2013年5月12日日曜日

国民栄誉賞

 先日、長嶋と松井が国民栄誉賞に輝き、ジャイアンツファンとして、そして何よりも長嶋ファンとしてそのニュースを喜んでいた。その後、ミスターは多摩川グラウンドを訪れたとニュースでやっていた。そのニュースを見て、小学生の頃、はるばる自転車を飛ばして同所へ行き、ミスターにサインをもらった事を懐かしく思いだした。

 それはそれで良いのだが、興奮が冷めてくると何だか疑問に思う事がでてきた。受賞そのものには何の異論もないし大賛成なのだが、なんでこの時期なんだろうとか、他にはいないのだろうかとか、諸々である。たぶん、時期としては松井が引退した事が大きいのだろう。だが、ミスターは何で今まで放っておかれたのかわからない。

 ONコンビの王さんは、ホームランの世界記録というタイミングだったが、ミスターは相応しいタイミングがなかったのだろう。たまたま時期に巡り合った松井が候補に上がり、「松井がもらうのにミスターがもらわないのがおかしい」となったのだろう。たぶんそれがなければ、ミスターの受賞は死んだ時だったに違いない。

 事実、過去の受賞者22人+1団体のうち12人が没後受賞だ。死んではじめて“思い出された”と言える。そういう意味では、タイミングがすべてのようだ。亡くなってから「あぁそうだ」って思いだしてもらえるか、オリンピックなどで活躍して話題になるか。

 松井は謙虚な人だから、受賞を恐縮していたようだが、プロ野球界だってふさわしい人はたくさんいる。神様稲尾、カネやん金田、野村監督、安打製造機張本、世界記録だったら金本もそうだ。野球以外でもたぶんふさわしい人はたくさんいるだろう。

 受賞にあたっては何かルールがあるのかと言えばそうでもないようだ。時期もバラバラ。2000年に高橋尚子がシドニーオリンピックで金メダルを取ってもらっているが、そのあとは9年後だ。しかもその2009年は遠藤実(1月)、森光子(7月)、森繁久爾(12月)と連発。まぁもともとルールなんてないようだし、時の政権がその時々で選んでいる。だから、「政権の人気取り」なんて声も聞こえてくる。

 もう少しルールを明確にして、毎年表彰するようにしても良いのではないかという気がする。没後受賞もいいけれど、できれば生前受賞の方が良いに決まっている。「政権の人気取り」と陰口を叩かれるようなものでない事が良いだろう。毎年大晦日に発表したりしても良いのではないだろうか。

 長嶋さんが没後受賞なんて寂しい事にならなかったのは実に幸いであるが、そんな風に思った国民栄誉賞なのである・・・


0 件のコメント:

コメントを投稿