2021年6月27日日曜日

試合と練習

 週末は、いつもシニアラグビーの練習で汗を流している。この練習であるが、普通練習はなんのためにやるのかと言えば、当然「試合のため」である。試合に勝つためにそれに必要な練習をするわけである。当たり前のことであるが、シニアスポーツの場合は必ずしもそういうわけではない。「試合のため」という目的の人ももちろんいるが、「健康のため」という目的のための人もかなりいる。それはそれで悪くはない。試合がすべてではないし、スポーツの目的は試合もそうだが、根本には「楽しむこと」があると思うからである。

 私も最近はそんな風に考えているので、あえて試合にはこだわらない。幸い、所属しているチームは50代の選手が少ないというチーム事情もあって試合数が少ない(シニアラグビーは年代別に試合を組んでいる)。友人の中には、試合数の多いチームで数多くの試合をこなしているのもいるが、私はあえて試合機会を求めてそういうチームに移籍しようとは思わない。どちらかと言えば、毎週汗を流して心地よい疲労感を感じることで満足しているのである。

 この週末、知り合いのチームから助っ人を頼まれて、某所で行われている大会の試合に出場した。試合を目的とはしないと言っても、「人が足りない」と言われればそこは無碍には出来ない。チームスポーツである以上、試合をするには一定数のメンバーを集めないといけない。メンバーが足りなくて試合ができないというのはなんとも無念なところ。なのでそういう声がかかった時は基本的に断らない。かくしてほぼ2年ぶりくらいに試合に出場したのである。普段、平日は走らないが、先週は3日間走って準備をしての参戦である。

 合流したチームには、知った顔がいるとは言え、助っ人は他にもいてチームを組んでの試合となると事前の打ち合わせが必要である。特にサインプレーの確認はしておかないといけない。お互い経験者だし、このあたりは試合前に何回か練習を繰り返せばそこそこ合わせられるようになる。シニアゆえに正式の40分ハーフの半分、つまり20分ハーフ(前半後半それぞれ20分)である。出番は後半の20分のみ。それだけ考えると気楽である。しかし、試合が始まるとわずか5分で息が上がる。いくら練習をしているとは言え、練習と試合は違う。練習は途切れ途切れの繰り返しであるが、試合は基本的に連続である。息が上がるのも当然である。

 息が上がると、意識レベルが下がるし、当然反応も鈍くなる。何より走れなくなる。これを「年(年齢)」と捉えるともう改善の余地はない。なぜならこれから若くなることはないからである。だが、「練習不足」と捉えるとそうではない。私は「練習不足」と考えている。なぜなら、学生時代や社会人ラグビーの現役時代は、しっかり練習を繰り返してこの「息が上がる」を克服していたからである。息が上がった状態で練習を繰り返すことにより、試合で走れる体力を維持できるのである。

 試合は、なんと私が「シンビン(10分間の一時退場)」を宣告されて20分のうち10分しか出られないというアクシデントに見舞われる。それでもたった10分なのに普段の2時間の練習より疲労度は大きく、また体のあちこちが痛い。いつの間にかできた打撲で帰り道はビッコを引き、マツモトキヨシで湿布薬を買い込んで貼っている有様である。思うように走れないし、抜けたと思ったら敵に捕まるし、キックはうまく飛ばないし、唯一現役時代と変わらず出来たのはタックルくらいであった。やはり練習不足の影響は大きい。

 さらに咄嗟のプレーに機敏に反応できない。だから、試合中も常に場面場面で想定されるプレーを頭の中でシミュレーションしている。現役時代は毎日のように練習していたし、毎週試合もしていた。その成果は「身体で覚える」ということに現れる。咄嗟のプレーに対しても無意識に身体が動くのである。頭で考える前に身体が動くのである。しかも適切に。それがこの頃はそうではない。「あの時ああすれば・・・」という後悔が常に伴う。だからシミュレーションは欠かせない。練習をしていたとしても、ダラダラやっていては意味がない。常に試合を想定し、その上で練習を繰り返すことが必要なのである。

 また、観るのも勉強になる。昨日は日本代表がブリティッシュ&アイランド・ライオンズ(要は全英代表チームである)とテストマッチをやっていたが、観ている時も各プレーヤーの動きから、自分の試合での動きのヒントを得たりする。練習だけだとそうはいかない。やはり試合を経験すると、「次はこうしよう」とか、「あそこはこうすれば良かった」という学びが得られたりする。その基本はすべて試合経験であり、やはりそこが出発点とも言える。試合は残念ながら日本代表も私のチームもともに負けてしまったが、やはり勝った気分を味わいたかったと思う。

 試合にはこだわらないと思っていたが、やれば面白い。体は痛いし、息が上がれば苦しいし、この歳になると怪我が怖いのも確かである。しかし、やはり面白い。「またやりたい」と素直に思う。年甲斐もなくと言われたとしても楽しいのだから仕方がない。年齢による衰えをカバーするには、もっと練習の負荷を上げた方がいいだろう。人より多く早く走るように心掛ければ、同じ練習をしていても負荷はかけられる。今まではそれほど負荷をかけようとも思わなかったが、試合にもっと出たいと思うならそうする必要がある。そして、久しぶりに試合に出て、「また出たい」と素直に思う。そしてそのために練習しようと。

 となれば、これからの練習に対する取り組み姿勢も変わってくる。何より弱点を強化し、思う通りのプレーをして気持ちの良い結果を残したい。肉体的な残り時間もそれほど多くないのは確か。であれば、無理のない範囲でもう少し試合を意識して練習に臨みたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 



2021年6月24日木曜日

宇宙は自分を中心に回っている

 最近、様子見を兼ねて週に一度は実家に顔を出している。両親も2人暮らしであるが、それぞれにストレスはあるのか、よく私に相手の愚痴をこぼす。それぞれの言い分はもっともである。父は長らく自営で印刷業をしていたが、1人で機械を回し、黙々と1日中仕事をしていた姿を覚えている。そんな父は夫婦げんかになるとよく「誰のおかげでやってこれたと思っているんだ」と母に言う。「俺が働いている時、お前は山だ、テニスだと遊んでいた」と。多趣味な母はハイキングやソフトテニスを楽しんでいたのである。

 母にすれば面白くない。確かに稼ぎはすべて父に負っていた。しかし、母は母なりに家計のやりくりをし、得意先の集金に行き、経理を担い、税理士ともやり取りをし、と印刷以外の仕事をこなしてきていた。テニスや山はその合間に行っていたものである。当然、そういう反論はするが、「俺が食わせてやった」という昭和の父には通じない。最近、実家で料理をするようになった私は、家事がいかに大変かということを実感しているから、母の言い分もよくわかる。父も1人であったらとても大変だったであろう。結局、「共同作業」なのである。

 一方、仕事を引退した父は、母が体調を崩したこともあり、少しずつ家事をこなしている。買い物はほとんど父が担い、簡単な朝食の用意と風呂掃除に掃除機をかける簡単な掃除、食後の食器洗いなどである。それ以外の時間は趣味の写真(撮影とパソコンでの画像処理)とテレビで映画を楽しんでいる。しかし、母にしてみれば父のやっている程度の家事は家事のうちには入らない。曰く、「何もしないで1日中パソコンに向かっているかテレビを見ている」と批判する。それに対し、父は「やっているだろう!」と反論する。

 中立的な立場で聞いていると面白い。2人とも意見の相違点は共通していて、「やっているか否か」と「やっている程度」との違いである。「やっているか否か」であれば、2人とも「やっている」。だから「やっていない」と言われると反論したくなる。だが、責める方の考え方は「やっている程度」。「十分ではない」、「やっているうちに入らない」という批判である。かみ合わないのも無理はない。そしてお互いにそれに気づいていない。

 人は誰でも自分の考えが中心。自分の見方が世界の見方。自分が相手を批判するまさにその見方で相手から批判されていることに気がつかない。母は私が子供の頃、私に対し「相手の気持ちを考えなさい」と叱ったことがあり、私は「相手の気持ちなんかわかるわけがない」と反論したことを覚えている。今でもその考えは変わっていないが、「想像はする」ようにしている。頭に来てもすぐ怒りを沸騰させるのではなく、なぜ相手はそんなことを言うのだろうかと想像してみるのである。それによって、相手を多少なりとも理解できるし、それで許せる場合もあるし、許せない場合も冷静に反撃ができるのである。

 ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージは徹底した守銭奴である。その様子に普通の人なら顔をしかめる。ところがスクルージにはスクルージなりの世界の見方があり、それによれば自分の行動は当然なのである。それが3人のゴーストによって自分以外の視点から世界を見せられ、それまでの生き方を反省するのである。両親もたぶん、自分以外の視点から自分たちの姿を見せられたら、ひょっとしたら気づくのかもしれない。

 最近、大きな裏切りに遭い、ショックを受けるとともに腹も立てているが、一方で相手には相手の世界があり、その世界では相手の行動は正しいのだと思っている。それはそもそもの考え方にもよる。例えばその人は亡くなった父親の古い免許証が出てきた時、あっさりそれをゴミ箱に放った。私ならそんなことは絶対しない。だが、それだけ私とは感覚が違う訳である。自分の感覚で相手の行為を批判しても始まらない。たとえ世間一般的におかしいと思われても、相手はそれが正しいと考えているわけである。であれば、それを批判するよりも、自分はどうするのかを冷静に考えるしかない。

 相手はおそらく、世間的常識というところの感覚とか、モラルというものからはズレているのだろう。無知の部分もあるかもしれない。そうして相手を見下すことにより、私の気も多少晴れる。怒りのまま感情を爆発させても今回は利益がない。冷静になってせめて一矢報いる手段を講じるしかないと思うし、そうするつもりである。不思議なことに、相手に対する負の感情もそれほど大きくならない。感情のコペルニクス的転回と言えるのかもしれない。

 今では地球が太陽の周りをまわっていることは誰でも知っている。しかし、それはただ見るだけではわからないものであり、だからこそ長い年月の間天動説が支持されてきたのである。しかし、人は誰でも依然として世界の中心は自分のままである。それは決して間違いではないが、問題はその世界の中心が人の数だけあるということ。自分を中心から外す必要はないが、そういう風に考えるだけで賢く振舞えそうな気がする。そういう風に世界を見たいと思うのである・・・



【本日の読書】
 


2021年6月20日日曜日

論語雑感 公冶長第五(その22)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】
子曰。伯夷叔齊。不念舊惡。怨是用希。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、伯(はく)夷(い)・叔(しゅく)斉(せい)は、旧(きゅう)悪(あく)を念(おも)わず。怨(うら)み是(ここ)を用(もっ)て希(まれ)なり。
【訳】
先師がいわれた。
「伯夷・叔斉は人の旧悪を永く根にもつことがなかった。だから人にうらまれることがほとんどなかったのだ」
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 今回の言葉を読んで「旧悪」というのが何を意味するのかよくわからなかったが、「根に持つ」というところから咄嗟に出てきたのが「恨み」である。「性格が悪い」とか「相性が合わない」という程度であれば、付き合うのをやめるまでで、そういう人に対しては自分から距離を置くので、人(相手)に恨まれるということもそんなにないと思う。さすがに無視まではしないので、相手にはこちらの気持ちなどわからないかもしれない。今は多少そうした大人の対応ができるので、そんなふうに思う。

 しかしながら、相手に対して「恨み」があれば、当然こちらも長く根に持つし、多分態度にも出す。だから相手にも恨まれる(嫌われる)だろうと思う。しかも、自分はかなり深く根に持つタイプだと思う。「目には目を 歯には歯を」と考えるので、必ず何らかの報復を考えると思う。そのあたりは大人な対応はできないクチである。そうなれば当然相手にも恨まれるし、それを回避したいとも思わないから伯夷・叔斉のような大人物にはなれないだろう。

 「目には目を 歯には歯を」が悪いかと言えば、個人的にはそうは思わない。これは基本的に「報復」である。報復とはつまり「仕返し」であり、その前提としてまず「相手に何かひどいことをされた」という事実がある。決して自分から仕掛けたものではなく、相手からされたことが起点になっているわけである。まずは対人関係の基本は「友好」であり、それがスタートである。しかし、そこからスタートしてもどうしても嫌な相手というのはいるわけであり、それに対しては距離を置いて離れることで問題が起きないようにする。

 問題はそれでも相手が何か自分に悪い事をしてきた場合である。この場合、黙って我慢するほど私も人間ができていない。必ず報復を考える。つい最近も長年信頼してきた人物に裏切られたところである。相手の気持ちもわからなくもないが、あまりにも自分ファーストで、用が済んだら「はい、さようなら」ではあまりにも虫がいい。さすがに相手をぶん殴るほど見境がないわけではないので、静かに合法的に、それでいて相手が地団駄を踏まずにはいられない報復を考えているところである。

 そうした報復行為は決して気分のいいものではない。殴られて殴り返せば報復は完了するが、殴られた痛みと殴った後味の悪さは残る。それは暴力的なものでなくても、である。報復は決して心地よいものではない。ならばやらなければいいのにと思うが、そうせずにはいられないところが、私が伯夷・叔斉のような人物より劣るところであり、人(相手)からも生涯恨まれることであろう。人に恨みを買うということは穏やかなことではない。避けられるものであれば避けたいと思うが、報復相手に対してはやむを得ないと考える方を選ぶだろう。

 こうした対立がなぜ起こるのかと言えば、それは「自分ファースト」の考え方がすべてだろう。私の母は相続で1(長兄)対5(母を含む兄弟姉妹)の裁判沙汰の「争続」となり、今も亡き長兄に対しては良い感情を持っていない。争いの原因は、お金に困窮した長兄が遺産相続において過分に取ろうとしたことであり、利害関係の対立がそのまま「争続」となったわけである。もしも、公平にやろうとしていたら、仲の良い兄弟のままであっただろう。

 人はやっぱり自分が中心であり、自分ファーストな生き物である。ただ、そこに「相手に対する配慮」があるかないかが、自分ファーストと思われるか否かにかかってくる。韓国セウォル号の船長だって、生き残るために逃げる行為自体は当然であるが、乗客に対する配慮がなかったから問題とされたのである。もしもギリギリまで避難誘導をしていたら、あそこまで非難されることはなかったであろう。伯父も財産を公平に分配するか、困っているから助けてくれと弟妹たちに素直に頭を下げていたら、おそらく裁判沙汰にはならなかっただろう。

 自分には自分の止むに止まれぬ都合というものがあるだろう。だが、そこに相手に対する配慮を忘れたら当然恨みを買う。そうした配慮のない自分ファーストの被害を受けたら、こちらとしても当然報復はしないといけない。それは自分自身に対する「納得」であり、世間に対するそれではない。人物と思われなくても、報復相手に恨みを買っても、自分自身が心穏やかにその問題について「気持ちの区切り」をつけるためにも、そして何より長く根にもつことを避けるためにも必要なことなのである。

 そんな事態にならないことが一番なのであるが、大人物ではない自分にはやむないことだと思うのである・・・




【今週の読書】

  


2021年6月16日水曜日

新聞はかくあるべし

「社説で五輪中止を求めるのにスポンサーは継続」朝日新聞が信頼を失った根本原因
社内のジャーナリズムは荒廃の一途
鮫島 浩
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 マスコミの問題を考えるにあたって面白い記事を見つけた。記事の著者は元朝日新聞の記者だそうで、その内容は朝日新聞がオリンピックのスポンサーに名を連ねている(推進派の立場)一方で、中止を求める社説を出したことに関して論じているものである。今やかつて800万部を誇っていた発行部数は500万部に落ち、赤字転落しているという朝日新聞。そうした状況下で出された社説であるが、これについて、「朝日新聞の社内では、五輪中止を求めた社説が問題視されている。読者の信頼を回復するには、まずは社内の『言論の自由』を回復するべきだ」と主張している。

 著者は今年27年間勤めた朝日新聞を退社し、フリーとして独立したそうである。その理由は、「国家権力を監視する批判精神を失い、『客観中立』を装った『両論併記』の差し障りのない記事を大量生産して安穏としている社内の空気に失望したから」だそうである。個人の考えは人それぞれだからどう考えようと自由だが、朝日新聞が「両論併記」だとはつゆ知らなかった。常に政権批判ばかりかと思っていたからだ。それはともかく、現場の記者が『客観中立』、『両論併記』を良しとしていないところが私の考えとは大きく違うと感じた。

 私がマスコミ(特に新聞)に求めるのは、何より『客観中立』、『両論併記』に他ならない。新聞の考えなどどうでもいいのである。考えるのは私の自由であり、新聞の勝手な意見はどうでもよくて、望むのはただ「考える材料を与えてほしい」ということだけである。今は憲法に賛成意見であれば産経新聞、反対であれば朝日新聞を読まなければならない。そんなの大変である。一紙で両論が読めたらそこで比較して考えられる。それこそ私が望むものである。

 新聞記者としては、やはり自分の主義主張を訴えたいと思うのだろう。どっちつかずの記事を書いても面白くない。自分の秘めたる熱い思いを世の中に問いたいという気持ちはよくわかる。それを否定はしないが、私はその反対意見も聞きたいのである。ただ、それは無理なのだろうと思う。新聞の意見は一つの立場を維持すべしという考え方が、当の新聞社はもとより、世間一般の意見なのだろう。だが、新聞社の中にも意見の相違は当然あるだろう。ただ、それを「社の方針」に合わせているだけだろうと思う。

 例えばもし私が朝日新聞に就職して記者になっていたら、憲法改正賛成の記事は書かせてもらえなかっただろう。政権を擁護する記事も同様。中国・韓国批判の記事なんて論外だっただろう。ただ、それはよく考えてみると「言論の自由がない」ということに他ならない。言論の自由の先頭を行くべき新聞社内に実は言論の自由がないわけであり、これは面白い問題だと思う。それとも入社時にみんな同じ考え方の人だけになるように厳選しているから意見の不一致などないのだろうか。

 「会社の方針」に従わなければならないのは、どこの民間企業でも同じであるが、新聞社の場合は言論の自由との関係で難しいものがあるように思う。会社の方針と自分の意見が異なる場合はどうするのだろう。会社の方針に従って意見を差し控える(あるいは自分の考えとは異なる意見を書く)のであれば言論の自由に反するし、言論の自由を主張して会社の方針に反する意見を表明すればサラリーマンとしてはまずい。まぁ、会社の方針に反する意見などそもそも紙面には載せてもらえないというだけのことだろうし、その場合は言論の自由の封殺には当たらないということなのかもしれない。

 今回は、図らずもそれが露呈したということであろう。中止派からすれば、これまで通りの政権批判を貫いているわけで、気分はいいだろう。ところが金勘定をしている推進派は、「会社の大変な状況をわかっていない」と忸怩たる思いを抱いているのかもしれない。だが、それはそれでいいだろうと思う。同じ社内であっても意見の相違はあって当然。ましてや国民においておやである。だからこそ、「両論併記」があるべき姿だろうと思うのである。

 同じ紙面で、「オリンピック推進派」と「中止派」とで堂々と意見を主張しあえばいいと思う。「当たり障りのない客観中立」ではなく、賛成と反対が激しくバトルする「両論併記の客観中立」の方が健全であると思う。著者はもちろんそんなことはとんでもないという考えだろうが、それこそとんでもないと思う。新聞記者は自分の意見を主張することこそが使命とでも思っているのかもしれないが、それは1つの意見にしか過ぎず、お金を払ってまでそんな偏った意見を押し付けられたくはないと思う。

 今の朝日新聞のスタンスというものは、表向き正論で着飾っていても、その実矛盾に目をつぶったりごまかしたりしているに過ぎないと思う。アメリカは批判しても同じことをした中国は批判しないというのでは信頼に欠けるだろう。従軍慰安婦問題で世論をミスリードしたのには頬っ被り。政府だって批判されるべきことばかりではなく称賛されるべきこともあるだろう。それはそれで素直に称賛すべきだし、それがあるべき姿だろう。そういうことを蔑ろにしてきたからこそ、ここにきて発行部数が激減しているのではないかと個人的には思ってしまう。

 今の新聞の問題点は、「書いてある内容をそのまま信用できない」ということに他ならない。それはすなわち、「偏った意見を一方通行で表現している」ということである。世の中には様々な考え方の人がいて、だからこそいろいろな考え方を知った上で自分の考え方に生かしたいと思うが、新聞はその役には立っていない。それを変えようとするのであれば、両論併記を強く求めたいと思う。

 そんな紙面が実現したら理想的である。その時はすぐに朝日新聞の購読を始めるのにと思うのである・・・



【本日の読書】
  



2021年6月13日日曜日

座右の銘

 先日のこと、知人から「座右の銘はありますか」と尋ねられた。よく座右の銘はこれだという人はいるが、改めて考えてみるとそういうことは意識したことがない。座右の銘など今さら必要だとは思わないが、仮に決めるとしたら何になるだろうかと考えてみた。敢えて決めたいとも思わないが、いいのがあれば決めてもいいだろう。そう考えて何があるかと思い浮かべてみると、やはりそれは普段からいろいろ考えている自分の考えを表したものがいいだろうと思う。そういうものこそが、座右の銘としてふさわしいとやはり思う。

 そうして考えてみると、日頃から大事にしていることの1つとして真っ先に脳裏に浮かぶのは「考える」こと。それで思い浮かぶのは、
 「人間は考える葦である」(パスカル)
であろうか。あまりにもベタである。ただ、「思考する存在」としての近代人の精神をよく示す句であり、表現はともかく根本的な部分ではこれが適していると思う。

 次に思うのが、事を成すに至ってはやはりその意思が大事だと思う事。「できる」と思えばできるし、「できない」と思うものができるわけもない。となると、思い浮かぶのが、
 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)
という言葉だろう。「できる」と思えば、「どうやったら」と「考える」し、そこから創意工夫も生まれる。そうして奮闘するうちに何かの偶然でできてしまうかもしれない。「できない」と思えば思考もそこで停止してしまう。

 働く上で意識しているのは、常に「給料分以上働くこと」。実は就職した直後、本来は研修期間中で定時で帰れるのに、私の配属された八王子支店は田舎の雰囲気が色濃く残っており、「先輩が働いているのに若手が先に帰るのはもってのほか」という目に見えないカルチャーがあった。ゆえに「付き合いサービス残業」をして寮に帰ると、定時に上がった都心店の同期がビールを飲んで赤ら顔をしていて出迎えてくれた。その境遇の差に己の不運を嘆いたものである。「時給が一番安いじゃないか」と。新人だから残っていても残業代など当然出るわけもない。「働いている分の給料をもらっていないので損だ」と感じていたのである。

 学生時代のアルバイトでも似たような考え方で、時間をオーバーしてその分タダで働くなどもってのほかだと思っていたが、今ではそうは思わない。常に給料分の働きをして、払う方に「申し訳ない」と思わせるくらいでちょうどいいと思う。そう思わせたら、「もっと給料をあげないといけない」と思って給料を上げてくれるかもしれない。それはともかく、損か得かではなく、常に「給料分以上働く」というのは私のスタンダードである。これに該当する言葉は思い浮かばないが、あえて言うなら、
 「給料分だけ働いていると給料分の人間で終わる」(植松努)
であろうか。

 また、仕事で意識しているのは「自分から動くこと」。社長ではない以上、上司から仕事の指示をされるのは仕方ないが、それだけに終わっていてはいけない。「言われたことだけ」やるのは、裏を返せば「言われたことしかできない」ことになる。言われたことをやるのはもちろんであるが、言われた(期待された)以上の結果を出さなければいけない。
 「下足番を命じられたら日本一の下足番になってみろ。そうしたら誰も君を下足番にしてお
  かぬ」(小林一三)
まさにそういうことである。

 父は中学を卒業してすぐに長野県の富士見から東京に出てきて丁稚奉公を始めたと言う。朝6時に起きて、夜12時に寝るまでほとんどの時間を働く毎日。朝食は時間がなくて立って食べたと言う。それでいて、「丁稚奉公」だから給料はゼロ。休日に社長に映画のチケットをもらって観に行くのが楽しみだったと言う。しかし、真面目に働いていたからだろう、社長の奥さんが時々みんなに内緒で小遣いをくれたらしい。真面目な親父は「適当に手を抜く」ということができなかったらしいから、そんな働きぶりが奥様の目に止まったのだろう。

 その話をよく聞かされたから、というわけではないが、私も仕事として報酬(給料)をもらう以上、多い少ないは別として全力を尽くさなければならないと考えている。「多いから一生懸命やる、少ないから手を抜く」という考えは私の中にはない。それを何かうまい表現で表したものがあれば、それが座右の銘になるのかもしれないと思うが、そういう言葉にはこれまでまだ出会っていない。

 座右の銘と似たようなものに「名言」があると思う。昔から「名言」の類は好きであり、いろいろとストックしているが、ただそれは「座右の銘」とはちょっと違うように思う。「名言」はある事柄に関して言える真理であるのに対し、「座右の銘」は広くその人自身の行動指針のようなものだというイメージがあるからである。大事にしている信念あるいはポリシーといったところであろうか。もちろん、名言にもそういう効果があって、座右の銘になっているものもあると思う。あくまでもその人の捉え方だろうと思う。

 座右の銘があれば、ちょっと体裁がいいようにも思う。これと1つに決めるのは今のところちょっと難しいが、大事なのは芯にある自分の考え方だろうと思う。年齢的にもいい年齢になってきたし、人にものを教えるにしてもそろそろ内容のあるものが求められるだろう。座右の銘もそんなものの1つとして、これからゆっくり探していこうかと思うのである・・・



【今週の読書】



2021年6月9日水曜日

豊かさと自立

 息子がこの春から高校生になった。身長もすっかり私よりも高くなり、リモート授業が多く、野球部の練習が少ないのにブツブツ言いながらも高校生活を楽しそうに送っている。ついつい自分が16歳だった頃と比べてしまうが、違いを感じるとしたら、いまだ母親に甘える部分があることと、自立心であろうか。私は割と自立心が強く、すでに高校に入る前の春休みにアルバイトをして半年分のこずかいを稼ぎ、親からこずかいをもらうことは以降なくなった。だが、息子にはそんな気持ちはないようである。

 私の場合、古くは幼稚園に一人でテクテク歩いて通っていたが、息子は母親の送り迎え付きであった。もっともこれは幼稚園からの要請であったからやむを得ないが、世の中的に過保護な方向へ向かっているような気がした。我々の頃も大学受験の会場に着飾った母親と一緒に来ているボンボンもいたが、さすがに会社を休むのに母親が本人に代わって電話をしてくるなどという話は聞かなかったから、そういう傾向はあるのだろう。

 『ウィンターズ・ボーン』という映画がある。アメリカの貧しい中西部を舞台にしたドラマで、父親が失踪し、母親が精神に異常をきたしてしまった家族の中で、わずか17歳の長女が幼い弟妹を含めて家族を支えるために孤軍奮闘するドラマである。17歳の少女には過酷な試練なのであるが、我が家の20歳の娘にはちょっとできそうもない気がする(させたいとも思わないが・・・)。

 私の父が今でもよく昔話に語ってくれるのは、中学を卒業して16歳で東京に出てきて丁稚奉公を始めた時のことである。朝、6時に起きて夜12時に寝るまで働きづめで(丁稚奉公だから基本的に無給である)、半年で鬱になったという。労働基準法がある今から見ればありえない話である。また、祖母は臨月まで農家の労働に従事し、叔父を生んだのは農作業中の畑だったという。これも今の常識からはとても考えられない。「虐待」レベルの話である。

 祖母や父の時代の感覚でいけば、それらは世の中によくあることだったのだろう。そんな祖母や父からすれば、私が育ったのはぬるま湯のような環境だったのだろうと思う。事実、(受験勉強を除けば)なんの苦労もなく当たり前のように高校・大学と通ったわけである。銀行に就職したあとも、先輩たちから「昔は除夜の鐘を聞く前に家に帰れなかった」とよく聞かされたものである。私が入行した時は、12月31日の銀行休業が認められ、さらに土曜休業がスタートするタイミングであった。

 世の中の進歩というところでは、望ましいことである。今や祖母のように臨月になって職場で出産するまで働かなければならないということはないし、無給で1日14時間以上働かなくてもいい。ただ、そうして世の中が住みやすくなるにつれ、大人になるスピードは落ちるのかもしれないと思う。考えてみれば動物の場合、生まれたその日から自分の足で立つことができるが、人間の赤ん坊は親が付きっきりで世話をしなければならない。だから人間が劣っているというのではなく、それは人間の進化の結果らしい。

 『ウィンターズ・ボーン』では、わずか17歳の少女が弟妹のために親代わりとなって奮闘する話であった。考えてみれば、それはこの主人公が特別優れた少女だったわけではなく、置かれた環境下でやむにやまれずそういう行動を取らざるを得なかったとも言える。我が家の娘もそういう環境に置かれたとしたら、しっかりと自立した行動を取るのかもしれない。我が家が困窮して明日の米にも事欠くようであれば、息子も率先してアルバイトをして家にお金を入れるのかもしれない。

 そう考えてみれば、自立とは豊かさと反比例するものなのかもしれない。「15でねえやは嫁に行き」という歌は、社会の貧しさを表しているものとも言える。子供時代が長いというのは、それだけ社会なり家庭なりが豊かであるということなのだろう。子供が子供でいられるというのは、豊かな証拠だと言える。どれだけ長く子供時代を過ごせるかは、親や社会の豊かさの証なのかもしれない。

 とは言え、さすがにいつまでもというのは困る。私個人としては、一刻も早く自立した人間になってほしいと思う。我が家は、両親の頃よりは多少豊かかもしれないが、それでも一介のサラリーマンであり、ダイエットしなくても脛は十分スリムである。精神的にも早く自立して欲しいと思うし、それにはやはり温室ではなく、寒風が必要なのかもしれないとも思う。千尋の谷とまではいかなくても、ある程度の谷には早く落とした方がいいのかもしれないと、特に息子については思うのである・・・



【本日の読書】

  



2021年6月6日日曜日

論語雑感 公冶長第五(その21)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】
子在陳曰。歸與歸與。吾黨之小子狂簡。斐然成章。不知所以裁之。
【読み下し】
子(し)、陳(ちん)に在(あ)りて曰(いわ)く、帰(かえ)らんか、帰(かえ)らんか。吾(わ)が党(とう)の小(しょう)子(し)、狂(きょう)簡(かん)にして、斐(ひ)然(ぜん)として章(しょう)を成(な)す。之(これ)を裁(さい)する所以(ゆえん)を知(し)らず。
【訳】
先師が天下を周遊して陳の国におられたときに、いわれた。
「帰るとしよう、帰るとしよう。帰って郷党の若い同志を教えるとしよう。かれらの志は遠大だが、まだ実践上の磨きが足りない。知識学問においては百花爛漫の妍を競っているが、まだ自己形成のための真の道を知らない。それはちょうど、見事な布は織ったが、寸法をはかってそれを裁断し、衣服に仕立てることができないようなものだ。これをすててはおけない。しかも、かれらを教えることは、こうして諸侯を説いて無用な旅をつづけるより、どれだけ有意義なことだろう」
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 ロバート・レッドフォードやクリント・イーストウッドのように、俳優として大活躍しながらも監督の道に進む俳優は多い。それも「監督兼主役」のようなプレーイング・マネージャー的なものではなく、専業である。監督というのは、映画においてはスクリーンに出て来ない影の存在である。にも関わらず、1プレーヤーから全体を見渡す立場、映画そのものを創り上げる立場へ移る魅力があるのだろう。

 人も年齢を経ると、教えられる方から教える方へと移動する。それは年齢とともに知識と経験とを積み増しているからである(もちろん、積み増していない人は教える立場にはなれない)。それは本人が期待する部分もあるだろうし、周りから期待される部分もあるだろう。そういう私も、先日とある企業の転職面接で「後継者を育成して欲しい」と言われたところである。

 自分の性格を鑑みると、結構「教えることが好き」な方だと自覚している。自分が創意工夫して身につけたノウハウ等は人に教えてあげたいと思うのである。それを認識したのはいつかというのははっきり覚えていないが、古くは学生時代にラグビーのプレーについて後輩に教えたいと思ったのを覚えている。実際、教えたものについては、ラグビー初心者などに特に「わかりやすい」と喜ばれたものである。

 そういう下地があったからだろうが、銀行に就職して最初に配属された支店で、仕事の出来る上司から「仕事は盗むもの」と教えられた時には反発を覚えたものである。「そんなまどろっこしい事をするより、教えた方が早く戦力になるだろうに」と。ただ、そこは難しいところで、「教えてもらったことは忘れる、自分で盗んだものは忘れない」(すきやばし次郎主人小野二郎)というのも事実だと思う。一流の料理人の話などには「苦労して盗んだ話」がよく出てくる。

 ただ、「巨人の肩に乗る」というのも事実であり、みんながみんな1からのスタートだと同じところまでしか行けないが、たとえば4からスタートできればそれだけ遠くまで行けるだろう。「盗んだものは忘れない」のは真実だろう。それは裏を返せば「経験したものは忘れない」ということになるかもしれない。「知識」として教えられるより、実際に失敗した経験は何物にも変えがたい教訓になる。「教える」のがいいのか「盗ませる」べきなのかは難しいところである。

 それでも自分はやはり教えたいと思う。特に自分がさまざまな経験から得た知識や教訓や考え方などは子供たちに伝えたいと常に思うところである。それは「自分も教えて欲しかった」という思いであり、「同じ失敗をしないように」という親心である。教えたい相手は、やはり一番は子供であるが、対象は仕事でもなんでも身近な若手ということになるだろう。どうしても同世代だと自分なりの考え方ややり方が出来上がったりしている。孔子のたとえで言えば、すでに衣服が仕立て上がってしまっているわけであり、諸侯を説くのに当たるのだろう。

 「教える」というのとは少し異なるが、仕事ではかなり「任せる」というのを意識している。「まだ無理」などとは言わず、どんどん自分の仕事をやってもらうようにしている。サラリーマン社会では、よく「ワンランク上の仕事をしろ」と言われるが、なかなか出来るものではない。そんな中で、上司の方から「これやってみて」と仕事を任せるというのが手っ取り早く「ワンランク上の仕事」をすることに繋がる。最初は戸惑うかもしれないが、いずれスムーズにこなせるようになる。結果的に部下も成長するし、自分も楽できるし、できた余裕で別の仕事もできるというメリットがある。

 家庭でも子供を「子供扱いしない」というのはいつも心掛けていることである。それもまた子供を成長させる術ではないかと思うゆえである。手取り足取り指導するのが一番だとは思わないが、そういう風に「自覚を促す」のも大事なことだと思う。ある程度しっかりした導きがあれば、自分ももう少しうまくやって来られたのではないかと思う。そう思うところを子供達に提供できたら、と思うのである・・・



【今週の読書】
 



2021年6月1日火曜日

誕生日に思う(2021)

 毎年6月は誕生月である。今回は57回目となる。昨年同様、誕生日に健康診断を受けたが、健康はますます大事だと実感している(その割にはタバコを吸い始めたりしているが・・・)。健康診断の結果は後日郵送で送られてくることになっているが、とりあえずその場で結果がわかるのが「血管年齢」と「体成分分析」。血管年齢はいいのか悪いのか「実年齢相応」。「体成分分析」は80点満点中78点。ともにまずまずである。日ごろの運動の成果かもしれない。

 57回目の誕生日を迎えてどうかと言うと、実は精神的にはちょっと辛い。今の仕事を7月末で辞めることになってはいるが、そのあとがまだ決まっていない。就活の真っ最中ということで、心穏やかではない。子供は学生で、まだまだ学費がかかる。住宅ローンも70歳まで残っている。されど大手の企業は60歳定年制を採用していて、65歳まで再雇用はあるといっても定年で年収が大きく下がったりする。年齢による影響を受けない仕事がいいが、そんな仕事に就けるだろうか。

 就活とは言っても、最近はやりのネット系人材サービスを利用するのはちょっと気が引ける。年齢的に気おくれする部分が多いからである。そうなると頼りは「人脈」。とりあえず声を掛けているが、意外とみんな助けてくれる。「自分はこうしたからやってみたら」とか、「心当たりに聞いてみる」とか、「今の職場で採用できないか聞いてみる」とか、「こういう風にしたら」とか、自分が友人に相談されてもこんな風には答えられないと思うから実にありがたいと思う。

 学生時代は自分の道は己の力1つで乗り切っていくと息巻いていた。人の力なんか頼りにするべきものではないと。それはそれで、今でもやたらに人に頼るべきではないと思うが、違うのは自分の力には限度があるという当たり前のことに気づいていること。それで助けてほしい時は素直に助けてと言えるようになっていること。考えてみれば、自分も誰かに何かを相談されたらできる限りのことはすると思う。みんな私に対してそう思ってくれているわけであり、ありがたいの一言に尽きる。

 この年になると、娘と息子にどんな人生教訓を残してやれるだろうかとよく考えているが、「友人・知人は大事にしろ」ということは真っ先に伝えたいと思う。「おおよそ人間関係は誠心誠意を持ってあたるべし」というのは日々実感する。「人に裏切られても自分からは裏切らない」というのは鉄則だろう。実際、長年の信頼関係をあっさり断ち切って平気な顔をしている人も身近にいるが、自分は真似をしない。もともと人見知りの性格ゆえ、人脈を広げるのは難しいが、狭い範囲でも接点のある人はとことん大事にしようと思う。

 それにしても「後悔先に立たず」とはよく言ったもの。その時々では最適な選択をしているつもりだが、振り返ってみれば「あの時ああしていれば」ということばかりである。今さら嘆いても仕方がないが、「経験者のアドバイスを求める」ということは、もっとやってもよかったかなと思う。それは息子にも伝えたい。今年、息子が高校生になり野球部に入ったが、3年生の先輩に「今何をやっておいたらいいか」というアドバイスを求めてみたらと、さっそく息子にはアドバイスしてみようと思う。

いろいろ辛いことがあると、ついつい人を羨んでみたくなるが、人は誰もが悩みを抱えているもの。お金を持っていたってそれ以外の悩みがあったりするだろう。避けることができぬのならうまく付き合っていくしかない。
「幸せは気づくもの、不幸はつくるもの」
いつしかそんな風な考え方をするようになっている。辛い部分に目を向ければやりきれなくなるが、幸せだと思う部分に目を向ければ元気も出てくる。「自分はまだマシ」と思うようにしようと思う。

 これから58回目の誕生日まで、どのように過ごすかは自分次第。嘆いて終わるのではなく、良き息子、良き夫、良き父親、良き友人、良き同僚であるように前を向いて目の前の道を一歩一歩、歩いていきたいと思うのである・・・



【本日の読書】