2015年9月27日日曜日

現有戦力で戦う

 プロ野球の野村監督は、「強いチームにはエースと4番がいないとダメ」というのが持論で、よくフロントにいいピッチャーと4番打者を取ってくれと要求していたという。一方、元中日の落合監督は、就任時、「補強はしない」と宣言し、現有戦力で戦い結果を出した。私は両者を比較すると、「落合派」だ。これまで基本的に、常に「現有戦力でどう戦うか」を考えるようにしてきたからである。

 かつて銀行員時代、管理職になったばかりの私の最初の部下は、なかなかできの悪い男だった。その男Yは、頭は良かったのだが、それが災いし、あまりに多い仕事量に根を上げ、「人を増やしてくれなければ無理」と事あるごとに文句を言ってきた。私は、「どうしたらできるかを考えよう」と言い続けたが、頭が良かったからだろう、「どう考えてもできるわけがない」との考えから抜け出せなかった。

 当然、そんな具合だから係全体のパフォーマンスも落ちる。私も必死にYのカバーをしていたが、そうすると本来の仕事が滞り、よく支店長に怒られた。
「お前が部下の仕事をしているから、俺がお前の仕事をしないといけない」と。
ごもっともだったが、どうしようもなかった。そして業を煮やした支店長が、他の支店から優秀な男を引き抜いてきた。

 その男AはYの同期だったが、実に優秀で、それまで溜まっていた仕事を嘘のように片付けていった。まぁ要は強弱をつけて処理したわけであるが、同じ支店内で男としては格下の仕事にあたる窓口業務に回されたYは、辞令を受けた時、泣きながらなんとかならないかと私にすがったがもう後の祭りだった。

 確かにAが来て、圧倒的に仕事が楽になった。こんなに違うのかと驚いたものである。仕事は回り出したが、それでも後味の悪さが残ったのは、それが「現有戦力で戦う」ということが続けられなかったからでもあった。何とかしてYの仕事のやり方を変え、係のパフォーマンスを上げたかったのである。

 確かにエースを連れてくるのは手っとり早い。だが、それで勝っても当たり前だろうとしかならない。今いるメンバーで、誰が何をしたら、チームとしての力が一番発揮されるのか。それを創意工夫してこそ、(仕事であってもスポーツであっても)それがチームプレーであり、そこに醍醐味を感じるのである。

 仕事であってもスポーツであっても、メンバーをあれこれ選ばない。たとえパフォーマンスが劣っているメンバーがいたとしても、それを前提に、「ではどうしたら勝てるのか」を考えればいい。常にそういう考えでいたいと思うのである。

 ただ、1点だけ例外があるとしたら、それはやる気のないメンバーがいた場合だろう。すべての前提は、本人が一緒に一丸となってやろうと思っていることだ。やる気がないメンバーはこの限りではない。落合監督だって、プロとしてやる気のない選手の面倒まではみないだろう。他のメンバーに悪影響があるとなれば、排除も考えないといけないだろう。

 そういう意味では、Yの排除も仕方がなかったのかもしれない。ただそうでなければ、基本的には「現有メンバーで戦う」。常にそういう姿勢は、これからも維持していきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) - ドストエフスキー, 卓也, 原





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