原爆の慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれているそうである。では、「過ち」って何なのだろう。日本はどこでどう道を誤ったのだろうと考えてみる。
学校での日本の歴史の勉強は、明治維新から始めるべきだと、個人的には考えている。その方が大事な昭和史をきちんと学べるからである。黒船による開国から、不平等条約の解消を目指していた「坂の上の雲」の時代。日本は先進国に追いつき追い越せと国を挙げて富国強兵に励んでいた。しかし鎖国時代ならともかく、富国強兵に必要なのは石油や鉄などのいわゆる資源。日本には決定的に欠けていたものである。
当時は先進国はみな帝国主義を掲げ、世界各地に植民地を建設。それが国富の元であった。日本はもともと識字率も高く、勤勉な国民性もあって、アジアで唯一先進国グループの末席に潜りこんだ。しかし、欧米に伍していくには資源が必要。世界中に植民地を建設していた先進国が、最後に残された中国大陸に押し掛ける。
既にアヘン戦争によってイギリスは香港を奪い、南下策を取るロシアは、日露戦争で一旦は押し返されたものの、すぐにソ連に変わって圧力を増してくる。ぐすぐすしていたら、日本の取り分はなくなってしまう。そして資源を外国から売ってもらうと言う事は、貿易が当たり前の現代ならいざ知らず、当時は「扉を閉ざされたらそれまで」の恐怖を意味する(事実、日本はABCD包囲網でこれをやられ、戦争へと舵を切った)。日本が朝鮮半島、中国大陸へと侵略していったのはこういう背景だ。
これが過ちの一つだと言えるが、侵略を見送っていたなら、たぶん中国は英米ソら先進国によって分割されていただろう。日本もロンドン海軍軍縮会議で抑え込まれたが、もっと簡単に先進国によって杭打ちされていただろう。アジアでは日本とタイのみが植民地化されていなかったが、これもどうなっていたかわからない。不平等条約のような屈辱に喘いでいたかもしれない。
だが、我が祖先はそこで先進国に負けじと、先進国と「同じ方法」で富国を図った。日本“も”中国大陸に駒を進めたのである。そして先進国と分捕り合戦を展開。ここで健闘し過ぎてしまった。だからアジアで日本の台頭を心良く思わない欧米を敵に回してしまったのである。
イギリスやアメリカが正義だったから戦争に勝ち、日本が悪の侵略国だったから戦争に負けたのではない。世界の覇者として影響力のあるイギリスとの同盟を失うような対応を取り、資源を十分に確保しているアメリカと戦争をしたから、負けたのである。そして歴史は勝者によって作られる。「勝てば官軍」である。
いち早く中国に侵略し、香港を奪い、その後100年にわたって香港を占領していたイギリスに中国が何も文句を言わないのは、「敵の敵は味方」の理屈で支援してくれたアメリカの同盟国だったからだ。単独では日本に勝てなかった中国だから、助けてくれた英米に文句は言えないのである。そして同じ侵略国でありながら、日本だけが敵視されるのは、もちろん日中戦争の相手だからであるが、戦争に負けた「池に落ちた犬」だからに他ならない。
何が“過ち”だったかと言えば、やっぱり「アメリカを敵に回した事」に尽きるだろう。「喧嘩する相手を見極め、そしてうまく立ち回る」これができなかったのである。日露戦争ではアメリカは日本の側についたし、三国干渉もしなかった。うまくアメリカと歩調を合わせていたら、歴史は違ったものになっていたかもしれない。中国もどうなっていたかわからないし、日本の敗戦を機に一気に独立へと動いたアジアの植民地諸国の独立ももっと遅れていただろう。もっともあまり追随していると、のちにベトナム戦争に参戦した韓国のようになっていたかもしれないから、微妙なところではある。
今は今。不幸な歴史はこれで良かったとは言えなくとも、仕方のないものなのだろう。戦争反対は結構だし異論はないが、歴史をよく知った上でそれに基づいた意見を語ってほしいと思う。それに歴史の教訓ではないが、中国とはもっと距離を縮めておいた方が良いと思う。昭和史はまだまだ学ぶ余地はありそうだ。これからもライフワークの一つとして興味を持っていきたいと思うところである・・・
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