何事であれ、「考えてやる」ということは、とても重要なことであると思う。スポーツであれ、仕事であれ、勉強であれ。考えずに闇雲にやっても、多分成果はそれほど出ないだろうと思う。先日、宅建の試験を受けたが、やはり同様に感じた。そしてつい先日も、そんなことを考えさせられた。
仕事で不動産を売却したが、なぜか売却後の電気料金の請求書が届いた。本来、購入者が負担すべき電気料金である。そこで早速問い合わせの電話をかけたのである。例によってプッシュボタンを何度も押し、忍耐強く待った上で担当者に繋がる。事情を話すと用件はすぐに理解してもらえたが、残念ながら「遡っての料金の取り消しはできない」との説明。つまり払うしかないとのこと。
筋から言えば、払う必要のないもの。実際使った人には請求がいかないのだろうかと疑問に思いつつ、2,000円にも満たない金額だし、自分の腹は痛まないしで、仕方ないかと思った。ところが最後に担当者から「よろしいですか?」と尋ねられた。よろしいも何も遡って取り消しはできないと言われれば仕方ない。そこで「よろしくはないが、仕方ないですね」と回答した。
ところが、この回答が担当の方の心の中の回答リストになかったようで、もう一度同じ説明を繰り返した上で、「よろしいですか?」と尋ねてきた。そこで私も再度「よろしくはないが仕方ない」と回答した。担当者は、多分裏で上司の指示を仰ぐのであろう、電話をしばし保留にした上で、再度「ご納得はいただけませんか」と尋ねてきた。私も再度「納得はできないけど仕方ないですね」と答えた。
これがどうも問題になったようである。私は別にクレームを申し立てているわけではない。払うことについても「仕方ない(から払う)」と意思表示している。しかし、払うのと「納得する」のは別のこと。だからその旨回答したのだが、担当者の回答リストには、
・納得したので払う
・納得しないから払わない
という2つしかなかったようなのである。
ちょっと「考えれば」、別にクレームを申し立てているわけではないので、「では申し訳ございませんが、お支払いの方よろしくお願いいたします」と答えればそれで終わりである。ところが担当者は生真面目に、リストにない回答に戸惑い、「納得していただけない」という事態に自分では対応できず、上司に指示を仰ぎ、多分説明もうまくできなかったのか、こちらの「払う意思」を伝えられなかったのか、事態は複雑化していく。こちらもやむなく付き合う。
その後、いくつかの確認があったところ、実は解除の連絡はうちの同僚がしていて、東京電力内でその手続きがなされていなかったという事実が発覚した。結果的に払わなくて良くなったのであるが、最初の段階で確認してもらえれば、「不毛な」やりとりをしなくて済んだ話である。件の担当者は、真面目に対応しているのはよくわかったのであるが、確認手順がおかしいのと、こちらの趣旨を汲めればもっとスムーズに終わったはずである。
マニュアルに従って仕事をするのは当然であるが、その根底に流れている考え方を理解し、かつ相手の意向をしっかりと理解しないと、時として頓珍漢な対応になってしまう。マニュアルはあらゆる状況に対し100%完璧な答えを用意していない。考えることを放棄し、ただマニュアル通りにやっていると、今回のような頓珍漢な対応となってしまう。
さらにこれは部下を使う上司にも当てはまることで、マニュアルに想定していない事態に接し、ただ指示だけしているといつまでたっても部下に対応力は身につかない。なぜその指示を出すのか、判断根拠も示すと次第に自分で考えるように、「なる人はなる」。我が社も小さな会社であるが、会社の方針などは事あるごとにみんなに伝えている。「上の方で何かやってる」と思われたら、自分の手元の仕事以外興味を持たなくなってしまうだろうし、一体感を持ちたいと思うからである。
まぁそこまで一生懸命仕事なんてしたくないという人もいるだろうから、一概に押し付けられないだろうが、ある程度認められたいと思うのであれば、自分の頭を使うことを怠ってはいけない。上司もそういう考える部下を育てられてこそである。面倒がって指示だけ出していれば、部下はいつまでたっても考えないままだし、そういう上司や部下が増えていけば、いずれその組織はおかしくなる。
人のふり見て我がふり直せ。もって他山の石としたいと思うのである・・・
人のふり見て我がふり直せ。もって他山の石としたいと思うのである・・・
【今週の読書】
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