日頃、会社で仕事をしていると、「他人の働き方」が否が応でも目に入ってくる。他人を批判するつもりはないが、同じ仕事をするにしても、その働き方(取り組み姿勢とも言えようか)次第で結果は随分違ってくるだろうなと感じざるを得ない。当然と言えば当然であるが、あらためて実感することも多い。
その一つが、「仕事を取りに行く」かどうかだ。例えば目の前に何かやらなければならない(あるいは「やった方がいい」)ことがあった場合、それを「自分の仕事」としてやれるかどうかである。やらなくても自分の責任ではないとなると、「自分の仕事ではない」、「余計なことはしたくない」という気持ちが働き「見て見ぬふり」をする。そうするとその仕事はそのまま放置される。それをどうするのか。
「経営マインド」、あるいは「責任感」と言えるかもしれないものがあるなら、たぶん自主的にその仕事をやるだろうし、「余計な仕事」と考えるなら見て見ぬふりをするだろう。見て見ぬふりをするのは簡単だが、そうして「自分の仕事でない」と考える人間と、「自分の仕事」として考える人間とでは、やがて仕事の幅に大きな違いが出てくる。実際、私は今の会社に転職して以来、仕事の指示をされたことがない。すべて自分で「自分の仕事」として「取りに行って」きたのである。
「自分の仕事でないと言うなかれ」(後藤田五訓)というのは真実だと思う。「自分の仕事ではない」というのは簡単であるが、では「誰の仕事か」という問題が生じる。それを本来やるべき者に働きかけてやってもらうなら問題はないが、「見て見ぬふり」なら問題が解決されないまま残ることになる。それを解決するのが、「人の上に立つ人」である。見て見ぬふりをするということは、そんな「人の上に立つ人」になることを自ら放棄することになる。
私もそうして「自分の仕事」として何事も捉えてきた。自分の手でやったものもあれば、やってもらったものもある(すべてやっていたらとうてい手が回らない)。大事なのは放置しないことである。そうして問題を解決していけば、自ずと「人の上に立ち」、仕事を指示する立場になる。そうなれば、問題を見つけたらそれを誰かに指示してやらせて解決するようになる。その時、指示されるのは「見て見ぬふり」をしてきた者である。
仕事をする上で大事なことは3つあって、それは「考え方」「情熱」「創意工夫」である。「自分の仕事でないと言うなかれ」は、「考え方」に入る。働き方にはいろいろあって、「そこまでしたくない」「そこそこでいい」という考え方もあるから一概にどちらが良いと言うことはできない。ただ、ずっと「指示される立場」で終わりたくないと思うのなら、あるいは水戸黄門の歌の歌詞ではないが、後から来た者に追い越されたくないと思うのであれば、必要な考え方であろう。
【本日の読書】
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