2009年3月27日金曜日

チームワークという名の迷信

WBCでは大分盛り上がった。
2連覇の要因としては、やはり世界に通じる一流プレーヤーが多くなってきたという事だと思う。
それが一番の要因だろう。

日本人は聖徳太子の時代から「和をもって貴し」を重視する民族だ。
だからいきおい、「チームワークの勝利だ」とか、「個よりもチーム」という精神が重要視される。
それはそれで悪くはない。

だが、「どうしたら強いチームになるか」という事を考えた場合、一番肝心な事が抜け落ちる事がしばしばある。それは、チームが強くなるには「個人のレベルアップがまず必要である」という当たり前の理屈だ。

「チームワークによって1+1を3にする」という考え方は確かに美しい。
だが実のところ、本当に3になるかどうかは怪しい。
それよりも大事なのは、「1の力を1.5にする」という事である。
そうすれば、無理をしなくても1.5+1.5=3となる。
さらに1+1が3になるのであるならば、1.5+1.5は5になるはずである。

サッカーの中田英寿は、若い頃しばしば味方の取れないパスを出したそうである。
しかし、それは実は絶妙のコースへ出したパスで、味方がそこに追いつきさえすればゴールというものだったという。
「味方の取れないパスを出すプレーヤー」か、「絶妙のパスに追いつけないプレーヤー」か。
視点をどこに置くかでチームのレベルが違ってくる。

我が出身高校のラグビー部では、私の在籍中個人プレーを諌める事がしばしあった。
一人で敵陣に切り込んだプレーヤーに対し、「一人で行くな」と注意されたのだ。
一人になると数に勝る敵にボールを奪われる、だからチームでまとまって攻めなければならない。
当時は疑問に思わなかったが、これも実はおかしな事であった。
なぜなら一人で切り込んでいったプレーヤーに対し、本来であれば彼が孤立するのを防ぐべく、味方が必死にサポートしてついていかないといけないからだ。
後に残って「一人で行くな!」と叫んでいる暇があったら、必死になって追いつくべきなのだ。
「中田の出すパス」に必死に食らいつかないといけなかったのだ。
「チームプレー」という美しい言葉の前に、本来やるべきプレーを見失っていたのだ。

WBCに終結した一流メンバーは、一流ゆえにチームプレーも簡単にできる。
それは各々が、一流の個人プレーヤーとして確立されているからだ。
個人技を極める事こそが、チームプレーを極める事にもつながるのだ。

ラグビーの本場ニュージーランドでは、チームの練習時間が日本よりも短い。
みんな個人個人が必要な練習を自分でこなすそうだ。
そうして全体でしかできない練習をチームで集中してやるという。
個として確立されているがゆえの結果だ。

「チームよりもまず個人」
これからのスポーツ指導者にとって、覚えておかなければならない事である・・・

       

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