不動産会社からシステム開発会社に転職してはや2ヶ月弱。業種的にはまったく異なるが、「総務」という観点からはあまり関係がない。銀行に入った時は、お金のことに詳しくなれば銀行を辞めてもどこかの企業で財務部長くらいになって食っていけるだろうという漠然とした思いがあったが、財務を専門にしていると、業種に捉われなくてもいいという利点があると改めて思う。とは言え、中小企業ゆえに財務部などと独立したものはなく、財務兼人事兼の総務である。
そんな総務部に着任して、本業の財務の把握が落ち着いたところで個人的に問題意識を感じているのが「メンタルヘルス」である。既に社員が3人も休んでいる。医師の診断はみんな同じ「適応障害」。適応するのに障害があるというなんともよくわからないようで、適したような診断である。調べてみたら、実はIT関連業界は適応障害に罹る比率が高いようなのである。在宅勤務や客先常駐などの勤務形態がそれを助長しているらしい。1日パソコンに向かい、人との交流が少なくなりがちな環境が良くないのであろう。
なんとかしたいと思うのはいいが、まず困るのは「症状について想像がつかない」ということ。頭が痛いだとか熱があるとかならわかるが、「適応障害」という症状については想像がつかない。その昔、銀行の敬愛する先輩が過去に鬱になって銀行に行けなくなったという話を聞いたことがある。その時にも思ったのだが、自分にはそういう経験がない。冬の朝、布団から出たくないといった類の「会社に行きたくない」という感情ならわかるが、家を出て会社に向かう途中で苦しくなってしまうというのはもう理解の範囲外である。
その昔、私も大失敗をして何千万円という損害を出してしまったことがある。さすがにその時は堪え、周りの視線も痛かったし、出勤すればその瞬間から針のむしろであった。しかしながら、そんな針のむしろであったが、「行きたくないな」と思いつつ毎日きちんと出勤した。休んだ方が精神的には楽だったが、休めば当然「そういう目」で見られるし、それよりもむしろ針のむしろの方がマシだという感覚が働いたのである。その時、「会社にいけなくなるのってこういう気持ちなんだろうか」とは思ったが、結局出勤できていたのでそれが本当にそうであったかどうかはわからない。
銀行を辞める時も実はゴタゴタがあって、夜眠れないという経験をした。食欲もなくなり、寝ても夜中に何度も目が覚めてしまう。一日中、心ここに在らずという状態で、家族との会話も上の空であった。また、一昨年は会社の借り入れの連帯保証をし、会社がダメになったら自己破産というプレッシャーからやはり眠れなくなった。会社の状態も不安定だっただけに、恐怖感溢れていた。不安なまま眠ると夜中に夢を見て目が覚めてしまう。経営者であればそういう経験をしている人も多いだろうが、実に嫌なものである。それでも会社に行けなくなるというところまではいかなかった。
思うになんとなく自分には心のヒューズみたいなものがあって、ストレスが一定の限度を越えてしまうとそれが飛んでそれ以上のストレスを感じなくなる何かがあるようである。「なんとでもなれ」というような感覚になってしまい、ストレスを感じなくなるのである。見方によっては責任の放棄ともとれるかもしれないし、開き直りなのかもしれない。人の輪の中にいるよりもむしろ1人でいたいと思うから、孤独なエンジニアの気持ちなど想像しようもないが、自分なら耐性があるようにも感じる。
外部からのストレスに対する耐性は人それぞれである。血を見て卒倒する人もいれば平気な人もいる。痛みに大げさに反応する人もいればそうでない人もいる。「覚悟」もそれには影響するだろう。体の大きさが人それぞれであるように、心の耐性もまた人それぞれである。それに「慎重」の裏返しは「優柔不断」であるように、「メンタルの弱さ」は「責任感の強さ」かもしれない。自分は割とストレス耐性が強いと思うが、だからと言って弱い人を「軟弱だ」とは思いたくないと思う。
人事部も兼ねる総務部としては、社員のメンタル問題について考えないといけないと思っているが、自分自身想像がつかない領域なだけに苦手意識があるのも事実。さてどうしたらいいのだろうと思案しているところである。想像がつかないと言い訳する一方、それに反してなんとなく医者に対する不信感のようなものもある。心の不調を訴えて医者に行けばまず間違いなく「適応障害」などと診断を下すように思う。それは心の中という見えない世界である以上、医者としては「なんでもない」とは診断し難いだろうと思うのである。必然的に診断を下した方が無難であることは想像に難くないわけであり、返ってそう感じてしまうところがある。
そんなことを言い出せば、問題解決から遠くなってしまうので、その疑惑はとりあえず封印して考えようと思う。自分はメンタル耐性があってよかったと思う一方、なんで耐性があるのかはよくわからない。それはもともとの脳の働きなのか、それとも「考え方」なのかもしれない。少年時代に松本零士の漫画を読んで感化された影響かもしれないし、その両方なのかもしれない。それはともかくとして、自分は大丈夫だからという上から目線ではなく、同じ視線の高さで真摯にこの問題を考えてみたいと思うのである・・・
Free-PhotosによるPixabayからの画像 |
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