2013年6月6日木曜日

ゴースト~天国からのささやき~

 今ちょっとある海外ドラマにハマっている。それは、『ゴースト~天国からのささやき~』というドラマである。と言ってももう本場アメリカでは、シーズン5くらいまでやって放送も終わっているようだし、日本でも既に民法で放映されたようである。ふとしたきっかけで観始めたら、面白くてやめられなくなってしまったのである。

 主人公のメリンダ・ゴードンは霊能力者。子供の頃から代々受け継いだ能力を持ち、人には見えない霊が見え、そして話ができる。結婚して小さな町に住み、そしてアンティーク・ショップを経営しているのだが、その片手間に人助けならぬ“霊助け”をしている。

 ドラマの設定では、人は死ぬとみなあの世へと行く。しかし、何かこの世に想いを残すと、あの世へ行かずこの世に留まってしまう。メリンダが話をするのはこういうこの世に留まってしまっている霊たち。メリンダは、彼ら彼女らの心の内を聞き、その心残りを取り除いてやる。そうする事によって、霊たちは無事「光の中=天国?」へと旅立って行ける。

 踏切事故で亡くなった男の子が、その踏切で母親を待ちつづけている。古い屋敷に留まる火事で焼け死んだ子供たち。ベトナム戦争で死んだ男が、故郷に残してきた妻と幼い子供を案じる。自分の死後、反目する父と息子に心を痛める母親。そんな霊たちを助けるメリンダ。気がつくと毎回のようにウルウルしてしまっている。

 ドラマの設定は、映画「ゴースト~ニューヨークの幻」や「シックス・センス」などと似ている。だいたい日本でも同じだろうか。よく霊能力者だとか、霊感が強くて「見える」などという人の話を聞くが、実際のところはどうなんだろうと考えてみる。

 実は個人的には、幽霊というものはまったく信じていない。子供の頃は、田舎へ行くと、夜トイレまでの暗い廊下を歩けないなんて事もあったが、今ではまったく信じていないから、幽霊屋敷でも平気で一人で泊まれる(たぶん)。それでも古今東西、幽霊の話はあちこちにあるから、何らかのものはあるのかもしれないとも思う。

 たぶん、それは人間の生体エネルギーのようなもので、それが死後も残ったりして、いわゆる霊感の強い人はそれが見えるという事なら、あるのかもしれないと思う。それなら心霊写真だって説明がつく。誰もいないエレベーターに乗り込んだり、誰かが入っていたトイレに入った時に、香水やその他の残り香が漂っていたりするようなものだ。

 ただ、もしそうだとしても、それは残留物であって、それが思考するなどという事はありえないだろう。写真がモノを考えないのと同じだ。思考はあくまでも脳細胞の活動の結果だからだ。だからこそボケるのだ。死んでしまった人間が、生きている時のようにあれこれ思考する事は、どう逆立ちしたところで想像できない。「我思う、ゆえに我あり(COGITO ERGO SUM)」である。

 なんでも理屈で考えてしまう私は、人間の霊魂をそんな風に考えている。それはそれとして、もしもドラマのようだったとして、果たして自分は素直に昇天できるだろうかと考えてみる。この世に想いを残す事なく、あの世に旅立てるだろうかとなると、少々心もとない。というか、今は完全に無理だろうと思う。まだまだ責任の残っているものがたくさんあり過ぎる。それらを放り出すのは、あまりにも無責任だ。間違いなく、成仏できずに残るだろう。

 ではあと30年くらいしたらどうだろう。その時までには、あらかたの責任はきちんと果たし、穏やかな心境でいたいと思う。老後は午前中は毎日喫茶店に行って本を読み、午後は映画館へ行き、夜はブログを更新し、フェイスブックにも投稿しと、そんな老後を送っていたいがどうだろう。そんな老後まで、まだまだ人生長いし、楽しみはあるし、責任もあるし苦悩もあるが、そんな諸々も生きる証と考えていきたいものだ。

 メリンダの活躍はドラマの中だけで楽しみたいし、もしもドラマのような世界があるとしても、残された家族やお世話になった人たちにお礼のメッセージを託けるくらいで済むようにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】

日本経済大消失 生き残りと復活の新戦略 - 中原圭介  真夏の方程式 (文春文庫 ひ 13-10) - 東野 圭吾





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