2015年7月22日水曜日

将来の夫婦の形

 最近将来のことをよく考える。『あと31年』なんてこともその一環だ。もう50も過ぎると、「将来の夢」というよりも、「リアルな将来像」とならざるを得ないが、我が夫婦関係がその最たるものだ。

 新婚当時は誰でもラブラブで、時間が経つにつれ熱も冷めていくのはどこも一緒だと思うのだが、我が家はどうも冷め過ぎてしまったようである。私の方はまだ妻に対する愛情も一杯だと思っているが、どうやら片想いになって久しい。「将来子供が独立していなくなったら、夫婦二人で仲良く旅行に行ったり食事に行ったり・・・」なんて夢想していたが、それもどうやら見果てぬ夢になりそうである。

 ここで原因についてあれこれと考えてみても、もうどうしようもない。「自分は変えられるが人は変えられない」もちろん、努力は続けるつもりだが、成果が得られない時のバックアッププランも用意しておかないといけない。既に義母は義父と「家庭内別居」状態で、「単なる同居人」と化している。海外旅行だってお友達とは行くが、義父とは買い物すら一緒に行かない。こういう現実を目の当たりにすると、いつまでも「対岸の火事」とタカをくくっているわけにもいかない。

 そこで考えたのは、「60歳別居」だ。いや別に息子が社会人になるであろう62歳でもいいのだが、そのタイミングで別居するのがいいと考えた。一緒にいるから不満も溜まるのだろう。離れていれば、洗濯も食事の支度も不要になるし、不満も減るだろう。

 こちらも一人になれば気楽だし、テレビも好きな映画も好きな時に好きなだけ観られる。日常生活の細かいミスをくどくどと責め立てられることもない。幸い、両親の家がある。金銭的な負担はそうかかるまい。70歳まで働くつもりだから、なおさらその心配もあるまい。

 既に友人たちの中には、諸般の事情があって独身生活を送っている者も多数いる。お互い親を見送ったあとになれば、今よりもっと自由につるむこともできるだろう。一緒に旅行に行ったり、飲みに行ったりすればそんなに寂しい老後となることもないだろう。女同士で、「私たち将来シェアハウスで暮らすのよ」と語る女友だちもいる。さすがにジジイ同士でシェアハウスというのも、なんかしっくりこないが、そこまでいかなくとも近くに住むくらいならいいかもしれない。

 フランスでは「事実婚」が半数以上だという話だし、最近はLGBTなんてのも市民権を得てきている。いつまでも夫婦仲良くは理想ではあるが、子育てを終えたら夫婦卒業というのもありかもしれない。動物なんかは、子育て期間だけつがいになるというのが一般的だし、人間だってそうしたっておかしくはないだろう。

 離婚となれば、財産分割とか煩わしいし、そこまで憎み合っていなければ妥協点としてはいいような気がする。年に一度のお正月とかに子供たちも含めて「家族集合」とすれば、ある程度の距離も保てるだろうし、旦那に対する日頃のストレスも減じれば、妻も優しくなるかもしれない。そうした「熟年離婚」ならぬ「熟年(夫婦)卒業」という新しい夫婦関係もいいかもしれないと思う。

 そうあれこれと考えていたら、当初の悲壮感は消えて何だか楽しい計画に思えてきた。ひょっとしたら「バックアッププラン」のつもりが、「メインプラン」に昇格するかもしれない。どっちに転んでも、良いように思えてくる。その時までに、「独身の友人」が増えたらより楽しくなりそうだとさえ思えてくる。

 密かに期待してみようかな、と思うのである・・・

【本日の読書】
東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと - 伊藤 元重 21世紀の資本 - トマ・ピケティ, 山形浩生, 守岡桜, 森本正史





    

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