2019年10月3日木曜日

愚か者

この頃、煽り運転が社会問題化している。私も若い頃は高速道路で追い越し車線をトロトロ走っている車にバッシングしたことがある。「どけ!」という意味であったが、あれも今から思うと煽り運転だったのだろうかと思ってみる。しかし、車を止めたりはしなかったので、まだかわいいものだったのかもしれない。それにしてもいろいろなパターンで次から次へとよく出てくるものである。

最近はスマホやドライブレコーダーの普及により、煽りの実態がテレビでよく放映される。「酷いな」とあきれる反面、我が家も妻がドライブレコーダーを買おうかしらと言い出すに至り、煽られる方も防衛策を講じるきっかけと考えれば、ニュースになるのも良いことである(とドライブレコーダーメーカーも思っているに違いない)と思う。私も止められたら進んでおりて行くタチであるから大いに気をつけようと思う次第である。

最近よく目にするニュースと言えば、「虐待」である。幼い子供に対して死ぬまで虐待するなんてよくできるなと思うが、今読んでいる『事実 vs 本能 目を背けたいファクトにも理由がある』によると、継父による虐待死には自分の遺伝子を残したいという人間本来の本能が作用しているのだとか。その真偽はともかくとして、亡くなった子供は本当にかわいそうだし、次々にあちこちで起こるのが信じ難いところである。

大相撲では、『貴ノ富士、協会からの引退勧告でスポーツ庁に上申書』というニュースを目にした。何でも付け人を暴行したことに対し、相撲協会から引退勧告を受け、「厳しすぎる」と泣きついたというもののようである。何だか聞いたような話だが、横綱の日馬富士がやっぱり暴行で引退しており、「またか」と思う。日馬富士に暴行されたのは元同じ貴乃花部屋だった貴ノ岩であり、なのになんでやるかなと思わざるを得ない。詳しい状況はわからないが、理由は何であれ体罰にあたっては十分注意してしかるべきだろうと思う。

いずれのニュースを見ていて思うのは、「学習効果がない」ということ。平たく言えば、「人の振り見て我が振り直せ」がなんでできないの、である。貴ノ富士にしても、横綱が同じ部屋の力士を殴って引退しているのを見て知っているであろう。なのになぜ自分がそれを付け人にやるのであろうか。「横綱はダメだけど自分は大丈夫」とでも思ったのであろうか。煽り運転が社会問題と化している時に煽り運転はマズいと思わなかったのだろうか。虐待死で親が逮捕されたニュースを見て、自分も気をつけようとは思わなかったのであろうか。

もっとも煽り運転の映像を見ていると、どうにも煽っている男は見るからに「学習能力」など端から持ち合わせていそうもない人物であったから、そんなこと期待できないのかもしれない。そもそも人の振り見て我が振りを直せるような人物なら煽り運転も虐待もするわけがないと言えるのかもしれない。また、中学を出てすぐ入門する力士は世間知らずで、そんな学習能力など身につけようもなかったのかもしれない。そう言ってしまえばそれまでであるが、なんとも理解不能である。

さらに考えるなら、「自分は大丈夫」とう意識もあるのかもしれない。高齢ドライバーの事故が立て続けに起こってもなお免許更新をする高齢者はたくさんいるわけだし、飲酒運転だってなくなったわけではない。いちいち事件として報道されないと自粛しないというのも問題だが、「自分は大丈夫」と思っている人を翻意させるのも難しいだろう。そういう自分も「自分は大丈夫」と思っていることはないか、自問自答したいと思う。

 何にせよ、人の振りを見て謙虚に我が身の振る舞いを振り返る姿勢は持っていたいと思うのである・・・




【本日の読書】

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