2009年8月16日日曜日

先輩H

   この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 
   危ぶめば道はなし
   踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる
   迷わず行けよ 行けば分かるさ
                              一休 宗純
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H先輩と出会ったのは、最初の大学受験に失敗した時の事であった。
小学校時代からの友人と一緒に合格発表を見に行き、合格を喜ぶその友人が入学の書類をもらうのに付き合って校内をうろついていたら、H先輩に声をかけられたのだ。
ラグビージャージを着たH先輩に、「俺の後輩になれよ」と言われたのが悔しい思いと共に印象に残ったのである。

1年後にリベンジを果たしてラグビー部の門を叩いたが、怪我で休部中のH先輩と再会したのは、それからさらに半年以上後の、確か年末の頃だった。2つ上のH先輩とは同じポジションでもあり、また甲子園出場経験者という異色のキャリア、文学好き、そして人柄とが相俟ってすぐに親しみを感じたのである。女の話かラグビーの話が圧倒的な話題を占めるラグビー部で、静かに本を読むH先輩に同類の匂いを嗅ぎ取ったのだと思う。

もともと哲学には興味があったが、それでもニーチェやキルケゴールなどを読み始めたのはH先輩の影響だ。後に奥様になる人に「どうしてすぐに就職しなかったのか」と問われて、先輩は「本を読むためさ」と答えてフッと笑ったと言う。
フッと笑ったのかニヤケタのかはともかく、「本を読むため」というのは事実だと思う。
「H先輩がどんな本を読んでいるのか」は今でも常に私の感心事だ。

そんなH先輩は、卒業したあと企業に就職する事なく、やがて東北で農業を始めた。サラリーマンの息子であったH先輩に農家のコネなどあるはずもなく、役所に手紙を書いて乗り込んで行くという有り様であった。「この道を行けばどうなるものか」まったくわからない道を、すべてをかけて進む姿は私にはとうてい真似できない。その姿勢を学生時代に合コンで発揮していたら、かなり楽しい学生生活を送れたに違いない。

他の先輩達はみな一流企業に就職していった。当時は今と違って売り手市場だったし、「体育会ラグビー部」の看板を掲げていれば、いくらでもそれなりの企業に楽に就職できたのだ。H先輩はそんな楽な道を選ばずフリーターとなった。我が大学から司法試験などの理由を別として、そういう進路に進むのは極めて珍しい事である。

そんなH先輩の事をもう少し語ってみたい・・・


【本日の読書】
「戦略ファイナンス」高田直芳

    

       

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