2016年5月11日水曜日

松本零士

「さなぎを醜いとあざけり笑う者は、さなぎから生まれ出る蝶の姿を知らない」
『大純情くん』
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小学生から中学生にかけて、「マンガ小僧」だった私は、よく少年マンガを読んでいた。コメディ系では「ガキデカ」なんかが好きだったし、手塚マンガでは「ブラックジャック」が好きだった。しかし、なんといっても漫画家として好きだったのが、松本零士である。
  
 松本零士と言えば、「銀河鉄道999」や「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」などのSF系と、「男おいどん」などの大四畳半系がある。これらは時として混在し(銀河鉄道999の訪れる星に四畳半の住人がいたりするのである)、明確に分ける意味はないかもしれないが、その根底に流れるエッセンスは同じであった。

 登場する主人公は、少年であることが多い。「銀河鉄道999」では星野哲郎という少年が謎の美女メーテルに連れられて旅をする。「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」では、台羽正という少年が、ハーロックのアルカディア号に乗り込み、その男としての生き様と仲間たちとの交流を見ていく。「クイーン・エメラルダス」では、海野広という少年が手製の宇宙船を作って宇宙へ飛び出していき、エメラルダスと随所で遭遇する。そして「男おいどん」の大山昇太は、博多から出てきて下宿で貧乏暮らしをする。

 少年たちはいずれも明日に向けた大志を抱き、必死で歯を食いしばって生きる。ハーロックのように勇敢で強い男ではないものの、胸に秘めた熱い思い、信念ではいずれも劣らず、それゆえにハーロックやエメラルダスなどの勇者にも認められる存在である。そんな「男としてのあり方」が、少年時代の私の心に強烈に響いたのである。

 松本零士のマンガは、ストーリーとしては「中途半端・尻切れトンボ」という大きな欠陥がある。前半部分でさんざん謎を盛り上げておいて、結局謎は明かされぬまま終わったり、マンガそのものが未完で終わったりと、読者泣かせの漫画家である。だが、SFのメカニックの数々と、熱い男の信念という2つが松本零士のマンガに惹きつけられた大きな理由である。

 そんなわけで、あの頃の私は(こずかいの限界はあったが)、可能な限りコミックを買いこんで何度も何度も読んだものである。そんな松本マンガのエッセンスは、私の現在の人格形成に大いに影響を及ぼしたのは間違いない。

女性にバカにされたおいどんが呟く、
「おいどんは今日も男だったと思うちょる いまはそれだけでよか」
その精神には大いに共感し、自分もどんな境遇にあろうと常に男でありたいと考えていた。だから女性にふられたり、社会人になって人間関係に悩んだ時も、おいどんのように歯を食いしばったのである。私の基本的な信念であるが、「マンガをバカにしてはいけない」のである。


その後、「コブラ」の登場によって、私の中での「№1漫画家」は寺沢武一に移ったが、松本零士は我が街とも縁が深く、これからもファンでいたい漫画家なのである・・・


【本日の読書】
  
 

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