2015年8月3日月曜日

伯父の通夜

 母方の伯父が亡くなったとの連絡があったのは、週末を前にした金曜日の夕方だった。その瞬間、なぜか目頭が熱くなった。余命1カ月との宣告を受けたと母から連絡をもらい、見舞いに行ってからまだ10日ほどしか経っていなかった。

 見舞いに行った時、私の顔を見るなり、「金儲けができればいいというわけじゃないよ。人様に喜んでもらえる仕事をしないとダメだぞ。」と弱々しいながら一気に語った。銀行から不動産業界に転職したことは、年賀状で知らせてあったから、一言言っておこうと思っていたに違いない。挨拶もそこそこに、それだけしゃべると疲れたと言わんばかりに目を閉じてしまった。

 どうやらバブルの頃の不動産屋のイメージでもあるのだろうか、札束をポケットに入れる身振りまでして語ってくれた。その時、「これは遺言だな」と悟った。もちろん、仕事はその通り、人様にいかに喜んでいただくか、を念頭にやっている。私はただ、「わかった」と答えた。もうこれが最後だとわかって病室を後にしたし、その時短い会話を交わし、温かい手を握って帰ってきたが、行って良かったとつくづく思う。

 伯父はそんな死の床でも、リハビリをやろうとしていたらしい。「あれ欲しい」と言って、電動式車椅子を購入したばかり。納品されたのは入院したあとで、結局一度も乗れなかったらしい。だが、そんな最後の時まで、まだまだ人生が続くという意識でいたのだろうし、そういうスタンスは自分も見習いたいと思うところである。

 自分だったら、観たい映画のリストを握りしめて病院のベッドで観続けたいと思う(その頃までにはPCですべてオンデマンドで観られるようになっているはずだ)。死ぬまでにもう一度観たい映画のリストを作っておかないといけない。そして可能ならば死ぬ前日まで読みたい本をアマゾンで注文していたいと思うのである。

 納棺の時、母は伯父の手を取り泣いていた。考えてみれば、親子と兄弟。法律的には一親等と二親等だが、どちらの絆が強いのだろうか。同じ両親の元、同じ家で一緒に育った兄弟。だが、ある時から別々の道を歩み、それぞれ別々の家族を作る。私と弟も、会えば話もするが、会うのは年に12回だ。私も母と同じように伯父の手に触れたが、その手は見舞いに行った時とは別物のように冷たくなっていた。

 改めて人はいつか死ぬのだと思う。伯父は6人兄弟の次男。既に3人は鬼籍に入り、残った3姉妹が通夜に参加した。自分の通夜の時は、兄弟は弟だけだし、ずいぶん親族も寂しくなっているだろう。それでもまだ見送ってくれる人がいるだけいいのかもしれない。

 いずれ自分の両親も、叔母たちも見送る時が確実にくる。来てほしくないと言っても無理な相談だし、せめて一日でもその日の遠からんことを願いたいと思うのである・・・

     
【本日の読書】
我が闘争 (幻冬舎文庫) - 堀江貴文




  

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