2012年4月20日金曜日

リーダー不在の憂い

原発を再稼働させるとか時期尚早だとか、消費税を上げるとか上げないとか、連日与党も野党も入り乱れての大混戦。 民主党も、選挙時のマニュフェストの内容なんてすっかり忘れてしまっているようだ(まあもっとも、「マニュフェストにこだわるな」と散々叩かれたから、今さらマニュフェストなんて言われてもチャンチャラおかしいのかもしれない)。野田総理も言う事は勇ましいが、果たして実行できるのかよくわからない。

そんな政治の状況を見ていると、リーダー不在の烏合の衆というイメージがしてならない。今の状況は、目の前に氷山が迫るタイタニック号の船上で、「右へ回避すべきか左へ回避すべきか」で喧々諤々の議論をしているようなものではないだろうか。これと決めて、みなを従え、先頭に立って困難に立ち向かう人が誰もいない。またそんなリーダーに無私の心で協力し、しっかりサポートして行こうなどという団結心も、民主党の中にはないみたいである。

かつて業績不振にあえいでいたヤマト運輸。競合他社からは遅れを取り存亡の危機にあった時、当時の小倉社長は競合激しい法人マーケットを諦め、個人の荷物の取り扱いに参入すると宣言した。ところが、そんな未知の領域へ打って出ようとする社長の方針に、役員は全員反対。小倉社長はそんな役員の反対を押し切って、これがヤマトの生きる道だと、宅配市場の創設に尽力。その結果、今やヤマト運輸は宅急便で不動の地位を築いている。もちろん、そんな方針に一致団結して事に当たった社員の尽力もあるだろう。今の日本の政治にはそんなリーダーが必要な気がする。

リーダー不在の烏合の衆と化した日本の政治の問題点は、実は日本人特有の問題点なのかもしれない。黒船の来航に際し、何年も前から来航が予測されていたのに有効な対応を考える事もなく、その場になって右往左往し、後手後手に回った江戸幕府。結果は不平等条約となって、後の政府を苦しませた。

原爆を落とされ、ソ連が参戦し、もはやこれまでという状況でもなお戦争継続派と終結派が対峙し、意見がまとまらなかった戦時下の政府。最後は御前会議で天皇の裁断を仰がざるを得なかった。もっと早く決断していれば、被害はもっと少なかったはずである。歴史をひも解けば、似たようなケースが出てくる。

もともと「和を持って貴し」とする伝統ある我が国。
「出る杭は打たれる」のも同様。
天皇も歴史を通じて日本に君臨し続けてきたが、その大半は直接の統治能力はなかった。
江戸の将軍も幕府の老中たちが実務を取り仕切っており、独裁とは程遠い。
ヒーローを尊敬するアメリカなどとは違って、リーダーが生まれにくい国民性なのかもしれない。

それは何も政治ばかりではなく、企業内でも然り。
面白い提案も、議論を経るとありきたりで陳腐な施策に変わっている事はしょっちゅうだ。
アップルのiPodだって、必要な資源も蓄積もソニーはすべて持っていたというが、例え誰かがiPodのアイディアを思いついたとしても、“会議”で消滅してしまったのかもしれない。
例えスティーブ・ジョブズでも、ソニーで働いていたら一連の商品は生み出せなかったに違いない。

身の回りでもそんな経験はよくある。
そんな状況が、たぶん庶民の間から政府まであるのだろう。
リーダーよ出でよ、と言っていても仕方がない。
日本のために何ができるだろうか、と考えてみる。
まずは身の回りから、自分が一歩踏み出して出る杭になるという事だろうか。

それで何が変わると言う事はないが、厭わない気構えだけは示してみようと思うのである・・・


【本日の読書】
さかな記者が見た大震災 石巻讃歌 - 高成田享  逆説の日本史18 幕末年代史編1/黒船来航と開国交渉の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦





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