2011年2月26日土曜日

消費税増税に思う

最近消費税増税の議論が活発になってきている。
政治的には消費税増税を訴えると選挙では不利になるからみんな避けてきた。
管総理も消費税増税を訴えて選挙で失敗している。
にもかかわらず、ここにきて再び消費税増税がニュースに出てきている。
まあ今の「収入40兆円、支出90兆円、赤字50兆円」という国家財政が健全であるはずがなく、どこかでバランスを取らなければ破綻は避けられないから当然だろう。

それはそれで仕方ないとして、気になるのは議論の一つとして「消費税を社会保障目的税化しよう」というのがある事だ。年金などの社会保障費用はより安定した財源として消費税で賄おうという意見で、これ自体はかまわないと思う。ただ、それが消費税増税と絡むと、「ちょっと待てよ」と思ってしまう。そこにはただ増税するのはけしからんが、社会保障に使うのなら仕方がないとなんとなく人々に誤解させるモノがあるからだ。事実、先日も私がお手伝いしている社会人向け勉強会「寺子屋小山台」でも、そう発言する人が二人もいた。読売新聞でも声高に叫ぶ意見が掲載されていたが、その記事のどこを読んでも私の疑問には答えてくれない。

例えば少年Aが毎月5,000円のおこずかいをもらっていたとする。
そのうち1,000円は文房具やら学校や塾での必要経費で、純粋に使途自由なおこずかいは4,000円だ。
ところが遊びに忙しいAはこれでは足りない。
そこでママに1,000円のおこずかいアップを交渉した。
ママの答えは当然、「No」。
「無駄遣いをやめなさい」と言う訳だ。

ところがAからすれば、「無駄遣いなんて1円もしていない」。みんな必要なのだ。
そこで一計を案じ、「ならば文房具など学校や塾で使っている分1,000円に充てるからその分を上げてほしい」と申し入れた。「目的こずかい制」の主張である。
ママもそれなら仕方ないかと承知した。
こうしてAは、それまでの使途自由なこずかい「5,000円に加え」、「目的こずかい1,000円」をもらう事となったのである・・・

何がおかしいかは一目瞭然だが、消費税増税ではどこからも疑問があがってこないのは不思議だ。
社会保障目的税は良いと思うのだが、ならばそれは今の消費税収をそのまま充てれば良い話だ。
だから消費税を10%にするのは仕方ないとするのはおかしいのである。
それを言うなら、その分減税とセットしないと少年Aのママのようにうまく丸めこまれる事になる。

マスコミも気がついていないのか、あるいは増税やむなしのコンセンサスを作ろうと狙っているのかわからないが、「社会保障目的税化」については歓迎ムードである。
新聞に書いてある事を鵜呑みにしてはいけないという良い例である。
我々は知らず知らずのうちにコントロールされているのだ。

もっともそういうレトリックで消費税を5%から10%に上げたところで、増える税収は10兆円らしい。大山鳴動しても収支バランスは「収入50兆円、支出90兆円で40兆円の赤字」になるだけである。どう考えても明るい未来があるようには思えないのである・・・


【昨日の読書】
「ハーバード白熱教室講義録」マイケル・サンデル
「逆説の日本史⑰」井沢元彦
     
    

2011年2月22日火曜日

スキーin上越国際

週末に2週続けてとなるスキーに行って来た。今度は1泊2日。場所は前回の湯沢より少し先の上越国際スキー場である。

前回の教訓を活かし、1時間早く朝の5時に出発。その甲斐あってかそれとも前回だけだったのか、渋滞には合わずに3時間後には現地に到着。幸先の良い滑り出しであった。

天気は好天。
白銀がまばゆいし、遠くの山々が鮮やかに広がる。前回のナスパはスノーボード禁止だったが、こちらはオープン。
何やらスノーボードの大会も行われており、話によると普段からもスノーボーダーが7割を占めるらしい。ちょっと前回とは雰囲気が異なるところである。

スノーボードも気にはならないのだが、ゲレンデの真ん中で平気で座られるのには閉口する。
狭い林間コースでも並んで座られ、コースが半分塞がれていたりもした。
私一人なら気にならないが、何せ初心者の子供が突っ込みはしないか、下手に避けようとして転びはしないかと冷や冷やした。マナーさえしっかりしてくれれば、スノーボードとの共存はできると思うのだが・・・

なんでもスノーボードはスキーよりも怪我をすると大変らしい。
ストックがない分、手をついて骨折する事が多く、またジャンプなどアクロバチックな動きをするため、脊椎損傷なんてスキーではないような大怪我もあると言う事だ。
まあやりたいとは思わないからいいのだが・・・
その代りスノーサイクルはやってみたいと思った。
これはなかなか面白そうだ・・・

5歳の長男は3回目のスキーともあって、ボーゲンの腕を上げた。
いずこかの初心者のお姉ちゃん二人が、ちょっとした斜面の林間コースでよろよろドスンとやっている脇を長男がさっそうと滑り下りる。お姉ちゃんたちも歯ぎしりしているに違いないと我が子を逞しく思う。

勢いよく滑降する長男に追いついて、振り向きざまに顔を見たら、半べその顔をしていた。どうやら自分でもコントロールできなかったらしい。まあそうやって人生の試練と向き合うのだ。

そのあと斜面ではジグザグに降りる事を教えたら、すっかり覚えて2日目には中級者コースをボーゲンでジグザグに降りられるようになった。
長女はもう少し滑れるし、そうすると私も少しは自分の滑りたいように滑れる。
少しは練習しないといつまでたってもうまくなれない。
次回はみんなもう少しレベルアップして滑れそうな気がする。

最近のカービングスキーは昔のスキーとは滑り方が違うらしい。
そんな事を言われたって見ても違いなんてわからない。
まあラグビーだって、年々ルールが変わって進化しているから不思議でもない。
誰かに見せるわけでもないし、自分が楽しければいいやと思う事にした。
それでもYoutubeをちょっと検索すると、いろいろとデモをやっている。
次回までに少し研究するのも悪くないかもしれない。

大満足で帰路に着く。
明日は仕事に学校だし、早目の帰宅と思ったのに帰りの関越で渋滞にはまってしまった。
これだけは、やっぱりなんとかしたいが、なかなか難しいところである・・・


【本日の読書】
「ハーバード白熱教室講義録(上)」マイケル・サンデル
「逆説の日本史⑰」井沢元彦
     

2011年2月17日木曜日

バレンタイン騒動

14日はバレンタインデー。
先週末に長女は二日間にわたってチョコ作り。
ママと一緒に買い物に行き、何やら台所にこもってせっせとこしらえていた。
そうして作ったものを、当日放課後にそれぞれの家に届けたらしい。
学校にチョコを持って行ってはいけないようなのである。

長女が配ったチョコは4つ。
友達への友チョコが3つと本命チョコが1つ。
個人情報保護の影響か本命チョコの男の子の家がわからず、友達に聞いてまわったそうである。
今はなかなか大変なご時世である。

小学校4年とはいえ、それなりに渡す時は緊張したらしい。
私が初めて女の子に「好きだ」と言ったのは小学校6年の時だった。
あっさりと「まだ早い」と言われてしまった。
あの頃もバレンタインデーの習慣はあったと思うが、縁のなかった私にはあまり記憶に残っていない。ただ「好きだ」と直接言うしかなかったから、チョコをあげるという行為で表現できる女の子は羨ましい気もする。

一方、長男は私が帰宅するなり小さな段ボールを抱えて中味を見せに来た。
いろいろな種類のチョコが無造作に放りこんである。
「全部で10個(中にはお婆ちゃんと叔母ちゃんの組織票も入っている)あるよ」と報告に来たのだ。
我が子ながら嫌味な奴だ。パパは中学までもらった事がなかったし、昨今は義理チョコだってそうそうもらえないっていうのに(男女比率がアンバランスでチョコ配りも大変な職場なのである)・・・

中には手作りチョコも入っていた。
まあお母さんに手伝ってもらったのだろうが、幼稚園の年中さんで手作りチョコとは恐れ入る。
一緒に渡されたカードを見れば、ひらがなすらミミズが這ったようなたどたどしい字だと言うのに・・・

どれかちょうだいと言ったら断られた。全部一人で食べるらしい。
今からこんなにもらうのが当たり前という感覚になってしまうのも良くない気がする。
ずっともらえなかったからこそ、高校の時初めて直接渡されて舞い上がるほど嬉しかったものである。もらうのが当たり前になると、ああいう嬉しさは味わえない事だろう。
それがいいのか悪いのか。

本当は悪しき習慣だと思うものの、ここまで浸透してしまうと抵抗しても無駄というもの。
子供たちの様子を見ていると楽しいイベントで良いようにも思えるし、素直に認めるべきかもしれない。でもいずれ本命に振られたりもらえなかったりという経験もきっとするだろう。
人生はチョコレートほど甘くはない。
そんな時にこそ、パパの出番はあるような気がするのである・・・


『涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない』(ゲーテ)


【本日の読書】
「野村の実践『論語』」野村克也
「長い長い殺人」宮部みゆき

2011年2月13日日曜日

ネットワーク

先日、我が大学のラグビー部OB会で運営している メーリングリストに投稿した。
推定300人くらいのOBに私の意見を載せたメールが一斉に配信されたわけである。
送信ボタンをクリックするのは個人間のメールと変わらない。
300人に送った、などという感覚はない。
しかし、そのあとそれをつくづくと実感させられた。

メールの意見に対する反響が返って来たのだ。
執行部サイドのOBからは、「よく言ってくれた」と感謝の言葉をもらった。
執行部側とすれば、自分たちが反論すれば角が立つ。
しかし、第3者の立場からの援護射撃は自分たちの正当性を擁護するものだからだ。

同じOBとは言え、まったく面識のない先輩からも同感だというメールもいただいた。
同じ銀行に勤める先輩からも、「賛意を持って拝見しました」という年賀状をいただいた。
卒業以来、音沙汰なかった後輩から20年振りの連絡が、メールという形で来た。
正月に同期と集まった時は、真っ先にその話題となった。
やっぱりみんなに届いているのだ。

先日の2回目の投稿後も、新たに後輩からメールが届いた。
シドニーに赴任しているという一つ上の先輩からは、「相変わらずの熱血漢だね」というメールをいただいた。学生時代から面倒な事は嫌いな先輩だったのに、わざわざメールをくれるなんて意外な気がした。もっとも、「相手は老後のヒマつぶしだから、相手にしてると大変だよ」というシニカルなコメントは変わっていなかった。

卒業して散り散りとなり、離れて別々の生活リズムで暮らしている何百人というOBに、自分の意見が一瞬にして広まるというのも、あらためてえらい事だと実感する。
これが現代のネットワークというものなのだろう。
最近はミクシィなどのSNSが一般的になっている。
私は最近誘われた勢いでFacebookに登録したが、使いこなせていない。
興味はあるが、それに費やす時間がもったいないというのが一番の理由だ。
しかし親しい友人がみんな参加していれば、例え住所や連絡先が分からなくなったとしても、こうしたSNSを通じて常時連絡が取れるわけで、もっと普及したら便利になるだろうと思う。

一度投稿すると度胸がつく。
また問題が再燃したら再度投稿するかもしれない。
直接メールをもらわなくても、読むだけ読んでいるOBが大勢いる。
20年会っていない人たちに存在感を示せるというのも良いものだと思う。

ただOB会のメーリングリストだからいいのだが、一般向けのFacebookにはどう向き合っていくかは未定だ。もともと人見知りする性質だし、時間的ゆとりもないし・・・
しばらくは「やめずにちょっとずつ様子見ながら」という程度になりそうである・・・

     

2011年2月12日土曜日

初滑り

先日予定していたスキーであるが、今年一番の寒波到来という予報で取りやめ。
本日その代わりとして初滑りに行って来た。
場所は湯沢のナスパスキーガーデン。
昨年は子供が生まれて以来はじめてのスキーだったが、新幹線で往復。
今年はスタッドレスタイヤを装着して車で往復した。

我が家からは関越自動車道にすぐアクセスできる。
片道2時間のはずであった。ところが、渋滞。
最近はスキー人気の低迷もあって、かつてのひどい渋滞はなくなっているという話であったが、そんな話はどこへやらの渋滞であった。
休憩時に行き交う人を観察したら、同じスキー目的の人が多いようだったから、どうやらスキー渋滞らしい。たっぷりと予定の3倍かかり、着いたらお昼であった。

かつて学生時代はよくバスでスキーに行った。
ちょうどスキーブームの折、新宿駅西口広場からサミーなどのツアーバスに乗り込んだものだ。
無数と思えるほどのバスが集まり、目的のバスを探すのが大変だった記憶がある。
大抵夜中に出発して、リクライニングもままならぬバスで窮屈な思いをしてスキー場に向かったものである。

社会人になると、車でスキーに行くようになったが、それでも夜中に出発していた。
その頃の関越自動車道の渋滞はひどいもので、へとへとで朝スキー場に着くと、今度はゲレンデラッシュ。30分リフト待ちして3分で滑り、また30分リフト待ち。
さすがに我慢しきれなくなった。
そんなところへ友人に穴場スポットを紹介された。
それは会津の台鞍山スキー場である。

東京からだと車で4~5時間ほどと遠い事は遠いのだが、東北自動車道は渋滞がなく、しかもゲレンデにはリフト待ちがない。地元の人たちしかいないようなところで、物足りないとしたら規模が小さい事だけであった。すっかり気に入って、子供が生まれるまでは台鞍山しか行かなかったほどである。以来10年・・・

スキーはすっかり下火となり、板も短くなった。
6時間の渋滞と言ってもあの頃に比べれば遥かにマシと言える。
もう少し早く出発すれば、かなり回避できそうな気もするし・・・
スキー人口が減って、業界は縮小。
旅行会社のサミーは潰れ、神田のスキー専門店街もだいぶ様相が変わった。
ゲレンデのリフト待ちも今日は気にならない程度。
5歳の長男を連れていても全くストレスはなかった。

少子化問題が騒がれているが、ことスキーに限って言えば、スキー人口の減少はスキーヤーにとってはウェルカムだ。減り過ぎればスキー場の経営も立ち行かなくなって逆効果かもしれない。
しかしほどほどに減ったがゆえに、家族で気軽に楽しめるレジャーとなってきているのは事実である。業界の規模は縮小し、経済の面からいけば「深刻な問題」と言えるのかもしれないが、利用者の視点からは歓迎すべき結果だ。

少子化・生産人口の減少が問題視されているが、意外とこんなところにこの問題を考えるヒントのようなものがある気がする。それはまた次の機会に考えてみたい。
さて来週は1泊でのスキー旅行。今度は温泉やバイキングなども合わせて楽しんでくる予定である・・・


【昨日の読書】
「お金の神様」中原圭介
「ほんとうの国語力が驚くほど伸びる本」福嶋隆史
 

2011年2月8日火曜日

ラグビー部お家騒動

我が大学のラグビー部では、昨年からちょっとした騒動が起こっている。

定年で会社勤めからリタイアした老OBが、その興味をかつて自身が所属していたラグビー部に向けた。足繁く通い、やがて現役学生を「指導」するようになった。
実は我がラグビー部には不文律がある。
それは、「学生に対する指導はコーチングスタッフに限る」というものである。
いろいろなOBがやって来て、好き勝手に学生を指導し始めたら混乱を来たすからである。
まるで反対の指導をされては、現役もたまったものではない。老OBの勇み足である。

事態を重視した幹部スタッフは老OBと会合を持ち、しっかり注意した。
ところが老OBはこれに反発。
メーリングリストを活用して自分もコーチングができるよう制度改革を訴え始めたのだ。
それに賛同する老OBがもう一名加わり、盛んに制度改革の提案をしている。
幹部スタッフは事態を静観している。

メーリングリスト上での上記活動に違和感を覚えた私は、コーチ陣に火の手が及ぶに至って議論に単独参戦。身内とは言え、推定300名くらいに配信されているメーリングリストに名前を出して意見を投稿するのはちょっとした度胸がいる。
何度も推敲して送信ボタンをクリックした。

議論の中身には直接加わらず、メーリングリストの私的活用に疑問を呈する内容にしたためか、老OBも反省の意を表して静かになる。
これで終わりかと思いきや、OB総会を前にして再び活動し始めた。
今度は公的利用の形を取ってである。敵もさる者なのである。

今度は正面から制度改正には反対の意を表明した。
二度目の投稿である。
幹部スタッフよりも第三勢力としての方が重みがあるだろうと、幹部スタッフとは一線を画してだ。
だが議論は平行線。その主張は、きれい事を並べ立てても結局は「自分もコーチをしたい」というところに尽きるのである。それはつまりエゴなのであるが、だからと言って「やりたい」と言う者を無理やり排除するのも気が引ける。相手は大先輩だし、ラグビーが好きなのだし、エゴであってもそこは尊重したいところだ。

定年後に自由な時間が取れ、ふと気がつくと昔青春時代を送ったグラウンドに再び帰りたくなったのだろう。いずれ自分もそうなるかもしれない。
ただ、コーチ陣は若手に委譲してあるし、膝つきつめて現役と話し、時に一緒にグラウンドで汗をかき、コーチ陣も一生懸命だ。そこに老OBが加わる余地はない。

そもそもグラウンドに足を向けるようなOBはみな愛着を持ち、かつての自分にも自信を持っている。現役にちょいと指導したくなるのはみんな一緒だ。
それをぐっと我慢しているのだ。
それによって混乱を防ぎ、秩序を維持している。
老OBにも理解していただきたいところなのである。

根底にある気持ちは同じ。
現役の勝利。
ただそれに直接手を添えるか、黙って見守るに留めるかの違い。
違う考え方同士の溝を埋めるのはなかなか至難の業。
幹部スタッフから漏れてくる意見はかなり怒り心頭の様子。
メーリングリスト上では沈黙を守っているが、いずれ今度のOB総会での激突は不可避だろう。

自分としてはどうすべきか。
コミュニケーションの良いトレーニング機会にも思える。
考え方は大きく事なれど、同じラグビー部の大先輩だし、遺恨が残らないようにしてもらいたいと思っている。こんどの総会では、是非老OBに直接挨拶に行こうと思うのである・・・



【本日の読書】
「お金の神様」中原圭介
「ほんとうの国語力が驚くほど伸びる本」福嶋隆史
 
        

2011年2月4日金曜日

子供手当にモノ申す

親しい友人に指摘されてあらためて最新の給与明細を見た。
すると教えられた通り、所得税が増えていた。
子供手当の支給で扶養控除がなくなったのである。
これぞ朝三暮四というのか、お粗末である・・・

子供手当に関しては、マスコミが「バラマキ」と批判するものだから、みんな批判的になっているように思える。もらっていない人が反対するのは当然ながら、もらっている人も「嬉しいには嬉しいが・・・」と声高らかに「賛成」という人には今のところお目にかかっていない。

マスコミの報道なんて頭から疑ってかかる私としては、「バラマキ批判の批判」をしたいと思う。
子供手当はまっとうな戦略だ、と。そもそも企業減税だって企業に対する「バラマキ」だ。
なのに逆に5%では国際競争に勝てないと、もっとバラマケと煽る始末だ。
まったく矛盾している(ちなみに私は企業減税に関してはマスコミと同意見だ)。

そもそも今回の不況は消費不況。
「人々がモノを買わない→企業が儲からない→働く人の給料が増えない→モノを買わない」という負のスパイラルにはまっている。
それを「モノを買う→企業が儲かる→給料が増える→モノを買う」というスパイラルに変換するには、お金というカンフル剤の投入が手っ取り早い。

しかし財政事情から全員には支給できない。そこで対象を考える。
老人はすでにお金を持っている(個人預金1,500兆円の大半は老人が持っている)。
若者や子供がいない世帯は可処分所得が多い(だから不況でもブランド品が売れている)。
一番苦しくて財布のひもが固いのは子育て世帯だ。だからここへピンポイントでお金をつぎ込むわけだ。名目は「子供手当」としておけば、少子化問題とあわせて恰好がつく(されど実態は消費喚起策だ)。

戦略としては間違っていない。
ちょっと考えればわかる事であって、バラマキなどと批判するのは、マスコミが脳味噌を使って自分で考えていないだけの事だ。
ただ、だからと言って問題がないわけではない。
どころか大ありだ。批判するならここをするのが正しい。

一番の問題は、「戦力の逐次投入」という愚行だ。
日本軍はガダルカナルでこれをやって失敗し、湾岸戦争では資金援助でこれをやって失敗した。
典型的な役人ならではの発想で、今またこれを繰り返している。
砂場にコップで水をかけたって効果はない。
やるならバケツで一気に大量投入しないと効果はでない。

具体的に言うなら13,000円(手取りではもっと減る)じゃだめなのだ。
我が家でもこれっぽっちじゃすぐ貯蓄行きだ。
せめて50,000円。これくらいあれば半分貯蓄に回して、半分は消費に回る。
外食や旅行やショッピングに確実に回る(飲みに行く回数も確実に増える)。
消費喚起効果は確実に現れると思うのだ。

賭けてもいいから、まずはやってみてもらいたいが、どうだろう。
冗談半分であるが、マスコミの意見と比べれば、はるかにまともだと思うのである・・・


【本日の読書】
「知らないと恥をかく世界の大問題」池上彰
「信じて根を張れ!楕円のボールは信じるヤツの前に落ちてくる」岩出雅之