今回の言葉を読んで「旧悪」というのが何を意味するのかよくわからなかったが、「根に持つ」というところから咄嗟に出てきたのが「恨み」である。「性格が悪い」とか「相性が合わない」という程度であれば、付き合うのをやめるまでで、そういう人に対しては自分から距離を置くので、人(相手)に恨まれるということもそんなにないと思う。さすがに無視まではしないので、相手にはこちらの気持ちなどわからないかもしれない。今は多少そうした大人の対応ができるので、そんなふうに思う。
しかしながら、相手に対して「恨み」があれば、当然こちらも長く根に持つし、多分態度にも出す。だから相手にも恨まれる(嫌われる)だろうと思う。しかも、自分はかなり深く根に持つタイプだと思う。「目には目を 歯には歯を」と考えるので、必ず何らかの報復を考えると思う。そのあたりは大人な対応はできないクチである。そうなれば当然相手にも恨まれるし、それを回避したいとも思わないから伯夷・叔斉のような大人物にはなれないだろう。
「目には目を 歯には歯を」が悪いかと言えば、個人的にはそうは思わない。これは基本的に「報復」である。報復とはつまり「仕返し」であり、その前提としてまず「相手に何かひどいことをされた」という事実がある。決して自分から仕掛けたものではなく、相手からされたことが起点になっているわけである。まずは対人関係の基本は「友好」であり、それがスタートである。しかし、そこからスタートしてもどうしても嫌な相手というのはいるわけであり、それに対しては距離を置いて離れることで問題が起きないようにする。
問題はそれでも相手が何か自分に悪い事をしてきた場合である。この場合、黙って我慢するほど私も人間ができていない。必ず報復を考える。つい最近も長年信頼してきた人物に裏切られたところである。相手の気持ちもわからなくもないが、あまりにも自分ファーストで、用が済んだら「はい、さようなら」ではあまりにも虫がいい。さすがに相手をぶん殴るほど見境がないわけではないので、静かに合法的に、それでいて相手が地団駄を踏まずにはいられない報復を考えているところである。
そうした報復行為は決して気分のいいものではない。殴られて殴り返せば報復は完了するが、殴られた痛みと殴った後味の悪さは残る。それは暴力的なものでなくても、である。報復は決して心地よいものではない。ならばやらなければいいのにと思うが、そうせずにはいられないところが、私が伯夷・叔斉のような人物より劣るところであり、人(相手)からも生涯恨まれることであろう。人に恨みを買うということは穏やかなことではない。避けられるものであれば避けたいと思うが、報復相手に対してはやむを得ないと考える方を選ぶだろう。
こうした対立がなぜ起こるのかと言えば、それは「自分ファースト」の考え方がすべてだろう。私の母は相続で1(長兄)対5(母を含む兄弟姉妹)の裁判沙汰の「争続」となり、今も亡き長兄に対しては良い感情を持っていない。争いの原因は、お金に困窮した長兄が遺産相続において過分に取ろうとしたことであり、利害関係の対立がそのまま「争続」となったわけである。もしも、公平にやろうとしていたら、仲の良い兄弟のままであっただろう。
人はやっぱり自分が中心であり、自分ファーストな生き物である。ただ、そこに「相手に対する配慮」があるかないかが、自分ファーストと思われるか否かにかかってくる。韓国セウォル号の船長だって、生き残るために逃げる行為自体は当然であるが、乗客に対する配慮がなかったから問題とされたのである。もしもギリギリまで避難誘導をしていたら、あそこまで非難されることはなかったであろう。伯父も財産を公平に分配するか、困っているから助けてくれと弟妹たちに素直に頭を下げていたら、おそらく裁判沙汰にはならなかっただろう。
自分には自分の止むに止まれぬ都合というものがあるだろう。だが、そこに相手に対する配慮を忘れたら当然恨みを買う。そうした配慮のない自分ファーストの被害を受けたら、こちらとしても当然報復はしないといけない。それは自分自身に対する「納得」であり、世間に対するそれではない。人物と思われなくても、報復相手に恨みを買っても、自分自身が心穏やかにその問題について「気持ちの区切り」をつけるためにも、そして何より長く根にもつことを避けるためにも必要なことなのである。
そんな事態にならないことが一番なのであるが、大人物ではない自分にはやむないことだと思うのである・・・
【今週の読書】
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