「どうしたらできるだろうか」という発想は、何かを成し遂げようとする場合にとても大事だと思う。私は仕事でもスポーツでも事を成すには「意識」「熱意」「創意工夫」の3つが必要だという信念を持っている。このうちの「創意工夫」にあたるのが、「どうしたらできるだろうか」という発想である。実に簡単であると思うが、できない人にはとことん難しい事のようである。そもそも「無理」と考える「意識」の問題もあるかもしれない。だから何よりもまず「意識」がないとダメなのであるが、意識だけでもダメである。「創意工夫」とそれを支える「熱意」がないと難しい。
初めてこの言葉を使うようになったのは、銀行員時代に初めて部下を持った時である。銀行員とは結構忙しい種族で、当時当たり前のように山のような仕事を抱えていた。私の部下はそれを目の前にし、「こんなにできるわけありません」と言い、毎日のように「人を増やさないとできるわけありません」と訴えてきた。それに対し、私は毎回「どうしたらできるかを考えろ」と答えていたのである。結局、新米上司の私に部下の行動を変えられるわけがなく、しびれを切らした支店長が優秀な男(しかもその部下の同期)を連れてきて交代させてしまった(そして仕事はスムーズに回るようになった)。
考えてみれば、私も「どうしたら部下の考え方を変えられるか」を考えれば良かったのであるが、そこまではできなかったのである。それ以来、「どうしたらできるだろうか」と考えるのは私にとって当たり前の思考になっていったのであるが、誰もがそう考えられるわけではないのだという事をその後も幾度も経験している。「どうしたらできるだろうか」と考える以前に「無理だ」「できない」という意識が働くのであろうか、考える以前で止まってしまうようなのである(だから「意識」がまたしても大事なのである)。
先日の事、とある案件の入札があった。私としては是非取りたいと思い、現場の担当者に相談を持ちかけた。もちろん、現場担当取締役にもである。ところが、しばらく検討してもらって出てきた回答が「リスクが高い」「採算が合わない」という否定的な意見であった。採算なら合うようにすればいいと私は考えるが、説明を聞いて感じたのは、「否定から入っている」という感覚であった。たぶん、「無理してまでやりたくない」という意識があったのだろう。私と現場との間では温度差があったのは間違いない。
否定から入っているから「できない理由」を探す。あるいはちょっとでも不安な要素を探す、目につく。今の仕事で充分だから何も無理して手間暇のかかる入札などに手を出す必要などないではないかという意識がおそらく働いている。しかし、経営の観点からすれば、今の仕事だけで満足していては、いずれ環境変化の中で淘汰されるかもしれず、事業の幅を広げておきたいという考えがある。そういう中での一つのチャンスであり、積極的にチャレンジしたいところである。リスクを無視しろというつもりはないが、「リスクがあるからやめる」ではなく、「取れるリスクは取る」というスタンスで臨みたいところである。
そこで必要なのが、「どうしたらできるか」という考えである。人の手配であれば、自社だけでなく外部の協力企業に頼む手もあるし、それは直接だけではなく他のプロジェクトから抜くのであればそこへの補充という間接的な方法もある。難しい仕事でなければ他の業務から抜いても影響の少ない新人を抜いて充てるという方法もある。コストは抑える考えも大事だが、相手からの要望にプラスアルファの提案を加えて価格に転嫁するという発想もある。それでも最終的にできないとなるなら、その理由は何なのか、どうしたらその理由を(次回は)克服できるのかを考えたい。
結局のところ、「創意工夫」は「意識」と「熱意」があってはじめて出てくるものなのかもしれない。一方、「どうしたらできるだろうか」という「創意工夫」の発想があって、そこから「意識」と「熱意」につながるものなのかもしれない。どうしても結論としてその「三位一体」があるかないかになってしまうのであるが、その「三位一体」も私の場合は「創意工夫」の考え方から辿り着いたように思う。まずは何事も「できない」と結論づけるまえに「どうしたらできるだろうか」と考えてみたいものである。
「断ったらプロではない」という言葉が好きであるが、「どうしたらできるだろうか」と常に考え続けたいと思うのである・・・
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MarijanaによるPixabayからの画像 |


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