現在、高校ラグビーの全国大会予選が各地で行われている。我が母校の高校も無事1回戦を突破し、本日2回戦に臨んだ。相手はかつて全国大会に出場した実績もある古豪。少子化で単独校としては出場できず、合同チームとして出場する高校が増えている中、わが母校は都立高ながら単独校で頑張っている。そんな母校の応援に本日はグラウンドに足を運んできた。以前は一部暇なOBが数人応援に来ればいい方であったが、最近の傾向として(OBの傾向は変わらないが)父母の応援がすごい。
父母の応援団は共通のTシャツを作り、選手名鑑も作り(それを我々OBにも配布してくれる)、試合が始めれば黄色い声援(?)が飛び交う。選手たちも歓声の中で試合をするのはいい気分だろうと思う。しかしながら、一緒に観ている我々とその黄色い歓声はどこかズレがあると感じる。トライを取ればみんな歓声を上げるのは同じだが、ママさん応援団はボールを持って走れば歓声を上げる。実にわかりやすい。ただ、試合の展開を観ていると、いいプレーだと感心するのはボールを持って走るところばかりではない。
そう言えば2019年に日本でラグビーのワールドカップが開札された時、「にわかファン」という言葉が流行った。ワールドカップ国内開催という契機に興味を持った人がどっと増えのだろう。それはそれで悪くはないが、「にわかファン」という言葉にはどこか卑下するニュアンスを感じたものである。個人的には少子化の中で我が国のラグビーが衰退するのを防ぐには、やはりみんなの関心が必要だと思うので、にわかでも何でもファンはウェルカムだと思っているから好感を抱いている。
しかし、やはり気になるのは「素人目線」。それはある意味仕方ないことではあるが、やはりプレー経験の有無が出るのが「目立たないプレー」に対する見方だと思う。テレビを観ていても、アナウンサーはトライに過剰に反応する。誰がトライを取ったか、それが今シーズン何本目かといったところである。しかし、ラグビーのトライはチームプレーである。野球のホームランとは違う。確かにトライはすごいかもしれないが、そこに至るプレーというものがある。タックルでボールを奪ったかもしれない。鋭いステップで相手を2人抜いてその結果、フリーになった味方のプレーヤーがトライしたのかもしれない。
そういう途中経過を無視してトライだけにスポットライトを当てるのはどこかズレている。ゴール前のフォワードの密集プレーでは、フォワードが固まって一団となってゴールに押し込んだ時、誰がトライをしたかなどまるで意味がない。そうした観るポイントのズレがプレー経験のないファンとのズレが生じる原因である。しかし、そんなズレがあろうと、それは些細なことでしかない。この日曜日の同じ時間、母校を応援するという点では同じである。観るポイントの違いは大したことではない。
我々は、母校の後輩の一つ一つのプレーに注目し、応援する。父母は我が子の勇姿を見て応援する。トライを取ればみんなで歓声を上げ、取られれば沈黙する。そんな後輩たちは、わずか1ゴール差(2点差)で涙を飲んだ。一部のお母さんたちも泣いていた。3年生にとってはこれが現役最後の試合となった。観る立場やポイントは違えども、応援する気持ちは同じである。泣き崩れる3年生を見ていて、自分たちの最後の試合を思い出した。応援は数人のOBだけだった。
卒業してもみんなにラグビーを続けて欲しいと思う。できれば母校の大学に進学してもらって、今度は大学の試合で応援できたらとも思う。それにしても、私の34歳上の先輩たちが始めたラグビー部が、今の1年生で81期になる。連綿と受け継がれたバトンをこれからも長く受け渡していって欲しいと思うのである・・・
【今週の読書】





0 件のコメント:
コメントを投稿