性同一性障害の会員が提訴 スポーツクラブで男性扱い
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最近、日本でもいわゆるLGBTの人たちの権利が認められるようになり、渋谷区では結婚に相当する証明書を発行してもらえるなど、世の中はマイナーな人たちにも住みやすくなってきているのだと思う。それにしてもこの問題はどうだろうと考えてしまう。詳しい状況はわからないが、上記の記事を読む限りスポーツクラブの対応は当然だろうと思う。「性別適合手術」がどんなものかわからないが、手術前であったということは、外見上は男だったと考えられる。であれば、いくら「心は女」と言っても、認められないだろう。
まず本当に心は女だったとしても、体が男である以上、「他の女性がどう思うか」を無視するわけにはいかないだろう。人によっては、「かまわない」と寛大さを示すかもしれないが、「嫌だ」という意見の人がいたらどちらを優先すべきかは明らかだ。それに「心は女のフリ」をする輩が出てくるとも限らない。それが簡単に認められるとなると、公然と覗きができてしまい、これもまずいだろう。結局、更衣室の利用については、「心よりも体」で判断するしかない。
性同一性障害については、ヒラリー・スワンク主演の『ボーイズ・ドント・クライ』という映画を思い出す。これは主人公の女性が、自分は男だとして振る舞うストーリーであった。男にしては華奢なのであるが、最後はバレて悲劇に見舞われる内容であった。世の中、そもそも男っぽい女も女っぽい男もいるので、外見だけでそれとはわからないかもしれない。この映画の主人公のように、初めから男だと振る舞われたらわからないだろう。
映画の主人公は、手術はしていなくて、服装だけでごまかしていた。こういう人は、スポーツクラブやましてや温泉などには行けないだろう。それはもう仕方ない。施設側だって、男用と女用しか作れないだろう。「心は女性の男」用と「心は男性の女」用とまで作るとなったら、費用も大変だし、そもそも見分けるのすら難しい。「心は男性の女」用を故意に偽って利用しようとする「身も心も男だが覗きのためならなんでもやる」男をどう排除するのかは、考えろという方が酷というものだ。
性同一性障害が、その名の通り「障害」であるならば、そもそも世の中は障害者にまだまだ優しくない。車椅子の人は温泉を利用しようと思っても大変だろう。もしかしたら、人手を煩わすのが嫌で諦めている人もいるかもしれない。本当ならそういう人が諦めなくて済む社会・施設を目指すべきであるが、費用負担も考えれば対応できない社会や施設を責めるのも酷だろう。
訴訟という手段に出た人が、一体どういう考えに基づいてのものなのかはわからない。よほど対応が悪かったのか、それとも社会にアピールすることが目的だったのか。いずれにせよ、今回のケースでは、スポーツクラブの方に同情してしまう。果たしてどんな判決となるのだろうか。マスメディアもきちんと結末を伝えていただきたいものである・・・
【今週の読書】


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