論語を読んで感じたこと。あくまでも解釈ではなく雑感。
〔 原文 〕
子曰。三年無改於父之道。可謂孝矣。
〔 読み下し 〕
子曰く、三年、父の道を改むること無きは、孝と謂うべし。
【訳】
先師がいわれた。――
「もし父の死後三年間そのしきたりを変えなければ、その人は孝子といえるだろう」
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人間は言葉によって経験を後世に伝えることができる。それが人間と動物との大きな違いである。誰もが自らの経験や考えを残そうとする。それは自分の子供や事業を継ぐ者への愛情ゆえもあるだろうし、成功体験を広く残したいという思いかもしれない。自分よりも経験を積んだ人たちが残したものを上手に利用できれば、それは受け継ぐ者の成功へとつながるものだろうし、当然重視すべきである。ましてや肉親の自分の父親が大事にしていたしきたりを守ることも、当然意味のあることであり、親の思いを大事にする「孝」という考え方にあっては大事なことであると思う。
それはそれでその通りであると思うが、それでもどこまでそれを守るかということは考えないといけないことである。まぁ、3年程度であれば問題はないと思うが、長くずっととなるとそうもいかない。それはやはり時代の流れというものがあるからである。その時点では正しいことも、時間が経って環境が変われば時代に合わなくなってくることはある。にも関わらず、後生大事に守り続けると不具合が出てくる。その時にどう対応すべきかは大事である。
会津藩初代藩主・保科正之は、会津藩の憲法ともいえる家訓を残した。その中には「法を犯す者は宥すべからず」なんて今でも当たり前のこともあるが、「婦人女子の言、一切聞くべからず」なんてのもある。父祖の定めたものであっても、金科玉条の如く大事に守るのではなく、時代に合わせて柔軟に変えていくことも大事である。しかるに、「婦人女子の言、一切聞くべからず」はさすがにもう変えようという意見であれば、異論を唱える人は(少なくとも公には)いないだろうが、もう少し前の過渡期の時代であれば「初代藩主から伝わる家訓を変えるなんて」という意見もあったと思う。
江戸時代末期、黒船来航で日本の社会は真っ二つに割れる。尊王攘夷運動である。祖法(神君徳川家康公が定めたこと)である鎖国政策(正確には家康ではない)はあくまでも維持すべきという攘夷派と開国派が争うこととなった。今となっては開国は時代の流れであり、誰も異論など挟まないだろうが、時代の過渡期たる当時はどちらの言い分もそれぞれ一理あり、一概にどちらが正しいとは言い難かったと思う。祖法を守るべしというのは、いわゆる前例踏襲で、新しいことには消極的。とにかく今まで通りやって容れば問題ないという今でもお役所や大企業に見られる考え方である。
それは現代でも同様で、さしづめ今なら憲法改正問題と言えるかもしれない。75年前に制定した憲法を金科玉条のごとく守り、一切変えさせまいとする護憲派と、改正派が長年論争している。特に憲法改正を堂々と掲げる安倍政権の誕生以来、改憲派の声が大きくなってきている。自分はどうかと問われれば、個人的には憲法改正論者ではあると答えるが、では今国民投票があればどちらに投票するかと言えば間違いなく「反対」に投票すると思う。自分自身、そんな風に非常に微妙な考え方をしている( →『憲法第9条はやっぱり改正すべきなのだろうか?』)。
何事にせよ大事なことは、「思考停止してはいけない」ということだと思う。なぜそれをやるのかと問われた時に、きちんと説明ができるかである。「父の定めたしきたりだから」では、理由になっていない。それは「思考停止」に他ならない。憲法改正にしても、「戦争に反対だから」改正すべきではないという答えだと「思考浅薄」だと言わざるを得ない。ましてや「安倍総理は戦争をしたがっている」などという意見にいたっては、まったく根拠の乏しい思い込みに過ぎない「思考迷走」と言える。ある意味「停止」より悪いかもしれない。
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