2018年3月29日木曜日

世の中というもの


先日の事、車で移動中に見慣れない建物を見かけた。何の建物だろうと思ってよく見たら、パチンコの景品交換所であった。パチンコをやらない私でもとりあえずパチンコの仕組みは知っている。店内で出た玉を景品と称する棒に替え、それを景品交換所に持ち込むと現金に変えてくれる。交換所は当然、そのパチンコ店の運営である。なぜそんな事をするかというと、日本では賭博が禁止されているから、パチンコの玉を直接現金に替えることは賭博行為にあたるからできず、あくまでも店内では「景品に交換する」ことになっているからである。

 子供の頃、親戚の叔父さんがよくパチンコで勝ったと言ってはガムやチョコなどをくれたものである。子供心に大人にはどんどんパチンコに行ってほしいと思ったし、自分でも行きたいと思ったものである。その頃、既にこうした「現金化」が行われていたかどうかはわからないが、わざわざひと手間かけて「景品交換」の形を取ることに何の意味があるのかとも思う。そんな仕組みは誰でもが知っているだろう。警察だってそうである。明らかに脱法行為の現金化であるが、このくらいは良いだろうという裁量の下、建前上「景品交換」という形にすることで見逃しているのだと言える。

 考えてみれば、こうしたことはソープランドについても言える。ソープランドで行われている行為は明らかに「売春行為」であり、売春防止法に違反している。それは警察だってよく知っているが、取り締まったりはしていない。なぜかと言えば、男にとって性欲の発散は不可欠であり、ソープランドがあることによって性犯罪を防ぐという効果もあるだろうし、言ってみれば「必要悪」として目をつぶってもらっているのだと想像できる。パチンコと違って建前はないが、人目につかない密室での行為である事から形式的な建前もいらないのだろう。

 私の働く不動産業界でも事実上の脱法行為は存在する。普通、賃貸の部屋を借りると不動産会社に「仲介手数料」を払うことになる(大家と直接契約すれば不要である)。それは大抵「家賃の一か月分」であることが多い。しかし、実は法律上は仲介業者は大家と賃借人双方から「合計で一か月分」、賃借人からは「半月分」しかもらってはいけないことになっている。しかし、「合意があれば」一か月分もらっていいことになっている。それで普通賃借人からは一か月分をもらい、大家さんからは「広告費」という名目で一か月分をもらっているのである。

 なら、「合意しなければいいのでは」と思うだろうが、それはその通りである。ただ、それを知っている賃借人はほとんどおらず、「手数料は一か月分です」と説明され、ハンコをつけば「合意した」とみなされるのである。もちろん、業者さんによっては「エイブル」のように初めから半月分しかとらない良心的なところもあるが、多くの零細業者はできる限り手数料を稼ごうとするので、堂々と一か月分を請求しているのである。その仕組みを知っている人が抗議してみたら面白いと思うのだが、そうしたら「紹介しない」という対応をされるかもしれない。一度どこかで試してみたいと常々思っている。

 いずれも法律の陰でこっそりと商売をしているものと言える。こういう例はほかにもいろいろあるだろう。それがすべて悪いとは思わないし、法律を改正すべきとも取り締まりを強化すべきとも思わない。それはきっと社会に必要な「矛盾」なのだと思う。人間社会のことだから、何でもきっちり決めてやるというわけにもいかないのだろう。売春も合法化するのは問題があるし、きっちり取り締まれば別のところで犯罪が増えるかもしれない。そういうジレンマをうまく解消しているのだろう。

 民泊やウーバーなどの新しいサービスは、そもそも法律が追い付いていないというものもある。個人的には「矛盾」は好きではないのであるが、世の中いろいろな都合があって「矛盾」をスルーすることによってうまく収まっているのかもしれない。憲法第9条なんてその最たる例だろう。一々目くじら立てていても仕方がないのかもしれない。それでも個人的には憲法くらいは「矛盾」を解消するべきだと思うが、考えてみればそれも世の中に必要な「矛盾」なのかもしれないとも思う。

それで世の中がうまく回っているのであれば、こうした世の中の「矛盾」も悪くはないのかもしれないと思ってみるのである・・・






【本日の読書】
 
   

2018年3月25日日曜日

コストか投資か


もう数年前のこと、同窓会の幹事をしていて同窓会の活性化案をいろいろと考えたことがあった。活性化のために必要なのはまず人を集めること。それも年に1回の総会に人を集めることと考えた。そこでまずネックになっていると考える「会費(6,000)」を無料にすることを提案した。今はちょっと居酒屋へ行っても4,000円もあれば十分楽しめる。わざわざ6,000円も払ってくるのは、よほど好きな人か参加するのが定例行事と化している人ぐらい。だから来るのはいつもの固定メンバーと化していたのである。

新しい人を呼び込むのにまずは会費という壁を取り除こうと、私は総会の無料化を提案した。無料であれば、少なくとも2つあると私が考えていた大きなハードルのうち1つは消える(もう1つは「知り合いがいない」だ)。そこで考えたのは、総会の経費を「コスト」ではなく、「投資」と考えること。「コスト」であればどうしても消極的になるが、活性化策に対する「投資」と考えるなら納得性もあるだろうと思ったのである。ところが、「タダで飲み食いするのはけしからん」等の意見が主流を占め、私の考えは理解されなかった。

「投資」であろうと、「コスト」であろうとお金が出て行くことには変わりない。要は考え方の違いなのであるが、どう考えるかは重要ではないかと思う。もし、皆が「投資」と考えてくれていたら、「タダで飲み食いするのはけしからん」という発想は出て来なかっただろう。あれから何年も経過しているが、同窓会総会への参加者は依然として増えていない。同じことは、企業においても言えると思う。例えばそれは人件費である。

人件費は管理会計上は販管費に分類される。つまり「コスト」である。コストである以上、できるだけ抑えようと考えるのは当然の経営発想である。けれどこれを「投資」と考えると、また考え方も変わる。例えば私の勤める中小企業でも、現在来年度の社員の給料を少し上げることを提案している。ここのところみんなの働き方も変わってきていて、よくあるように「言われたことだけをやる」というスタイルではなく、自分なりに工夫して「プラスαの働き」をしてくれるようになっている。それを評価して、さらなるモチベーションアップにしてもらえたら、との考えからの提案である。

と言っても、社員総数10名の中小企業である我が社では、給料のアップといってもたかが知れている。今回私の提案している案は、年間の金額に直すと30万円である。1人あたり数千円の世界である。もちろん、給料は一年だけのことですまない。それがずっと続くわけであり、10年としても300万円である(平均年齢の高い我が社では、あと10年働く人が果たしてどのくらいいるのだろうという感じである)。この金額をどう考えるか、である。「コスト」と考えるなら、私もちょっと考える。しかし、「投資」と考えれば抵抗感は少なくなる。

同じことでも考え方を変えると結論も異なる。例えば今回我が社では、ある販売用不動産の売れ行きが悪く、思い切って500万円価格を下げようと言う意見が出てきた。どうしようかと迷っていたら、買い手がついて、結局200万円下げただけで契約できた。差額の300万円は失わずに済んだわけである。不動産を売るとなれば、500万円ものディスカウントを一気にやろうとする。「戦力の逐次投入は愚策」と社長は考えたのであるが、それはそれなりに正しい。しかし、値下げした分は永久に失われるわけである。

それに比べれば、社員のモチベーションアップにつながると考えられる投資300万円について渋るのは理に適っていない。少なくとも、一瞬で失われてしまう値下げよりも確実に会社にプラスになって残る。どうせ使うのなら、こういうお金の使い方をするべきだと個人的には思う。お金の使い方はいろいろである。どうせ使うのなら、それが「コスト」なのか「投資」なのかを考えてみる必要はあると思う。その場で消えてなくなってしまうものなら「コスト」であるし、後でリターンとして戻って来るのなら「投資」である。

何事につけそうした意識を持ち、「コスト」であるなら抑制的に考えればいいし、逆に「投資」と考えるべきものを「コスト」としてしか見れないようなことは避けたいと思う。そうした見る目を持ち続けたいと思うのである・・・




【今週の読書】