2015年9月30日水曜日

スポーツマンに引退はない

 そろそろシーズンも終わりかけのプロ野球では、先日西武の西口投手が引退登板をしたのを始め、中日の50歳山本昌投手も引退を表明、そのほかにも40代の選手が何人も引退予定である。そんなニュースに触れると、かつてプロレスラーだった馳浩衆議院議員が、「スーポーツマンに引退はない」と語っていたことを思い出す。この頃、とくにその言葉の意味を実感することが多い。

 考えてみれば、プロ野球を始めとして、毎年多くの選手が引退を表明するが、それは「現役」の引退だ。もちろん、現役を引退し、そのままスポーツと縁を切ってしまう人も多いだろうが、元ロッテの村田兆治投手のように引退後もトレーニングを続け、マスターズリーグなどで活躍している人もいる。現役を引退しても、スポーツマンとしては引退していないわけである。

 そういう自分も、先週末は母校の大学ラグビー部のOBが組織しているシニアチームの練習に参加してきた。かつては、「タックルができなくなったらラグビーはやるべきではない」との信条をもっていたが、体を動かすという意味で練習をするのならいいのではないかと考えを変えている。タックルはしないものの、ボールを使った練習で汗をかく心地良さがあり、それなりに楽しめるのである。

 やってみれば、これがなかなかの快感。この頃はジョギングもかなり一般的になってきており、それはそれで悪いとは思わないが、個人的に「ただ走っている」のは面白くも何ともない。それに比べ、ボールを持って走り、パスをし、パスした相手をフォローしてまたパスをもらったりという動きがあった方がはるかに面白い。パント(要はキックだ)を上げ、パントを取り、ディフェンスを抜く。

 こうした一連の動きは、現役学生のようなスピードはないかもしれないが、適度に息切れし、汗をかき、練習後には心地良い疲労感に包まれる。一度体を動かす楽しさを味わうと、その感覚はいつまでも残るようで、現役学生からすると運動とは呼べないようなレベルの運動でも十分快感を得られる。残念なのは、グラウンドが遠い(片道1時間だ)のと、活動が月に1回というところだ。できれば、週1回くらいあると、体ももう少し軽やかになる気がする。

 人間である以上、年を取れば体力は衰える。しかし、トレーニングを続ければ体力はある程度維持できる。先述の村田兆治投手は、60歳を超えてもなお130キロを超えるボールを投げられたというから、まぁそこまで極端ではなくても、ある程度はできるだろう。自分も3ヶ月くらいみっちり鍛え直したら、現役の学生と試合をできるところまで体力を戻せると思う(もちろん2軍相手だ)。ただ、いかんせん仕事を辞めるわけにはいかないし、空いた時間を使って、となると現実的ではない。

 よく、「定年後には好きなことをしたい」という人がいるが、スポーツは定年後にできるものが限られてくるという欠点がある。ゴルフやテニスならともかく、ラグビーはまず無理だ。頭の中では、今でも日本代表のように動けるが、現実の己ははるかに意識に遅れを取っている。昔のように激しいアタックをしたら、たちまち整形外科医のお世話になるだろう。

 ただ、そういう現実の己の姿をしっかり認識し、自分のレベルに合わせてなら、十分にできる。楕円のボールを持っての練習は、まだ体に残っている懐かしい感覚を蘇らせてもくれる。これはこれで、ずっと続けていきたいと思う。「スポーツマンに引退はない」というのは、真実だと思う。考えてみれば、それを肯定するのも否定するのも自分次第だろう。

それが真実だと、身をもって証明し続けていきたいと強く思うのである・・・


【本日の読書】
なぜ今ローソンが「とにかく面白い」のか? - 上阪徹 カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) - ドストエフスキー, 卓也, 原 






2015年9月27日日曜日

現有戦力で戦う

 プロ野球の野村監督は、「強いチームにはエースと4番がいないとダメ」というのが持論で、よくフロントにいいピッチャーと4番打者を取ってくれと要求していたという。一方、元中日の落合監督は、就任時、「補強はしない」と宣言し、現有戦力で戦い結果を出した。私は両者を比較すると、「落合派」だ。これまで基本的に、常に「現有戦力でどう戦うか」を考えるようにしてきたからである。

 かつて銀行員時代、管理職になったばかりの私の最初の部下は、なかなかできの悪い男だった。その男Yは、頭は良かったのだが、それが災いし、あまりに多い仕事量に根を上げ、「人を増やしてくれなければ無理」と事あるごとに文句を言ってきた。私は、「どうしたらできるかを考えよう」と言い続けたが、頭が良かったからだろう、「どう考えてもできるわけがない」との考えから抜け出せなかった。

 当然、そんな具合だから係全体のパフォーマンスも落ちる。私も必死にYのカバーをしていたが、そうすると本来の仕事が滞り、よく支店長に怒られた。
「お前が部下の仕事をしているから、俺がお前の仕事をしないといけない」と。
ごもっともだったが、どうしようもなかった。そして業を煮やした支店長が、他の支店から優秀な男を引き抜いてきた。

 その男AはYの同期だったが、実に優秀で、それまで溜まっていた仕事を嘘のように片付けていった。まぁ要は強弱をつけて処理したわけであるが、同じ支店内で男としては格下の仕事にあたる窓口業務に回されたYは、辞令を受けた時、泣きながらなんとかならないかと私にすがったがもう後の祭りだった。

 確かにAが来て、圧倒的に仕事が楽になった。こんなに違うのかと驚いたものである。仕事は回り出したが、それでも後味の悪さが残ったのは、それが「現有戦力で戦う」ということが続けられなかったからでもあった。何とかしてYの仕事のやり方を変え、係のパフォーマンスを上げたかったのである。

 確かにエースを連れてくるのは手っとり早い。だが、それで勝っても当たり前だろうとしかならない。今いるメンバーで、誰が何をしたら、チームとしての力が一番発揮されるのか。それを創意工夫してこそ、(仕事であってもスポーツであっても)それがチームプレーであり、そこに醍醐味を感じるのである。

 仕事であってもスポーツであっても、メンバーをあれこれ選ばない。たとえパフォーマンスが劣っているメンバーがいたとしても、それを前提に、「ではどうしたら勝てるのか」を考えればいい。常にそういう考えでいたいと思うのである。

 ただ、1点だけ例外があるとしたら、それはやる気のないメンバーがいた場合だろう。すべての前提は、本人が一緒に一丸となってやろうと思っていることだ。やる気がないメンバーはこの限りではない。落合監督だって、プロとしてやる気のない選手の面倒まではみないだろう。他のメンバーに悪影響があるとなれば、排除も考えないといけないだろう。

 そういう意味では、Yの排除も仕方がなかったのかもしれない。ただそうでなければ、基本的には「現有メンバーで戦う」。常にそういう姿勢は、これからも維持していきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) - ドストエフスキー, 卓也, 原





2015年9月23日水曜日

タクシー業界

 いつも観ているテレビ東京の『ガイアの夜明け』。先日の放送は、タクシー業界であった。大手の日本交通と国際自動車の2社の取り組みが採り上げられていた。両社ともサービス向上はもちろん、人材に至っては大学新卒採用も始めているのだという。

 この番組は、同じテレビ東京の『カンブリア宮殿』と並んで毎週欠かさず観ているのだが、「自分だったらどうするだろう」と考えながら観るのが楽しみでもある。自分がタクシー会社の経営者だったらどうするだろう。自分が学生に戻ったら、卒業してタクシー会社に就職するだろうか、したとしたら入社して何をするだろうか。

 タクシー業界も規制緩和したり再規制したりとなかなか生き残りも大変だというのは、薄々知っている。そしてこの業界は、我らが不動産業界とどこか似ているところがある過去の投稿)免許があれば簡単に参入でき(父もその昔『食えなくなったらタクシーの運転手をやればいいやと思っていた』と語っていた)、簡単に参入できるということは、簡単には儲からないということであり、したがってインセンティブ(歩合制)で尻を叩きながら利益を上げざるを得ない。流れてくる人も労働意欲が低いから、ガラも悪い。そんな業界にあって、両社とも「接客」を意識し、ITを導入し、工夫を凝らしている。

 番組では、日本交通が全国展開を視野に、経営困難に陥った大阪のタクシー会社を買収している様子が紹介されていた。ドライバーの平均年齢が62歳というその会社、さっそくお客様が乗車した時の挨拶から指導を受けていたが、そんな「新しいやり方」に頭の古いドライバーがついていけるわけがない。放送ではやっていなかったが、実際は挨拶などできていないであろうことは想像に難くない。新卒から鍛えて、新しい血と入れ替えていくのは、賢いやり方だと思う。

 そもそも利用者からすると、タクシーはプライベートでは利用しにくい。料金も高いし、「贅沢」というイメージがどこかにある。ここ1年でも私がタクシーを利用したのは、先日の叔父の葬儀の時だけで、東京郊外の葬儀場で駅から徒歩20分のところだったので、やむなく利用したぐらいだ。都心では交通網も発達しているし、せいぜい終電がなくなった時ぐらいだろう。

 ビジネス利用だって、経費節減の中小企業にあっては、都内ではまず利用できない。大企業でもそれは同じで、銀行員時代だって同様だった。一度出向して外資系の金融機関の人と机を並べて仕事をしたことがあるが、彼らは移動は基本的にタクシーだった。「時間を買え」という理屈で、「経費は好きなだけ使え、その代わりたっぷり稼げ」という明確なやり方だった。自分たちもそうしたいと思ったが、日系思考ではなかなか難しいかもしれない。

 タクシーの利用となると、そんな法人需要か、セレブな方たちの買い物とかの移動か、あるいは車の運転が覚束ない高齢者などの利用が多いのではないかと推察される。我々庶民レベルでも気軽に利用できるようになったら、タクシー業界も潤うのではないかと思う。そのためには、やっぱり料金がネックになるだろう。

 初乗り730円は鉄道やバスに比べると圧倒的に高い。目的地までいくらかかるかわからないという不安もある。都内の道路は渋滞というリスクもあるし、やはり庶民が気軽に利用するにはハードルが高い。独身時代は、毎週飲みに行ってタクシー帰りだったが、今はもう体力的にも真似できないところである。

 テレビを観ているだけの業界素人に、何か経営の妙案が浮かぶわけでもない。キッズタクシーという取り組みや、高齢者需要などは、我が不動産業界にも通じるキーワードかと感じた程度である。まぁもうちょっと稼いで、気軽にタクシーを利用できる身分になろうというモチベーションにはつながったかもしれない。

 何はともあれ、これからもいろいろなヒントを求めて、毎週観るのを楽しみにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ようこそ、わが家へ (小学館文庫) - 池井戸潤





   

2015年9月20日日曜日

ワールドカップ開幕!

 ラグビーのワールド・カップが始まった。日本ではそれほど世間の関心を集めていないが、実はラグビーのワールドカップは、「サッカーのワールドカップ」、「オリンピック」に次いで世界で3番目に大きなスポーツイベントなのである。日本では、そもそもラグビーがそれほど人気となっていないがゆえに、注目されていないのが残念な気もする。

 イングランドで行われているこのワールドカップは、日本は常連メンバー。もはや出場することは当たり前で、いかに勝利するかが最大の目標。なにせ過去のワールドカップでは、1勝しかしていない。前回もそれまで国際試合で連勝していたトンガに敗れ、わずかな希望も砕けてしまった。ワールドカップというと、どこも特別な力が出るようである。

 今回は、日本の所属するプールには、過去2回優勝の南アフリカ、強豪スコットランド、太平洋の強豪サモア、そして唯一IRBのランキングで日本より低いアメリカが所属している。普通に考えれば、南アやスコットランドやサモアに勝利するのは困難。「何とかアメリカに勝って1勝してほしい」というのが、ささやかな期待であった。

 ところがなんと、初戦の南ア戦に奇跡の大勝利を挙げてしまった。メディアもさすがに報道しているが、そのインパクトの大きさは、開催国を始めとする各国のメディアの方が正確に伝えている気がする。
Historic win for ‘Brave Blossams’ CNN
Japan in massive World Cup shockBBC
BBCでは、過去の大金星の例を5つ挙げ、そのどれにも勝る大番狂わせだと報じている。私も夜中にJsportsで観ていて、大興奮してしまった。

 となれば、「南アより世界ランキングが低いスコットランドやサモアにも勝って決勝トーナメントにも」と期待も膨らむが、そこは冷静に次のスコットランド戦を観るとしよう。この大会で弾みをつければ、次の2019年は日本での開催となるし、地元での決勝トーナメント出場という夢にも現実味が帯びてくる。

 日本のラグビー界の将来に明るさが見える気がするが、しかしながらそこには期待よりもやはり不安の方が大きい気がする。何せ足元では少子化の進行。私がラグビーを始めた母校の高校も、今のところ部員の人数は足りているが、その内容はとなると、中学の時に運動をしていなかったような学生が多く、野球やサッカーに流れる人材と比べると、たぶん見劣りする気がする。もちろん強豪校は別だろうが、「底辺が小さければピラミッドの頂点も低い」という持論からすると、この状況は十分危惧すべきだろうと思う。

 今でも日本代表のメンバーを見ると、1/3が外国人だ。もっとも、帰化した人や高校からずっと日本でプレーしているとか、「ラグビーの世界では十分日本人」とも言うべき人もいるから一概には言えない。日本代表になれば、もう母国の代表にはなれないわけで、そういう意味では全員日本人としての意識でいると思うし、差別はしたくないが、やはりそういう「日本人離れ」した力がないと、世界では勝てないのかと思えたりもする。底辺が広がらないと、「日本人のDNAでは世界では勝てない」となりそうで嫌である。

 経済分野においては、「女性の活用」、「定年の廃止による高齢者の活用」などで、まだまだ働き手を補える方法はあると思うが、ラグビーはそうはいかない。男女別のスポーツだし、体力が影響するから高齢者の活用もできない。どうしても若い男の関心を集めて底辺を広げていかないと、頂点は沈むばかりだと思う。ラグビーだけに限った話ではないと思うが、若者たちには人生の一時期にしか使えない体力をできるだけスポーツに使ってほしいと思わずにはいられない。

 さて、興奮さめやらぬシルバーウィーク。次は23日のスコットランド戦。南アほどではないが、これに勝っても大番狂わせには違いない。是非とも期待したいと思うのである・・・


    

2015年9月15日火曜日

リーダーシップについて思う事

 いつも世話役として参加している公益財団法人小山台教育財団の社会教育事業としてやっている「寺子屋小山台」。先週末は、この「寺子屋小山台」でリーダーシップについての講座が開かれた。毎年恒例の講座ではあるが、実は「リーダー」とか「リーダーシップ」というと、どうも自分にはしっくりこないと心密かに思っている。

 そもそもであるが、自分はチームの一員として行動することに心地良さは感じるものの、「チームの先頭に立って引っ張ろう」というのは何だか面倒だし、かと言って1メンバーとして埋もれるのも好ましくないという、誠に都合のよい考え方をもっている。リーダーでも1フォロワーでもない、いわば「参謀」的なポジションに居心地の良さを感じるのである。

 高校からラグビーを始めたが、3年時にはキャプテンを務めていた。しかし、これが何とも今から思うとイマイチしっくりこないキャプテンだったと思う。キャプテンがどうあるべきか、確たる考えがなかったこともあるが、根底には合っていないという心情があったかもしれない。大学のラグビー部では、キャプテン・バイスキャプテンには選ばれず、うまい具合に「渉外」という役職を得て、嬉々としてプレーと対外交渉とを楽しんでいた。もちろん、リーダーが務まらないというのでもないと心の中で言い訳している。

 ラグビーは元々選手主導のスポーツである。キックオフの笛が鳴れば、監督やコーチの指示は選手に届かない。試合中はすべてキャプテン中心に動くのである。ペナルティの笛が鳴れば、みんな一斉にキャプテンに視線を集める。そして彼が次のプレーを選択し、チームメンバーはすぐにそれを行動に移す。「いや、それは違うんじゃないの」なんて言葉は間違っても出てこない。

 それなりに重責を担うものだし、年間を通してそれを引き受けたいとは思わなかった。ただ、練習試合でキャプテンが出場しないという状況では、流れからゲームキャプテンをやったりしたこともあったが、この程度のリーダーなら別に負担感もない。社会人になってからは、組織の中の一単位としてのリーダーにはなったものの、すぐに次にバトンタッチしたくなったものである(その気持ちは今でも変わらない)。

 逆に「参謀」的なポジションにいる時は、誠に居心地が良い。チームにとってなすべきことだと思えば、誰彼憚ることなく意見を言うし、それによってチームが動けば誠に心地良い。あれこれ指示されるのは好きではないが、組織に影響力を及ぼすのは好きなのである。なんて虫がいいのだろう、と自分でも思う。

 しかしながら、チームワークという点に関しては、ラグビーで培った”For the team”という精神がある。自分もその時がくれば自らトライを取りに行くが、他のメンバーが最適なポジションにいるなら、彼にトライを取ってもらうという考え方が、実生活でも徹底していると思う。今の会社でもそんな考え方でいる。

 結局のところ、そこが一番なように思える。チームにとって、自分がどのポジションについた方が一番良いのか。「参謀」ならより望ましいが、もしかしたらキャプテンなのかもしれない。あるいは1フォロワーなのかもしれない(まぁ居ても居なくても一緒ならほかの居場所を探したいものである)。その時々の役割を果たせるようでいたいと思う。

 それがキャプテンであるならば、しっかりとリーダーシップを発揮できる人間でいたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ケンカの流儀 修羅場の達人に学べ (中公新書ラクレ) - 佐藤優 キャロリング (幻冬舎文庫) - 有川 浩





    

2015年9月11日金曜日

インセンティブの功罪

 銀行は様々な業種のお取引先を持っている。それぞれ特色があるが、「油断がならない」という特色を持っていたのが不動産業者である。それは何よりモラルというか、品格の欠けた人たちが多いという理由に他ならない。目的を達成するためには、嘘をつくのも平気だったりするのである(もちろん、極めて良心的な業者がいることも事実である)。

 一度、融資額を引き上げるために売買契約金額を偽造して融資の申し込みに来た業者がいた。売買契約書のコピーを取り、修正液で契約金額を実際の金額より1,000万円多く修正して持ってきたのである。幸いにして、見抜いて防いだものの、似たような事例は枚挙に暇がない。なぜそうなのか。

 そもそも不動産業は誰でも簡単に始められる商売である(宅建の免許は必要だが・・・)。仲介業など「机と電話があれば始められる」と言われているし、不動産を買って貸せばそれだけで賃貸業だ。あちらで買ったものをこちらで売るのに、難しいことは何一つない。そういう簡単なビジネスで簡単に儲かるなら、誰でもやる。そして世の中の真理として、そういう「おいしいビジネス」などそうそうない。

 簡単に始められるが、簡単には儲からない。だから給料も固定給を保証できない。経営者としては、儲けた人が儲けただけもらえる「歩合給」を導入せざるをえない。そしてこの「歩合給=インセンティブ」こそが、ゆがんだモラルの原因である。簡単には儲けられないからこそ、「何でもやろうとする」。きれいごと言ってても、お金がかかっていればそんなの構っていられないのである。

 インセンティブは、プロスポーツの世界や営業職などで耳にする。ただそれほど酷い話を聞かないのは、そこまでしなくても稼げているからなのだろうかと思ってみたりする。あるいは、不正をしようとしてもやりにくいというのもあるのかもしれない。それに比べて過当競争とも言える不動産業界は、「なりふり構っていられない」のかもしれない。

 その昔、妻と二人で近所を散歩していて、たまたま売り出し中の家を見つけた時のことだ。冷やかしで見学させてもらったが、熱心に勧める営業マンには「頭金がまだ用意できないから」と断った(銀行員である身分は当然隠している)。すると営業マンは得意気に、「秘策」を説明してくれた。契約金額を上乗せして銀行に言えば大丈夫だと。「銀行さんには見破られませんよ」と胸を張られた(いや、俺なら見破れると喉まで出かかった)。

 そんな輩がわんさといるのである。ちなみに、「大手不動産会社なら大丈夫」と言えないのが、また酷いところ。「住友」の大看板を掲げているところでも、平気で嘘をつく輩がいる。よほど信頼がおけるとわかっている人以外、間違っても信用してはいけないのが、不動産業界の人間である。

 さて、縁があってそんな魑魅魍魎の住む不動産業界に転職してしまった私であるが、当然そんな品のない事はプライドに賭けてしない。伯父にも遺言として言われたし、言われなくとも子供たちに見せられないような仕事をするつもりはない。人様の喜びを何よりの報酬としながら、しっかり会社の収益に貢献してみせようと意気込んでいる。

 少人数の中小企業ではあるものの、インセンティブは社員全員で享受するようにしていきたいと思うのである・・・


 【本日の読書】
漫画 君たちはどう生きるか - 吉野源三郎, 羽賀翔一 村上海賊の娘(三)(新潮文庫) - 和田 竜




    

2015年9月6日日曜日

美学

 サラリーマンとして長いこと通勤しているが、これまではそんなに苦にもならなかったので、電車に乗った時にあまり座ることなど考えてこなかった。しかし、転職して通勤時間が過去最長の1時間20分となり、ちょっとしんどいこともあって、最近「座る工夫」をしている。と言っても、「席取り合戦」のようなみっともないことはしたくない。あくまでも「スマートに座る工夫」である。

 狙いは山手線。30分乗るので、やっぱりここで座っておきたい。乗るのはターミナル駅の池袋であるが、ここで座るには一本見送るという作戦もあるが、その5分がもったいないのでそれはしない。次のターミナル駅の新宿から座ることを狙う。方法は簡単で、新宿で降りそうな人の前にさり気なく立つのである。

 と言っても、誰がどこで降りるかなどわからないから、あくまでも観察と推理である。山手線は一周しているので、乗る距離も限られている。池袋から品川までは約半周。つまり、それ以上先に行く人は、反対側に乗るはず。そこから推理すれば、到着した電車に乗っていた人はまず候補に挙がる。

 次に観察の結果、ラフな格好をした人は新宿で乗り換える確率が高いとわかっている。さらに新宿で降りるとわかっている私立の制服に身を包んだ小学生だ。電車に乗り込んだ短い時間にそれらを見極めるのである。これで大体確率8割といったところだ。

 先週のこと、いつものようにドアが開くと、降りる人を待つのももどかしく車内に殺到していくおじさんたちを横目で見ながら、いつもの小学生の前に立つ。鞄を棚に上げたところで、突然横からおじさんが体を押し付けてきた。謝るどころか、さらに体をぐいぐい押し付けてきて、私をどかそうとする。何だと思ったが、その狙いはすぐにわかった。

 見ればそれはこの電車で顔なじみの同じ品川駅まで行くおじさんだ。どこの誰かは知らないが、よく「頑張って」座っているのを目にしている。その日は残念ながら席取り合戦に負けたようで、ならばと瞬間的に狙いを変え、新宿で降りる小学生に目標をチェンジしたのだ。おじさんも席取り合戦の合間にチェックしていたのだろう。そしてその日、合戦に敗れ、焦ったまま小学生を見つけ、既にその前に立っていた邪魔な私を押し退けようとしてきたのである。

 一瞬、正直言ってムカッときたのは事実だ。そこまでするかと思う。押し返してこちらの意思を明確に伝えようかとも思ったが、それはやめにした。ケンカになっても勝てると思ったが、それより何よりそんな席取り合戦はみっともない。いい大人がそこまでするものではない。おじさんと醜い席取り合戦をするくらいなら、いっそ立って行くことを選びたい。

 新宿へと向かうその間も、おじさんは少しでもポジションを確保しようと、ジリジリと私の方にプレッシャーをかけてくる。私が女子高生だったら、間違いなく痴漢に間違われるだろう。心の中で、おじさんの「努力」を苦笑しながら、読んでいた本に集中することにした。貴重な朝の読書タイムをそんなことで無駄にされたくない。それに、よく見れば小学生の隣のラフな格好をしたお兄ちゃんも新宿で降りそうである。

 果して無事、新宿で小学生とお兄ちゃんは降り、私はおじさんと並んで腰かけた。おじさんはさっそく目をつぶり、私は本に集中する。メデタシ、メデタシ。

 通勤電車のいいところは、席を譲ることを考えなくていいことだ。お年寄りや妊婦や子供を抱っこしたお母さんなどはほとんどいないから、読書にも集中できる。さすがに、そんな人を前にして本を読んで座っているのも気が引ける。そんな「美的行動」も意識していたいと思うのである。

 ただ、帰りの電車では、本を読みながらついついうたた寝をしてしまったり、読むのに夢中になってしまい、降りる駅を乗り過ごしてしまったりしているので、もしかしたら席を譲るべきところで譲れていなかったりもしたかもしれない。まぁ、意図して知らん顔だけはすまいと思っている。

 これからだんだんと年も取り、そんな美学も語っていられなくなるのかもしれない。ただ、気持としては、「みっともないことはしない」というこの単純なルールをいつまでも守り続けたいと思うのである・・・

【本日の読書】
村上海賊の娘(二)(新潮文庫) - 和田 竜





   

2015年9月3日木曜日

老後ビジネス

 映画『ターミネーター2』を観て感動したのは1991年のこと。当時その感動をずっと保ち続けたいと思い、ビデオが市販されると、迷わずそれを買い求めた。その値段、なんと15,000円。迷いはなかったが、躊躇はあった。

 その後、そのビデオを観たのは、24年間で2回くらいである。今ではツタヤに行けば100円くらいでレンタルできる。VHSのビデオテープはそのままではもう観たくとも観られないし、今から思うと無駄な買い物であった。もう既にその予兆は現れているが、いずれこうした映画などは、劇場公開後はすべてオンデマンドで観られるようになるだろう。観たい時に、いつでも観られ、ストックしておく場所も不要である。

 当時はそんな未来は予想すらできなかったが、今はあれこれと予想を試みている。仕事では昨年から不動産業界に身を置いているが、やがて来るべきは「お一人様」の終活だろう。先日亡くなった伯父の息子と娘はいずれも独身である。つまり伯父の家系は私の従兄妹の代で途絶えるわけで、それまで築いた財産を相続する者はいない。

 そうした例は身近にかなりある。まだ兄弟に子供(つまり甥とか姪)がいればいいが、そうでなければ財産を残す相手はいない。何もしなければ国庫に行くだろう。そうした高齢者のための快適な住まいを提供するビジネスは、世の中のニーズに応えられるような気がする。自らの行く末にも活用できるかもしれない。

 一説によると、日本人は死ぬ時平均3,000万円を残していくらしい。子孫がいればまだしも、いなければそれはみな国庫に行くことになる。人口予測によると、今後50年間で3,000万人超が減るとされているから、トータルすると何と遺産総額は1,000兆円近くとなる。これがすべて国庫にいくわけではないが、今の国家の累積債務とほぼ同じ金額になるわけで、そうなると、「子孫に借金を残すのか!」と目くじら立てなくてもいいんじゃないかと素人考えで思ってみたりする。

 まぁそんなことはともかく、友人たちも独身比率は高まっているし、奥さんに粗大ごみ扱いされるなら、そんな独身の友人たちとともに過ごすのも悪くはないかもしれない。自分の都合だけではなく、そんな考えを持つ人のニーズに応えるようなビジネスをこれからやっていったら面白いかもしれないと思ってみたりする。

 大銀行の一本のネジだった頃と比べ、今はそんな考えに基づいて動いて行くことができる。変化する時代において、15,000円のビデオを買って一生楽しめると思った間違いを繰り返してはもったいない。未来を予測し、変化を楽しみつつ、自らの身の置き所を作りながら、楽しく働ければ最高である。

 間違いと言っても、買ってしまった以上、ビデオも観られるうちにもう一回くらい観ておこうと思うのである・・・


【本日の読書】
格差大国アメリカを追う日本のゆくえ - 中原圭介 村上海賊の娘(一)(新潮文庫) - 和田 竜