週末ともなれば、いそいそとグラウンドへ向かう。シニアのラグビーを初めてもう何年になるだろうか。その昔、シニアの試合を観た時に思ったことは、「こんなのラグビーとは言えない」というものであった。確かにラグビーの試合はしているが、動きも遅いしタックルは曖昧だし、プレーにピリッとした締まりがなく、ダラダラとやっているイメージで、「自分はこんなラグビーはやりたくない」と思ったのである。こんなラグビーをやるくらいなら、スッパリ足を洗ってテニスなりゴルフなりシニアでもそれなりにできるものにしようと。
しかしながら、「ちょっとランニング代わりに走る程度」と思って始めたら、「もうちょっと、もうちょっと」と、だんだんと頻度が上がっていき、気がついたら試合に出ている有様である。今加入しているチームは、毎試合ビデオ撮影をしていて、それはすぐにYouTubeにアップされるようになっている。試合後にそれを観ていつも自分のプレーに愕然としている。パスのスピードは遅いし、パスだけでなく、走るのも含めて全体的にゆっくりである。いつも学生の試合を観ているので、その違いは歴然としている。何のことはない。いつか自分が批判した締まりのないラグビーそのものである。
もっとも、実際の試合ではそんな感覚はない。自分なりに現役時代と変わらぬスピードで走っている感覚だし、パスも然り。相手のスピードも同様である。それがビデオで観るとそうではない。おそらく相対性理論が働いていて、グラウンドの中で流れている時間と、それを外で見ている時間の流れとが異なっているのだろう。私が属しているのは、40〜50代の試合だが、60〜70代の試合の時間の流れもまた違う。グラウンドの中で流れる時間は変わらないから、昔のように試合をしている感覚なのである。
「生涯スポーツ」という言葉がある。文字通り歳を取っても楽しめるスポーツのことであり、イメージとしてはゴルフやランニングやテニスもそうだろうと思うが、ラグビーは間違いなく違うと思っていた(というより思っている)。一体、何歳までできるのが生涯スポーツの定義なのだろうかと考えてみるも、70代の人が試合をしているのを観ると、ラグビーも立派な生涯スポーツではないかと思ってしまう。そうは言っても、どこかでそれを否定したいという気持ちが拭えないのは、やっぱり幾つになってもできるスポーツではないと思いたいからかもしれない。
先日は、試合の予定だったが、あいにくの雨。試合は雨中のものになった。思えば高校生になってラグビーを始めた時、「ラグビーの試合は雨でも中止にならない」と言われた。ラグビーはイギリス発祥の「紳士のスポーツ」。「紳士は一度試合をすると約束したら雨ぐらいではやめないから」と説明されたように思う。真偽は定かではないが、事実、雨中の試合は多々あった。だが、学生ならともかく、社会人になってもまだ雨の中やるんだと自分でも呆れたが、雨でもやるのである(ちなみに、雨でグラウンド管理者が使用を認めないため中止になるということはある)。
40〜50代の試合は普通のルールでやる。60代以上になると、「スクラムは押さない」など安全に配慮したルールを適用することはある。したがって遅いとは言え、普通にぶつかり合いがあるので怪我もする。それは仕方がないのであるが、若い時と違ってこれがなかなか治らない。治癒力も確実に落ちていくのだろうから仕方ないのであろう。学生時代は連日トレーニングをして体もできていたが、今はそうではない。はっきり言って練習不足であるから余計である。
それなのになぜそんなに痛い思いをしてまでやるのだろうか。自問自答するまでもなく、それは「楽しいから」に他ならない。試合が終われば反省点だらけ。ならどうするかと考えて練習する。それで次の試合に上手くできれば満足であるし、できなければまた練習する。その繰り返し。良いプレーができれば気分がいい。その充実感こそが醍醐味であると言える。
試合の翌日は、重い体を引きずって仕事に向かう。ラグビーだけをしていられた学生時代とはそこが違う。されど、重い体とは裏腹の充実感が仕事にも生きる。仕事とラグビーと、どちらの引退が先になるかはわからないが、どちらも生涯現役とまではいかないが、少しでも長く続けられるよう頑張りたいと思うのである・・・
Pete CurcioによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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