2015年9月15日火曜日

リーダーシップについて思う事

 いつも世話役として参加している公益財団法人小山台教育財団の社会教育事業としてやっている「寺子屋小山台」。先週末は、この「寺子屋小山台」でリーダーシップについての講座が開かれた。毎年恒例の講座ではあるが、実は「リーダー」とか「リーダーシップ」というと、どうも自分にはしっくりこないと心密かに思っている。

 そもそもであるが、自分はチームの一員として行動することに心地良さは感じるものの、「チームの先頭に立って引っ張ろう」というのは何だか面倒だし、かと言って1メンバーとして埋もれるのも好ましくないという、誠に都合のよい考え方をもっている。リーダーでも1フォロワーでもない、いわば「参謀」的なポジションに居心地の良さを感じるのである。

 高校からラグビーを始めたが、3年時にはキャプテンを務めていた。しかし、これが何とも今から思うとイマイチしっくりこないキャプテンだったと思う。キャプテンがどうあるべきか、確たる考えがなかったこともあるが、根底には合っていないという心情があったかもしれない。大学のラグビー部では、キャプテン・バイスキャプテンには選ばれず、うまい具合に「渉外」という役職を得て、嬉々としてプレーと対外交渉とを楽しんでいた。もちろん、リーダーが務まらないというのでもないと心の中で言い訳している。

 ラグビーは元々選手主導のスポーツである。キックオフの笛が鳴れば、監督やコーチの指示は選手に届かない。試合中はすべてキャプテン中心に動くのである。ペナルティの笛が鳴れば、みんな一斉にキャプテンに視線を集める。そして彼が次のプレーを選択し、チームメンバーはすぐにそれを行動に移す。「いや、それは違うんじゃないの」なんて言葉は間違っても出てこない。

 それなりに重責を担うものだし、年間を通してそれを引き受けたいとは思わなかった。ただ、練習試合でキャプテンが出場しないという状況では、流れからゲームキャプテンをやったりしたこともあったが、この程度のリーダーなら別に負担感もない。社会人になってからは、組織の中の一単位としてのリーダーにはなったものの、すぐに次にバトンタッチしたくなったものである(その気持ちは今でも変わらない)。

 逆に「参謀」的なポジションにいる時は、誠に居心地が良い。チームにとってなすべきことだと思えば、誰彼憚ることなく意見を言うし、それによってチームが動けば誠に心地良い。あれこれ指示されるのは好きではないが、組織に影響力を及ぼすのは好きなのである。なんて虫がいいのだろう、と自分でも思う。

 しかしながら、チームワークという点に関しては、ラグビーで培った”For the team”という精神がある。自分もその時がくれば自らトライを取りに行くが、他のメンバーが最適なポジションにいるなら、彼にトライを取ってもらうという考え方が、実生活でも徹底していると思う。今の会社でもそんな考え方でいる。

 結局のところ、そこが一番なように思える。チームにとって、自分がどのポジションについた方が一番良いのか。「参謀」ならより望ましいが、もしかしたらキャプテンなのかもしれない。あるいは1フォロワーなのかもしれない(まぁ居ても居なくても一緒ならほかの居場所を探したいものである)。その時々の役割を果たせるようでいたいと思う。

 それがキャプテンであるならば、しっかりとリーダーシップを発揮できる人間でいたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ケンカの流儀 修羅場の達人に学べ (中公新書ラクレ) - 佐藤優 キャロリング (幻冬舎文庫) - 有川 浩





    

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