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実家に帰って少し片付けを手伝ったが、私のものがいろいろと出てきた。小学校の時の文集なんかもその一つ。懐かしいなとパラパラめくって自分の文章を見つけた。そこには「やってできないことはない。努力あるのみ」と書かれていた。何となくそんなことを書いた記憶がある。この頃から、「努力」という言葉が自分につきまとっていたようである。当時、「努力すれば何でもできる」と思っていたことは間違いない。ただ、大人になってわかったのは、「努力しても必ずしもできるわけではない」という現実。冷めたようであるが、それが現実であるのは間違いない。
しかし、ふと考える。「果たして本当にそうであろうか」と。「努力してもできないものがある」としたり顔をして思うが、一方で「それだけ努力したのか」とも思う。「中途半端に努力して終わっているだけではないのか」と。「できるまで努力すればできるのではないか」と。そう考えると、この問題は難しい。もちろん、誰でも努力してもできないことはある。人間は努力しても空は飛べないし、200歳まで生きられない。そこまで極端ではなくても、還暦間近の私が今から努力してもメジャーリーグの選手どころかプロ野球の選手になれることはない。
そこまでではなくとも、資格取得なら努力次第で取得できるだろう。それがたとえ弁護士や会計士といった難関資格であったとしても、努力次第で可能ではあろう。だが、難関資格取得には高いハードルがあり、大概努力する前に諦めてしまうのが実際である。私も今から会計士の資格を取れと言われても、「無理」と答えるだろう。努力以前にそこまでハードな勉強をできる気力をとてもではないが持てないからである。ただ、それは「努力してもできない」ではない。
「努力してもできない」という事は、実際には「そう思い込んでいる」だけかもしれない。「自分にはそんな能力がない」という思い込みは、努力すればできるかという以前の問題である。また、なんでもガムシャラに努力すればいいというものでもない。例えば「努力すれば東大に合格できるか」と考えた場合、ガムシャラに毎日机に向かってもダメだろう。まずは自分の力と、合格に必要な情報の入手、効率的な勉強方法は必須だろう。「ドラゴン桜」も必読かもしれない。その上での努力である。私もそういう努力の方法を知っていれば、現役合格できたかもしれない(東大は目指さなかったが・・・)。
「正しい目標設定」、「効率の良い作業」、「適切な優先順位」、「必要な情報の確保」などがあって、そこに正しい努力が加わることによって、努力は実を結ぶとも言える。そう考えると、「努力すればなんでもできるものではない」という冷めた意見は正しくないということになる。無駄な努力に終わる事は多々あるように思われるが、それらは「努力が無駄」なのではなく、「努力の仕方」が悪かったのかもしれない。試合に勝てないのは、努力してもダメだったのではなく、相手が自分以上に努力していたか、努力の方法が間違っていたか、あるいは足りなかったのかもしれない。
自分史の中で一番努力したのは、大学受験である。現役の時から志望を国立大学一本に絞り、滑り止めすら受けなかった。見事浪人して宅浪生活に入り、1日10時間の勉強を自分に課し、発狂しそうなくらいに自分を追い込んで、なんとか難関を突破した。今から思えば、それは「力づく」とでも言える方法であった。「現役で合格する人がいる。自分は浪人して現役よりも勉強に当てられる時間が多い」という、いわば「天才が1時間でやるところを2時間かけて追いつき、3時間かけて追い越す」方式のものである。こういう「根性式の努力」はキツい。
50代に入って、仕事の必要性からチャレンジしたマンション管理士の資格は、3回の挑戦でモノにした。もう「根性式の努力」はできないので、効率的に作戦を練ったが、それでも3回を要したのは、今にして思えば「必要な情報の確保」と「効率の良い作業」の点で不足していたからであった。努力が実を結ぶまでに要する時間もあったかもしれない。よくよく考えてみれば、私には「努力してもできなかった」という経験がない。もちろん、なんでも思い通りにできていたわけではない。うまくいかなかったことも当然ある。ただ、それらは「努力が足りなかった」からうまくいかなかったのである。
「根性式の努力」はキツいし、要領も悪いし、頭も悪いのかもしれない。ただ、それしかないのであれば、そういう努力をするしかない。これまでうまくいかなかった事は多々あれど、みんな「努力が足りなかった」と自分では思う。101回プロポーズするだけのことをしていれば、人生は変わっていただろうと今でも思う。小学生の頃、「やってできないことはない。努力あるのみ」と書いたのは、やっぱり真実かもしれないと思うのである・・・
Marc PascualによるPixabayからの画像 |