締役として入社し、赤字経営からの脱却に向けて徹底的に会社の仕組みを変えた。外注していた清掃業務を内製化し、私もハウスクリーニングを率先してやった。不動産の売買は厳格に利益管理し、主力の業務を賃貸業務に切り替えた。マンションの管理組合に参加してマンションの共用部分の工事を請け負った。仕事のない社員に営業を担当させ、私も同行してやり方を共に考えた。それらによって在籍していた6年半で赤字を一掃して最後の年は史上最高の黒字を計上してみせた。その後、社長に裏切られて社員もろとも追い出されたが、存在感は出せた。


 縁あって今の会社に入ったが、考え方は同じで、自分の存在感を出すためにいろいろやっている。転職フェアへの出展などは初めての試みで無事採用に繋げたし、M&Aで会社を購入するというのは業績に大きなインパクトを残せた。それまで社長自ら財務に深く関わっていたのを私がやることによってその負担をなくした。今では簡単な月次報告で満足していただいている。外部の株主との交渉も主導したし、新入社員の社内研修は今ではすべて私が企画している。役員だからこのくらいやって当然なのであるが、自分の「存在感」は出せていると思う。


 存在感にこだわるのは仕事だけではない。シニアラグビーにおいても然り。自分がチームに加わって良いのか悪いのか。チーム内では熾烈なポジション争いがあるわけではなく、試合ではみんなが出場できるように配慮がされている。しかし、「メンバーに入って欲しい」と思われるか否かはまた違う。私の場合は、幸いタックルが評価されている。チームメイトから体を張ったタックルで信頼感を得られており、たぶん「メンバーに入って欲しい」と思ってもらっている。それで自分の存在感を出せていると思う。


 先週、我が社も新入社員を迎えた。私も社内での研修を企画・主導した。その時にそんな「存在感」の話をした。「新人だから」と言わずに、何か小さな存在感を出すように心掛けて欲しいと伝えた。私が新人の頃、先輩の「足跡」の話に感化されたように、10人の新入社員の誰かの心に影響を及ぼせたなら、それもまた私の「存在感」とも言える。「居ても居なくても同じ」と言われるのは寂しいものである。それよりも「あの人が来て変わった」と思われるようになりたい。


 そんな風にこれからも自分の「存在感」にはこだわっていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

脳の闇(新潮新書) - 中野信子   成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ - 宮島未奈






2024年4月5日金曜日

息子との会話

 先週末、私の実家へ息子を連れて行った。受験を理由に正月も行かなかったので、合格の報告を兼ねて連れて行ったのである。両親ともども孫の大学合格を喜んでくれ、少ない年金から合格祝いまで出してくれた。私としてもいい親孝行ができたなと喜ばしく思う。そして、いい息子を持ったとも。何より良かったのは、往復の車中。2人っきりで車中、いろいろな話をした。一緒に住んでいるとは言え、家では普段あまりじっくりと話すこともない。それが今回ばかりはゆっくりと話ができたのである。

 大学に入って何をすべきか、何をしたいか。大学は高校と違って11人の学生の面倒を見てくれない。「4年間で◯単位取れば学位を与える」と言うだけである。サボっても怒られることはない。ただ、単位を取らなければ学位がもらえない(=卒業できない)だけである。ゆえにすべて自分次第である。私の学生時代は、「いかに授業に出ないで単位を取るか」をみんな考えていた。みんなそうして平均週5コマ(1コマ90分)くらいしか授業に出ていなかったところ、私は12コマ出ていた。勉強したかったのである。

 息子がどんな考えを持っているかはわからないが、4年間どう過ごすかはすべて自分次第。いい加減に過ごすのも、いろいろチャレンジするのも自分次第。後から「あの時◯◯しておけば良かった」と後悔しない様、スタートに立っている今こそよく考えてごらんと息子には語った。何より自分の人生である。勉強して合格を勝ち取った自分の大学である。私からは「勉強しろ」とは言わなかった。勉強は人から言われてするものではない。学費は出すので、勉強をする環境は与えられる。あとはそれをどうするかは自分次第である。

 私も自分の大学時代を振り返って後悔はない。あえて言うなら、14コマ、15コマ出たかったということくらいだろうか。しかし、時間は限られているし、勉強だけが学生生活でもない。できる限りのことはやったので、後悔はない。もう一度学生時代に戻りたいかと問われれば、「戻りたい」というよりも、いろいろな経験を積んだ今、「改めて大学で学んでみたい」という表現が正確かもしれない。まだできる可能性もある話だし、将来の楽しみとしてそんな選択肢も取っておきたいと思う。

 息子は第二外国語の選択でスペイン語を選んだと言う。意外な感じもした。私はと聞かれ、「ロシア語」と答えた。なぜと問う息子に、天邪鬼な性格ゆえと答えたが、当時はドイツ語かフランス語かという雰囲気で、最もマイナーな言語を選んだのである。もっとも、第二外国語の選択肢は中国語を加えて4つしかなかったので、息子の大学の方が選択肢は広い。自由に選んでいいと言われていたら、間違いなく選んだのはアラビア語である。これは今でも変わらぬ気持ちである。これもいずれ学んでみようかと思う。

 息子とそんな会話を交わしながらの車中は楽しいひと時。「海外留学も考えてみたらどうか」という私の意見に「そうしたい」と力強く答える息子。私もそういう気持ちがなかったわけではないが、そこまで深く考えずに終えてしまったところ。息子にはいろいろと経験させたいと思う(お金、大丈夫かなという不安はある)。自分がこれから迎えるわけではないのに、息子の4年間を想像すると楽しい気分になる。大学どころか高校にすら行けなかった我が父。今は孫がいろいろな可能性を秘めて大学の門を潜った。父の苦労も実を結んだと言える。

 翻って、会社では新入社員10名を迎えた。自ら企画した社内研修で、これから本格的に社会人として自立していく新人に、自らの思いも加えて話をした。10年後に「あの時に戻ってやり直したい」という事のないように。もしかしたら未来の自分が後悔の念を今の自分に送っているかもしれない。エンジニアは技術職。自らの技術を磨けよと伝えた。どれだけ伝わったであろうか。少しでも多く、伝わったのであればやった甲斐もあろうかというものである。

 いずれにせよ、これからの希望に満ちた若者と話をすることは、自分にとっていい刺激である。自分も人生が終わりではない。まだ先の道のりはある。若者たちに負けないよう、そして後に若者たちの参考になるようなものが残るように、切磋琢磨を続けたいと思うのである・・・

 

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【本日の読書】

安倍晋三黙示録 『安倍晋三 回顧録』をどう読むべきか - 西村幸祐 成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ - 宮島未奈