2013年6月29日土曜日

田舎暮らし

 先日久しぶり出張に行った。
行く先は高崎。新幹線で1時間ほどだから、それほど大げさな出張ではない。本を読んでの往路はあっという間。ちょっと疲れた復路は、ぼうっと外の景色を眺めていた。

外には田畑を中心に田園風景が広がる。
水田には水が満ち溢れている。
川には何やら網を持った人が入っていたが、魚でも採ろうとしていたのだろうか。
のんびりとした時間が流れていそうな景色が、熊谷の市街地が見えるまで続いていた。

 子供の頃遊んだ御代田での楽しい思い出があるせいか、私は田舎暮らしに憧れているところがある。将来仕事を引退したら、本気で田舎暮らしをしようかと思うところもある。先輩Hの生活に憧れるのも、そういう背景がある。

 どの家も敷地はゆったりしている。キャッチボールをやる場所を求めて、あっちこっちうろうろする必要なんてまったくないだろう。いたるところに墓地がある。たぶん、昔は何もないところだったのだろうが、今では周りが切り開かれて周囲から浮いてしまっている感がある。ただこういう環境下なら、子供たちにも自然と祖先を敬うという事を教えられる気がする。

 その昔読んだ「都会のネズミ、田舎のネズミ」という童話を思い出した。
田舎のネズミが都会のネズミを訪ねてくる。都会のネズミはごちそうをして田舎のネズミをもてなす。田舎のネズミは豪華な食べ物などの都会の暮らしに驚くが、一方で車や人間などの危険にも気付く。田舎のネズミは質素でも安全で快適な田舎暮らしの良さを実感して帰るという内容だったと記憶している。

 確かに都会は便利だ。どこへ行くにも交通機関を利用して行ける。実は出張先では最寄りの駅まで相手の担当者に迎えに来てもらったのだが、その理由は「駅でタクシーが拾えないから」というものだった。都会ではまずありえない。

 田舎とは言っても最近はバカにできない。ちょっと車を走らせれば、車窓から見えたベイシアなど郊外型のスーパーセンターがあるし、高崎など大きな駅の周辺にはヤマダ電機だってあるし、吉野家もあって都会と変わらない。映画館だってオンデマンドの世の中だし、今くらいのペースで映画館に行くくらいなら十分満足できる。

 本気で考えたいところだが、妻は絶対に嫌だと冗談でも「いいわね」とは言わない。確かに車がないと不便だし、年寄りになって運転できるかというと、そろそろ運転をやめろと日頃から父に言っている手前、大丈夫だとは言いかねる。亡くなった祖父などはよく耕運機を車代わりに乗り回していたが、そういう不安は確かにあるだろう。結局はどちらが良いかという問題ではなく、好みの問題なのだろうが、個人的には田舎で暮らしたいと思うところだ。

 新幹線はすぐに東京駅のホームに入る。降りて10分後にはオフィスの自分のデスクに座ってパソコンを立ち上げていた。田舎暮らしの将来的な実現可否はわからないが、日々の仕事はどちらにせよ大事な事には変わりない。のんびり週末を過ごしたら、また頑張って働こうと思うのである・・・


【今週の読書】

天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方 - ジョン・アレン・パウロス, 望月 衛, 林 康史  マスカレード・ホテル (集英社文庫) - 東野 圭吾 とんび (角川文庫) - 重松 清







2013年6月22日土曜日

お酒の話

 今週は、同僚の送別会があった。もともとそんなに酒が飲める方ではない私は、たいていの場合、ジョッキでビール一杯+サワー一杯程度しか飲まないのであるが、去りゆく人に半ば無理に勧められるまま日本酒を飲んだらすっかり調子が狂ってしまった。この頃ではちょっと珍しい事だった。

 職場でも飲むのが好きな人は、毎日のように飲みに行っているようである。そこまでとはいかなくとも、家で晩酌が欠かせないという者も多い。私はと言えば、晩酌はしないし、飲みに行くのも歓送迎会+αくらいだし、せいぜいが週末の夜に一人映画を観る時にバーボンを少し飲むくらいだ。それで十分不満はない。

 初めてビールを飲んだのは中学生の時だった。お盆に田舎で近所から集まって来たおじさんたちに飲まされたのであるが、たいがいの人と同様、「こんな苦いものを大人たちはよくうまそうに飲むな」というのが感想だった。ビールの味に慣れたのは大学生の頃だったと思う。その他の酒についても同様だ。

 初めは自分が酒に強いか弱いかなんてわからない。ただ、そこは体育会系。「できない」とは言いたくない性分なので、それこそ吐くまで飲む。それで次第に限界がわかってくる。「ひょっとしたら自分はそんなに強くないな」と、学生時代を通して気がついたと言えるだろう。

 酒に対する耐性は遺伝なのだろうか。親父はやはり飲めない方で、飲めば顔が真っ赤になる。だが、祖父は飲ん兵衛で、顔には出ないタイプだった。私はと言えば、目の周りだけが赤くなる。遺伝であるようなないような気がするが、祖父と父と半々ずつ受け継いだとは言えるだろう。

 そんな程度なのでこれまで酒で失敗したという事はあまりない。でもやはり酒で失敗する人はいるもので、銀行に入って最初に配属になった支店には、飲むと見事に180度人が変わるという酒乱の人がいた。日中は穏やかで冗談を言っては周囲を和ませ、仕事も得意分野の個人ローンでは知識豊富でみんなに頼られていた。ところが飲むと酷い絡み酒。同僚からも、飲みに行った先々の店の人からも嫌われていた。誘われる時はジキル博士状態なので、のちのハイドの姿を想像し複雑な気分であった。

 幸い自分はそんなにおかしくなる性質ではなかったが、ただ困ったのはすぐに眠くなる事だ。特に接待の時は困った。注がれて飲まないのは失礼だし、飲んで寝るのは尚失礼。これでよくあとで上司に怒られた。今でもそうだが、こればかりは意識でコントロールできるものではない。「気がついたら落ちている」状態だから性質が悪い。それで自然とそんなに飲んでいなくても飲んでいる雰囲気を出す事ができるようになったと思う。

 ただ、プライベートでは時としていつの間にか限界オーバーしていた時もあった。自分でも危ないと思ったのは線路に落ちた時だ。日本酒を飲み過ぎて、なぜか途中下車した駅でフラフラ歩いていたらもの凄い衝撃があり、気がついたら目の高さにホームがあったのだ。すぐにホームに上ったが、電車が来ていなくて良かったと思う。しかしながらそれでもきちんと“着地”した自分の運動神経には、改めて関心した次第である(そのあと駅からの帰り道に電信柱に正面衝突もしてしまったなぁ・・・)。

 そんな程度の失敗はご愛嬌だ。これまでやけ酒というものは飲んだ事がないし、これからもそれはないだろう。その点では、楽しく上手に飲んでいると言えるのではないだろうか。
いずれ子供たちが大きくなったら酒を飲むようになるだろうか。妻の家系は徹底して下戸だし、父親もそんな状態だから、たぶん強くはならないのではないだろうか。

 事実、息子がまだ赤ん坊の頃、試しにバーボンを舐めさせたら真っ赤になった(あの時は妻にばれたら大変だとこっちは青くなった・・・)くらいだから、たぶん飲めない遺伝子は受け継いでいると思う。まあ飲めないなりに、飲み方はレクチャーしてあげたいと思うし、ちびちび一緒に楽しみたいとも思う。

 あるかないかどっちがいいかと問われれば、やっぱり酒はあった方がいい。そんなに飲めなくとも、まったく飲まないのはつまらないし、これからは特にビールのおいしい季節である。友達と会う時はやっぱり飲んだ方が楽しい。これからも付かず離れず、楽しく酒とは付き合っていきたいと思うのである・・・


【今週の読書】

逆説の日本史 19 幕末年代史編2 井伊直弼と尊王攘夷の謎 (小学館文庫 い 1-34) - 井沢 元彦 人生と財産―私の財産告白 - 本多 静六 マスカレード・ホテル (集英社文庫) - 東野 圭吾







     

2013年6月16日日曜日

父の日に思う

自分自身に欠けていたものが
息子に実現されるのを見ようとするのは、
すべての父親の敬虔な願いである

ゲーテ
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 今日は父の日。実家の父には昨日、ワインを渡してきた。ここのところ、甘口フルーティなワインを嗜んでいるとの事で、まぁ何にしようか選ぶのも大変なので、手っ取り早く決めてしまった感もある。

 自宅に帰れば今度は自分が父親。されど子供たちからは何もなく、ごく普通の週末であった。中学生の娘は午前中から友達とカラオケに行き、小学校2年の息子こそ家にいたものの、取り立てて何をするという事もなかった。

 幼稚園の頃は、子供たちも幼稚園でお父さんの絵を描かされたりしていたから、それをプレゼントしてくれていたが、小学校はさすがにそんなものはない。そのためには、わざわざ何かをしないといけない。さすがに娘は5年生までは絵を描いてコメント付でプレゼントしてくれたが、息子はもうしてくれない。

 もっとも息子に言わせれば、学校の宿題や子供チャレンジの課題や、週末に録画してママと観る「八重の桜」や、レゴで遊ぶので「とても忙しい」らしい。まぁ仕方ないのだろう。子供たちからの絵のプレゼントは2011年でストップという事になりそうだ。

 そもそも父という漢字は、手に斧を持った男性を指すそうで、家族を守り、養い、率いる役割の象徴という事らしい。「母なる大地 父なる太陽」という言葉があるが、父親には近寄り難く、それでいて必要な時には必要な光を授け、時には雷も落とす存在という事らしい。我が身を振り返ると、だいぶ違うようである。

 自分の父親と比較すれば、子供たちと接触する頻度は遥かに高いと思う。父が私の授業参観に来た記憶はないし、わずかにサイクリングをしたり、海に連れて行ってもらったりした記憶がある程度である。時代も「男は仕事」の雰囲気に満ち溢れていたし、裸一貫で田舎から出てきた両親は、それだけで生活も大変だっただろうから仕方がないと思う。

 その点、今の自分は時代にも恵まれ、子供たちとより多くの接点を持てるのはありがたい事である。そんな現代において父の役割とは何だろうかと考えてみる。やはり自分の経験から、「自立して生きていける力」、「考え方」を身に付けさせたいと思う。その鍵は、勉強する事とコミュニケーションだ。

 勉強は学校の勉強だけに留まらない。社会人になっても、その時その時必要な勉強を継続できる力だ。帰りの電車で漫画を読み、帰宅しても晩酌をしながらお笑い番組を観て寝るだけというような社会人にはなってほしくない。

 コミュニケーションも重要だ。これは友達との関係でも、今から実践で十分学べる。社会へ出ても恋人や上司や同僚たちとうまくやっていくには、コミュニケーション力が必要である。自分が初めに躓いた所でもあるし、しっかり教えてあげたいところだ。

 そしてそんな教えを素直に聞いてもらうためにも、まさにコミュニケーションが大事だろう。今でこそ実家の父には何の遠慮もなく話ができるが、子供の頃はやはり何かあればまず母親だった。父に何かを相談すると言う事がなかったのは、やっぱり接点が少なかった事が大きい。自分としては、あまり「近寄り難い存在」にはなりたくないと思う。

 これから子供たちもますます大きくなる。話題もより大人の話題になっていくだろう。人生の岐路に悩む事もあるだろう。そんな時に、「必要な光」を与えられる父親でありたいと思う。そのためには、まだまだ日々是修行だと思うのである・・・

2013年6月13日木曜日

性格

 最近仕事である僚友店の担当者と頻繁にやり取りをするようになった。こちらから事務対応をお願いするのだが、その担当者は実に気持ちよく引き受けてくれる。モノによっては面倒なものもあり、担当者によっては電話口から面倒だという気持ちが伝わってくる人もいるのだが、この人はまったくそんな事もない。いつも気持ちよく仕事を引き受けてくれてありがたいのだが、自分は果たしてどうだろうかと我が身を振り返ってみる。

 なるべく、頼まれれば気持ちよく引き受けているつもりではある。仕事を頼む時は丁寧にお願いし、相手がミスした時も、最終自分がチェックしているのであなたの責任ではないと言うようにしている。事実、自分のミスなら許せるが、他人のミスだとやはりい
い気がしない。ならみんな自分のミスにしてしまうようにすればいいと考えている。

 そんな風に考えられるようになったのも、社会人になってからだ。学生時代から比べると、随分成長したものだと我ながら思う。「性格は変えられないが、対応は変えられる」とは、いつだったか研修で教えてもらった言葉だが、それを聞いて随分楽になった記憶がある。

 自分の元々の性格はと言えば、人と関わり合うのがあまり好きではなく、どちらかと言えば孤独を好む方だ。真面目だが明るくバカになりきれないところがある。一人で音楽を聞いて鼻歌を歌うのは好きだが、みんなでカラオケに行くのはゴメンだ。大勢でワイワイやるより、数人で静かに語り合うのが好きだ。そんな自分の性格は親父譲りだと思う。

 子供たちを見ていると、そんな私の性格を長女は多少受け継いでいる。群れる事を良しとせず、自分の好きな世界がある。孤独にも耐えられる。傍から見ていると、心配になる部分はあるが、カラオケは好きらしく、よく友達とつるんで行っているようだから、少しは安心できるかもしれない。

 息子はと言えば、誰の性格を受け継いだのか、クラスではひょうきん者で通っているらしい。「面白いのよ」と担任の先生のお墨付きも得ている。お姉ちゃんに比べたらだいぶズボラなのであるが、家族内でもずっとしゃべり続けているし、愛すべきキャラクターだ。友達にも愛されるのではないかと期待している。

 どちらが良いとは思わないが、やっぱり息子のように明るい性格の方が苦労しない気がするし、それは間違いないだろう。「笑う門には福来る」とも言うし、仕事をしていても、明るい人にはモノを頼みやすいし、ミスしても許してもらいやすいだろう。従兄弟にもそんな明るい性格の者がいるが、やっぱり友達は自分よりたくさんいるようだ。

 それはそれで羨ましい限りだが、ではこれからそんな明るい性格になれるかと言えば、確実に無理だ。やっぱり性格は変えられない。娘も100%私の性格を受け継いでいるわけではないから、多少は安心だ。だが、やっぱりこの世は人と人との関係で成り立っている。時によっては対応は変えていかないといけない。相手が気分良く自分と付き合ってくれるような対応を心掛けないといけない。いずれそんな事も子供たちには教えたいものである。

 とは言え、自分のこの性格を愛する事ができるのも自分だけ。ずっと付き合ってきたし、これからもずっとこれでやっていく。周りの人に対する対応には気をつけながら、愛すべきこの自分の性格と末永く付き合っていきたいと思うのである・・・


2013年6月6日木曜日

ゴースト~天国からのささやき~

 今ちょっとある海外ドラマにハマっている。それは、『ゴースト~天国からのささやき~』というドラマである。と言ってももう本場アメリカでは、シーズン5くらいまでやって放送も終わっているようだし、日本でも既に民法で放映されたようである。ふとしたきっかけで観始めたら、面白くてやめられなくなってしまったのである。

 主人公のメリンダ・ゴードンは霊能力者。子供の頃から代々受け継いだ能力を持ち、人には見えない霊が見え、そして話ができる。結婚して小さな町に住み、そしてアンティーク・ショップを経営しているのだが、その片手間に人助けならぬ“霊助け”をしている。

 ドラマの設定では、人は死ぬとみなあの世へと行く。しかし、何かこの世に想いを残すと、あの世へ行かずこの世に留まってしまう。メリンダが話をするのはこういうこの世に留まってしまっている霊たち。メリンダは、彼ら彼女らの心の内を聞き、その心残りを取り除いてやる。そうする事によって、霊たちは無事「光の中=天国?」へと旅立って行ける。

 踏切事故で亡くなった男の子が、その踏切で母親を待ちつづけている。古い屋敷に留まる火事で焼け死んだ子供たち。ベトナム戦争で死んだ男が、故郷に残してきた妻と幼い子供を案じる。自分の死後、反目する父と息子に心を痛める母親。そんな霊たちを助けるメリンダ。気がつくと毎回のようにウルウルしてしまっている。

 ドラマの設定は、映画「ゴースト~ニューヨークの幻」や「シックス・センス」などと似ている。だいたい日本でも同じだろうか。よく霊能力者だとか、霊感が強くて「見える」などという人の話を聞くが、実際のところはどうなんだろうと考えてみる。

 実は個人的には、幽霊というものはまったく信じていない。子供の頃は、田舎へ行くと、夜トイレまでの暗い廊下を歩けないなんて事もあったが、今ではまったく信じていないから、幽霊屋敷でも平気で一人で泊まれる(たぶん)。それでも古今東西、幽霊の話はあちこちにあるから、何らかのものはあるのかもしれないとも思う。

 たぶん、それは人間の生体エネルギーのようなもので、それが死後も残ったりして、いわゆる霊感の強い人はそれが見えるという事なら、あるのかもしれないと思う。それなら心霊写真だって説明がつく。誰もいないエレベーターに乗り込んだり、誰かが入っていたトイレに入った時に、香水やその他の残り香が漂っていたりするようなものだ。

 ただ、もしそうだとしても、それは残留物であって、それが思考するなどという事はありえないだろう。写真がモノを考えないのと同じだ。思考はあくまでも脳細胞の活動の結果だからだ。だからこそボケるのだ。死んでしまった人間が、生きている時のようにあれこれ思考する事は、どう逆立ちしたところで想像できない。「我思う、ゆえに我あり(COGITO ERGO SUM)」である。

 なんでも理屈で考えてしまう私は、人間の霊魂をそんな風に考えている。それはそれとして、もしもドラマのようだったとして、果たして自分は素直に昇天できるだろうかと考えてみる。この世に想いを残す事なく、あの世に旅立てるだろうかとなると、少々心もとない。というか、今は完全に無理だろうと思う。まだまだ責任の残っているものがたくさんあり過ぎる。それらを放り出すのは、あまりにも無責任だ。間違いなく、成仏できずに残るだろう。

 ではあと30年くらいしたらどうだろう。その時までには、あらかたの責任はきちんと果たし、穏やかな心境でいたいと思う。老後は午前中は毎日喫茶店に行って本を読み、午後は映画館へ行き、夜はブログを更新し、フェイスブックにも投稿しと、そんな老後を送っていたいがどうだろう。そんな老後まで、まだまだ人生長いし、楽しみはあるし、責任もあるし苦悩もあるが、そんな諸々も生きる証と考えていきたいものだ。

 メリンダの活躍はドラマの中だけで楽しみたいし、もしもドラマのような世界があるとしても、残された家族やお世話になった人たちにお礼のメッセージを託けるくらいで済むようにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】

日本経済大消失 生き残りと復活の新戦略 - 中原圭介  真夏の方程式 (文春文庫 ひ 13-10) - 東野 圭吾





2013年6月1日土曜日

誕生日に思う

49回目の誕生日を迎えた。
今回は週末とあって、ゆっくり朝寝坊。
いつもと変わらぬ朝を迎えられて何よりである。

突然49という意味を考えてみた。
日本人的には、ついつい「4始終9苦労する」とか「四苦八苦」などと考えてしまう。
アメリカ式だと49ersだろうか。フットボールのチーム的にはカッコイイが、一攫千金を夢見たゴールドラッシュの元祖49ersはみな夢破れた人たちだと考えると、どうやら今年もまだまだ一苦労しないといけないのだろうかなどと思ってみたりする。

心配のタネは既に出ていて、母親がまた入院している。
検査入院とは言うものの、薬で症状を抑えられなくなってきているのかもしれず、心配なところである。原因の一つにストレスがあると考えているが、その最大なものは我が妻との悪関係であり、私の力ではどうしようもない。

先日も見舞いに行った際、ついつい議論してしまい、また母親を論理でねじ伏せてしまった。それがまたストレスになるかもしれないと考え、自己嫌悪の日々である。
そんなパパの心とは関係なく、娘は朝から学校の試験勉強だ。
中間試験、期末試験と、そう言えば自分も中高生の時はあったなぁと懐かしく思う。
娘からは、成績が良かったら臨時こずかいをくれと要求されている。中学に入ってから友達と遊びに行ってお金を使うようになり、毎月のこずかいでは足りないようだ。
まぁそんな目標もあって良いかもしれないと思う。

せっかくの好天気に息子を誘いだして石神井公園へと出掛けていく。
我が家からだとちょっとしたサイクリングだ。
適当なところで自転車を止め、あらかじめ持参したグローブを取り出してさっそくキャッチボール。初めの頃は固い軟式ボールを怖がっていたが、この頃では普通にキャッチボールができるようになった。

キャッチボールで大切な事は、相手が取れるボールを投げる事だと息子に説く。
自分の投げたい球を投げる事ではない。
相手が取りやすいように、胸元へ向けて投げる。
取れないボールを投げれば、相手は取り損なってボールを体にぶつけて痛い思いをするかもしれない。後逸すれば、ボールを取りに行く時間が無駄になる。

そして何よりも、きちんと投げる事は自分のコントロールの練習にもなる。
それはそのまま言葉のキャッチボールにも当てはまる、とふと思う。
論理と感情のボールを互いに投げ合って、相手のボールを受けとめようとしない。
だから母親とのコミュニケーションがうまく取れていない。
にもかかわらず、母親からは誕生日を祝うメールが届いた。

「11時42分(原文では1142分となっている)に生まれた ただ嬉しかった」
そんな言葉が綴られていた。嫁姑問題はもう解決は無理かもしれないが、自分と母親との関係改善はまだまだ十分可能だ。せめてそのくらいの「苦労」はしないといけないだろう。

始終苦労しても良いじゃないかと思う。
四苦八苦も避けられるものではないというのが仏の教え。
ならば、ラグビーをやっていた者として、「倒れる時は前へ」という気概で迎えなければなるまい。親や家族の想いをすべて受け止めよう。

そんな49erでありたいと思うのである・・・


【今週の読書】

これから世界で起こること - 中原 圭介  真夏の方程式 (文春文庫 ひ 13-10) - 東野 圭吾