足軽から身を起こして天下を統一した豊臣秀吉のエピソードはいろいろある。織田信長の草履を温めたり、高松城攻めとそのあとの本能寺の変を受けた中国大返しだったり。だが、もっともリスキーだったのは金ヶ崎城の戦いにおけるしんがりだったと思う。朝倉征伐に乗り出した信長軍が、突然の浅井氏の離反で挟み撃ちの危機に瀕した時、秀吉(当時は木下藤吉郎)がしんがりを申し出たものである。
信長をはじめとした本体が撤退するに際し、最後尾にとどまって敵を食い止めるしんがりの役目は時間稼ぎ。失敗しても、否、うまくいっても戦死する可能性は高い。味方のために犠牲になることを厭わない行為である。人は誰でも我が身かわいい。他人のために自らリスクをかぶるのはなかなかできないことである。実力主義の織田軍団において秀吉が出世できたのも、このエピソードがあればこそのように個人的には思うのである。
現代においては、大企業となるとみんな我が身第一に当然考える。銀行のような減点主義の組織では特に保守的な行動ばかり取るようになる。昔聞いた笑い話では、ある決断を迫られた頭取が、3つの質問をした言う。それは「大蔵省(当時の監督官庁)は何と言っているのか」、「他行はどうしているのか」、「過去の事例はどうだったのか」である。銀行員気質をズバリとついていて、笑い話ではなく実話だろうと思ったほどである。
そういう組織において、何かトラブルやまずいことが生じれば、当然保身に入る。「自分の責任ではない」ということをまず明らかにしようとするのである。すでにコースアウトしてしまった人や、端から出世に興味のない人(諦めている人)はこの限りではないが、まだ望みのある人にとっては重要なポイントである。そしてそういう人が出世して行く。私もかつて大きなミスをした事があるが、その時直属の上司は見事に保身に走っていた。まぁ、ミスをした張本人としては何も言えないが、そんなものか思ったのを覚えている。
人間、物事が順調にいっている時には本当の姿は出ないものだと思っている。誰でも余裕のある時には寛大であり、寛容であり、思いやりに溢れ、友情に熱い。ある知り合いの人は、知人が企業の不祥事で責任者として逮捕・起訴された際、それまで親の代から家族ぐるみのお付き合いがあったにも関わらず、これをきっぱりと断ち切ってしまった。英語のことわざで“A friend in need is a friend indeed.”(困った時の友こそ真の友)というのがあるが、この人にとっては真の友ではなかったと言うことなのであろう。
不遇の時こそ、あるいは最後の最後になってこそ、その人の本性が出るものだと思う。ある知り合いの知人は、長年経営していた会社を閉鎖することにしたが、従業員は全員解雇した。とりあえず知り合いの会社に雇用は頼んだが、わずかな退職金しか支給せず、困惑した従業員の訴えは冷たくスルーした。平均するとみんな10年以上勤めていたにも関わらず、である。会社の数億に及ぶ資産は換金して独り占めである。従業員によっては次の雇用先との雇用条件があわず、そのまま失業となったがおかまいなしである。心ある経営者なら、せめて退職金をもう少し出してもいいと思うが、ドライな考え方の持ち主のようである。
これもまたある知人の話だが、お金に困って友人に借金の申し込みに行ったとのこと。まずは会社を経営して羽振りの良い友人に当たったところ、にべもなく断られたという。困って別の友人に頼んだところ、困惑しながらも貸してくれたと言う。決して小さくないお金。貸してくれた友人はサラリーマンで、無理をして貸してくれたようである。お金の貸し借りは、それによって友情も簡単に壊れる。だから難しいところがあるが、それでも金持ちの友人ではなく、普通のサラリーマンである友人が貸してくれたところが世の真理を表している(その後きちんと返したそうである)。
企業でも業績が危うくなれば、目端の利くものから転職して行く。経営者でも夜逃げしてしまう人もいれば、きちんと頭を下げ、罵倒されながら倒産手続を取る人もいる。最後まで残って社員の身の振り方を見届けてから退職する役員もいる。いい時ばかりカッコつけても、いざという時にその人の本性が現れる。自分がどういう人間でありたいかは、日頃から意識しておかないといけないと思う。窮地に陥った時にこそ「自分ファースト」ではなく、他者に対する思いやりの心も持っていたい。
その時になってみなければわからないが、自分はかくありたいと思うのである・・・
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