仕事上の都合から入行(=入社:銀行用語)3年目のA君と半日一緒に行動した。
年齢で約20歳違う。私の今いる職場はおじさんばかりで、20代の女性3人を除けば40代が8割を占めるという“高齢”職場である。そんな私にしてみれば、20代の若い男とじっくり話をする事は、ちょっとした刺激だった。
思えば銀行の仕組みも随分と変わった。
私の頃は昔風に預金係から始り、貸付係・取引先係と何でもやらせられる時代だったが、今はわりと専門的にスタートする。札勘(さつかん:要はお札を数えること)は最初に習うのは一緒だが、今はあまりじっくりとはやらないようである。そういう私も磨いた札勘の腕前は、合コンではウケたが、実践向きとは言えなかった。
私の頃は新入行員はみな独身寮に入れられたが、今は実家から通える者は希望しても寮には入れないのだという。バブル後の嵐を生き抜いた銀行に、かつてのような余裕などないのであろう。とは言え、入行して最初は給料が安い部分は変わらず、この20年で初任給は5万円しか増えていない。それでもやっぱりスマートフォンを持っているところは今風だ。
その彼は、わりと気さくな性格で次々にいろいろな事を尋ねてきては、自分自身のこともいろいろ語ってくれた。彼女はまだいないようであったが、いずれ結婚してと、まだ結婚に夢も希望も抱いているようだった。現実に結婚して、結婚生活の良い部分と悪い部分を知ってしまった立場としては、「慌てずよく選びなよ」とだけアドバイスした。いずれ彼も現実を知る事になるのだろう。
たまたまであるが、将棋の羽生名人の『大局観』という本を読んだ。
人生も大局観を持って鳥瞰できれば、誤る事も少ないのかもしれない。
だが、現実は猛スピードで車を運転しているようなもので、人生というハイウェイを走りながら、目の前の現実という路面しか見えていない。
その時は最善の選択だったものも、あとから振り返ると曲がり損ねた角にたくさん気がつく。彼の言動からは、若者らしい脇目も振らないドライブ感を感じた。
いつのまにか、「いいなぁ」と彼を羨ましく思っている自分がいた。
年を経て経験を積むと人間は当然ながら賢くなる。
ただ、「これをすればこんな失敗をするかもしれない」、「こうして失敗した人がいた」、「ここにはこんなリスクがある」、いつのまにかそんな知識だけ増え、気がつくと冒険できなくなってしまうのかもしれない。若い頃には転んでもすぐ起き上がれるし、失うものも少ないが、年月を経ると積み上げたものを失う恐怖も出てくる。
今から20年後の自分を想像すると、今の自分は遥かに若く、まだまだ何でも出来そうな気がするし、実際そのはずだ。だが、20年前の自分から比べたら、確実に年老いている事をあらためて実感させられた。まあそれは仕方あるまい。
人生はまだまだ中盤戦。これから頑張ってやりたいこと、行きたい場所がまだたくさんある。残り時間を気にしながらも、人生を楽しみたいと思ったのである・・・
【本日の読書】
「グレート・カンパニーの作り方」五十棲剛史
「Story Seller」伊坂幸太郎他
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