働く人がどういうスタンスで仕事に臨むかというのは、その人それぞれである。単に生活費を稼ぐだけが目的で、必要以上に手間暇時間を取られたくないという人もいれば、仕事に生きがいを感じて取り組む人もいれば、その中間というタイプもいるだろう。何がいいというものではなく、その人の性格によって居心地の良いスタンスで臨めばいいと基本的には思う。私はと言えば、中間タイプだと思う。生き甲斐とは言わないが、できないと思われるのは嫌で、やる以上はベストを尽くしたいと思うのである。
たとえば個人個人で目標があったとする。銀行員時代も半年を目途に目標を与えられ、期末にその達成度によって賞与支給額に差が出ていた。こういうものがある時は私はもちろん満点を目指す。そのためには何が必要か、どうすればできるかを考え、あらゆる手を尽くす(不正をしないのは当然である)。家に帰っても風呂に入って寛ぎながら考えたりもするし、プライベートの時間であっても必要とあれば頭を働かせるのを厭わない。仕事人間であるとは思わないが、自分の責任はまっとうしたいと考えるのである。
一方、世の中にはそうでない人もいる。仕事は仕事、大事だとは思うが、家族やプライベートの方がはるかに大事、会社を一歩出たら仕事のことは忘れる。それも一つの考え方であり、それを否定するつもりはない。事実、私も社会人になりたての頃はそんな考えでいたように記憶している。それが今のスタイルに変化していったのは、やはり「やることはやらないといけない」「やるからにはきっちりとやりたい」という考えを追求してきた結果である。
自分の考え方が一番だとは思わないが、こういうスタンスを理解していないと、コミュニケーションもうまくいかないように思う。目標に対して誰もが達成を目指して全力を尽くすわけではない。最初からやる気がない人はそんなにいないとは思うが、「意欲」という点では差があるだろうと思う。実際、結果的に目標達成できなくても「仕方がない」と大して反省している(または悔しがる)気配がない人というのもいる。「達成できれば達成したいが、できなければ仕方がない」という感じである。
それはあくまでも個人の考え方の問題であるから、自分と違うからどうこうというものではない。私としては、目標を達成できないのは個人的に悔しいと思うし、次こそはと思う。できなければどうしたらできるかを考える。資格試験でもそう考え、3年やって合格できなければ諦める。それは決して簡単な諦めではなく、要はそこまで徹底してやってそれでもダメならそれは既に自分の能力を超えているから努力しても無駄と思うのである。諦めても後悔しないくらいやり尽くしたとも言える。
しかし、何年も何年もダラダラ受け続ける(そして落ち続ける)人が現実にはいる。傍から見ていると、ダメだったらどうすればよいのかを必死で考えているわけでもなく、1時間やってダメなら2時間、2時間やってダメなら3時間というような根性を見せているわけでもない。同じようなことをやって同じように受けるから同じように落ちる。毎年、毎年。受け続ける根性だけは大したものだと思うが、そんな根性は何の意味もない。同じ目標を与えられ、前期も前々期も達成できず、たぶん今期も無理。
そういう人がどういう気持ちでいるのかは、やはりそもそもの働くスタンス、仕事に対する考え方を知らないと理解できないのだろうと思う。給料が多ければ多いに越したことはないだろうが、かと言ってそのためにやりたくもないことはやりたくないという考えかもしれない。自分の尺度だけで判断してはいけないと思う。現実として賞与額が減らされても、では次回頑張って取り返そうという意欲を示さない人も現実にはいるのである。
考えてみれば、そういう欲(意欲)というものが、進歩の原動力であると思う。スポーツでもレギュラーになりたいと思えば人より多く練習するだろう。創意工夫や改善もするだろう。うまくできる人に教えを請うて自分の欠点を補い「どうしたらできるようになるか」を追求するだろう。しかし、そもそもレギュラーになれなくてもいいやと思っていたらそこまではしないだろう。自分の満足いくレベルのまま続けるだけである。
ただ、そういう人は人でいいとして、自分としてはやはり欲を持った人間でありたいと思う。スポーツであればレギュラーになりたいと思うし、個人スポーツであればより多く勝てるようでありたいと思うし、勉強であれば試験に合格したいと思うし、仕事であれば成果を上げたいと思う。「できない奴」とは思われたくないし、とことんできるまで努力をし続けたいと思う。人はともかく、自分はそういう人間でありたいと思うのである・・・
TumisuによるPixabayからの画像 |