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子供の頃、「金持ちの家に生まれたかったな」とよく思ったものである。親の苦労など何も知らない子供の無知な発想である。ただ、人は誰でもお金を求めるものだろうし、そういう意味ではあまり責められるべきものでもないかもしれない。人は欲望の生き物であり、その満足はとどまるところを知らない。「給料が10,000円でも上がれば嬉しい」と思っていて、実際に10,000円上がれば喜ぶものの、しばらくすればまた「あと10,000円上がればいいのに」と思っている。
お金を無制限に使える身分だったらどんな生活を送るだろうかと夢想してみる。会社なんて辞めて毎日遊んで暮らすだろうか。「仕事が辛い」と思っている人だったら迷わずそうするのだろうと思う。しかし、自分は「仕事が楽しい」と考えている。故にそういう身分になれたとしても今の仕事は辞めないだろう。「給料をもらうため」に働くことから、「楽しむため」に目的が変わるだけのことであり、仕事は続けるだろう。もしかしたら、有り余る資金力を活かし、後継者のいない会社を買い取って経営者に転じることはあるかもしれない。ただ、遊んで暮らそうとは思わない。
高級車でも買うだろうかと言えば、そういう趣味もない。以前、フェラーリ好きのご近所さんがいた。若くして起業し、成功した方で、我が家の目の前に豪邸を建てて真っ赤なフェラーリに乗っていた。しかし、あまり車に興味を持たない私としては、フェラーリを乗り回したいとは思わない(けっして負け惜しみではない)。車は買い換えるかもしれないが、選定は家族に任せるだろうし、自分で選ぶとしても故障の少ない国産車を選ぶだろう。贅沢をするとなれば洗車を含めたメンテナンスをどこかにお金を払って頼むくらいだろう。
飲む・打つ・買うで考えると、酒はもともとあまり飲む方ではないので使うと言っても高が知れている。ワインもそれほど好きではないので高級ワインを飲みたいとも思わないし、せいぜい愛飲しているジャック・ダニエルくらいだろうが、それだと大して金のかかるものでもない。ギャンブルはやらないし、やりたいとも思わない。株式投資くらいはそこそこやるからそこでは使えるだろう。
女につぎ込むのは魅力的だと思うが、金だけの関係というのも好みではない。やはり女性は自分の魅力で口説くのがいいのであって、「その結果として」つぎ込むならありだろううが、最初からつぎ込むのはオレ流には合わない。これまでにも女性を囲う金持ちを見聞きしたこともあるが、あまりかっこいいものでもない。好きなラグビーはお金をかけたくてもかけるところがない。やるとしたら、国立競技場を1日借り切って試合をしてみるくらいだろうか。そのくらいなら使い甲斐はあるだろう。
もしも100億円くらいあったら、NPO法人でも設立して、奨学金制度を設けてお金に困っている学生の支援をしてみるのもいいかもしれない。それは世の中のためというより、そうすることが心地良いことに思えるからである。そんな風に考えてみると、お金を使うとしたら自分自身のことより、そういう心地良いことに向かいそうに思う。考えてみると、もともと貧乏性のところがあり、贅沢などしたことがないからそういう感覚が染み付いているのだろう。綺麗事を言う訳ではなく、使い方を知らない無知故なのだろうと思う。
囘と言う人物ももしかしたらそうなのかもしれないと思う。今の自分の身の丈で楽しむ術を心得ており、それ以上にあえて求めないのかもしれない。以前、「清貧」という言葉がもてはやされたが、貧しいことを好む人間などそうはいないと思う。ただ、楽しみを求めない人間もいないと思う。何が楽しみなのかはその人次第。囘も己の置かれた環境の中で、ただただ、日々を楽しんでいたのかもしれない。それで賢者と言われるのであれば、なんと素晴らしいことであろう。
私も囘と同じと言うつもりはない。お金があればあったで、それに応じた使い道を考えるだろう。ただ、それはそれとして、日々の仕事を楽しみ、週末のラグビーを楽しみ、ジャック・ダニエルをチビチビやりながら観る映画を楽しみ、国産車を心地よく乗り回し、たまに友人と居酒屋に行くことは変わらず続けるだろう。それがたまらなく心地良いし、それでもしも後世の人に賢人などと言われたら、実にラッキーだと思うのである・・・
【本日の読書】
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