2020年12月10日木曜日

どんなリーダーにもついていくべきか

 世の中には優れたリーダーがたくさんいて、凄いなぁと思うことしばしばである。自分もビジネスマンの立場からは、やはり経営者という立場のリーダーには目が向いてしまう。では、かくいう自分もそんなリーダーでありたいかと問われればそれはまた別の話で、自分はどちらかと言えば№2の方が居心地がいいと感じるタイプである。性格的に向き不向きというのはあると思うが、自分はリーダーよりもフォロワーの方が性に合っている。それも末尾ではなくて№2というところがずるいところかもしれない。

 №2はいいのであるが、問題はどんなリーダーの下につくかということである。これまでも銀行員時代を含めていろいろな上司に仕えてきたが、好ましい人もいればそうでない人もいた。そうでない人であっても、それなりに仕えて組織としてのパフォーマンスを果たせればいいと思うのだが、必ずしもそうでないことの方が多い。上司をうまくコントロールできればいいが、そう簡単なものでもなく、ストレスは溜まるしパフォーマンスも残せなかったりすると大変である。

 先日、『K-19』という映画を観た。2002年製作の古い映画であるが、旧ソ連の原潜事故の実話を映画化したものである。この中でハリソン・フォード演じる艦長は、部下に過酷な訓練を課し、リーアム・ニーソン演じる副長がしばしば諫めるのであるが、艦長は頑として自らの考えを貫く。そうしてとうとう原子炉の事故が起こり、放射能汚染も広がり始める。そこへ米軍の駆逐艦が現れる。副長は米軍へ救助を求めようと進言するが、艦長は国益を考えこれを拒否する。 

 人命よりも国益を優先するリーダーってどうなのかと観ながら思う。そしてついに艦内では政治局員を中心に反乱がおこり、艦長の権限を停止させようとする。ヒトラーも在任中は何度も暗殺未遂事件があったという。ヒトラーほどの狂気のリーダーではないとしても、この艦の艦長くらいだったらどうなのだろうと観ながら考えていた。あるいは人命がかかっていなくても、ビジネス上でリーダーたる社長が間違った(と思われる)判断を下す場合はどうなのだろうか。反乱を起こすことは善なのだろうか。

 ちなみにK-19では、氾濫グループは艦長に代えて副長に艦の指揮を託す。すると、意外なことに副長は反乱グループを捕らえさせ、艦長の指揮を回復させる。あれだけ対立してきたにも関わらず、自分とは考えの異なる艦長に引き続き艦の指揮を委ねたのである。副長は、自分の考えよりも秩序を重んじたと言える。折よく友軍の潜水艦が救助に駆けつけ、最悪の事態は回避されるのであるが、そうでなければ救助されることなく原子炉の暴走によって艦は沈んでいたかもしれない。副長の判断もまた考えさせられるものがある。

 ヤマト運輸の故小倉昌男社長は、当時先行きの見通せない運送業において、役員全員の反対を押し切って宅配事業に乗り出したという。その結果は語るまでもないが、逆に社長が役員の反対を押し切って不動産投資に乗り出して失敗した例を私は知っている。「勝てば官軍」と言えばそれまでであるが、失敗した会社の社長もきちんと事業の行く末を考えていたわけであり、その動機は善である。社長の独断が良いか悪いかは一概には言えない。

 実は我が社でも最近そういう事例があった。役員の提案に社長が1人反対。話し合いは平行線。社長も折れる気配はなく、取締役会で多数決で押し切るなら、株主の権限で全役員を首にするということになった。事柄は会社の命運にも影響する内容で、役員側も簡単には引っ込められない。3か月間の議論の末、検証を重ねて最後は我々役員側が正当性を立証して社長が折れた。感情的にならずに根気よく妥協点を探っていった成果であるが、うまくいかなければどうなっていただろう。

 意にそぐわないリーダーの行動を「暴走」と論じるのは簡単だが、どちらが正しいのかは歴史の判断によるしかないのかもしれない。そういう時に、果たしてリーダーにとことん従うべきなのか否かは難しい。「絶対正しい」も当てにならない。K-19だって、「国益」を重視するか「人命」を重視するかで「絶対正しい」は変わってくる。たとえば「会社が潰れる」か「法を順守すべき」かとなったらどうだろうか?(会社の危機を回避するために法律違反を犯すことは正しいのであろうか?)

 自分の考えに合わないリーダーを狂気のリーダーと批判するのは簡単だが、自分の考えがすべてではない。株式会社(特に中小企業)においては、社長はたいてい会社の連帯保証人になっているもので、潰れれば個人の財産も失うリスクをしょっている。ならばその考えも慎重に考えた結果だと言えるし(先の不動産投資に失敗した社長もそうだった)、一概には批判できないし、正しい答えも存在しない。難しい問題である。

 次にまた考えが対立したらどうすべきだろうか。その時はやっぱりとことんお互いが納得するまで議論するしかないのだろう。そしてその手間を惜しまないことが大切なのだろうと思うのである・・・


Robert PastrykによるPixabayからの画像 


【本日の読書】
 




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