2019年6月26日水曜日

自分の仕事という意識

日頃、会社で仕事をしていると、「他人の働き方」が否が応でも目に入ってくる。他人を批判するつもりはないが、同じ仕事をするにしても、その働き方(取り組み姿勢とも言えようか)次第で結果は随分違ってくるだろうなと感じざるを得ない。当然と言えば当然であるが、あらためて実感することも多い。

その一つが、「仕事を取りに行く」かどうかだ。例えば目の前に何かやらなければならない(あるいは「やった方がいい」)ことがあった場合、それを「自分の仕事」としてやれるかどうかである。やらなくても自分の責任ではないとなると、「自分の仕事ではない」、「余計なことはしたくない」という気持ちが働き「見て見ぬふり」をする。そうするとその仕事はそのまま放置される。それをどうするのか。

「経営マインド」、あるいは「責任感」と言えるかもしれないものがあるなら、たぶん自主的にその仕事をやるだろうし、「余計な仕事」と考えるなら見て見ぬふりをするだろう。見て見ぬふりをするのは簡単だが、そうして「自分の仕事でない」と考える人間と、「自分の仕事」として考える人間とでは、やがて仕事の幅に大きな違いが出てくる。実際、私は今の会社に転職して以来、仕事の指示をされたことがない。すべて自分で「自分の仕事」として「取りに行って」きたのである。

「自分の仕事でないと言うなかれ」(後藤田五訓)というのは真実だと思う。「自分の仕事ではない」というのは簡単であるが、では「誰の仕事か」という問題が生じる。それを本来やるべき者に働きかけてやってもらうなら問題はないが、「見て見ぬふり」なら問題が解決されないまま残ることになる。それを解決するのが、「人の上に立つ人」である。見て見ぬふりをするということは、そんな「人の上に立つ人」になることを自ら放棄することになる。

私もそうして「自分の仕事」として何事も捉えてきた。自分の手でやったものもあれば、やってもらったものもある(すべてやっていたらとうてい手が回らない)。大事なのは放置しないことである。そうして問題を解決していけば、自ずと「人の上に立ち」、仕事を指示する立場になる。そうなれば、問題を見つけたらそれを誰かに指示してやらせて解決するようになる。その時、指示されるのは「見て見ぬふり」をしてきた者である。

仕事をする上で大事なことは3つあって、それは「考え方」「情熱」「創意工夫」である。「自分の仕事でないと言うなかれ」は、「考え方」に入る。働き方にはいろいろあって、「そこまでしたくない」「そこそこでいい」という考え方もあるから一概にどちらが良いと言うことはできない。ただ、ずっと「指示される立場」で終わりたくないと思うのなら、あるいは水戸黄門の歌の歌詞ではないが、後から来た者に追い越されたくないと思うのであれば、必要な考え方であろう。

 あらためて「自分の仕事」であると考える人間でいたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 

2019年6月22日土曜日

モノの見方

先日の事、取引先からリゾートマンションを持て余していて買い取ってくれないかという依頼があった。バブルの頃には持てはやされたリゾートマンションも今や利用する機会が少ない割には維持費がかなりかかり、手放したいという人はかなりいると思う。しかもお話があったのは「会員権」タイプのもので、肝心のシーズンには予約が取りにくいというデメリットもあるようである。

買取価格として提示があったのは10万円。買った場合は別に会費が月1万円ほどかかる。これに対し、社内では反対意見が多数派を占める。「買っても売ることができなくなる」「月々支出が出ていくだけでもったいない」というのがその主な理由。それは主として当該会員権を「資産」として見た考え方である。確かに、そういう視点で見ればその通り。私個人で買うかと言われたらまず同じ理由で買わないだろう。

ただし、私が面白いと思ったのはその「利用方法」だ。会社で買ってあとは社員の福利厚生としたら面白いと思ったのである。リロクラブなどの福利厚生を利用してもだいたい入会金に月額会費がかかる。金額も似たり寄ったりである。であれば、「福利厚生」として持っても面白いと思ったのである。もしも内容を伏せて、「『入会金10万円、月額会費1万円の福利厚生施設利用券』の購入を考えたい」と主張していたら、おそらく最初から反対は出なかっただろう(内容次第となったはずである)。

こうしたモノの見方の違いによる違いはいたるところである。その昔、ワニのうようよいるフロリダの沼地に広大なテーマパークを見出したウォルト・ディズニーとまでいかなくとも、ちょっとした人と違った見方ができれば事業でも役に立つし、プライベートでも得すると思う。不動産業を営む弊社の場合であれば、不動産の売買案件が持ち込まれるのは日常茶飯事であるが、よそが見向きもしない一面を見出すことができたら大きな収益につなげられる。

こうした「他の人が見えないものを見ることができる力」はどうしたら身につくのだろうかと思う。そうした天賦の才に恵まれた身ではない自分としては、興味のあるところ。考えてみるに、それは隠れた潜在価値を見出すトレーニングをするしかないと思う。そしてその具体的方法としては、一見無価値と思われるものを見た時に、「自分だったらそれをどう生かすか?」と考える事ではないかと思う。先の会員権もそうした視点で見た時に、「入会金10万円、月額会費1万円の福利厚生サービス」という見方ができたのである。

私の尊敬するある方は、常々「複眼思考」というお話をされている。文字通り「1つの見方」だけで判断するのではなく、様々な角度から見方を変えて捉えるのである。それはまた「固定観念」との戦いのような気もする。「バスケットボールは背が高くないとダメ」と思い込んでいたら、意外な才能を発掘することはできないだろう。入団当初のイチローの素質を当時の土井監督が見抜けなかったというのは有名な話だが、そういうのも「固定観念」だったのかもしれない。先の会員権は、改めて諸々検討してみたが、トータルでやっぱり見送りとなった。それでもそこまで検討した結果なので満足している。

 これからは、あらためて自分自身の固定観念にも疑問を持つようにしたいと思う。「パスタを食べる時はフォーク」ということですら、疑問を持ってみたいと思うのである・・・





【今週の読書】